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26 立つ鳥跡を濁させず-4

 地表に到達した亀裂はまもなく広がる。広がれば、光る亀裂の向こうからゴブリンやコボルトやオークが、堤防を決壊させた濁流のようにあふれてくる。そうなるまで一刻の猶予もない。勇一はその根元……亀裂がじわじわと広がりだした光景を数歩前にして立っていた。だというのに、彼はそこから動けないでいる。一つは目に前に憎き仇である仮面の男がいるから、もう一つは


「若くしてこれほどの風魔法……女神に微笑まれたな。フンッ!」


「クッ! 絶対に、逃がさない……!」


 空中で激しく拳を交差させる二人に魅入ってしまったからだ。アイリーンは小柄な身体から噴き出す闘争心を隠そうともせず、全てを飲み込む火のように男へ攻勢をかけている。しかし驚異的なのは男の反応速度、瞬時に叩き込まれる拳や脚を全て受け流していた。

 戦闘が行われている場所が場所なだけに、勇一は一切手出しができない。しかしできたとしても、アイリーンの足手まといになるだけだという事実が彼を歯噛みさせる。


「ふうむ、鋭い……それほどまでなるのに、どれだけ積み重ねた? 何を守ろうとしておる」


「答える、義理など……」


「烈火の如き攻め……しかし正直すぎる」


 男の左手が、まるで吸い込まれるようにアイリーンの顔面へ向かった。彼女の猛攻の中、全ての攻撃を躱し……いや、躱してすらいない。彼女の攻撃が塗りつぶす空間の中の隙間が、男には最初から分かっていた。そして強烈な反撃が、アイリーンの顎を捉える。


「……ほう、土魔法か!」


「うっ……く!」


 まともに受けたにもかかわらず、アイリーンは無事だった。すかさず男の腕を取ろうとするが、行動に移した時既にそこに男の腕は存在していない。幻影を追いかける彼女の手が、虚しく空を切った。


「土と風、二つを操るとな……。女神は奇跡をお前に与えたか。しかし」


 空を切ったことでがら空きになった彼女の腹部に、男のつま先が刺さった。一瞬の事であるがゆえに、身体が衝撃を痛みとして感知するのに遅れが生じる。そして胃が裏返るような激痛が彼女の全身を走った。


「がは……っ!!」


「アイリーン!!」


「能力は、『切り替え』なければ駄目なようだな。そして」


 目を見開き、空中でくの字に身体を曲げるアイリーン……わずかにその身体が下降を始めた。風魔法への切り替えが、激痛によって機能していないのだ。そして彼女が頭を上げるよりも速く、男の足が振り下ろされる。強烈な胴回し蹴りをまともに受け、アイリーンは稲妻のように地上へ叩き落された。

 みるみる近づく地表。このまま激突すれば、土魔法を使っているとはいえ無事では済まないだろう。アイリーンはせめて衝撃に耐えようとしたが、激痛で指一本動かせない。


「……若い。いずれ分かろう、これが皆を救う手段になるとな」


「アイリーーーーン!!」


 アイリーンの落下地点に勇一が飛び込む。彼は腕を伸ばすよりも、身体全体を滑り込ませることを選んだ。広い背中は小柄なアイリーンを受け止め、ほとんどの衝撃をその身に引き受けた。


「ぐふっ!」


「ユ、ユウ……どう、して」


「そ……それより、大丈夫か⁉ あいつは……」


 アイリーンの無事を確認して、彼はすぐに上空を見た。追撃を警戒してすぐに体勢を立て直すが、既に仮面の男はいなかった。どこを見ても腹が立つような青空で、黒いローブなど見当たらない。あまりにも呆気ない終わりに、しばし二人は声が出なかった。


「まさか、逃げたのか?」


「いや、あいつがいつまでもここにいる利点など、ない……目的は多分、亀裂をつくることだけだったんだ……ゲホッ」


 咳き込みながらアイリーンが立ち上がる。その眼は既に仮面の男と戦う事から切り替わり、亀裂の方を向いていた。


「ごめん、ユウ。捕まえ……られなかった」


「あやまるなよ……ありがとう。早く、ここを離れよう!」


「……いや、ここでいい」


 立ち上がったアイリーンは亀裂の方へ手をかざした。裂けた空間からは既にゴブリンどもの雄叫びが聞こえる。既に奴らは亀裂を挟んだすぐそこに迫っている。


「何やってるんだアイリーン! はやく……」


「黙って……」


 アイリーンがかざした手を握る。すると間もなく地面を割って地中から何かが姿を表した。無数の太い縄のようなそれは、うねりながら亀裂を囲んで行く。それは木の根であった。彼女が円を描くように腕を回すと、まるで檻のように根が組まれて行く。そして完全に亀裂を囲う背の高い檻が完成した。直後、亀裂から大量のゴブリンが溢れだす。


「わっわっ……こ、これっ大丈夫なのか!?」


「あいつが、どこまで出来るのかわからない、けど……この亀裂、思ったほど、大きくない」


 ゴブリンどもは亀裂から飛び出した直後に檻に激突し、それでも前に進もうともがいた。格子の隙間から闇雲に出される、黄ばんだボロボロの爪。しかし奴らは自分たちを閉じ込めるのが木の根だとわかると、途端にそれをかじり始めた。いくら太い根といえど、無数の顎に削られてはいずれ決壊してしまうだろう。

 しかし奴らを閉じ込めた張本人は、次の手をうっていた。呼吸を整え両手を広げる。


「うっ……く」


「アイリーン……ほら、しっかりしろ!」


 仮面の男から受けた鳩尾への蹴りが、まだ彼女を苦しめていた。崩れ落ちそうになる身体を支えた勇一は、そのまま彼女を抱き上げる。楽な姿勢にしてやると、彼女は一瞬彼を睨んだ後、表情をわずかに崩した。


「…………」


「苦しそうだったから……つい」


「全く……まぁ、いい」


 アイリーンが改めて両手を広げる。すると間髪いれず、檻の内側が激しい炎で包まれた。超加熱された大気が、亀裂から出てきたばかりのゴブリンどもを容赦なく焼いて行く。辺りは腐臭が漂い、たまに断末魔の叫びが泣き山にこだました。


(ひどい匂いだ……)


 ゴブリンどもは火から逃れようともがくが、どこに移動しても炎が身を溶かす。離れようとして檻に阻まれ、脱出できずに皮膚や肺を焼いた。


 程なくして亀裂から光が消え、地表を離れて行く。完全に光が消えると、泣き山に静寂が訪れた。アイリーンはぐったりとして腕をぶら下げ、抱き上げた勇一に頭を預けている。

 ガチャガチャと装備が擦れ合う音が複数近付いてきた。赤い鎧をまとったダランたちだ。


「見えておりましたぞ、アイリーン様。お見事です」


 深く頭を下げるダランに、部下たちもならう。ラレイを助け、バツを捕らえ、亀裂とゴブリンを全くの損害なく処理した。誰もが納得する、素晴らしい勝利だ。その場にいた全員が勇一、アトラスタ、そしてアイリーンを称え、三人は赤面しながらもそれを受け入れるのだった。



 ***



「アトラスタ殿。ユウ殿と力を合わせ、よく我が同族を救ってくれた。改めて礼を言おう」


「殿、なんて止してくれ。オレは家族を助けようとしただけだ。当然の事さ」


 兜を脱いだダランが、アトラスタに声を掛ける。彼の気さくながらも威厳ある立ち姿に、流石のアトラスタも心なしか背筋が伸びているように見えて、そばで見ていた勇一は思わず口元を緩めた。


「家族……多種族が混在する同盟にあって、アトラスタ殿のような心を持つ者など中々おりますまい。所詮人は、自分と同族が大事なのです。それを……」


「や、やめてくれよう。なんだかくすぐったいぜ……」


 確かな地位の者からの正当な評価を受けてアトラスタはにやつく。彼女の腕の中で安心を取り戻したラレイは既に自分の足で立ち、家族に誇らしげな目線を送っていた。


「ははは。ところで、アトラスタ殿は傭兵をしていなさると」


「ん? ああ、しがない傭兵だよ。軍みたいに制約がないから、報酬次第で何でもやるぜ」


「何でも」という言葉に、ダランは目を光らせた。彼は大げさに咳ばらいをすると、今までの気さくな表情を絞め一族をまとめる長然とした目つきで切り出した。


「その制約に、縛られてみる気はありませんかな?」


「……てぇと、つまり?」


「アトラスタ、引き抜きよ! 軍に入らないかって、ダラン様直々に!」


 軍への参加はそれなりに厳しい試験が課せられる。しかしダランは直接アトラスタの力を欲していた。彼の言葉に周囲の部下たちも納得した表情を見せている。

 アトラスタは腕が折れているのも忘れて、興奮のあまり呼吸を荒くし狼狽える。


「いやいや、まってくれよ。オレは兵士ってガラじゃねぇって! 規則覚えんのも面倒くせえし、それに……」


 言いかけたアトラスタは、ハッとして自分の腹をさすった。謎の行動に首をかしげるダランとラレイ。彼女はしばらくの沈黙の後、決意を宿した表情で再び口を開いた。


「そうだな。気ままに仕事するのもいいが、ひもじいのはごめんだしな…………わかったよ」


「と、いうことは?」


「その申し出、謹んで受けさせていただきます。この身体、飯炊きでもなんでも使ってくれ」


「感謝致しますぞ……」


 ラレイが興奮のあまり飛び跳ねる。アトラスタは晴れやかな顔でそれを眺めていた。心なしか背筋も伸び、眼には穏やかな光が宿っていた。


 そんな彼女らを、勇一とアイリーンは並んで眺めていた。勇一はふと隣のアイリーンにめをむける。まさか再び彼女と会う事になるとは……と、偶然ではない何かを信じそうになった。


「そうだアイリーン、俺のこと探してたって?」


「ああそうだ……単刀直入にいう、エンゲラズに来て」


 何事だろうかと勇一は眉をひそめた。これから彼は仮面の男を探しに行かなければならない。サウワンでは、仮面の男はエンゲラズに向かったのではと言われたことを思い出す。だから勇一はアトラスタとの旅を終えた後、手がかりを探しにエンゲラズへ向かうつもりだった。しかしここに仮面の男が現れたことで、むしろ同盟側にいるのではと考えるようになった。

 腕輪は既に勇一の右手首に巻かれ、細い金の飾りがきらめいている。勇一は目的地を変更し、再びヴァパへ向かおうとしていた。人が多ければ情報もどこかにあるだろうと単純な考えでいたのだが、そうなると余程運がよくないとたどり着くのは難しそうだとも思っていた。


「エンゲラズに? なんで」


「あの男と戦って分かった……これはキミの手に余る」


「……」


「今ヴィヴァルニアと同盟の間には、大きな衝突は起こっていない……いないけど、薄氷の上にいるようなものだ」


 アイリーンは大陸を二分する勢力の動向を、簡単に説明し始めた。それは勇一が今まで知る由もなかった世界の出来事で、彼は何となく他人事のように聞いていた。しかしアイリーンに今回の呪文書(スクロール)略奪が戦争の契機になるかもしれなかったことを説かれると、顔を青くした。


「ヴィヴァルニアと同盟がそんなことに……で、でも、俺をエンゲラズに連れて行くのと、なんの関係が?」


「この緊張は、明らかに何者かの手引きによって起こされている。仮面の男が裏で糸を引いてるんじゃないかって、私たちは考えた……例えそうでなくとも、大きな関りを持っているのは、確実。だからユウ、選んで」


 ずい、とアイリーンは顔を近づける。端整な顔立ちが迫ってくるので、勇一は思わず仰け反ってしまった。


「エンゲラズでキミ自身が力を理解し、正しく使えるように私が手配する。これを受ければ、仮面の男が見つかり次第キミに連絡をしよう。なんなら、とどめをキミに任せてもいい。受けなければ、男を見つけ次第私たちが処理する」


「そ、そんな!」


 いや、まてよ……と勇一は冷静になって出かかった不満を堪えた。自分一人で仮面の男を探すのには限界がある。サウワンやダンドターロル、ヴァパでも自分の足で見つけた情報は皆無だった。アイリーンたちのいう「私たち」がどれ程の規模であるのかはわからないが、この申し出を受ければ、途方もない捜索を彼女たちに任せられる。これは受けた方がいい話だろう。しかし……


「それ、そっちにメリットがあるのか?」


「キミは、女神魔法使いだ……どこにいるのかわかっていれば、貴重な能力を無駄に使わせることもないし、命を狙われていようとも……守れる」


「……そうか」


 アイリーンは以前見た通りの能面の様な表情で答えた。どうにも回りくどい返事に聞こえたが、勇一はとりあえず彼女を信用することにした。


(一人であの男を探すのは無理だ……結局、選択肢なんてない……か)


 誰かに自分の未来を決められるのが、これ程不快だったとは……彼は結婚相手を殴り倒したアトラスタの気持ちが、なんとなくわかった気がした。


「わかった。仮面の男の素性と居場所がわかったら、すぐ俺に教えて、解放する。そう約束してくれるなら、エンゲラズに行こう」


 アイリーンは伏し目がちな無表情でじっと勇一を見つめていたが、彼の返答を聞くと顔を僅かに綻ばせた。


「ありがとう。それじゃあ早速……出発しよう」


 もうここにいる理由はない。長いようで短かった同盟の冒険は遂に終着となった。勇一は別れの挨拶をしようと、アトラスタたちの方へ歩む。


「お、ユウ聞いてくれよ。オレ、正式に軍に入ることになった」


「聞いてた、おめでとう」


「これからはラレイを寂しがらせずに済む、お前は…………お前は、仮面の男を探すんだよな」


「ああ、絶対に報いを受けさせる」


「…………いつでもオレん所に来いよ。お前がどうなろうと、オレはお前を受け入れてやるからな」


「ありがとう…………それじゃあ」


 また、とは言わなかった。旅立つ勇一をアトラスタは愛しき者を見つめる目で送る。その背中がやがて見えなくなると、今まで堪えていたのだろう涙が一気に流れ出した。


「寂しいなら、ちゃんと言わなきゃダメよアトラスタ」


「はっ、そんなんじゃねえよ。グス……初めて見た時よりも大きく見えて、感極まっちまったんだ…………そうだラレイ、頼みがあるんだ」


「なあに? あなたから頼みなんて珍しいね」


「少し、広い部屋に越さないか」


 ラレイは我が耳を疑った。今まで散々放浪してきたアトラスタが、ダンドターロルに根を下ろそうと言ってきたのだ。彼女は幻聴じゃないかと疑い、何度も何度も本当かどうか確認し、その度に肯定が帰ってきたので小躍りしそうな程に喜んだ。


「うるせえな、本当だって言ってんだろ。色々入用になるし、ラレイが嫌じゃなけりゃあ、だが」


「いやなわけないじゃない! えっへへ、久しぶりだなぁ一緒に暮らすのなんて。じゃあ街に戻ったら、早速二人部屋が空いてないか聞いてくるね!」


「ああいや、二人じゃない」


「え?」


「――三人だ」








 ――――――三章「地母の多腕」 終

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