表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
83/175

25 立つ鳥跡を濁させず-3

「アトラスタ……アトラスタぁ…………」


 縛られたまま、地面に突っ伏して泣くラレイ。自分を助けようとして、崩落した坑道に埋められてしまった……深い自責の念は、彼女の希望を打ち砕くのに十分だった。

 煙草をふかし終えた狼男は僅かに気合を込めて立ち上がり、涙を流すラレイに近付く。


「まっ、これも運命だったのさ。今頃星の女神さまの元に行ってるよ」


 そんなラレイの足下に立ち、いやに親切な声を出すのは狼男。彼は持っていた小刀で彼女の足を縛る縄を解いた。弱々しく抵抗する足を掴んで広げ、いち早く地滑りから逃れていたバツに目を向けた。


「好きにしてもいいって言ったよな? ひと段落したし、休憩がてらこいつを使わせてもらうぜ」


「ええ、ええ、構いませんよキュクスさん……亜人を抱くだなんて、ああ汚らわしい」


 後半に吐き捨てるように放たれた言葉は、相手に聞こえなかった。


「ホークも悪いね……そのうち嘴も生えてくっから、それまで禁欲生活だな」


「……フン」


 包帯の男は不機嫌そうに腕を組んで顔を逸らした。有翼人種の魅力の象徴である大きく形の良い嘴を折られた彼は、一緒に自信も叩き折られてしまったのか全く勃たなくなっていた。今ここでラレイで「楽しむ」ことが出来るのは狼男のキュクスだけ。


「と言う訳だ嬢ちゃん、休憩が終わるまで精々楽しませろよ。事と次第によっちゃあ、道具として飼ってやらんこともないぞ」


「だ、だれが……ギャア!!」


 ラレイの口から出かかった反抗の意思は、跳んできた大きな拳で歯ごと叩き折られた。あまりに強く殴りつけるので、彼女は後頭部を地面に強打してしまう。遅れてやってきた刺すような痛みと同時に血の味が口内を満たし、朦朧とした頭は恐怖だけをしっかりと認識した。


「う、あ……」


「俺はホークと違って短気なんでな。次叫んだら、その度に一本ずつ歯を折る……いや、やっぱ最初に全部取っ払っちまうか。後で使うのに手間だしな」


 下卑た笑いを浮かべながらキュクスは片手でラレイの首を絞め、もう片方の手で小刀の柄を構えた。宣言通り彼女の歯を全て消し去るつもりだ。少女一人の力では、体格の違いすぎる獣人を跳ねのけるなど出来るはずもない。下腹部に当たる脈打つ男を感じながら、遂に彼女はボロボロと涙を流し神に祈り始めた。


「お願いです…………どうか、お助けください女神様……どうか」


 キュクスに命乞いをしないのは、彼女の最後の反抗だった。首を絞める力がさらに強くなり、呼吸もままならなくなるラレイ。彼女はどうせなら、犯される前に死んでしまいたいと思った。


「無駄だ。もうお前を助けるやつなんていねぇ」


 男たちの側に転がる、落石で死んだ馬の屍。その腹が突如膨らみ、血と内蔵を吹き出しながら破裂した。意識外からの出来事に、三人の男は思わず身をすくませてしまう。飛び散る内容物と一緒に大小二つの影が跳躍する。大きな方はキュクスへ、小さな方はホークへと飛びかかった。


「いるさっ

 ここに二人な!」



 ***



「な、なんだ……ぎゃあああ!!」


「……!!」


 大きな影はアトラスタだった。彼女は馬の血しぶきと共にキュクスへ飛び掛かり、土魔法を最大に使った全霊の拳を彼にお見舞いした。

 呆気なく頭蓋を砕かれたキュクスは、最期まで自分が何をされたか理解できなかった。仰向けで全身を痙攣させる彼の事を、もはや誰も見ていない。


「ウグッ……ウアアアアーー!!」


 馬の内臓を派手にまき散らしながら現れた人物にホークは驚き、さらにそれが見覚えのある人物だったことに戦慄した。数滴の血が彼の目を反らし、べたべたと身体に当たる内容物によって狼狽してしまう。そしてそれが、彼の致命となってしまった。

 勇一がマナンを一文字に振り抜く。狙いすました斬撃は骨をも絶ち、ホークの目に回転する世界を見せた。


「お、お前たち……どうやって…………」


「アトラスタ、ラレイを」


「うるせえ、言われなくても!」


 あっという間に二人を倒し、勇一は腰を抜かしたバツを追い詰め、アトラスタはラレイの元へ駆け寄る。拘束を解くと、ラレイは今まで溜めていた涙をあふれさせ、アトラスタにしがみついた。


「アトラスタ、アトラスタぁ……」


「無事……じゃねぇようだな。待ってろ、すぐに終わらせる」


「ひ、ひ、ひいぃ……」


 バツは自分の迂闊さを呪った。地滑りで追跡者は死んだと思い込み、一度使った呪文書(スクロール)を荷物に戻してしまったからだ。彼は四つん這いになって近くの木にしがみつき、恐怖で震えあがる足をばたつかせている。


「おまえ……」


 勇一はその顔を覚えている。サウワンで自分から金を巻き上げた顔だ。あの時は自分の不注意と不甲斐なさで頭を掻きむしることもあったが、今彼の殺生与奪の権を握っているかと思うと、勇一はむしろ高揚感で拳を握った。

 改めてマナンを構える。バツは何かわめいているが、彼には聞こえなかった。向こうが自分を覚えていない様子なのが、剣を握る手にさらに力を加えさせた。

 掲げられたマナンを振り下ろすだけで、奴の命は終わる。無用に時間を延ばすのは、バツ以外の誰もが望むことではないだろう。


挿絵(By みてみん)


 しかしとうとう奴の命を終わらせようとしたときである。二人の間に槍の様に巨大な矢が飛来し、バツがしがみつく木に深く突き刺さった。


「なにっ⁉」


「その殺生、しばらくまてい!」


 咆哮の様な声がした方、バツたちが行くはずだった道の先から二十ほどの騎兵が近づく。彼らは皆角を生やし赤い鎧で身を包んでいる。そして先頭を走る者の額には、雄々しく天を向く角が生えているのが勇一の目に映った。


「あれは……ダラン・ウェイキン様……⁉」


 目を赤く腫らしたラレイが口走った言葉に、勇一は聞き覚えがなかった。目の前の男はラレイをさらい危害も加え、あまつさえ二人を殺そうとした。殺すには十分過ぎる理由がある。しかしマナンを持った手を振り下ろすだけでよいのに、ダランの気迫に圧され全く動くことが出来ない。

 そうこうしている内に騎兵たちは勇一らを取り囲み、バツを縛り始めた。血みどろの二人にも警戒していたダラン達だったが、同族であるラレイを助け出したことがわかると剣を納めた。


「我が同族の救出、感謝いたします。私は有角族の長、ダラン・ウェイキン」


「……ユウ・フォーナー。あの、こいつは」


 兜の下から現れたのは、皺だらけの老人であった。下を向いた口角に、白く長い眉。しかし鎧をまとったその姿は、同じ格好をした兵たちの誰よりも威厳ある立ち振る舞いをしていた。

 彼は転がる二つの死体、そしてラレイと勇一たちを順番に見てゆっくり頷くと、まずは勇一の目をまっすぐに見て口を開いた。


「お気持ちはわかりますぞ」


「あいつは大勢の不幸に関わっている……います」


「しかしこやつには、背後を吐いてもらわねばなりません。死よりもつらい拷問がこやつに待ち受けていると考え、剣を納めて頂けませんかな?」


「………」


 ここで逆らっても、何の意味もない。手を下す相手が自分ではないのが唯一の不満だったが……自身が無抵抗の者すら手をかける虐殺者にならずに済んだことに気づき、彼は大人しくマナンを引き下げる。ダランはそれをみて満足そうに頷くと、彼の肩を優しく叩いた。

 そばで報告を受ける兵士が話す内容によれば、道すがら怪しい一団をなぎ倒してきたらしい。それを聞いていたバツの顔が青ざめるのを勇一は見た。

 全てがひと段落したのだ。ラレイはアトラスタに抱かれ、腕の中で安堵の表情を浮かべている。勇一はこれで心置きなく仮面の男を探す旅を再開できる。


(装備、新しくしたばっかりだったのに……)


 彼の肩には柔らかいひも状の何かがぶら下がっている。つまんでみるとぶよぶよして生臭かった。それだけでなく全身が馬とオークの血や内臓、黄色っぽい脂肪で汚れ異臭を放っていた。

 身体を洗いに行く前にせめてダランに一言挨拶をと、彼の方に向き直った勇一は。


「ダラン様…………っ!!」


 ダランの向こう。木々の間に、ゆらめく光が見えた。何もない空間に現れる光。


「ダラン様、あれを!!」


 付近の兵士の叫びに、全員がその指の先を見た。


「亀裂……!」


 ダランたちが来た方角、それほど遠くない場所に亀裂が入り始めたのだ。アトラスタはラレイを抱いたまま、迅速に周囲の兵士と密集して既に備えている。ダランも部下をまとめ、そこへ合流しようと走り出した。しかし勇一は、彼らが動く中でただ立っていた。そして導かれるように足が目線の先へ踏み出した。


「なんと間の悪い……! ユウ殿、どこへ⁉」


 亀裂の光を見た瞬間、勇一はその方向へ走り出していた。確信があったわけではない、亀裂の発生源へ行けば何かがわかるような気がしたのだ。上空に現れた亀裂は徐々に下へ下へと進み、間もなく地上に達するだろう。そうなれば、広がった亀裂からゴブリンどもがあふれ出す。


「はっ……はっ…………なんで俺、こんなこと……でも、タイミングが良すぎる……」


 勇一らがバツを追い詰め、ダランたちが駆け付け、そして亀裂が現れる。まるで計ったかのように。

 彼は導きだとか巡り合いだとかを信じているわけでは無いが、肺が冷たくなるほどに悪い予感がし、気付いたら足が前に出ていた。そして予感と言うものは、悪い程的中するものだ。


「………………おまえ」


 その人物は、煌々と輝く亀裂の元にいた。黒いローブをまとい気味の悪い仮面を付け、亀裂の方を向いている。片手には開かれた分厚い本を持ち、内容をそらんじている。その姿を見ただけで、勇一は全身が火のように熱を持つのを感じた。


「おまえ……おまえ! おまえェ!!」


 腹のなかで憎悪が巻き起こす渦が、熱波となって吐き出された。もう亀裂は地上に到達している。しかし彼の目にはそんなものは映らなかった。耳の奥で熱がうまれ、脳内で怒りがはじけ飛ぶ。犠牲となった竜人たちの最期の表情が、次々と通り過ぎて行く。


「うん? お前、などと言いうお前は誰だ?」


 仮面の男の応えは、至極落ち着いたものだった。勇一の叫びとは対照的に、干からびた身体から絞り出すような声。金色の瞳が勇一を見据える。しばらくの沈黙。男は、相手の事を思い出そうとしていた。


「おまえの右腕を落とした奴の顔を、忘れたかぁ!!」


「…………!! まさか、あれを生き残ったというのか…………フフフハハハハハハ!!」


 一瞬ハッとした男はすぐに本を懐にしまい込んだ。すぐに逆巻く風が二人の間に割って入る。


「風が⁉ うわああぁっ!!」


 仮面の男は高笑いを見せると、突風と共に宙へ浮いた。はためくローブの隙間から見えた右腕には、肘から先が無かった。勇一が決死の思いで撃退した男に間違いない。


「まさか復讐のつもりか? だとしたらなんとも間抜けな男よ! 何の準備もせず、ただ私に向かってくるなど!」


 怒りが先行し、勇一は男を殺す手段を持ち合わせていなかった。せめて死角から攻撃出来たらまた違ったかもしれないが、そんなことを考える冷静さも彼は持ち合わせていなかった。

 男はある程度の高さまで高度を上げると、仮面を挟んでいてもわかる見下した表情を勇一に向けた。


「私はここで、お前たちが食い尽くされる様を見ていよう。もう二度と間違いは…………ぬぅっ!!」


「!!」


 矢のような飛来物が、突如男を襲った。それはあまりにも速く、勇一の目でも辛うじて影が見えただけだった。銀色の帯をたなびかせたそれが激突する直前、一瞬早く反応した男は残った左手でそれを払う。破裂に似た音が空気を震わせ、弾かれたそれは空中で急停止した。


「…………ユウ、探した」


「アイリーン!!」


 仮面の奥の目は、未だ冷静さを保っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ