21 孤独-1
「……にしてもさ、アトラスタ」
「ああ?」
「まさか誘うのがあんなに下手だなんて思わなかった」
「……」
「『ヒュドラを相手にしたお前の槍ってのを、オレに使ってみる気はないか?』だっけ……もっとこう、あるだろ」
「……」
「『覚悟ができたら相手をしてやる』ってそっちが……いだだだだ」
「その減らず口を縫い付けてやろうか? いつかの傷みたいによぉ」
日は沈み、討伐に参加した者たちは野営を始めた。周囲の簡素な寝床から距離を置き、視線から逃れるようにそのテントはあった。
勇一とアトラスタは、そこでいつも通り一糸まとわぬ姿で横になっている。一つ違うのは、先程までお互いを貪るように求めあっていたことだ。
生きるか死ぬかの戦いは精神を高ぶらせ、暗くなった現在でも冷めやらぬ熱は身体を火照らせていた。食事を終えた二人は、焚き火の回りで酒に酔う傭兵たちに見つからないようにテントへ戻ると、互いを求め始めたのである。ろくに洗っていない二人の身体からは、汗と土……血と錆び……そして微かな尿と腐敗の臭いが染みついている。狭いテント内に充満したその臭いは、普段なら不快でしかない。しかし未だ熱を帯びた身体をもて余す二人にとって、それはきっかけとなった。
「なあ、本当にそれは大丈夫なんだろうな?」
アトラスタが勇一の左手をつかんだ。握りしめられた彼の手を二人の前に出し、しんみりした目で見ている。その手からは小指と薬指が消え、中指も半分ほどまでが消えていた。
「あ……うん。もう血は止まってるし、痛みもない。でも……もう左じゃ剣も握れないや…………はは、は」
勇一は最初、自分の左手を直視できなかった。あって当たり前だったものが無くなる……。これからは今まで出来たことが出来なくなる。その事実は大きく彼の精神を揺さぶった。アトラスタに励まされてようやく視界にいれると、動悸が止まらなくなった。悲哀ではなく、喪失感が勝手に涙があふれさせた。
身体の欠損とは、それだけ精神に与える負担が大きい。
「しっかりしろ」
「ああ、グスッ……大丈夫、大丈夫だ。それよりも」
勇一は努めて冷静に、痛々しくおどけて話す。
「意外だったな。アトラスタの胸に、俺と同じような傷があるなんて」
幾度となく肌を密着させてきた二人だったが、勇一はアトラスタのみぞおち辺りに派手な傷跡があるのを知らなかった。自分と同じような場所と形の傷跡に、彼は思わずそこをなぞってみた。
「ゴブリンの爪を弾く肌に、どうやったら傷をつけられるんだ?」
「おい…………はぁ、まったく」
そこで一旦言葉を切ったアトラスタは、少し考えるような沈黙の後、口を開いた。勇一の気分を少しでも和らげようと、出来るだけ優しく語りだす。
「ま、そうだな……前にも言ったが、多腕族ってのは傭兵業が盛んだ。同盟の中でも特に北の方に住むオレたちには独自の産業もない。だから命を売り物にするしかなかったんだ……少なくとも、オレは長老からそう聞いた」
多腕族はサンブリア大陸の中でも特に北……凍土地帯に住んでいる。
「それなりに良いところさ。周りにはなーんも無いが、両親はオレに不自由させなかった。子どもは街全体で見ることになっててな、メシの時も、稽古の時も常に誰かと一緒だった。男も女も同じくらい強いんだぜ。ただ……」
「ただ?」
アトラスタの目は遠い過去を見つめていた。
「女は妻になると、家に入るんだ。その時……風習って言うのかな、婚姻を結ぶ時、夫婦になる男女が決闘をする」
「夫婦が決闘?」
外界の者がその土地の風習を理解できないのは当然だ。勇一は初めて聞く風習に興味をそそられた。
「ああ。家族の中で誰が一番偉いのか、ここではっきりさせるんだ。親族が見守るなか決闘が始まり、終わって初めて婚姻が認められる」
「へぇ」
「ま、大層なこと言ってるが、儀式みたいなものさ。多腕族は父親が一番上、次が長男……その他って感じだ。要は夫が家を守るって覚悟を、妻にわからせるのが狙いなんだが……」
土地とそこに住む者たちの気質によって文化は育まれる。厳しい環境に根をおろす多腕族にとって、例え家族内であっても明確な上下を決めることは種族存続のために必要なことだった。
「けど、オレには合わなかった。オレの未来はオレが決める。オレが誰と仕事をするかもオレが決める。誰を抱くかもな。そんでいつも、外で自由に旅をしたいって夢見てた」
「……」
「そんな時、オレ充てに婚姻の命が来た。本来は家同士で話し合って決めるもんなんだが……それは族長から直々の話だった。相手は、族長の息子」
「いいじゃないか。俺なんかより、よっぽどいい相手だ」
「……そうだな、アイツはお前より顔が良かった。地位も金もあるし。腕っぷしだって街で一番、いや二番目に強かった…………だからどうした」
勇一を抱きしめる腕に力が入る。彼は苦しそうな声を抑えて、かわりに息を吐いた。
「誰かに自分の行き先を決められるのなんてまっぴらごめんさ。でも相手は族長の息子だから、どうすることもできない。決闘の儀式の前日、オレはやけになってしこたま酒を飲んだ」
「……あぁー」
勇一は話の締めが容易に想像できた。しかしそれを口に出そうとして、アトラスタに口を塞がれてしまった。
「翌日オレは酷い悪酔いと頭痛で儀式に挑んだ。まぁそれで、族長の息子をボコボコにしちまったって訳だ。……当然族長は怒り心頭、その場でオレは斬首されるはずだった」
形式的なものとはいえ、地位あるものが皆の目の前で面子を潰されたのだ。その原因を排除するのは当然だろう。そして次に、勇一は想像していたよりももっとひどい結末に言葉を失ってしまった。
「両親が、オレの身代わりを申し出たんだ。本当に……バカな親だよ、クソ……。最終的に両親の命と、オレのこの傷、そして追放をもってこの件は許されたんだ」
「そんなことが……」
「多腕族は心臓が二つあってな、一度だけ蘇るんだ。おれは追放の際に片方を潰され、戦士としての価値を落とされた。オレの軽率な行動が何もかも無茶苦茶にしちまったんだよ」
アトラスタの声は明らかに震えていた。彼女が払った代償はあまりにも大きすぎるものだった。
「確かに、結果的にオレの夢は叶ったが。でもこんなの絶対に望んだ形じゃねぇ。でも初めて見る外の世界は本当に、本当に綺麗でさ……汗と血と金が自分だけのものになるのが嬉しくて……」
望まぬ形でかなった夢は、どこまでも彼女に優しかった。腕を振るった分だけ報酬が入り、好きなものを買え、好きな所で寝られる。金も行き先も孤独も恐怖も全てが彼女のものだった。
追放された後、彼女は自分が払った犠牲から逃げるように世界を堪能した。しかし彼女は逃げたと思っただけで、それは常にそばにあった。視界に入らないだけで存在していた。
「だけどさ、時々思うんだ。なんであんな事したんだろうって。もしあの時、夢を、自分を捨てて受け入れていた方が両親も、周りも、みんな、み、んな…………………………………………幸せだったんじゃねぇか、って。そんなものの上に立ってるオレは一体なんなんだって」
「やめろ」
勇一が話を遮る。アトラスタの頬を掴んで目線を合わせると、鼻息を荒くして捲し立てた。
「人は皆後悔するようにできてる。あれをやれば良かったとか、こっちにすればよかったとか、そういうのと付き合いながらみんな生きてるんだ……多分。失ったものは戻らないし、忘れるなんて……いや、忘れちゃならないけど、重要なのは、アトラスタが選択したって事なんだ。選択しなきゃ、永遠に止まったままだ。だから、その……」
ぽかんとするアトラスタに精一杯の言葉を投げかける。勇一はいつしか、自分の左手の事などどうでもよくなっていた。
「後悔はしても、今の自分を否定するなよ……」
二人はしばらくの間見つめ合った。誰もが何かを背負って生きている。そうである以上、生きることの否定は、過去に関わった者たちをも否定することだ。結局のところ、どの世界でも人は何かにがんじがらめにされているのに違いはない。
「ユウはよ」
「うん?」
「励ますのが下手だなぁ……ハハッ」
「ふ、ふん。お互いに全裸なんだ。どっちにしろ格好なんかつくか」
テント内を押し殺した笑いが満たした。アトラスタは、彼となら少しだけ傷をなめ合うのもいいと思った。
「ハハハハハハ。あー…………ところでさ」
「あんだよ」
「胸の話は今聞いた通りわかった。じゃあ顔の傷は決闘の時に?」
アトラスタが負った傷は二ヶ所。今しがた知った胸の大きな刺し傷は原因が分かった。しかし彼女と出会って最初に勇一の目に入ったのは顔の切り傷だ。彼は図々しいと思いながらも、ついでの好奇心を満たそうと聞いてみる。
「ああこれは……ラレイだ」
「え?」
「ダンドターロルに流れ着いて最初に請け負ったのが、街の屑どもを追い出す仕事だった。そん時、物陰に隠れていたのがまだガキだった頃のラレイでさ。まぁオレも油断してたのが悪いんだが、ちっこいアイツを持ち上げた時に隠し持ってた刃物でこう……スパッとな」
格好がつかない話だ、と勇一は肩をすくめた。
アトラスタとラレイの間には、それから腐れ縁ともいえる繋がりが出来た。アトラスタは今まで通り放浪するが、なんだかんだでラレイの元へ戻ってくる。ラレイはアトラスタの土産話を楽しみに、彼女の帰ってくる場所を守り続ける。時々仕事仲間を連れて帰り、冒険譚を聞かせる彼女はどんな顔をしていたのだろうか。
夜は更け、微かに聞こえていた宴会の声もいつの間にか聞こえなくなっていた。その後アトラスタは、過去ラレイにも話した冒険譚を勇一にも聞かせる。血なまぐさい話がほとんどだったが、今の彼にはまるで子守唄のようで、そのうち襲ってきた強烈な眠気に抗えず、いつの間にか眠りに落ちてしまった。
カパル平原に吹く風は冷たく、それは一つの季節が去る合図だった。まもなくサンブリア大陸に、冬がくる。




