表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
77/175

19 ゴブリン討伐戦-3

 身体が大きく、進行が遅い。勇一はそれだけを聞いても、進んでオークと対峙することは避けた。あばらの浮き出た胴体や窪んで虚ろな目を見ても、侮ってはいけない。見た目の情報だけで判断するのは、オークとアトラスタの戦いを見ていた彼からすれば当然のことだった。


(あの細い腕の、どこからあんな力が出るんだ……!)


 オークが薙いだ腕が勇一の足下をかすめる。抉られた地面が細かい土や小石を飛ばし、尻をついて後ずさる彼の頬に当たった。左右から別のオークが迫り、体当たりするように地面を蹴った。緑色の巨体が宙を舞い、目前に赤黒い牙が現れる。並みの力では押し返すことも受け流すことも不可能だ。彼は大きく後ろに回避すると、三体の汚い巨人を目の前にして脱兎のごとく逃げ出す。体格差のある戦いで、勇一は攻撃か回避か逃走かの三択を常に迫られていた。

 彼は身体的に優れているわけではない。風のような俊足も、アトラスタのような力も持っていない。ただ同年代の他人よりも少しばかり鍛えていて、実践経験があるだけだ。そんな彼は戦いにおいて、生き残ることを第一に考えている。復讐を終えるまではなんとしても死ぬわけにはいかない。だから彼は必死に戦い、逃げ、また戦う。

 どんな戦いでもそうだが、油断は死に直結する。彼がいる場所では傭兵部隊とオークどもが混じりあい、混沌とした流れが支配していた。

 勇一はできるだけ不意打ちで、複数に注目されれば距離をとって乱戦に紛れ、そして再び視界外から襲い掛かる。そうやって確実に仕留めていった。


(俺のやり方、皆は怒るかな……)


 頭上を何かが掠めれば土にまみれて四つん這いで逃げ、自分を見ていないオークの背後から急所を貫く。そこには華やかさの欠片もない、泥と汗、血と怒号の中で飛び回る勇一がいた。

 竜人の戦い方を真似すれば、彼はあっという間に死んでしまうだろう。竜人として生きていても、彼は本来そうではない。願望と現実の乖離に、彼は後ろめたい気持ちが形を持って、常に背後から見つめられているような気がしていた。しかし今、彼にはどうすることもできないのも事実。竜人とは何かなど問答する気もないので、ただがむしゃらに剣を振るう。


「アトラスタッ! もっと周りを見ろ!!」


 彼はアトラスタの間合いから十分離れている。彼だけではない、他の傭兵たちも彼女の周囲から離れていた。


「わりいなユウ、そっちで気を付けてくれ!」


 皆が離れた理由は、その大雑把な動きにあった。

 彼女の六つある手の内、四つに武器が――二本ずつの大剣と長剣が――それぞれ握られている。

 主に二本の長剣を操り、オークどもを順調に叩き切って行く。一体を容易く撃破した直後、側面からさらに二体のオークが腕を広げてやってきた。長剣は倒したオークの骨と肉を噛み引き抜けない……にも関わらず、彼女は余裕の笑みを浮かべている。

 オークどもの一匹が飛び掛かる。アトラスタは持っていた四本の内の三本目、身の丈ほどもある大剣を片手で薙ぎ、その頭を叩き割った。ぶじゅう、と力任せに砕かれたオークの頭蓋から脳漿が飛び散る。重たい大剣を振り抜いた直後、二体目のオークが腐敗臭のする口を大きく開けた。四本目の大剣を振るには遅すぎる間合い。


「どぅりゃああ!!」


 アトラスタの気合の入った斬撃が、オークの肩から下を断った。彼女は大剣を背後まで振り抜き、反対側の空いた手でそれを受け取った。そして背後をぐるりと迂回させ、筋力にさらに遠心力を乗せた二撃目を放ったのだ。

 回転のこぎりのように身体の周囲に大剣を周回させ、片手で扱っているとは思えない速度で連続攻撃を加える。多腕の特徴を最大限に生かした剣術は、同時に援護が期待できない孤独な戦い方でもあった。


「多腕族の女がまたやったぞ!」


「相変わらず多腕の奴ら、無茶苦茶やりやがるぜ……!」


 驚異的なのは彼女の体幹だ。自分ほどもある二本の大剣を振り回しながら、身体の軸は全くぶれない。大剣が背後に回っている隙は、二本の長剣が埋める。六本の腕が機織り機のように複雑に働き、秩序だった斬撃をオークどもへ編み込んで行く。


「ユウ!」


「三匹!」


「オレぁ十四だ!!」


 重々しい風を切る音がしたかと思えば、そこらじゅうに血の雨が降り注ぐ。オークの一部がいくつも転がり、一層の腐臭が強く立ち込めた。濃い悪臭は、それだけオークどもを殺した証でもあった。


 傭兵三千に対し、オークどもはおよそ千五百。同盟軍の盾となった傭兵部隊は、かろうじてオークどもを止めた。最初こそ皆冷や汗をかいたが、事前に教えられた通り一体に対し、常に味方二人ないし三人で対処して行く。そうしてじりじりと勢力は盛り返し、やがてオークどもを押し返し……最後の一匹が動かなくなったとき、皆は勝利の歓声をあげた。


「一時はどうなるかと思ったが、まあ何とかなるもんだな。なぁ?」


「アトラスタ、ちょっと……いや凄く臭いから、よらないでくれ」


 周囲には吐き気を催す臭いが立ち込めている。しかし勝利した者たちはそんなことをを気にする風もなく、近くの同業者と健闘を称えあっていた。

 そんな彼らの様子を最前線で眺めていたのはゲイルである。彼は浮かない顔をして足元に転がる傭兵の死体に目をやった。


(この戦闘だけで、一体何人が犠牲になった)


 戦闘が始まれば、死者が出るのは当たり前の話だ。しかしゲイルは孫のいる歳になっても、死者が出る度に心を痛めた。周囲を見渡し傭兵たちの顔をざっと目に写して行く。見えている範囲でも覚えていた顔が何人かいなくなっているのがわかる。

 実際この戦闘での死者は、およそ六百人。これを彼が知るのは全てが終わった後であるが、二割というのは大きな被害だ。同盟軍の盾となるために陣形を整え、このままここに陣取るか、それともゴブリンどもを叩きに行くか……。

 過少に見積もっていたわけでは無い。事前の偵察によって大まかな数は把握していたし、出来る限りの準備はした。しかし想定よりも奴らの数が多かったのだ。


(せめて、強力な風魔法使いがいればな……)


 強力な風魔法使いは、短時間の単身飛行能力を持つ。様々な場面に応用が利く力は重宝された。「風魔法使い」とくれば、同盟に住むほとんどの者は次に英雄を思い浮かべる。


「ないものを悔やんでも、しょうがない……か」


 ゲイルはぱりぱりと頭を掻くと、大剣を地に降ろし大きく息を吐いた。――まずはひと段落――山を越えたことで考える余裕が生まれる。振り向けば、同盟軍と左翼部隊がまだ戦っているのが見えた。平原と南部山岳地帯の境目にある岩場から、ゴブリンどもが留まることなくあふれ出ている。どんどんと押し寄せる奴らに矢と火球が降り注ぎ、討ち漏らしたものを接近戦で仕留めて行く。見事な連携によって損害は少なく、兵たちの士気は高い……ゲイルは兵たちが一つの個として動くさまを見るのが好きだった。その中に、つやのある甲殻をまとい、節のある四肢をした種族が戦っているのが見える……蟲人族(セクトリア)だ。

 集団行動は蟲人族が得意とするところだ。彼らは今回の出兵の際に一糸乱れぬ動きでヴァパの大通りを行進し、人々に精気を与えた。同盟軍には様々な種族が所属しているが、獣人に次いで蟲人族が多い。ゲイルは若い頃、彼らの動きを真似しようと何度も試みたことがある。しかし彼らはお互いにつながっているように一糸乱れず……完全に真似できなかったゲイルは、嫉妬と敗北感に打ちのめされた。

 戦場を見て若い頃の記憶に想いを馳せているそんなゲイルの元に、一人の傭兵が近づいた。彼はゲイルの耳元で大声を出すと、相手の精神を戦場に引き戻した。


「大将……大・将! 櫓だ! 櫓から信号が来てますぜ!!」


 肩を叩かれたゲイルはハッとして振り返った。遠く離れた右翼の櫓から、発光信号が発せられている。

 部隊が近くにいる場合は半鐘を使うが、音が届かない場合は屑水晶による信号を使う。屑水晶は小さな一つだけなら枕元を照らすのに丁度いい光源になるが、まとめればまとめるほど強く発行する。しかし光が強くなればなるほど、屑水晶の寿命が短くなる。これを筒を倒したような容器に入れ、仕切りで光を遮ることで点滅させる。こうして離れた場所へ簡単な指示を伝えるのに利用されることもあった。


「……………………なん、だと」


「大将……あれは、何て言ってるんですかい!?」


 声をかけた傭兵に信号の意味はわからなかったが、ゲイルの表情と逆立つ全身の毛を見て、大半を悟った。

 信号はゲイルに確かに伝えた。


 ――南西。


 ――第二波。


 ――接近中。


 ――大規模。


 と。



 ***



 周囲に漂う勝利の雰囲気が一気に引き締まったことに、勇一は違和感を覚えた。次いで部隊のどこからかどよめきが起こると、彼はその原因を突き止めようと走り出した。広がった動揺の中心に行けば、原因がわかると思ったからだ。


「なぁ、これは一体なんだ? 何があったんだ?」


 ある程度進んだところで適当な傭兵に声を掛けると、相手は不安で揺れる瞳を向けた。


「そ、そそそそれがよぉ……また来てるらしいんだ。オークどもが来た方向から……さらに沢山」


 それを聞いた勇一はすぐさま戻り、アトラスタへ声を掛ける。丁度彼女も周囲の傭兵たちと情報を共有しているようだった。


「ユウ、何かわかったか」


「第二波が来てるらしい……もっと大規模の」


「それでこの空気か……こっちも死人が多い。さらに大規模ってなると……オレたちじゃあ抑えられねぇぞ」


 二千五百に満たず、疲弊した傭兵たち。そこに再びオークどもがぶつかれば、結果など火を見るよりも明らかだ。傭兵たちは金のために戦う、決して死ぬためではない。今ここで同盟軍を守るために死ねと言われたら……。


「どうするよ……金は諦めて、とんずらするか?」


「…………」


 さしものアトラスタも今回ばかりはどうしようもない。勇一も死ぬためにここにいるわけでは無い。周囲には動揺が広がり、どよめきは僅かな悲鳴を含み始めた。既に逃亡者も出ているかもしれない。

 そんな雰囲気にあって、勇一は自らの左手を見つめていた。


「おいユウ、馬鹿なことは考えるなよ」


「だけど、このままじゃみんな死ぬ」


「いいじゃねえか、命あっての物種だ。なぁ、オレは言ったよな? それは自分のためだけに使うべきだって」


「……言ってない」


「そうだったか? とにかくだ、使うにしたってオークどもはまずいだろう。こいつらが突然起き上がったら、それこそ恐慌状態になる」


「そうだ、だから……」


 そして勇一は北側を指さした。その先を見てアトラスタは息が詰まる。

 南下した討伐軍は、落とし穴に落としたゴブリンどもを渡って今ここにいるのだ。

 悲鳴がより多くなり始めた。既に武器を落とし、諦めかけている者もいる。

 アトラスタは初めて勇一に懇願した。何故そうしようと思ったのか、彼女自身にもわからなかった。


「だめだ、だめだだめだだめだ……やめてくれユウ」


「アトラスタの許しなんていらない。これは俺が、俺の意思でやることだ」


「クソが、何だよそれ……」


 見下ろすように睨みつけるアトラスタに、勇一は真っ向から睨み返した。決意の固まった瞳を見た彼女は、今まで自分が持ったことがない感情に戸惑いを覚える。これ以上彼と目を合わせられない……彼女にはそれも何故かわからなかった。

 アトラスタは勇一に背を向けると、足元に転がるオークの腕を思い切り蹴とばす。それは虚しく宙を舞い、何事もなかったかのように地面に着地した。

 南西から地を揺らすような音が響き始めた。大規模な何かが、知らせの通りこちらにやってくるのだ……最早一刻の猶予もない。


「勝手にしろ」


「……ああ」


 勇一は左手の包帯を解き、腰を下ろして目を閉じる。既に恐慌状態の傭兵もいたが、集中を始めた彼にその声は届かなかった。

 目を閉じると戦場に白いもやがかかっているのが見えた。彼は以前の事を思い出し、努めて冷静に想像する。


「前は一体だけだった、でも今度は違う。『あっぷぐれーど』されたから………………ん?」


 彼の頭に覚えのない記憶がよみがえる。


「『あっぷぐれーど』ってなんだ。なんでそんな記憶が? そう言えば全然悪夢も見ないし………………いや、駄目だ。集中しろ、そんなことを考えている場合じゃない!」


 勇一はさらに集中した。真っ暗な世界、北と思われる方向に、濃い霧がかかっている。彼はその霧に手をかざした。戦場を覆う程に大きくなった自分を想像すると、一度手をかざしただけで霧はみるみるその手に吸い込まれていった。彼の左手が痛み始める。


 星魔法が発動した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ