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7 お祈り

 エンゲラズで一番高い建築物といえば、玉座を構えるアルドメラ城である。天を貫くような尖塔は昇降機によって行き来でき、エンゲラズを超えて地平線まで見渡せる。城の中でもごく一部の者しか入れないこの塔だが、今はほぼアークツルス王専用となっていた。

 二番目は信仰集まる教会である。大陸戦争の際ブラキアはホラクトを追い落とし、この街を占拠した。その後奴隷に落とされたホラクトが多く駆り出され、この教会が建てられることになる。巨大な鐘の音はエンゲラズにいればどこででも聞くことができ、時を知る一般的な手段となった。


「す、ごい、な」


 中に一歩踏み入れば、そこは既に荘厳な別世界だった。無数に金の燭台が並び、外の屋台に並ぶ者たちの喧騒が嘘のように遮断されている。

 大きな教会内部の巨大な空間をこれでもかと埋め尽くす彫刻。ウルバハムによれば、各地に残る言い伝えを表しているのだそうだ。

 言い伝え……人々の歴史と、世界の創造主である女神たちのことである。


「奥にはもっと凄いものがありますよ」


 勇一は若干興奮気味のウルバハムに手を引かれ、二人揃って人の流れを追い越してゆく。壁に手をついて跪く者もあれば、我を忘れた表情で天井を見つめる者もいる。ほとんどはブラキアだったが、ぽつぽつと人々の波から杭のようにホラクトの頭が見える。奴隷と一緒の空間にいても文句一つ飛ばないのは、ここがそういう空間だからなのだろうと彼は理解した。

 広い通路にひしめき合う無数の人々をかわした先にあったのは、円筒状の空間だった。ここが教会の最奥のようで、部屋の四方には出口につながる通路が口を開けている。

 二人が部屋の中央に来るとウルバハムは振り返り、部屋に三本だけ立っている石柱を指差した。


「石像?」


「はい。この世界を創造なさったと言われている、太陽、月、そして星の女神様です」


(でかい……十メートルはあるんじゃないか)


 石柱を背に立つ女神の石像は、三体とも部屋の中央を向いている。その神性を知らしめるために巨大に作られている石造たちは、各々が特徴的な外見をしていた。


「こちらが太陽の女神様です。太陽は生と多産と豊穣を司り、主に労働者や女性に信者が多いんですよ」


 太陽の女神像は全身をおおうローブを大きく広げ、天へ突き出した右の手の平に太陽を携えている。口を結び、大きく見開いた目を足元で跪いた信者たちに向けていた。


「どうしました?」


「この顔、どこかで見たような気がするんだ」


「像には元になった人がいるでしょうから、どこかで見たのかもしれませんね」


 勇一はいまいち釈然としなかったが、既視感の正体を探す前にウルバハムが次の女神像へ行ってしまった。


「こちらが星の女神様、死を司るお方です。死後の魂を裁く役割を持っているとも言われています。また勇敢に戦って死んだ者は夜空に輝く星になれると考えられているので、法に携わる者や兵士に信者が多いんです」


「星……」


(俺が持つ星の力は、多分転生したときにもらったものだ……。今まで考えないようにはしていたけど、俺がこっちに来た理由……まだわからないんだよな)


 彼はふと、一時期自分を苦しめていた悪夢のことを思い出した。竜人の村にいた頃は頻繁に彼を苦しめていたというのに、村から出たあとは片手で数えるほどしかない。さらに夢の性質も変わってきているようで、目が覚めた後の不快感も以前ほど感じられなくなっていた。

 悪夢など当然見ないほうがいい。しかしなぜ自分が星魔法を使えるのか……その答えが悪夢に隠されているような気がしていた彼は、なりを潜めたそれにわずかに寂しさも感じていた。

 星の女神像は星の輝きを形にした彫刻を胸の前で優しく包み、穏やかな表情を足元に向けている。そこでは中年の女性が付き添いに背中をさすられながら号泣していた。ウルバハムは声を潜め、できるだけ勇一に近づく。


「亡くなった兵士の親族は、家族の魂が星となって輝けるように祈るんです。そして毎晩夜空を見上げては昔を思い出す……」


 死者の魂が夜空で輝き、ずっと家族を見守っている。竜人の村でも同じようなことがあったのを彼は思い出す。世界が違えど家族を想う気持ちは変わらないのだと、当たり前のことなのになぜかほっとした。


「最後は月の女神さまですね。こちらにあるのが……」


「あれ、ユウ・フォーナーじゃないか。またあったな」


 教会内部の厳かな雰囲気の中、信者たちは思い思いに信仰をささげている。その中で自分も心を洗われたような気分に浸っていた勇一は、今最も聞きたくない声に背後から冷水をかけられた気分になった。


「ハロルド・ガリアバーグ」


「ああ、覚えていてくれていたなんて光栄だ」


 ウルバハムは勇一の背後にまわり、身を縮めて顔を向けようともしない。ハロルドの後ろには、そこが定位置なのかネティ・バーサが勇一に鋭い視線を送っている。


「施設見学か? なら私に声をかけてくれても良かったのに」


「誰と付き合うかは俺が決めるって言ったはずだ。それにハロルドといると、多分身が持たない」


 今にも刺して来そうな視線と雰囲気を呑気に受け流したハロルドは、さらに歩を進める。目と鼻の先で止まった端正な顔立ちに、勇一は思わずたじろいてしまう。


「私は君に興味があるんだユウ……一緒に行こう。なに、楽しい場所はエンゲラズに溢れるほどある。友達付き合いだからって、こんな所に来なくていいんだ」


 教会を「こんな所」呼ばわり……勇一とて人々の心の拠り所に払う敬意は持ち合わせている。まるで自分が、仕方なくウルバハムに付き合ってやっているように言われたのもあり、彼の中でふつふつと怒りが沸いてくるのを感じた。


「ハロルド、貴族ならそういう態度、駄目だってわかるだろ」


 叩きつける準備が整った拳を握り締め、勇一はハロルドに問うた。ここに来る途中の通路にも部屋にも、ブラキアとホラクトが一緒にいたのを彼も見ているはずだ。少なくともこの教会は、互いの立場によって生じるしがらみから開放される場所なのだと理解していた。


「構うものか、情けによって使わせてやってるんだ。ホラクトどもが人並みに奥ゆかしさを持っていたら、自分から教会の利用を辞するだろう。つまりやつらは、そういった感情も持ち合わせていないケダモノなんだ」


「おい……!」


 勇一の拳にさらに力が加わったとき、アイリーンとの約束が脳裏をよぎった。

 絶対に暴力を振るってはならない……もし破れば、勇一だけでなくウルバハムもただでは済まない。今にも目の前の男をぶん殴ってしまいそうな右手は、行き場のない力でわずかに震えている。教会という神聖な場所で暴力行為を行っていいのかというためらいが、今度は握りしめた力を解いて行く。

 やはりこの男への第一印象は間違っていなかった。三体の女神像がある、いわば聖堂にあってそんな事を言ってのける彼の神経が勇一には理解できなかった。この男を黙らせるにはどうしたら良いか、自分に相手を言いくるめられるだけの話術が無いのを彼は悔やんだ。

 本当は今すぐその口を拳で塞いでやりたい。そして首根っこを掴んで、教会の外に放り投げてやりたい。過激な手段を使うのは最も簡単だ。そこでハロルドの言葉に閉口する勇一の元に現れたのは、見知った人物だった。


「教会では静かに。皆礼拝しているのが見えないのか」


 勇一よりも少し背の低い、全身をローブで覆った少女が彼の背後から現れた。彼女は頭のフードを取ると静かに、しかしまっすぐ通る声で話す。


「神聖な場所での横暴や侮辱は許されない。貴族でも」


「その貴族に意見できる君は、一体何者なんだ?」


ハロルドの威圧を跳ね飛ばし、正面に対峙する少女。そのいで立ちたるや、まるでその場に四本目の石柱が現れたのかと思わせるほどだ。


「……アイリーン・ハウィッツァー」


 白味がかった銀髪は視界に入れた者の視線を奪い、黄金の瞳は目を合わせるのもおこがましいと思わせるほど気高い。さすがの穏健派二大貴族と言えど、突然現れた少女に驚きを隠せない。彼女の立ち姿は身長に反してそびえ立つ石柱のように堂々としていて、それも確かな実力と後ろ盾に裏打ちされたものだと二人は察した。


「ハウィッツァー……ハウィッツァーってまさか」


 アイリーンは冷たい目を二人の貴族に向けた。ハロルドはその双眸にただ者ではない気配を察し、半歩後ずさる。


「魔法院は教育だけでなく礼節も教えていると聞いていたのだがな。どうやら陛下のお考えは、二人の家には伝わっていないようだ」


 アイリーンの正体を知った二人の脚は、地につかないほどの震えが走った。幸い魔法院のローブは丈が長いので、それが周囲に知れ渡ることはなかった。

 目尻の痙攣したハロルドは即座に深く頭を下げる。


「アイリーン様とは知らず、大変失礼な言葉を」


「相手が誰であろうとも態度は一貫してほしいものだな。もう行け」


 早々に会話を切り上げられたのをこれ幸いと、ハロルドは短い挨拶のあとネティの手を引いて消えた。

 勇一は腕を組んで大きく息を吐く。それ程やり取りをしていないのに、彼の身体は一日働き詰めたように重くなっていた。


(帰って寝たい)


 時間で言えば午後が始まったばかりだと言うのに、ハロルドと一緒の空間にいるとそれだけで疲労が貯まる。顔は良い、話し方も特別悪いわけではない、仕草もさすが貴族というだけあって優雅と言える。ならなぜ話しているだけでこうも疲れるのか、勇一は不思議がった。


「にわかに騒がしいと思えばキミがいるとは。どうも厄介事を引きつける素質があるようだな、ユウ」


 いつの間にか土下座の格好をしたウルバハムを立ち上がらせつつ、皮肉めいた口調のアイリーン。


「向こうから寄ってくるんだ、避けられるなら避けたいんだが……ところで、どうしてここに?」


「私が礼拝してたらおかしい? 誰にだって信じたいものがあるでしょう」


 女神像の方を向き、つっけんどんに答えるアイリーン。


「これは月の女神、心や精神を司る女神と言われている。心の強さは人を引き寄せる魅力になるから、武道家や政に携わる者に信者が多いんだ。他の像は見た?」


「アイリーン、それウルバハムから聞こうとしたやつ」


「あう……」


 俯いたウルバハムの呻きに、アイリーンは一拍おいてしまったという顔をした。

 女神像の解説をする間、ウルバハムは心から勇一との時間を楽しんでいる顔をしていた。彼女は自分で気付いていないが、頬を紅潮させた少女の表情を何人かが振り返って見ている。

 バツが悪くなったアイリーンの無表情にも赤みが増す。コホン、とわざとらしく咳払いし二人に向き直った。勢いよく振り向いたので、長い銀髪が勇一の鼻先を撫でた。


「あ、えっ……と…………私は、用があるから、これで……。ウルバハム、ユウをよろしくね」


「へあ……あ、はい!」


「ユウ」


「うん?」


「夜になったら、魔法院の中庭に来て」


 すれ違いざまにそう告げ、人混みに消えてゆくアイリーン。どうして?と勇一が聞こうと振り返ったが、既に彼女の姿は無かった。


「アイリーン様……雲のようなお方ですね」


「それがいいんだか悪いんだか」


 王の娘がそれではまずいだろう!

 ……と言う台詞は、心の中で言っておいた。






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