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2 ホラクトの学徒、ウルバハム・トライン-2

「いくつかキミに、注意しておくことがある」


 ウルバハムを落ち着かせた勇一は彼女に謝罪し、改めて挨拶を済ませた。すると彼女は大きく取り乱した。ブラキアに謝罪されたこと事態初めての経験だったようで、それを聞いた勇一はいたたまれなくなった。

 アイリーンが彼女にベッドに座るよう促す。しかし彼女は「床に座ります」と頑として聞かなかった。仕方無く石畳に腰を下ろすウルバハムを横目に、二人は話し始めた。


「注意?」


「そう。陛下の話の通り、アークツルス魔法院(ここ)に通う学徒のほとんどは裕福な家の者だが、少数貴族のご子息もいる。彼らに相応の礼儀作法を教えるのもここの役目だ」


 貴族……勇一は聞き覚えのある単語に興味を引かれた。

 かつての大陸戦争の際、ブラキアたちは一丸となってホラクトを打倒した。この「ブラキアの反乱」の主導者がレディアント・ハウィッツァー。後のヴィヴァルニア初代国王である。ヴィヴァルニアを興した後、彼が「著しい働きをした者」に対し与えたのが「貴族」としての地位と特権だった。


「三十年前に今の陛下が即位なさったとき、貴族たちの品位は地に落ちていたらしい。これを憂い彼らを叩き直すために、陛下はアークツルス魔法院を開いたと」


「アイリーンのお父さんは凄いな……ん?」


 何となく勇一は引っ掛かった。謁見の間で見た王は、しわだらけの顔と真っ白なあごひげをたくわえていた。年齢はどうみても六十を越えている。

 彼の口からは覚えた違和感が疑問となって、いつの間に滑り出していた。


「王様って、何歳で即位したの?」


「たしか……十二のときだと言っていたな」


「じゅ、じゅうに!?」


 素っ頓狂な声が響いた。アイリーンの父親は、彼女よりも若いときに一国の主となったのだ。部下や国民の命が若い自分の肩にのっているなんて、いったいどんな気持ちなんだろうかと勇一は漠然と考えた。

 となると王は今四十代。あの外見はどういう事なのだろうと勇一は当然ながら不思議に思った。


「話を戻してもいい?」


 アイリーンが声に乗せた呆れの感情は、勇一を話の本線に引き戻した。彼は姿勢を正してアイリーンの言葉を待った。


「あ、ああ。注意だっけ?」


「おほん。一つはここにいる間、絶対に、他の人に手を上げない事」


「手を上げる?」


「暴力を振るうなってこと」


 勇一は大袈裟に否定する。


「いやいや注意っていうか、普通に生きてたら他人に暴力を振るうことなんて……」


「多腕の傭兵と組んで色々あったんでしょう? キミ、別れる前と顔つきが違うよ」


 彼自身そんなことに気付きもしなかった。アトラスタとの長いようで短かった旅は彼をそれなりに成長させていた。具体的なことを一つ上げるとすれば、「殺しを覚悟した者」の表情だ。


アークツルス魔法院(ここ)にいるのは、みなそれなりの地位を持っている人たちだ。そんな彼らに暴力を振るえばどうなるかくらい、わかるでしょ?」


「一応聞くけど、俺は王族のアイリーンのコネ……推薦で入ったんだよな?」


「創設者の陛下はそこら辺はしっかりしている。王族だとしても、私には何の権限もない」


 何も期待しないでほしい……アイリーンはそう付け加えた。確かにその通りだ。いくら娘の頼みとは言え、素性の知れぬ人物を名誉ある組織にいれるのは抵抗があるだろう。結局入学を許したとはいえ、それは公私を混同しない人間であるという評価点だ。

 そこまで考えて、勇一はウルバハムを見た。部屋の中央でテーブルを挟んで椅子に座る勇一とアイリーン。しかし彼女は少し離れた場所で壁を背にして床に腰を下ろし、膝を抱えている。本人は目立たないよう小さくなっているつもりなのだろうが、ホラクト特有の長身はそう簡単に縮小できるものではない。


「あのこは?」


 アドリアーナとの旅の中で、彼はホラクトは奴隷の身分であることを知った。貴族がいるような組織にそんな身分の者がいること自体、反感を買う材料になるだろう。


「正直、かなり無理を言った」


 ウルバハムに聞こえないように、アイリーンは身を乗り出して耳打ちした。


「私は……私は将来的に、魔法院をどんな種族も入れるような場所にしたい」


 姿勢を直して話を続ける彼女は、ウルバハムを横目に写しながら続ける。艶やかな白銀色の髪を指に巻いた。


「陛下は国を強くするために教育が必要だと仰った。それは、私もそう思う」


 彼女の腹の底から出た言葉に勇一は息を飲んだ。その表情は、憂いと覚悟を宿したものだ。


「でも、支配する者だけが学びを得るのは……違うと思う。

 陛下はブラキアこそが知に優れた種族だと仰っていたけど、それも違うと思う」


 一言一言選んだ言葉を紡ぎだすアイリーン。それには勇一と、そばで聞いていたウルバハムも思わず前のめりになった。


「私はブラキア以外も平等に学ぶべきだと思っている。ブラキアが特別優れているわけでは無い……勿論、得手不得手があるという意味だ。だから彼女は……先鋒なんだ。皆が教育を受けるに足るという、証明のための」


 さすが王の娘だと勇一は思った。彼女は彼女なりに考え、国の利益を探っている。個人的な感情で旅を始めた自分と比べてしまった彼は、心のどこかに重しがかかった様な気がした。

 アイリーンは表情に影を落とし、沈んだ口調で続ける。


「陛下に無理を言って彼女をアークツルス魔法院(ここ)に入れた。私は既に、自分のわがままを押し通す傍若無人な娘だと思われている。そこにキミの件だ。キミが誰かに手を……貴族の誰かにあげてしまったら、ただでさえ危ういウルバハムの立場は、きっと崩れてしまう」


 勇一はいわば「コネ」で入学したようなものだ。自分の立場をわきまえなければ、何をされるかなど想像に難くない。


「そしてもうひとつは、本気で勉学に励んで欲しい」


 ウルバハムの事情を話したときと同じくらい真剣な眼差しを勇一に向ける。


「ここは栄えあるアークツルス魔法院だ。例え一時的とは言え、キミはここの生徒になる。生徒は生徒らしく、本気で取り組んで欲しい」


「取り組むったって、魔法の知識なんてオレにはないんだが……?」


 異世界の未知の授業など、基礎すらない勇一にとっては恐ろしい以外にない。もし自分の知識など足下にも及ばないとわかったら、取り組む以前の問題だ。


「大丈夫。ここではどんな研究、実験も許されている。……勿論、許可が必要なものもあるけど。魔法以外の研究の方が多いくらいだ。キミなりにやりたいことをやって、先生たちにそれを見せるといい」


 とりあえず、これだけ絶対に守ってほしい。そうアイリーンは言って立ち上がった。小さな暖炉に向けた人指し指を撫でるように振ると、途端に薪が赤く熱を吐き出し始める。


「決して暴力を振るってはならない」

「仮面の男が見つかるまでとは言え、魔法院にいる以上は勉学に励む」


 二つの約束を勇一は課せられた。

 アイリーンは彼に自らの力を知る機会を与えた。しかし用意したのは舞台で、あとは自分の手で探れと。


(異世界に来てまで勉強することになるなんて……)


 改めて感じる気だるさに、身体中の空気を放出する勇一。そこに何となく彼の目を引くアイリーンの臀部、彼女が振り替える直前に顔を背けることに成功したが、その先でウルバハムと目があってしまった。


「べ、勉強か……」


「気が進まない?」


 勇一は「勉強なんて」と言おうとして、すんでのところで口を閉じた。仕切りを開けたとき、ウルバハムの身体と一緒に視界に入った彼女の部屋を思い出したのだ。

 来たばかりで質素な勇一の部屋と違い、彼女の部屋は多くの実験道具であふれていた。机のそばには簡素な籠と、それに入った大量の巻かれた紙。机の上には几帳面に整頓された紙束たち。彼女が積み上げてきた知識と努力が、目に見える形で鎮座していた。

 今も成長しているであろうその山を見てしまった手前、勇一は彼女を前にして「勉強は嫌いだ」などとは口が裂けても言えなかった。

 向こうの世界で彼が身を置いていた環境は、こことは比べ物にならないくらい恵まれていた。余程のことがなければ学年は勝手に進むし、最低でも教師の言ったことをただ写していればよかった。

 しかしここは違う。自らの意思と、自分はここで学ぶに足る者だという自負を皆が持っている。そしてなんとか師に食らいつこうと、あわよくば鼻を明かしてやろうと息巻く若者たちが身を置いているのだ。

 何気なく吐こうとした言葉は、魔法院に関わる全ての人を侮辱するものだと気付くのに時間はかからなかった。


「ん、なんでもない。よろしくね、ウルバハム」


「ウルバハム、私からもよろしくたのむ」


「えっ、えっ? ……っはい」


 気配を消していたウルバハムが、突然の名指しにうろたえる。アイリーンに促されるままにぶんぶんと頭を縦に振ると、勢いで微弱な風が巻き起こった。


「それじゃあ用も済んだし、私、いくね」


「え、どこに?」


 話が一区切りつくと、アイリーンは早足で扉へ向かう。戸惑った勇一はそれを見送ることしかできなかった。


「どこって、キミの仇を探しに。約束したでしょう」


「あ、ああ、そうだな……そうだった」


「ちなみに、怠けていたら……」


アイリーンは机に人差し指を立てる。


……メリッ


「こうだから」


一瞬だった。机を貫通し、裏側から整えられた指先が頭を出している。


「は、はい」


「お互いに約束は守ろう。それが物事を円滑に進められる、唯一の手段だから……ああそれと」


 銀色の睫毛が金色の瞳を際立たせる。すでに廊下に出た彼女は頭だけを覗かせ、明らかに微笑みだとわかる表情を勇一に向けた。


「私が王の娘だとわかった後も、キミの態度は変わらなかったよね」


「え? あ、あぁー」


 そういえばそうだった、と勇一は口を開けた。敬語で話すタイミングを計っていたが、結局ずるずると変えられなかった。しかしいざ変えようとすると、違和感が舌を重くする。


「そういうところ、私は気に入ってるんだ。だから、失望させないで……ね」


 いたずらっぽい顔から放たれた忠告は勇一の心臓ど真ん中に刺さった。彼はきゅっと締め付けられるような胸の痛みを手でおさえ、彼女を見送った。

 ゆっくりと振り向けば熱をふり撒く暖炉、大きなベッド、そして勉強机。学徒としての生活がこれから始まるのだ。


「改めて、これからよろしく。ウルバハム」


「ひえっ……は、はい…………よろしくお願いいたしますぅ…………」


 床に額をこすりつけるウルバハム。最初は彼女と打ち解けよう……勇一はそう決心した。

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