18 ゴブリン討伐戦-2
ヴァパの南には、カパル平原と呼ばれる土地が広がっている。東西に伸びるなだらかな平地と丘陵が入り交じったこの土地は、百年前、大陸戦争の際に決戦の地となった場所だ。苛烈な戦いは全ての勢力に等しく死を振り撒き、甚大な被害をもたらした。今でもそこかしこを掘ってみれば、散って行った戦士たちの遺品が見つかるかもしれない。もっとも、百年の間に死体漁りがほとんど取り尽くしてしまっているだろうが。
「…………」
ゴブリン討伐に参加した勇一は、並び立つ傭兵たちの間からこの平原を見渡す。彼はこれから始まる激しい戦いへの覚悟を、ゆっくりと身体に慣らしていた。そしてこの討伐戦に、並々ならぬ想いで挑んでいる。
アトラスタがこの仕事を持ってきたとき、彼は冒険譚の序盤にあるような簡単な仕事だと思っていた。実際ゴブリンはその数こそが最も恐ろしいのであって、単体ではさほど驚異ではない。しかし彼女は二人でやる仕事ではないことを説明し、さらには勇一に縁のある仕事だと言い出した。
「ユウ、そろそろ始まるぞ」
「……ああ」
その理由を聞いたとき、彼はなんとしてもこの仕事をやりとげねばと意気込んだ。俯き、握りしめた手を見る……わずかに震えているのは、武者震いだ。
ふと振り向くと、平坦な土地に無数の粗末なテントが建っている。討伐戦に参加した傭兵や有志たちの野営地だ。いくつもの焚き火に群がる、みすぼらしい布を羽織った者たち。その下には己の命を守る鎧をまとい、来る号令を待っている。冷たい風が吹き枯れ葉が舞うと、火を囲う人影は膝を抱え、または毛皮を膨らませ、これから来るであろう寒さに備えた。
そんな灰色の光景の中に、一際目立つ者がいた。つやのある鎧をまとい、仰々しい大剣を背負った毛むくじゃらの獣人。身に付けている装飾品の量から、それなりの地位にいる人物だろうかと遠くから見た勇一は腕を組んだ。
「皆、今回のゴブリン討伐戦への参加、感謝する。私は君たちの指揮をとる、ゲイル・ドゥガである!」
木箱の上から厳つい表情で声をあげる指揮官ゲイルが、大袈裟な身ぶりで檄を飛ばす。獣人の顔だけを見ても、勇一は彼の年齢がわからなかった。声からは中年以上の男性であるように聞こえたが、白い毛並みの細面はむしろ女性的な印象を受けた。
「アトラスタ。あの人の歳、わかる?」
「あん? 獣人はみんな似たり寄ったりで、種族によって背も違うからな……まぁ、わからん」
アトラスタの背には、ヴァパの金庫から引き出した武器があった。彼女の背丈ほどもある大剣が二振り、物々しい雰囲気を放っている。
先日鷹の獣人と戦った際、男は勇一の年齢がわからないと言っていたことが彼の頭に浮かんだ。結局相手のことがわからないのはお互い様だ。何気無い価値観の相違に、勇一は少しだけ面白いと思った。
ゲイルの話しはまだ続いている。
「……調べでは、奴らは南端の山岳地帯から発生した。そして偵察の結果、既に亀裂は消えていることがわかった」
「……」
勇一はギリ、と拳を握りしめた。彼がこの仕事を進んで受けようと思った理由である。
南端の亀裂……その真下に竜人の村があったのだ。あの時はあらゆるものを喪いつつも命からがら逃げおおせたが、その後にあそこがどうなったかを知らなかった。仕事の内容を聞き、そこではじめて亀裂から出現したゴブリンどもの規模を知ったのである。
山岳地帯の一部を奴らが完全に埋め尽くすという未曾有の規模への対処は、同盟ですら初めてのことだった。それだけの数がいるならば、ゴブリンだけでなくコボルトやオークもいるのは確実。相手のほとんどが力で劣るゴブリンでも、数で劣る同盟軍が正面から挑むのは下策……そう判断した軍は、ゴブリンどもの集団を少しずつ切り離しては殲滅を繰り返す作戦を行った。
それを繰り返すこと数日。作戦は成功し、勇一らが参加した時にはこの討伐戦は最終段階にあった。迎え撃つばかりだった同盟軍が、十分に数を減らしたゴブリンどもに攻撃を行うのである。
「奴らを焼いた炎は既に消え、穴は奴らの死体で埋め尽くされた。しかし、まだ汚らわしい汚物どもは残っている!」
ゲイルが拳を振り上げ訴える。多くの罠を使っても、ゴブリンはそれなりの数が残っていた。平原の向こうに見える山々との境目に、残りの全てが蠢いている。
同盟軍の疲労は溜まってはいるものの、人的損害は極めて軽微だった。小さな損害は、彼らの士気を維持するのに一役買っている。「これも軍と、それに協力してくれる者たちのお陰だ。感謝する」とゲイルは頭を下げ締め括った。
「ではこれより、ゴブリン討伐作戦最終段階に移る! 動きは掲示されてるものを見た通りだ。こちらは同盟軍を右翼で守る! 進め!」
そして遂に、残りの汚物どもを殲滅するべく同盟軍と傭兵部隊は進軍を開始した。目指すはカパル平原の南。勇一もアトラスタと共に周囲と歩を合わせ、腐臭満ちる戦場に向かった。
***
戦場には勇一が思っていたほどの緊張感は無かった。剣を振るう音と雄叫びが遠くから聞こえてくるので、確かに戦闘は存在していたが、勇一とアトラスタの二人が配置された右翼側は驚くほど静かだった。
中央と左翼側にゴブリンどもが集中し、自分たちの方にはいくら待っても来ない。しかし隊列を崩すわけにもいかず、彼は遠くで豆粒ほどの影同士がぶつかる様をぼんやりと眺めていた。
それぞれの部隊のすぐ後ろには、簡素な物見やぐらが立てられている。一本の長い丸太の様な櫓は、先端に目の良い見張りが張り付き、戦場の様子を逐一指揮官へ送っていた。
「なあこれ、俺らは運がいいのか?」
「正直拍子抜けだな……」
周囲の傭兵たちは気が緩み、近くの同業者と雑談を始めたり、中には酒を飲み始める者もいる始末。参加するだけでそれなりの金が貰えることもあり、楽観的な雰囲気が勇一とアトラスタの周囲に漂っていた。
「アトラスタ、どうした?」
ふと視線を感じ、勇一はアトラスタの方を見た。黒い眼球に夕焼け色の瞳と目が合う。彼女はじっと勇一を見つめ、形のよい顎を撫でた。
「ん……お前もいい男になったな、って思ってよ」
「はぁ? なんだよ急に」
自分を見つめる目線がいつの間にか変化していたことに、彼は気づいていない。肩にまわされた腕に容赦なく身体を引き寄せられ、勇一はアトラスタの胸当てに頬をぶつけた。
「これが終われば支払いは十分だろう。そうしたらお前はまた、復讐の旅を再開するんだよな?」
「……ああ」
「そうか…………そうだよな」
押し付けられた胸当ては、彼女の高い体温で暖まっていた。もうすぐこの旅は終わる。彼は正直なところ、腕輪を担保にどんな無理難題を押し付けられるのだろうかと覚悟していた。……実際に金銭と関係ないところで無茶苦茶なことはあったが、結果的に彼自身が無駄ではなかったと確信をもって言える。
「さみしくなるなぁ。なんだかんだ楽しかったしよ」
「俺は死にかけたんだけどな」
でも……と言いかけて彼は口をつぐんだ。お互いの感じ方は違えど、勇一は彼女との旅を「楽しかった」以外に表現できなかった。
(楽しかった……そう、楽しかったんだ)
彼女との旅の始まりは、ろくでもないものであったことは確実だ。しかし勇一は、結果的に自分は成長した……と思っている。経験は早く、多いほど良い。いつの間にかお互いの間に、糸の様な信頼関係があった。それは断とうとすれば容易く断たれるだろう……しかしそこには確実にある。
「あのさ、俺…………アトラスタ?」
短く感謝を伝えようと彼女を見上げた勇一は、周囲の異様な雰囲気に気が付いた。アトラスタも例外ではなく、彼女の鋭い視線は傭兵部隊の右前方にある小高い丘に向けられていた。
カン! カン! カン! カン!
やぐらから突如半鐘が鳴り響いた。これは危機が迫っている合図である。見張りが何かを発見したのだ。
一気にひりつくような空気が部隊を包んだ。勇一はただ事ではない気配を感じつつ、腰のマナンに手をかける。部隊の指揮を執るゲイルもまた、鋭い鼻先をひくひくと動かし丘の方に頭を向けた。
丘の先に何かがいる。蠢く気配、飢餓の狂気、悪臭。右翼傭兵部隊は皆、すでに武器を抜いていた。正規の軍人ではない彼らは、身に付けている武具も様々だ。槍、剣、中には槌……思い思いの得物を握りしめ、およそ三千の視線は件の丘へ向けられている。物見やぐらの見張りがまた信号を発した……その直後、それらは現れた。
「……何だ、あれは」
ゲイルは驚愕の声を押さえられなかった。亀裂から現れる汚れた者たちは、そのほとんどをゴブリン、二割ほどがコボルトが占めることが知られている。奴らは大人の腰ほどの背丈しかないので、武器を振り下ろすには調度よい。しかし丘の向こうから現れ、彼らに向かうのはそんな小柄な影ではなかった。
ゴブリンやコボルトよりもはるかに大きく、歪に曲がった大牙をむき出しにした……オーク。一匹や二匹ではない。稜線からあふれかえるように現れた奴らが、一直線に中央の同盟軍を目指し始めたのである。
「射手!」
「あいよ大将! ありったけ叩き込んでやれ!」
事前に振り分けられていた役割と装備により、それぞれの部隊には十分な数の射手がいた。右翼部隊は大きな的へ狙いをつけ、一斉に放つ!
空を埋め尽くさんと大量の矢が降り注ぎ、遠隔へ反撃する術のないオークどもへ一方的な攻撃が叩き込まれる。
……しかしオークは止まらなかった。ゴブリンであれば一矢で一匹は止められよう。しかし分厚い皮をもつオークには十本当たっても効果が薄いように見えた。さらに奴らには恐怖を感じる心がない。何度射られても止まらない……ゴブリンよりも進みは遅いが、壁が迫ってくるという圧迫感が傭兵隊を襲った。
「こんな数は見たことがない……接近戦! 我々が止めねば、中央になだれ込まれるぞ!!」
中央の同盟軍は左翼と共に、未だゴブリンどもと戦っている。その側面から、本来ならばごく少数でしか見ないはずのオークが大量になだれ込めばどうなるか。ゲイルは中央部隊とオークどもの間に割って入ることを決断した。
周囲から一斉に雄叫びが上がる。各々が抜いた武器を掲げ、地面を踏み鳴らして己を高めている。勇一の前にいる者など、懐から小さな袋を取り出し思い切り吸い始めた。
「いこう、アトラスタ!」
「おう! たっぷりぶっ殺しゃあ、その分がっぽりだ!」
彼女の手には長剣と大剣が二本ずつ。その大胆な様相に勇一はにやりとすると、他に先を越されないよう走り出した。




