5 女神魔法研究者ミュールイア-1
「あぁーイライラする! アイリーンと約束してなかったら絶対ぶん殴ってるわあれ!」
「や、約束してなくてもいけませんよ……」
ハロルドたちが去った後、ウルバハムを生垣から引っ張り出した勇一は収まらぬ怒りに芝生を踏みつける。
「大体なんだアイツ、長男ってだけでどんだけ偉そうなんだよ!」
「いえ……ハロルド様は若くして聡明で、ガリアバーグ家の家長……ハロルド様のお父上から絶大な信頼を置かれ、実務の半分を取り仕切っていると言われています」
「あれが?」
「穏健派と呼ばれるガリアバーグ家は、陛下を支持する一番の勢力です。それを担うとなると、並の能力では務まりません……」
あの態度は実力と地位に裏打ちされたものだった。だから仕方がないのかと言われても、勇一の腹の虫が収まらない。
しかし直上的に行動したとしてその先がないのもわかっている。結局二人は、嵐を先に見つけて逃げるしかないのだ。
勇一は八つ当たりのように目の前のドアノブに手をかける。それは北棟へ入る扉だった。
そこは講師たちの住居となっている。アークツルス王は彼らに不自由な生活をさせないよう、十分な金をかけている。敷地は他の三棟よりも広く、一つ一つの部屋も十分な間取りを持っていた。
勇一が適当な扉を少し開けて中を覗いてみれば、そんな部屋に所狭しと並べられた器具や家具や資料。その奥でブツブツと喋りながら本に顔を密着させて読む老人。頭には数本の産毛が漂い、後頭部にはしみと皺がこれでもかと刻まれている。
そっと扉を閉め、ウルバハムへ向き直った勇一は不安で顔を歪めた。
「講師ってみんなあんな感じなの?」
「ええと、大体は、ですね」
「大体……」
大体は……勇一は想像とかけ離れた講師の姿にうろたえる。見た目で判断するなと言われても、あの老人に他者へ知識を教える技術があるとは思えなかったからだ。
「ほとんどの学徒は、ああいった方々の下で働いて技術などを覚えていくんです。と言っても教えてくれるわけではないので、見て覚えるといった感じなのですが」
「何がどんなものかもわからないのに、いきなり専門的な場所に放り込まれても邪魔にしかならないんじゃない?」
「そうですねぇ」
うーん、とウルバハムは俯きながら首を傾げた。
「最初は、雑用から始まることがほとんどですよ」
それでは色々間に合わない!と勇一はがっくり項垂れた。アイリーンたちが仮面の男を探し出すのに、どれだけの時間があるかわからない。もしかしたら明日にでも連絡が来るかもしれない。この貴重な時間は、「力を正しく使える」ようになるための時間だ。ただでさえ言葉を覚えるところから始めなければならないのに、のんびりと雑用などしていられるわけが無い。
「どうする……言葉、学業、論文、ちょっと無理があるかもしれ」
項垂れた頭を上げて天井を見上げたとき、勇一はここにあるはずのない感覚を覚えた。
彼はアトラスタとの旅で、生物がどこで死んだのかを感知する能力を覚えていた。その場に残る白いもやのようなものは彼にしか見えない。彼はそれを「命の残滓」と呼んでいる。
突然立ち上がり、床を透過して見える白いもやに向かう勇一。彼の行動に驚くウルバハムは、声をかけるのもためらいながらも数歩後ろをついていく。
何度か階段を上った先、彼が足を止めた場所には古い木製の扉があった。特別な部屋というわけではなく、北棟に沢山ある研究者のための部屋。そのうちの一つに彼はたどり着いた。
「あの、ユウ様?」
「……」
ギギィ……
応急処置的にはめ込まれた粗末な扉は建付けなど知らないようで、押し開くのに中々の力を要した。勇一が一歩踏み込んでみれば、かつてかいだ記憶のある薬品のにおいが鼻を突く。
続けて目に入ったのは不揃いな瓶。その中で液に漬けられピクリとも動かない小動物たち。腹を切り裂かれ、あるいは首から下が骨だけのそれらは、見ているだけで勇一とウルバハムの気分を滅入らせた。
しかし部屋を覗いた勇一は、自分を褒めてやりたいくらいに素晴らしい考えを思いついた。
「……誰だい、入室を許可した覚えはないよ」
中途半端に開けられた扉を挟んだ向こう側。そこから呪われそうな声が響く。細い気管から絞り出したかのような声に二人は肩をすくめた。
「許可もなくすいません。とても……魅力的な研究をなさっていると聞きまして、ええと」
ウルバハムが勇一に耳打ちする。
「ミュールイア先生」
「この瓶一つ一つに知識が詰まっているようですね。ミュールイア先生」
バタン。
ミュールイアと呼ばれた老婆は重々しく、大袈裟に飾られた表紙を閉じる。どっこいしょ、ときしむ身体にむち打ち、杖をつかもうとした手が一度空を切った。
室内に入った勇一らは、棚に所狭しと並べられた瓶に目をやった。全てが薬液で満たされ、中には小動物か生き物の一部が入っている。部屋の中央には広い台があり、作業をするのに丁度良さそうな大きさだ。
「あの、俺はユウ・フォーナーと」
「ほら出ていきな。あたしゃ誰とも話す気なんてないよ。ほらほら!」
「痛っ!」
ミュールイアは有無を言わさず杖を振り上げ、二人を叩き始める。容赦のない殴打に、ウルバハムは頭を抱えてすぐに外へ避難してしまった。
しかし勇一はそこを動かなかった。それどころか、過剰に自分たちを追い払おうとする彼女に確信めいたものを感じてにやつく。
「気色悪い顔してるんじゃないよ。あんたもあのホラクトと一緒に行くんだ!」
「まって、ください! ちょっと、話を……痛た!」
「聞く気はない!」
「ああもう!」
大きく振りかぶった杖の一撃を、勇一は難なくかわした。暴力とはいえ所詮は老人である。ミュールイアが素早く動けないのをいい事に、彼は瓶が並ぶ棚の一つに駆け寄った。
「ウルバハム、君はそこで待っててくれ!」
廊下からそっと室内を除くウルバハムはこれ幸いと大きく何度も頷いた。そしてきしむ扉を一気に閉める。室内には勇一とミュールイアだけになった。
それを確認した勇一は、棚の中に手を突っ込む。そして指先に当たるそれを取り出した。
「はぁ、はぁ、こんなババァをからかって何がしたいだぃ!」
「これを」
苛立ち息の切れたミュールイアに、勇一は今しがた拾ったあるものを見せる。
彼の手のひらには、いつの間にか小さな髪飾りがあった。どこにでも売っているであろうそれは錆びついて、長い間使われていなかったことがわかる。棚の中から拾い上げたそれを得意げにミュールイアい見せた。
「……そんなものが、どうしたっていうんだい」
しかし老婆は明らかに動揺していた。呼吸の度に苦しそうに胸を抑え、どうにか平静を保とうとしている。その様子を見た勇一はやはり、と身体を震わせた。
「先生の研究は何です? 見た所、ただ解剖しているわけではなさそうですが……」
部屋の中央で存在感を放つ台。離れてみれば多くのしみがついているようだったが、近くで観察するとそれは血のあとであることがわかった。
台に向けていた視線を、扉から死角になっていた場所に移す。ミュールイアが最初に座っていた机にそばに、どう使うかも想像できない大きな器具が置いてある。複数の管と金属製の部品で構成されたそれにも血の跡が認められた。
「先生、俺は別に責める気はないんですよ。でも、答えたほうが良いと思うなあ」
「はぁーあ! なんだってんだい全く! 要件をいいな!」
勇一にだけ見える命の残滓。時間が経てば薄くなっていき、やがてそれは完全に消えてしまう。彼には棚に並べられた瓶のうち、およそ三割にもやが重なって見えていた。
しかし彼にとって重要なのはそこではない。髪飾りが落ちていた棚の奥に手を突っ込む。他の瓶を倒さないように、慎重に奥で掴んだものを取り出した。
取り出された瓶の中にはどう見ても小さな子どもの手首。ミュールイアの顔はみるみる青くなっていった。
「さて、俺はユウ・フォーナーと言います」
「……さっき聞いたよ」
中央の台には命の残滓がゆらめいている。この部屋にあるもやの中で一番大きなものだ。
勇一はミュールイアと台を挟んだ位置に立った。そして髪飾りと棚の奥から取り出した瓶を、血のしみが広がる台に置く。
「……女の子だったんだな」
髪飾り、手首入りの瓶、台の三つにあるもやに触れると、彼はそれらが同じ人物の命の残滓であると察した。
不審がっていたミュールイアは彼の言葉に、怒りと恐れが入り混じった声で問いただす。
「あんたは一体……!」
「俺、星魔法使いなんです」
星魔法……三つある女神魔法の内の一つ。死を司る星の女神から授かった力によって、死に関連したあらゆる事象を操り、または見ることができる。しかし女神魔法を発動させるには代償が必要で、彼の場合は自らの身体だった。
彼はミュールイアに左手を見せた。あるはずの小指と薬指が無く、中指が半分ほどの長さしかない歪な形。
「女神……魔法!」
「ただ解剖していた訳じゃないんでしょう? 本や儀式めいた道具が大量にある。……女神魔法の研究をしていたんだ」
果たしてその通りだった。ミュールイアの部屋には様々な医療器具らしきもの揃っていたが、それ以上に呪術に使われる道具が置いてあった。
「それで? 女神魔法使い様が、このオイボレをどうしようってんだ」
枯れた声でぶっきらぼうに吐き捨てるミュールイア。
こんな状況でも隙あらば喉をかっ切ってやるという彼女の気迫に、勇一はひやりとする。
「先生に、協力させてください」
「……協力?」
「先生が外道だとしても、実は俺には関係ないんですよね。この二つを然るべきところに持っていくのもいいですが……」
薬液の中で小さな手首がピクリと動いた。何かを探し求めるようにゆっくりともがいている。
「俺は、この力をもっと知りたいんです。あと論文も必要なんで、ついでにそれも」
「ふん、楽して実だけ得ようって? 甘ちゃんだねぇ」
「言ったでしょう……協力させてほしいって。女神魔法の代償、当然ご存知だと思いますが」
勇一は再びミュールイアに左手を見せた。半分しかない中指の先端から出血している。脂汗が滲んだ額を拭い、彼がさらに術を使う。途端に全ての棚がざわつき始めた。
「先生は女神魔法の研究がはかどる。俺は力の使い方を学べる……あと論文も得られる」
本物だ……。ミュールイアの怒りと恐れは好奇心と喜びに弾き飛ばされた。出現は数百年とも千年とも言われている女神魔法使いが今、目の前にいる。
「……」
老化によってぼやけた思考が一気に晴れた彼女は、いつの間にか杖を取り落していた。
「いいだろう」
気付けば、二つ返事。
「よかった。俺もあんまり、力を無駄に使いたくないんです」
瓶たちのざわめきが収まり、勇一は懐から取り出したポワポワ草を中指に当てる。その上から包帯を巻いて一通り手当が終わると、彼は瓶を元の場所に戻し、髪飾りをミュールイアに手渡した。
すっかり二本の脚で立てるようになった彼女は、受け取った髪飾りを宝物のように懐にしまい込む。
「老人を脅すなんて、人の風上にも置けないガキだ」
「こっちも手段を選べない事情があるんです。でも、研究が捗るんでしょう? 悪いことばかりじゃありませんよ」
フン、とミュールイアは苦々しげな顔をすると、自分の椅子へ戻っていった。背もたれをきしませ、勇一を値踏みするように眺めている。一つ短く息を吐くと、しっしっと彼を追い払うような仕草を見せた。
「今日のところは帰りな。こっちだって準備ってもんがあるんだ。協力するって言ったことを後悔させてやるから、精々英気を養っておけ」
「そうですね……。それじゃあ、お邪魔しました」
ここでの目的は達した。勇一は自分の思い通りに事が運んだのを心の中でほくそ笑み、扉に手をかける。思い切り引いても、やはり扉は開きにくかった。
「ホラクトを連れて行くのを忘れるな。アークツルス魔法院には学徒以外は入れない、例え召使でもね」
「ウルバハムは召使なんかじゃない……友達だ」
ぴしゃりと言い放った勇一の言葉は、ミュールイアの口を縫い付けた。彼は一礼して退室する。正面の廊下の壁にはウルバハムが寄りかかって指を組み、俯いて勇一を待っていた。
「お待たせ。ウルバハム、行こう」
勇一は何食わぬ顔で彼女の手を取り、歩き出す。
暖かい彼の手をウルバハムがどう感じたか、紅潮した彼女の表情が語る。二人は自室に戻るまでそうしていた。




