8 務め
「ふん、ようやく帰ってきたか。早速だがやってもらうよ」
ウルバハムは自室に帰り、ミュールイアの研究室には勇一だけで戻ってきた。彼が言葉を覚えるために広げていた筆記用具はまとめて部屋の隅に置かれ、追いやられた者の寂しさを醸し出している。
部屋の中央に置かれた台座にあるものを見て、勇一の顔は不快感を隠せなかった。そこには丁寧に腹を割かれた大きなネズミが一匹、仰向けに寝かされていたからだ。
「これは……なんですか?」
「言っただろう、後悔させてやるって」
ミュールイアは立て掛けられた杖を手に取らず立ち上がり、骨と皮だけの人差し指を勇一に向けた。
「星魔法の秘密、あたしとおまえが協力して解明するんだろう。女神魔法についての資料はほとんど存在しないから、あたしたちが最先端にいると言っていい。わかっていないことを実験を通して、出来る限り解明するのさ……ひっひ」
確かに女神魔法がどんなものか知りたければ、実際に使ってみるのが一番だ。それは精霊魔法と違って何もわかっていないに等しいのだから。
勇一としても自分の力はどんなものかを知りたい所なので、協力は惜しまないつもりだ。しかし……
「何度も実験されるのは、その」
「わかってるよ! 魔法を使う度に身体から削られるんだろう? だからこうやって、観測器を沢山集めたのさ。さあ、そこに立ちな」
ネズミの死体の周囲には、大量の箱やら羽のついた小さな風車やらが所狭しと並べられている。
何を観測しようとしているのか勇一にはさっぱりわからなかったが、一度の実験でより多くの情報を得ようとしているのは理解できた。実験の回数が少ないという事は、それだけ身体への負担を少なくできるという意味である。
彼はミュールイアが指差す先、床に白い四角が書かれた所に立つ。
「これなら、回数も少なくできる」
「そういうことなら、じゃあ……」
「このネズミはあたしの昼飯を食いやがったのさ。死ぬには十分な理由だ」
憎々しげにネズミを見つめるミュールイアに、勇一は悪寒を感じずにはいられなかった。
ネズミに向かって集中する。
最初に使うのは……。
***
勇一は死体そのものを操る魔法を、実験の最後に使うと決めていた。操る死体に掛けた術を解くと、それは塵になって消えてしまうからだ。
「これで出来ることはあと一つです。最後の力を使うと、解いたときに死体が消えてしまうので」
自分の能力をじっくりと検証するのはこれが初めてだった。彼は自分に言い聞かせるように一つ一つミュールイアに説明する。
一つ。目を閉じて集中すると、何かが死んだ場所に白いもやが見えるようになる。壁をも透過して見え、何が死んだかによってその大きさも様々だ。
命の残り香のようなものだと思っている勇一は、それに「命の残滓」と名前を付けた。
二つ。死者の魂が見え、交信できるようになる。
勇一とうり二つの青年、ケルンの魂は彼と一度だけ言葉を交わした。ケルンは勇一に身体を託し、父親とともに星へ還った。
三つ。二つの死体を転移門の出入り口とする能力。
短剣程度ならネズミ、人ならそれなりの大きさ、行き来できるのは死体の転移門を余裕をもってくぐれる物に限る。使用には死体の損壊を必要とし、おぞましい内臓に入っていかなければならない。
竜人の村、メフィニ劇団が襲撃を受けた夜、そしてアトラスタと生き埋めになったとき。三度この力を使ったが、できれば使いたくないと勇一が思っている能力の一つだ。
四つ。死んだ者を、一時的に蘇生させることができる。
勇一が星魔法を死霊術だと思った所以の能力。メフィニ劇団の団長オーダスカ・メフィニを蘇らせた。同盟内ではゴブリンどもを操ったが、いずれも術を解くと相手を塵にしてしまう。
大きく分けてこの四つが、彼の把握している星魔法。
彼の説明を聞いているのかいないのか、黙って設置された器具をいじるミュールイア。一通り聞き終わると点検を切り上げ、自分の席に戻る。ずり、と深く背もたれを傾けると、鼻を鳴らした。
「先生?」
「中々面白いことがわかったよ。屑水晶が魔力に反応して光るのは知っているね?」
にやりと笑うミュールイアは器具から取り出した紙を順に勇一に見せる。
「魔力があれば水晶が光り、この紙に反応が出るんだ。見な」
見せられた紙切れには何もない。ひょっとしたら、自分にはわからないものが書かれているのではと勇一は目を凝らす。
「なにも見えませんが」
「そう。こっちは、風ではなく魔力に乗って飛ぶ特殊な虫の羽根だ」
昆虫の羽根のような人差し指程の半透明のものが、何枚も連なって糸にかけられている。もう一方はそれで作られた風車だ。
「ここを魔力の流れが通ると、羽根が動く。風車なら回る……動いたかい?」
「いえ」
一通りの星魔法を試したせいで激痛を味わったが、二つが動いた記憶はない。
「つまりだ、女神魔法は精霊魔法とは根本的に異なるものなのさ」
「どういうことですか?」
「魔法を使うとき、二つの要素が必要になる。魔力と人だ。それらは時折、何に例えられる?」
急に投げ渡された問いに、勇一はしどろもどろになった。
「え、えぇーっと、何でしたっけ」
「魔力は水、人はそれを通す筒だろう。初歩の初歩だよこんなの」
若干の苛立ち混じりにミュールイアは話をすすめる。
「魔法を使用するときは、世界に満ちる魔力を人という筒を通して発動するんだ。魔力は筒を通るまで属性を持たない。まあ、たまーに流れが停滞した場所で属性を持つ魔力もあるけどね」
「精霊って名前がついてるのに、精霊は出てこないんですか?」
至極まっとうな質問に、ミュールイアは眉間にしわをよせた。
「おまえは本当にここの生徒かい? 精霊魔法の基本五属性は知っているね?」
「火・水・土・木・風……です」
「そう、これらは『精霊』魔法なんて呼ばれちゃいるが、本当に精霊がいるわけじゃない。大昔の奴らが意志のある何かから力を貰っていると信じたからさ」
馬鹿馬鹿しい、と老婆はぶっきらぼうに言い放つ。
「人は生まれた瞬間魔力に触れる。一説によれば、その際に触れた魔力の量で『筒』の太さが決まるらしい。そこは専門外だから、詳しくはわからんがね」
身体を十分に休めた彼女は再び腰を上げた。先程まで立っていた場所から、台座を挟んで反対側の器具へと歩く。
「筒は一人一つ、それが理。だけどね、たまにいるんだよ。複数の筒を持つ者、筒が尋常じゃなく太いもの、その両方を持つ者……」
「つまり、ええと」
勇一は早く女神魔法に話を戻してもらおうと、頭を回転させた。
「筒と言うのが、使える属性……筒の太さは、魔法の威力と言うことですね。でも、女神魔法はそうじゃないと」
自分が言いたかったことを相手に取られたミュールイアの額には、谷より深いしわが何重にも浮き上がる。しかし話を勧めたいのは同じなようで、小さく咳払いをすると努めて冷静に語り続けた。
「そうだ。おまえが魔法を使ったとき、魔力の流れが観測できなかった。となると、どこから魔力がきているのか……と言う疑問が生まれる、ははは」
彼女の声には徐々に興奮がまじり始め、身振りも大きくなってきた。表情も新しい玩具を与えられた子どものように明るく、今にも飛び上がりそうだ。
「直接女神様から供給されているのか? だとしたら、どこから……それが一連の実験で明らかにできたら、面白いだろうねぇ。さあ」
しわだらけの人差し指が勇一を捉える。
「その死体を操る魔法ってのを見せてくれ。内臓をすべて取り出されたネズミでも動くのかい?」
「……」
既に勇一の左手に巻いた包帯は赤く染まり、額には大量の汗が浮かんでいる。しかし彼はミュールイアの指示を断ろうと考えてなどいなかった。自分の力を誰かと協力して解明する事など無いと思っていたからだ。
「……っく」
「おおお、なんと……」
仰向けに腹を割かれたネズミが、目の前で動き出す。それは意思を持って台座の上に赤い足跡を残した。さすがのミュールイアも死体が動き出すのを見るのは初めてだ。その冒涜的な光景を前に反射的に後退りするが、数歩の所で理性が足を止める。
「一体、どうやって……あっ」
「はぁっ! ……はぁ…………はぁ」
激痛によって勇一の集中は長く続かなかった。これまで何度か星魔法を使った結果、左手中指の第二関節程までがなくなっている。
星魔法を解かれたネズミはパタンと糸が切れたように倒れ込み、塵となって消えてしまった。
「す、すいません。いつもより痛い気がして……」
「はん、男だろう? もっとしっかりおしよ」
勇一はこれまで、命の危機に瀕した際に星魔法を使っていた。極度の緊張の中で陥る興奮状態は、痛みに対して極めて鈍くなる。彼は代償本来の痛みを経験することなくここまで来てしまったのだ。
「大丈夫、もう一回……」
「いや、もういい」
ミュールイアの枯れ木のような手が勇一を制止した。
「後悔させてやる」などと息巻いていた老婆が、今更なんだろうかと彼は拍子抜けしてしまう。
「ちゃんと飯を食って、体調を整えてからまた来るんだ。そうしないと正しい情報が得られないからねぇ」
「先生……」
「あたしも、今日のことをまとめなきゃならんのさ。一晩じゃあ終わらないよ……ま、そういう訳だから」
興奮を隠せないミュールイアは席に座り、インク壺の蓋をあける。それから勇一を鬱陶しがるようにしっしっと退室を促すと、それから二度と彼の方を向かなかった。
「じゃあ……失礼します」
勇一は右手で扉を引く。思い切り力を入れ一度で彼が通れる隙間を作ると、そそくさと部屋を出ていった。
すっかり暗くなった部屋に、屑水晶が机だけを照らしていた。




