10 女神たち-2
「とは言ったものの、あまり大事な話ではないのですが」
その口からどんな衝撃的な真実が出るのかと身構えていた勇一は、思い切り肩透かしを食らった。その姿を見た星の女神は、申し訳なさそうに目をそらす。
がっかりさせたしまったと思った彼女は、あわてて太陽を見た。しかし返ってくる突き放すような視線に耐えられず、再び顔を勇一に向ける。
「えーっと、その……そ、そうね貴方がここに来た経緯を話しましょうか」
それこそぜひ聞きたい情報だ、勇一の体が一気に前のめりになる。
「ふぅ……元々私たち三人は、とても仲が悪かったのです」
「まるで今は良いような口ぶりね。正直こいつが出てこなきゃ、私はあんたを見捨てて逃げてたわよ」
「まぁ、このように、決して仲良くはなかったのです。太陽と月など、ことあるごとに衝突していましたから……月が負けて数千年、今度は太陽が負けて数千年。長い眠りを経てもなお、争いはやめませんでした」
「あんたのその傍観者ぶった態度が気に入らなかったわ、見下したみたいにさ。あんたも女神の一人なんだからね、自覚なさい」
星の女神の言う通り、この二人の仲は険悪だと言って差し支えないように見える。勇一の言葉に気を良くしたとき以降、太陽の女神は小さな顔の大きな目を鋭角に吊り上げて星の女神を睨みつけている。
「と、こんな状態がいつまでも続くのは三人とも良くないとわかってはいました。何か争いを止めるきっかけが欲しかったのです」
「そーれーで! 私の提案で、三人で世界を創ろうってなったわけ」
「いえ、それは私が提案したものですよ太陽。長く眠りすぎて、記憶があやふやになっていませんか?」
「あ"ぁ⁉ その口もういっぺん開いてみなさいよ! 溶接してやる‼」
太陽と星の女神が取っ組み合いを始めた。勇一は自分にとってどこからが関係ある話なのか分からないのに、これからもこの流れを延々と見せつけられるのだろうかとぞっとした。
声をかけようにも太陽の女神から受けた仕打ちが脳裏をよぎり、言葉に詰まってしまう。
(早く話を進めてほしい)
「む、そうですね。太陽、下らない争いはやめましょう」
星の女神が白く細い腕で相手を引き剥がし、無造作に放り投げた。投げられた方は手足をバタつかせ、空中でくるくると回っている。そんな滑稽な様子を見ても、勇一は言葉を失ったままだった。彼のなにか言いたげな表情に、星の女神は言葉を続ける。
「貴方に力の一部をやったといったでしょう。つまり貴方と私は繋がっているのです。何を考えているのかわかるのも、当たり前です」
「はぁ」
「どこまで話したかしら」
白い指が赤い唇に艶かしく当てられる。
「そう。私たち三人は力を合わせてこの『アーシア魔法世界』を創った。三人が役割を持てば、争いを止められると信じて……」
「創造や介入はとても難しかったわ……でも楽しかった。星と月のことは嫌いだけど、まあ、それなりに良い手法なんかも思いつくし」
ゆっくり回りながら太陽か口を挟んだ。彼女はさし伸ばされた星の手を払い、小さな炎を噴射させながら姿勢を制御する。
「ところが少し前から、月の行方がわからなくなりました。と同時に、サンブリア大陸に不穏な動き」
「私たちが月を探そうとしたとき、強烈な不意打ちが来たわ。まあ私はなんとかなるから良かったけど、星がね」
腕を組んだ太陽が隣を一瞥する。
「あの時、私は力を誰にも与えていなかった。だから貴方を使ったの。ここまでで何か質問はありますか?」
一応星の女神は勇一を気にかけているようで、語り口も眼差しも下々に向ける優しさに満ちている。
勇一はここまで聞いた話を必死で理解し、自分に必要な情報を得ようと躍起になっていた。
「俺を使って、何をしようとしてるんですか?」
単純だ。ただ復活が目的なら、既に達成されている。あとはお役御免とばかりに勇一から力を取りあげれば良い。しかし現在もそうされた様子はなく、こうして話をしているのは、目的があるからではないかと彼は考えた。
「私たちが月を見つけるまで、生きていてほしい」
「……そ、それだけ?」
「月は貴方を感知できない、これは大きな有利と言っていいでしょう。向こうは私と太陽が眠りについたと思っているはず……いずれ来る月との戦い、私と貴方が繋がっていれば私はすぐに復活できます。だから私たちが月を見つけて倒すまで、生きていてほしい。あまり、死に急ぐようなことはしないで」
こともなげに星は言った。それで終わり、とばかりに間が開いたので、勇一は恐る恐る次の疑問を口にする。
「俺の他にも、女神魔法使いが?」
自分を例にしてみれば、女神が短期間で復活するためには誰かに自身の一部を授けなければならないということになる。自分以外に少なくとも二人、女神魔法使いがいるのでは、と。
「力を持つ者の魂が感知できるというなら、月の女神様の居場所もわかりそうなものですが……」
「ところがねぇ、ぜんっぜんわかんないのよ」
太陽が大きく息を吐くと、砂漠に吹く熱風のような空気が勇一を包んだ。
「私たちはお互いに、女神の力を持つ魂を感知できる。あんたは例外、この世界の魂じゃないから。でもさぁ、月魔法使いの魂がどこにあんのか検討もつかないのよね、私の力みたいに」
「?」
「太陽の力は、とある竜人に宿っていました。本来ならその者が死んだ時点で力は帰ってくるはず……しかし今もって戻ってきていません」
「それが不思議なのよねぇ。力が帰ってこないってことはまだ向こうにあるのは確実なんだけど……感知ができないってなんなんだろう」
「ご自分の一部じゃないですか」
「あんたは自分の身体を隅から隅まで知ってるの? あんたが思ってるほど世界は完璧じゃないの」
「同じように、月の力を持つ者の魂も感知できません。サンブリア大陸のざわつきは明らかに月の介入……しかし居場所がわからない」
二人の女神はうんうんと唸る。太陽の方はすっかり炎も消え失せて、その下にある鮮やかな黄や赤の跳ねた髪が見えた。
「月の女神様がそもそも力を誰にもやってない、なんてことは」
「それはありません。不意打ちとはいえ私と太陽の二人を同時に相手にするのです。負ければ長い眠りにつくリスクを、月が取るとは思えない」
「俺みたいに、別世界から連れてきたとか」
星は容赦なく頭を振る。
「それもありえません。なぜなら、それができるのは私だけだからです」
「月のやつは用心深いから、目立ったことはしないわ」
「介入しながらも、月魔法使いが私たちに感知されない理由がある」
「既に月の操り人形になってるとか、ね」
「……?」
「魔法は意思あればこそ使える。意思のもとに魔法を使えば、その波が私たちに伝わるわ。完全に操り人形になっていれば、意思なんか関係ないでしょ?」
悲痛な沈黙が三人の間に流れた。月の女神を探そうにも手がかりは無い、それどころか下手に動けば折角の有利が揺らぐ。
女神たちの現状はなんとなく把握できたものの、勇一にはまだわからないことが多い。
「女神魔法の使用には代償が伴います。女神の力を持ったとしても、人の身体では出力に限界がある。例えるなら水という魔力が通る筒が、人では細すぎるのです」
(ミュールイア先生が言っていたな)
「それを開放するのが代償ってわけ。私の力は癒やしの力。でも使用者の寿命が代償として持っていかれる。星の場合は身体、そして月は……心」
「精神を代償としているのです。記憶を覗き見、他者を意のままに操る月魔法。しかし使用者は、徐々に心の均衡を失ってゆく」
「完全に心を失った使用者を、月が直接操っているのかも。なんにせよ、好ましくない状況ね」
力を使う度に自身を捧げられ、やがて死に至る女神魔法使い。当然勇一も例外ではなく、使う度に激痛を味わってきた彼も遠くはない死の気配に慄いた。
「俺は、どうなってしまうんでしょうか」
だが縋るように絞り出した問いに、女神はさらに残酷な答えを持っていた。
「貴方の場合は、少し事情が異なります」
「俺が異世界から来たことが?」
「月の襲撃の際、私たちは急遽器となる身体を作り、貴方の魂を癒着させました……しかし、どうやらそれがうまく行っていなかった様なのです」
冷たい手が勇一に触れる。再び全身が強ばるほどの悪寒が走ったが、それはすぐに消えた。そして今度は段々と懐かしい温かみに変化していき、多幸感が彼を満たして行く。まるではじめから女神の両腕の中が居場所であったかのように。
「人は死を迎えたとき、身体とを繋ぐ謂わば『紐』が切れる。そして魂だけが私の元に来る。しかし貴方は、生きながらにして魂が抜け出ているのです。紐はそのままに」
「あんたの意志とは無関係に、魂が星の元に行きたがってるのよ」
「魂が私に近ければ近い程、女神魔法は強く応えるでしょう。私と一つになると言うことですから。しかし魂が私の元にたどり着き、身体と魂を繋ぐ紐が切れた時」
勇一は最も聞きたくなかった結論を自ら求めていたことに気が付いた。星は表情一つ変えることなく、彼の残酷な運命を予言した。
「貴方は死ぬ」
他ならぬ死を司る女神の言葉、嘘ではないことなど勇一には容易に想像できた。先ほど彼が感じだ多幸感はつまり、自らの魂があるべき所に近づいているが故だったのだ。
あまり時間をかけすぎると復讐に至る前に死ぬ、しかし星魔法を使いすぎても死ぬ。どうあがいても長くは生きられない命……勇一は虚空を見つめ唇をかみしめた。
(女神の都合で呼ばれて、力を押し付けられて、あげく俺は短命? こんな理不尽があるか……!)
「理不尽ですね、しかし事実です」
星はそれから何も言わなかった。さすがの太陽も口を閉じ、少し離れた所から勇一の様子をうかがっている。
彼は星魔法を使わなければ長生きはできると思っていた。首尾よく復讐を終えたら、あとは静かに暮らそうとも。竜人の村に墓標を建てたかったし、アドリアーナに改めて謝りたかった。そしてアトラスタにも会いに行きたかった。
しかしそれも、満足にできないだろう。
アーシア魔法世界に転生し、まだ一年も経っていない。しかし彼の中には、また会いたい人々がすでにいる。彼の頬を熱いものが流れ、拳は血がにじむほど固く締められた。
(待つも進むも同じなら……)
しかし彼にはやらなければいけないことがある。止めなければならない男がいる。運命が決まっているのなら、目標を放棄するか。どうせすぐに死ぬのなら、自棄になるか。
高鳴った心臓はすぐに落ち着きを取り戻し、示された道を見据える意思が瞳に宿った。怒りで恐怖を押さえつける。
「俺が死ぬ前に、奴を殺す」
「できれば安全な場所に引きこもっていれほしいのですが……そうもいかなさそうですね」
すぐに勇一は涙を拭いて、改めて星の女神を見た。見つめた先にはあるはずの眼球がなく、ただ広大な宇宙があった。キラキラと目の内で無数に輝くのは、一つ一つが銀河だ。
決心した直後に予想外のものを見た彼の口から、驚きよりも率直な感想が滑り出る。
「……綺麗な目だ」
「私を見てそう言ったのは、あなたが五番目です。私の元に来る魂たちはみな、闇の方を見るのですよ」
「五番目?」
「……全部、貴方ですよ」
「アッハハハ!! 星ィ、あんた面白い言い方するわねぇ」
太陽の女神がケタケタ笑う。再びその髪に炎が宿ると、それは本物の太陽のように白熱して輝いた。
「その怒り、精々最後まで燃やし尽くしなさい!」
丘の向こうは崖かもしれない。しかし後戻りも、止まることもできない。ならば飛び降りるつもりで全速力で走ろう……転生直後の自分には絶対にできない決断だと勇一は思った。
「そろそろ肉体が起きる頃ですね。準備はいいですか?」
「ちゃっちゃと強くなって、あの娘もぶちのめしてやりなさい!!」
ぐん、と勇一の身体から背後に落下した。徐々に遠ざかる女神たちに、彼は最後の質問をぶつける。
「あの俺、転生する前はどんなだったんでしょうか!」
「私にもわかりません。記憶に関することは、月の領分ですから」
それを聞いた彼は、答えが出るまで記憶のことは気にしないでおける……と、少しほっとした。
復讐を終わらせ、自分が死ぬ前に太陽と星が月を見つける。道筋が見えれば、彼も不安は無い。
(小説の結末から読む人の気持ち……か)
落下はさらに加速する。女神たちは既に見えなくなってしまった。あっという間に星の重力を振り切る速さにまでなった勇一の魂は、自分の身体に帰っていった。
***
「……行ったわね」
「行きましたね」
星も勇一と同じく、内心ほっとしていた。自分の身体が死体でできていて、もうすぐ死ぬと言われたら……普通の人間ならどうなるか、想像に難くない。
しかし彼は復讐の旅が続けられることに安心していたように見えた。それだけ彼に占める割合が多いのだろう……女神は宇宙の目を閉じる。
(本当に、私は無責任だ……せめてその旅路に、祝福のあらんことを)
「ねえ、私たちがこんなに干渉するのってどれくらいぶりだっけ?」
(本当に空気が読めない阿呆ね)
「確か……ドラゴンたちから翼を奪って以来、かしら」
「因果なもんねぇ……あの入れ墨、見た?」
彼の頬には、翼のないドラゴンが静かに佇んでいた。
「だから、面白いのよ」




