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3 ホラクトの学徒、ウルバハム・トライン-3

「ウルバハムは好きな食べ物、ある?」


「好きな食べ物、ですか?」


 唐突な質問に、背の高い少女は目をぱちくりとさせている。

 アークツルス魔法院は、勇一がイメージする学校とは似て非なるものだった。講義は日に何度かあるものの、ほとんどは学徒たちが自由に図書館や自室で勉強している。ウルバハムと言う勇一の隣人もそうだ。必要な講義はたまにしかないので、それなら……と二人でエンゲラズの街へと繰り出していた。


「そ。この大通り、数えきれないくらい露店があるだろ? だからウルバハムが食べたいものを、と思って」


「そそそそそんな」


「いいからいいから。せっかくなんだ、隣人のことを知りたいからさ」


「え、ええっとぉ」


 組んだ手を胸に当てて考え込んでいた少女は、心底困ったような顔をしてポツリと呟く。


「申し訳ありません。と、とくにありません……」


 全身で申し訳なさを醸し出しながら、ウルバハムは消え入りそうな声で答えた。

 露店が連なった昼の大通りは、あやゆる手段を使って通行人を引き留めていた。焼き菓子の香りが容赦なく鼻腔を貫いて脳を犯し、ついつい勇一の足がそちらに傾いてしまう。


「じゃあ嫌いな方。死ぬほど嫌いな食べ物は? サンドイッチとか」


「サンド……? その、嫌いなものも、特には……」


「なんでも食べられるんだ?」


「魔法院に来る前は、どんなものでも食べなければ生きていけませんでしたから」


 高いところから愛想笑いを向ける少女に、今度は勇一が少し申し訳ない気持ちになった。

 それなら、と彼は適当な露店に声をかける。額に汗を流し肉に串を刺す女性に、勇一はとりあえずそれを二本欲しいと伝えた。

 腰の巾着の中身を確認する。彼が同盟で稼いだ金は、アイリーンが両替した。無駄遣いしなければ、少なくとも半年は食費に困らない生活ができる。

 ところが金を払おうとした勇一は女に止められてしまった……代金は要らないという。戸惑う勇一を尻目に女は小さな薄い板に印をつけると、それを肉と共に差し出した。


「これは?」


「あの、魔法院の学徒は、食事が無料なんです」


「へぇ? そうなの?」


 聞けば魔法院のローブを着ていれば、食事は無料、その他本や道具類も割引されるとのこと。しかし本当にタダというわけではなく、今しがた勇一が渡された札を魔法院に提出することで、後日国から金が支払われるのだそうだ。


「でもそれって、偽物のローブを作る人が出るんじゃない?」


「魔法院のローブに使われている布は、普通では入手すらできない高級品なんです。それに」


 ウルバハムの灰色の細い指は、勇一の胸元を指差す。


「ここに魔鉄が縫い付けられているので、偽物は一発でわかっちゃうんです」


「へえ……ウルバハムはなんでも知ってるんだね」


「ひ、ひぇ」


 肉と札を受け取った勇一は一本をウルバハムに手渡すと、一緒に人の流れへ戻ろうと歩き始める。しかし彼女は、彼の後方を歩こうと歩みを遅らせる。

 勇一は並んで歩こうとしてゆっくり歩く。そうやって互いにどんどんと速度を落とし、遂には止まってしまった。


「ウルバハム、どうしたの?」


「あ、あの、あの」


 ウルバハムは青い瞳を涙で震わせ、言葉を絞り出そうとしている。

 片手には勇一に押し付けられた串。震える彼女はそれと勇一を交互に見ながら動かない。


「わ、私が、ユウ様の隣を歩くのは、その、ご不快では」


 土下座を見たときから彼女はどうも卑屈な性格だと思っていたが、彼はあえてそれを考慮しないようにしていた。していないだけでどうというところまでは考えておらず、とりあえず一緒に過ごしてみるというのが彼なりの考えだ。


「なんで? ウルバハムは隣人で、むしろ俺が迷惑かけるかもしれないのに」


「め、迷惑だなんてそんなこと! でででも私は、いつもそうでしたから……」


「ん、ちょっとまって」


 とりあえず彼女を落ち着かせようとした勇一は、広場に噴水を見つけるとそこに腰を下ろす。続いてウルバハムにも落ち着くよう促した。

 しかしやはり彼女は座りたがらない。勇一が腰を下ろした段差より低いところに座ったので、ローブに土埃がついてしまった。


「な、なあ……」


「どうかお気になさらず」


 消え入りそうな声で答えた彼女は、それから小さな口でもそもそと肉を食べ始める。

 彼女の卑屈な振る舞いは、奴隷時代に培われたものだろう。そういった人物は、相手より自分を下に置くことで様々なことを回避しようとする。被差別種族で元奴隷の彼女からすれば、周囲がブラキアである以上そうなるのは仕方がないのかもしれない。

 ならばせめて、自分は彼女と打ち解け対等な関係を築けないだろうか……勇一は余計なお世話だろうかと思いながらも、思い切って腰を上げた。


「実はなウルバハム、俺にはアイリーンにしか話していない秘密があるんだ」


 もったいぶった口調で数歩、そして彼女と同じ場所に腰を下ろす。二つのローブは土にまみれ、通行人は奇妙なものを見る目をして通り過ぎて行く。


「いけませんユウ様、ローブが……」


「いいから、聞け」


 同じ場所に座れば、ホラクトであるウルバハムの目線の方が当然高くなってしまう。しかし彼女は見上げる勇一の目を見て慌てふためき、腰を抜かしたように動けなくなってしまった。

 勇一は周囲に聞こえないよう、頬の入れ墨を見せながら耳打ちする。


「実は俺、ヴィヴァルニアの生まれじゃないんだ。本当は大陸南にある竜人(ドラゴニュート)の村……同盟側で育ったんだよ」


 アイリーンにも言った嘘。自分が異世界からの転生者であることを知っている人は、すでにいなくなってしまった。事情を説明しようとすれば果てしなく長い時間がかかるだろう。であれば、すでに消えた竜人の村で育てられたことにすれば、面倒は少ないというものだ。


「えっ、えぇ⁉」


「赤ん坊のころに山に捨てられていたらしくてさ、たまたま見つけた竜人たちが育ててくれた。この入れ墨は、そこで成人を迎えた証なんだ」


 左頬から首、鎖骨を越えて胸板を半分占拠しているドラゴン。少し胸をはだけて見せると、ウルバハムは目を奪われまじまじと勇一の服を覗き込んだ。


「あんまり見られると恥ずかしいな」


「あっ、も、申し訳ございません!」


 砂を巻き上げて後ずさり平伏する少女。その姿は卑屈をそのまま擬人化したようで、いい加減うんざりした勇一は少女が顔を上げるまで待った。


「えー……っと、ウルバハムには迷惑をかけると思うけど、これからよろしくな。って、これは昨日も言ったか」


「はいい、よろしくお願いいたしますぅ」


「……ところでさ」


 完全に打ち解けたとはお世辞にも言えないが、一歩分くらいは距離は縮んだだろうか。勇一はお互いのことが少しわかったところで、魔法院のことを尋ねることにした。


「アークツルス魔法院って具体的にどんなことやってるの?」


「え?」


「アイリーンにはしばらくここにいるように言われてるんだけど、初めての環境だから勝手がわからなくて……」


「あ、ああ! そういうことですか! ええっとぉ」


「待って……ちゃんと座らない?」


 ウルバハムはなお地面に座ろうとしていたが、勇一がそこに座るなら自分も動かない意思を示すと恐る恐る場所を移動した。二人で噴水の縁に腰掛けると、彼女はわずかに居心地悪そうにして勇一に魔法院の生活を説明し始めた。



 ***



 魔法院での生活は勇一の想像とは全くかけ離れていた。学徒たちは興味のある事柄を研究し、自分なりに結論を出す。魔法院(ここ)には非常に多くの専門家が常駐しており、彼らもまた日々を研究に費やしている。専門家は講師として時折講義を開くが日程は規則性がなく、ほとんどの場合は講義が開かれる当日朝に告知がなされる。

 学徒たちはそんな研究を独自に分析し、あるいは講師の下で住み込みで働きながら勉学に励み、また唯一定期的に開かれる「上流階級に身を置くものとしての在り方」の講義に参加し、日々研鑽を積む。何もかもが自発的に行われ、完全に自由な夜は友人らと交流しながら将来の夢を語り合うこともあった。


(俺の知ってる学校とかなり違うんだな)


「みんな、思い思いにやってるんだなぁ……」


「卒業のためには、それなりの成果を出さなければなりませんね。ほとんどの場合、論文を講師に提出するんですけど」


「論文ねぇ…………ん? 論文?」


 途端に勇一は弾けるように飛び上がった。隣の少女は串を落としそうになり、あわてふためく。

 ウルバハムが何事かと勇一を見ると、まるで棒のように突っ立っている彼は目を見開き、額には滝のような汗をかいていた。閃きを得た人がよくこうなると彼女は聞いたことがあったが、目の前の彼はどうもそうではないらしい。いつまでも黙ったままの勇一に、ついに彼女は声をかけてみた。


「あのう、ユウ様?」


「ウルバハム、俺、とんでもないことを思い出した」


「とんでもないこと?」


 顔中汗まみれの勇一は、絶望の表情をウルバハムに向けた。見開いた目は焦点が定まらず、落ちつきなく震えている。


「お、俺、読み書きが、できないんだ……」


「え」


 こちらの世界で話す分には、祝福によって本人に都合よく翻訳される。しかし読み書きとなると話は別だ。訛りの強い地方語も、ヴィヴァルニアで広く使われる公用語すら彼は読めない。それを今になって思い出したのだ。


「えぇーーーーーー!!!!」


 このときの声量は、通りの喧騒を一瞬止ませるだけの力があった。

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