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9 回想-サラマとの出会い・回復魔法なんてない

 

「…ああそうだ、君の寝床なんだがね」


 彼らをリザードマンと読んだ非礼を詫び、再びファーラークと多くを話した。竜人(ドラゴニュート)とは、太古の時代に大空を支配したドラゴンの末裔だという。ある日傲慢が過ぎて、女神よりその羽を剥奪され地に落ちた。というのが彼らの伝承らしいのだが「そんなことより…」とファーラークは勇一の話の方を聞きたがった。

 彼は周りの竜人の事(例えば、彼の隣で殺気を放つガルクも!)など気にもとめず、勇一の世界の、特に娯楽や軍事の事を聞きたがった。

 元の世界で小説をいくつか読んでいた勇一は興味のままに知識を広く浅く漁っており、そこまで深い所までは知らないものの、そんな上部だけの知識でもファーラークを楽しませるのには十分だったようで、一段落つく度に多くの質問が飛んできた。

 いつの間にか外は暗く、月明かりが地面を照らしている。そろそろ勇一も口の乾きを我慢できなくなってきた頃、ファーラークは切り出した。


「外に天幕を立てさせた、今日から、そこで寝ると良い」


「牢に戻らなくて良いんですか?」


 目が覚めたとき、身体は岩肌に藁と布がしかれた上に寝かされていた。そのせいだろうか、今も身体のあちこちが痛い。

 正直、この後またあの暗い場所へ戻らなければならないのか…と辟易していたので、態度には出さないものの、内心は小躍りするほど嬉しかった。


「牢なんてたいしたものじゃあない。あそこは、倉庫なんだ。我々としても、いつまでも倉庫を使えなくなるのは……まぁ、困る」


「そ、倉庫…だったんですか「ねえ!話は終わった?」


 突然後ろから声をかけられ、勇一は飛び上がった。振り向くと窓からにゅっ、と長い首と頭だけを覗かせた竜人がいる。紅い鱗と薄い灰色の瞳との対比が鮮やかで、勇一は単純に綺麗だと思った。


「『夕食ができたから持ってって』ってミーラさんから……、あー!あなたがお客さんね!私サラマ!サラマ・フォーナー、よろしくね!父様は話すのがゆっくりだからあくびが出ちゃうでしょ?今日ね、あなたの所にいこうと思ってたのに…、さっき狩りから帰って倉庫に行ったら誰もいなかったの!見張りのドウルさんに聞いてみたら父様の家に行ったって言うじゃない!父様!私も立ち会うから帰ってくるまで待っててねって、今朝の約束忘れたの!?もう!」


 はなしながらコロコロと何回も表情が変わる。勇一が抱いた彼女に対する第一印象は『賑やかな子だな』であった。


「えっ、と。上野勇一です。よ、よろしく、サラマ…さん?」


「『です』とか『さん』。とか、そんなにかしこまらないで、サ・ラ・マ!サラマって呼んで!私もあなたのこと、勇一…呼びにくいからユウって呼ぶね、ユウ!えへへ!」


「は、ハハハ」


 鈴を転がすような笑い声が広間を包む。同時に彼女のいくつもの耳飾りがきらめいた。

 彼女は初対面にも関わらず馴れ馴れしい。しかし今までこの分厚いガラスで密閉されたような息苦しい空間をぶち破ってくれた彼女の距離感と透き通るような声は、疲弊した彼の心を癒した。


「サラマ、サラマよ。約束を忘れていたのは謝るから、落ち着きなさい。食事を、持ってきてくれたのだろう?」


 放っておけばそのまま喋り続けそうなサラマをファーラークが止めた。

 彼女は「そうだった!」と窓から首を引っ込め、今度はちゃんと扉から入ってくる。

 その両手には広い板と、その上に沢山の器や皿に盛られた料理が乗っている。板ごと豪快にテーブルに置くと同時に、えもいわれぬ香りが勇一の鼻腔をくすぐった。


「ミーラさんとジズさんが『久しぶりの客人だ、腕がなるよ!』って。まだまだいっぱいあるから……、ガルク!」


「……」


「ガールク!」


「っお、おう!?」


 勇一を眼力で殺さんとするほどに睨んでいたガルクは、突然の呼び出しに素っ頓狂な声をあげた。


「お願い、手伝って?」


「…!ああ!任せろ!」


 ガルクはテーブルに脚を掛け飛び越えようとしてすぐにファーラークの視線に気付くと、すごすごと椅子を降りテーブルを迂回して扉から出ていった。

 嵐のように現れ嵐のように去っていく彼女に呆気にとられていると、背後から声が聞こえた。


「二人は、姉弟でな」


 ファーラークは言った。聞けば彼の子どもらしい。それならば、当然母親がどこかにいるはずだ、と勇一は臆面もなく聞いてみることにした。


「そうなんですか……ええと、お母様はどちらに?」


 再び静まり返った。この反応は…どうやらまた無神経な事をやらかしてしまったらしいと、勇一は瞬時に理解し後悔した。

 ファーラークは少し目を見開くと、呆れたようにため息と共に言葉を吐き出した。


「君は、どうも……。いや、やめておこう。ガルクがここにいなくて本当に良かった…」


 やはり、母親はいないのだろう。勇一は自分の気配りの無さを呪った。

 ファーラークは気にしていない訳がないだろうが、当然ながらガルクと比べて対応が大人だ。勇一は、今度はしっかりと頭を下げて謝罪する。


「本当にすいません…知らなかったとはいえ……」


「いや、いいんだ。大丈夫、大丈夫。ただ、ガルクの前では、その話はしてくれるなよ?あやつは、何よりもタバサ…母を慕っていた」


 警告を受ける。危うく、今度は容赦なく首をへし折られるところだった。背筋に冷たいものを感じながら、勇一は必死に頭を縦に振った。

 直後に扉が乱暴に開けられる。一斉に視線が扉に集まった。


「おうどけ、まだまだ沢山……なんだよ」


 その場にいたガルク以外の全員が互いに目をあわせ、安堵のため息をついた。



 ***



 食事というのは不思議なもので、同じ物を食べても一人で食べるのと親しい誰かと食べるのとでは全く違う。だが完全に異邦人たる勇一にとって、今の状況はどちらでも同じだった。

 サラマとガルクに運ばれた大量の料理はテーブルに乗り切らなかった。結局他の者の家から台を運び込まなければならず、全てを合わせるとそれなりの広さがあった広間に所狭しとテーブルと料理が並べられた。

 目の前には大量の料理が並んでいる。流石に向こうで食べたような物はないが、焙っただけの肉の香ばしさや果物を切ったときに出る甘い匂いは、勇一の食欲を十分すぎるほど刺激した。

 最早彼の腹の虫は自らを隠す気が微塵もないようで、さっきから激しく自己主張を繰り返している。


「さぁ、遠慮などするなよ」


 そういうファーラークは木製の大皿を片手で掴み、ザアッと口内に流し込むと、数度咀嚼しただけで飲み込んでしまった。あとにはまるで最初から何もなかったかのように、寂しそうな皿だけが残った。

 それは取り分けるものなのでは…という言葉を飲み込む。どうせ他にも沢山ある、気にするだけ無駄だ。

 サラマ達が声を掛けたことで、集落内の他の家からも竜人達は集まってきた。彼らも皆、思い思いに食事を始めている。

 勇一も目の前に置かれた黄金色をした何かに手を伸ばし、一口齧ってみた。コリコリとした食感は噛むほどに甘い汁が溢れ、彼の胃袋をほんの少しばかり満たした。



 ***



 勇一の空腹は十分に満たされた。手を伸ばした所にある、なんの肉かはわからないが取り敢えず美味しそうに焼けている肉を取り、興味のままに頬張った時だった。ドスッ、と彼の隣に座った者がいる。目線を向けると、綺麗な紅い鱗が目に入った。見上げると、丁度彼を見下ろす視線と目があった。


「あ、ええと…」


「サラマ」


「そう、サラマ。ここで出されたものは見たことないし食べたことない物ばかりだけと、全部美味しいね」


「ふふ、良かった。…あ、ねえねえ、昨日あなたが倉庫に入れられたって聞いて、私すぐに父様に、あんな所から出してあげてって言ったんだけど…、どうだった?何か言われた?」


「ああ、おかげで天幕で過ごせるようになったよ。ありがとう。…そういえば、ガルクと一緒じゃないの?」


 サラマはテーブルの向こうを指差した。そこには二人の竜人に左右から絡まれるガルクの姿があった。


「ああ…」


「ね、ね、ガルクから聞いたんだけど、あなた異世界から来たって…、本当?」


 サラマは興味津々といった態度で尋ねた。心なしか彼女の灰色の瞳も輝いて見える。

 断りづらい雰囲気に、勇一はファーラークに話したことを要約して話すことにした。

 ファーラークと違って、サラマは興味がある事は直ぐに聞く性格だった。そのせいもあって、ファーラークに話した内容の半分も話すことはできなかったが、彼女の会心の笑顔や始終楽しそうにした態度に、勇一もついつられて話に熱が入ってしまうのだった。


「私、外の世界の話はいくつか聞いたことがあるんだけど、流石に異世界の話はなかったなぁ」


「まぁ俺も、まさか自分が異世界に来るなんて思いもしなかったよ」


 異世界物の小説はいくつか読んだ事があるが、自分が当事者になるなんて思ってもいなかった。非現実的ついでに、何かとてつもなく素晴らしい能力でも欲しかったかな。そう勇一は思った。

 彼が学業から部活の話に移行しようとしたときだった。


「ようお客人、お話ははずんでいるかな?」


 突然肩に腕を掛けられ、引き寄せらた。それはとても重く、なすがままに身体が傾く。そこには眼帯をした年期の入った竜人がいた。下がった目尻の、なんとなく意地悪そうな目付きが気になった。

 彼女は近くにいくつかある金属製のカップのうち一つを勇一に押し付けると「飲みなよ」と手で仕草をした。中には黄金色の液体が入っている。一口飲んでみると、甘い。不思議といくらでも飲めそうな気がした。


「いやぁ面白かった。少年の話は実に面白かった。この世界にはない沢山のものを聞かせてもらったよ」


 彼女はファーラークの近くに座っていた竜人達の一人だ。

 ククク、と笑いながらおどけて見せ、更に勇一を引き寄せて耳元で囁いた。


「なあ、アタイにだけ教えてくれよ…、本当はどこから来たんだい?」


「え、えぇ?」


 思ってもみない言葉だった。本当も何も、彼が話したことは嘘偽りない。それを証明しろと言われれば、難しいが。

 だが勇一は彼女の意図がなんとなくわかった。疑われているのだ。もしかしたら何らかの目的があって、自分達を偵察するために来ているのではないかと。そうではないことを伝えたいのだが、上手く言葉が出てこない。彼女はじっと、品定めするように勇一を見ている。

 勇一が返答に苦慮していると、引き寄せられていた彼は反対側に引っ張られた。サラマだ。


「ちょっとジズさん、ユウに変なこと言わないでくださいよ!」


 サラマは勇一の顔色をみて何かを察したようだった。怒ったというよりも、大切な玩具を取られたような反応で勇一の両肩をがっしりと掴む。鋭いかぎ爪が少しだけ食い込んだ。

 ジズは勇一を取り返されてもなにをするでもなく、また勇一の目を見つめている。まるで目を通して頭のなかを覗き見られているような感覚がした。


「……ふぅん」


「な、なんでしょう」


「いんや、なんでも。少年、ミーラの作った飯は最高だ、食えるときに食っとけよぉ。……それとサラマ」


「…なに?」


「それ、多分痛いんじゃないかなぁ?」


 それ、と指差した先にはサラマの爪が食い込んだ肩。確かに痛いが、女の子の手前簡単に呻き声をあげるのもなんとなく格好が悪いと、柄にもなく我慢していた。

 刺さった場所から温かいものが垂れてくる感触、それから遅れてジンジンとした痛みがゆっくりとそこから広がる。


「ほーら、いわんこっちゃない」


「あ、あ!ごめん!」


「いや大丈夫、大丈夫だよ。多分。はははは…いてて」


 ただ刺さっただけ、骨は折れてない、そう頭の中で言って聞かせるが痛いものは痛い。強がっては見せたものの、やはり声は漏れてしまう。

 …そうだ、と勇一は閃いた。ここが異世界なら、ファンタジーの物語にはつきもののあれがあるだろう、あれがあるなら本当に大丈夫だ。

 彼はサラマとジズだけに聞こえる声で二人に訊ねた。


「ここって、誰か魔法を使える人はいる?」


「ああん…?おう、まあほとんどは使えるなぁ」


 しめた、と勇一は思った。やっぱりこの世界には魔法がある。なんて、なんて便利な世界なんだろう…と。内心大喜びで、しかしあくまで顔には出さずに再びきいた。


「じ、じゃあ、回復魔法を掛けてほしいな…」


 そうだ、ファンタジーにはつきものの魔法。その中でも支援に必須な回復役。この程度の傷、それがあればたちどころに塞がるだろう。

 そんな軽い気持ちで言ってみたのだが、対照的にそれを聞いたサラマはひどく悲しそうな顔をしている。ジズは一瞬身体を硬直させ、直ぐに周囲を見渡し、勇一の鼻と鼻が触れるかと思うほどに顔を寄せた。


「おい…お前は本当に異世界から来たんだよな!?」


 ジズは静かに勇一を詰問した。

 それに対して彼はいい加減憤りを覚えた。まさかまたやってしまったんだろうか。だがそうだとして、わかるわけがないだろう、と。


「な、何怒ってるんだよ!俺の読んだ本ではこういう異世界には魔法がつきもので、攻撃魔法とか、支援魔法とかあって、味方の傷や体力を回復する魔法もあるんだ!流石に全部同じだろうとは思ってないけどさ……あ、あるんだろ?」


 ジズは周囲に聞こえないように話していたので、勇一もできるだけ声を殺して言った。

 全てが本やファンタジー通り等とは思ってはいないが、それでもこの世界は勇一が本で知った世界と似通っている。だから純粋に訊いてみただけだ。


「「……」」


「…な、いの?」


 しかし二人の答えは沈黙。それは勇一の考えが検討外れで、尚且つ含みのあるものだった。

 ジズはまた、勇一の眼をじっと見ている。やがて彼女は切り出した。


「サラマ、こいつは嘘をついていない。本気で、こう思ってる。悪気がある訳じゃないんだ」


「…うん」


「さぁ、行きなサラマ。ガルクのやつ、そろそろ潰れそうだ。助けてやりな。」


「…うん、ごめんねユウ。…行かなきゃ」


 ジズはサラマに促した。サラマは魂の抜けたような顔で勇一を解放し、ガルクの元へと向かう。そして彼女がガルクを呼んでいるのを見届け、今度は勇一の方に向き直った。


「いいかい少年。あんたはまだこの世界に慣れちゃいないんだ。余計な口は誰かを傷つけたり、自分を死に追いやるかもしれないって事を、肝に命じといてくれ」


「余計な事って、それがなにかわからないんじゃないですか……」


 勇一の言うことも最もだ。なにも知らない彼にとって異世界は暗闇そのもの。何処に歩を進めたら良いのかわからないのだから、せめて足下を照らす灯りだけでも欲しいと思うのは当然だ。

 ジズは人差し指をこめかみになぞらせ、少しだけ考える仕草をした。


「ああそうか……あぁ、じゃあこうしよう。生活のことについては思ったままに訊いてくれて構わないよ。道具の使い方とか…あとは、狩りの方法とか。ただ人や…あー、魔法についてはアタイかファーラークにきいとくれ、これでどうだい」


 ジズは早口に提案する。勢いに乗せられた勇一は頷いた。とにかく、基準を示してくれたのはありがたかった。勇一はカップに入った液体をすべて飲み干して答えた。


「有難うございます。その…今後は気を付けます」


「少年、この世に傷を癒す魔法なんてものありはしないんだ。そんなものがあったら、人は皆それをあてにして無茶をやっちまう。でも命は一つだけだ。…早いうちに知れて良かったじゃないか」


 ジズはどこからか出したもう一つのカップを勇一の前に置いた。傷は直ぐに直してもらえると思っていたら、確かに無茶をしてしまうかもしれない。回復魔法が無いと言うことは当然、蘇生魔法もないのだろう。命を大事にしなければならないのは何処の世界も同じだった。

 出されたカップを空にすると、勇一は少しめまいを感じた。心なしか身体が温かい。


「それ、うまいだろ?上等な蜂蜜酒だ」


「蜂蜜酒?さ、酒?これお酒なんでふか?」


 強烈な眠気に襲われ、呂律がまわらない。頭がもたれ、瞼を開くだけで多大な労力が必要になった。

 やがて、勇一は額をテーブルに落とし深い眠りについた。程なくして寝息が聞こえてくると、ジズはそれを確認した。


「ありゃ、そんなに弱いのかい…こりゃ悪いことしたねぇ」


 ジズは適当な所から布を取ってくると勇一にそれを掛け、そそくさとその場を立ち去った。

 熱気は収まることなく宴は続き、やがて全員が寝静まったのは深夜のことだった。



***



 外が明るくなるにはまだそれなりの時間がある。皆テーブルに伏せたり床に寝たりと、思い思いの場所でイビキをかいている。窓辺に座り静かに外を見る影が一つ、そこは集落の中央を見渡せる位置にあって、その人物のお気に入りの場所だった。


「た~いちょ」


 窓を挟んだ外側から影に話しかける者、ジズだ。彼女もそれなりに飲んだはずだが、酔っている様子は微塵もない。中の人影は答えないが、相手に聞こえるか聞こえないかの声でジズは続けた。


「少年は力をもってる。言葉の力だけじゃない。強大な力だ」


「……」


「まだ覚醒はしていない。けど、時間の問題だと思うよ」


「……」


「どぅすりゃいいのかねぇ。覚醒したらしたで面白そうだけど、ありゃあ苦労するよ…」


「……」


 影は迷っていると、ジズは察した。話しかけるのは彼女なりの気配りだろうか。

 影の考えていることを代弁するのが彼女の役目であるかのように、更に続ける。


「まだ確証はない。でも、判断は任せていいかい?たいちょ」


「……」


「どうする?今なら…今なら少年は夜のうちに逃げましたってことにできるよ。必要なら、アタイが…」


「駄目だ」


 はっきりと、影は拒否した。


「まだ、様子を見る」


 様子をみる。答えを急くのは悪手だと影は判断した。今は勇一の経過を見て、考えると。


「…まぁ、だよね。隊長がそう言うなら、アタイは従うよ」


 ジズも影の判断を支持した。彼女自身も今は何かするべきではないと考えていたのだろう。彼女の言葉には、僅かに安堵が感じられた。


「ならば、もう終わりだ」


「あいよ、じゃあね。たいちょ」


「ジズ」


 影はジズを呼び止めると、彼女はゆっくりと振り向く。その表情には、期待がありありと見てとれた。


「私はもう隊長ではないと、言っているだろう」


「はいはいわかりました。それじゃあ、お休みなさいませ……ファーラークさん」


 ジズは満足げに笑うとわざとらしく深々と頭を下げた、そして足音一つさせずに消える。そこは最初から誰もいなかったかのように、静寂が戻った。

 ファーラークは煙草を取り出し、炭で火をつけた。何度か吸って、一言。


「タバサ……」


 それは、今は亡き妻の名前。

 月は沈み、まもなく太陽が昇るだろう。星々だけが、それを聞いていた。

読んでいただき、ありがとうございます




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