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15 慈悲-1

 ヴァパの巨大水車から離れた場所には、大きな城が建っている。

 それは正しく、同盟を三つに割る勢力の境界線が交わる場所にあった。石造りのそれは高くそびえ、一番高い塔からはヴァパが一望できた。本来であればそれぞれの長がここに集い、同盟の行く先を占う重要な会議などが行われるのだが……同盟を統べる三人の長はヴァパ内のそれぞれの邸宅に引きこもり、ほとんど外出することは無い。余程のことがなければ使われないこの城は、最低限使用されるであろう通路や部屋以外は掃除もされず埃が積もっていた。

 三勢力が一つ……有角族をまとめるダラン・ウェイキンは、邸宅の書斎にこもっていた。加齢によって口角は下がり、常に不機嫌そうな表情を携えた彼は机の前で微動だにしない。枝毛の目立つ真っ白な長髪を耳に掛け、重いまぶたを額の皮ごと引っ張りながら、開かれた本に目線を落としている。

 昼も夜もないヴァパでも比較的静かなここは、本を読みながら考え事をするのに向き、ダランもここで過ごすことが多かった。

 空が白み始め、冷たい空気が書斎に吹き込む。ろうそくの炎がゆれ、本がパラパラとめくられると、ダランは視線を開け放たれた窓に移した。


「……来られましたな」


 しわがれた声が迎えたのは、一人の人物であった。暗い空に紛れる黒いローブで身を包み、深く被ったフードの下で黄金の瞳がきらめいている。

 自分に向かって歩を進めるその人物を、ダランは臆することもなく見つめている。やがて机を挟んで対峙すると、その者はフードを取り払った。


「お久しゅうございますな。アイリーン様」


「ダラン様も、お元気そうで」


 現れたのはアイリーンであった。腰にかかる銀髪をなびかせた彼女は挨拶もそこそこに机に手をつき、待ちきれないと言った様子で切り出した。


「以前書簡で送った通りです……賊には指揮者がいるのは確実。問題は……」


「どこにいったか、ですな」


 無言で頷くアイリーン。その表情は固く、無表情の中に焦りが見え隠れしている。言葉にも若干圧がかかり、一刻も速く事態を進めたいようだ。


「まずは、謝罪を……調査が遅れたこと、申し訳ありません。我々の力も、以前ほどはありません……他の勢力に勘づかれずに調査を進めるためには、時間をかけるしかなかったのです」


「……胸中、お察しします」


「ありがとう……。そちらの情報をもとに、目星をつけておりますよ」


 ダランは大きく息を吐いた。目頭を押さえ、これから来るであろう事件を考えて大きく気分が落ち込んでいる様子。

 もう一度苦しそうに深呼吸をしてアイリーンを見た。彼女も口を結び、相手の言葉を待っている。


「我々はヴィヴァルニアと事を構えるのは利口ではないと考えております。ですが今回の件、誠に勝手ながら、秘密裏に処理したい…………呪文書(スクロール)略奪の件、広く知られるわけにはいかんのです」


「私も同盟とは良き仲でいたい……私一人に出来ることなどたかが知れているかもしれないが……少なくとも、これを父上に知られるのはまずい」


「工作はうまく?」


「納品書を改竄して、マイファーニ家の一角を爆破しました。粗末なものですが、少しでも時間を稼いでいます」


 二人は同時に頷いた。ダランは本を閉じ、引き出しから地図を取り出した。揺れる炎を携えた燭台を掲げ手元を照らす。照明には本来、屑水晶を使う事が多い。いちいち火をつける必要もなく、光が不要なときは覆いを被せておけばよい。街灯から枕元の照明まで、光が必要なありとあらゆる場所に屑水晶は使われている。


「ダラン様は、ろうそく派ですか」


「ははは……どうも私は、屑水晶の無機質な光に慣れんでの。こうして揺らめく火を見ている方が安心するのです」


 魔力に反応して光る水晶の明かりが、暖かみが感じられないと好まない者も多い。ダランもその一人だった。


「さて、貴重な荷物です……目立たず移送するには慎重を期すでしょう。今のところ、怪しい荷が通ったとの報告は上がっておりません。となると、ほとぼりが冷めるまでどこかに隠しているのだと思われます」


 節くれだった指が襲撃のあった地点を、次に同盟のとある町を指した。


「隠すとしたら、ダンドターロルでしょう。ここは町のほとんどが地下にありますし、襲撃地点に近い。今も拡張を続けていますから、工事のどさくさに紛れておいてあると見ています」


 アイリーンの眼が光った。サウワンからエンゲラズへの道中、賊に襲撃され多くの荷物が奪われた。中でも最も重要な荷物が、マイファーニ家から出発した大量の呪文書(スクロール)だったのだ。他の馬車は燃やされたり、荷物の一部分だけを奪うといういい加減さだったが、この呪文書(スクロール)を乗せた馬車だけが無傷で奪われている。彼女はこの襲撃を、明らかに何者かの思惑によるものだと踏んだのだ。


「我々も手駒を集めております。数日中には……」


「ありがとうございます、ダラン様。私は一足先に」


「お、お待ちなさい」


 ダランが立ち上がり、即座に立ち去ろうとするアイリーンを引き留めた。彼女は不服そうに振り返ったが、その口がなにか言う前にダランの言葉が遮る。


「今一度、ご自分の立場をお考えなさいませ……この件には感謝しておりますが、本来貴女様は……」


「わかって、おります」


 今度はアイリーンがダランの言葉を遮った。彼女は本来この場にいるような人物ではない。しかし本人の強い気持ちが、各地を飛び回る原動力となっている。


「私は……憶病な人間です。こうしている時も、恐ろしさで震えが止まらない。

 ……………………血を見るのが、嫌なのです」


 彼女は賊の腕を切り落とした時のことを思い出す。その手に浴びた血の生暖かさに叫びたくなった彼女は、その嫌悪感を賊に叩きつけていくことでどうにか抑えた。

 しかしその行動は、冷静さが失われていた。最初に少女の側にいた賊を排除しなければならなかったのに、彼女はそれが頭から抜け落ちていたのである。

 結界、少女は人質に取られた。それでもアイリーンにしてみれば、少女を救うのは出来なくはない。しかし賊の足下に広がる血の海がその行動を阻んだ。賊どもに肌を見られた方がましだと思う程に、彼女は血に触れることを嫌っていた。


「でも、私には何かが出来る。出来なければならない。そう思うと……いてもたっても、いられない。

 ……皆様と合流するまで、手は出しません」


 アイリーンは一礼し、入ってきた窓に向かった。枠に足をかけないよう飛び越えると、あっという間に彼方へと飛び立ってしまった。


「どうか御無事で、アイリーン・ハウィッツァー様…………」



 ***



 ヴァパは寝静まることがない。

 多様な種族が入り乱れるこの街では、自分と同じ種族を三人集めるのも難しい。そして種族が違えば活動時間も違うので、例えば商店であれば、昼は昼行性の種族が、日が沈めば夜行性の種族が交代で店番をするのが通常だった。

 故に繁華街ともなると店という店は常に客が出入りしている状態。シンボルである巨大水車の音と相まって、そこは耳鳴りがするほどの喧噪だった。店を一旦閉めるという事が無いので、必然的に商品の仕入れやその日の売り上げ計算はかなり大雑把なものとなる。昨日ここで売っていた物が後日全く別の店で売っていたり、給料は硬貨の入った袋から店主が手掴みで取った量になったりと言う例も少なくない。それでもある程度人々が生活できるのは、他者は自分と違う事が当たり前であるという意識があるからに他ならなかった。

 自分と違うから「これでは食費に足りないだろう」「衣服には金がかかるだろう」「家族が多いだろう」と言った考えを人々は無意識に持ち、意識しなくとも相手を気遣う風習がおよそ百年の間で出来上がっていた。


「ヒュドラの毒、ねぇ……」


「まるで自分じゃないような気分だった。なんか今も、身体が軽くて……」


 明け方が近づいた繁華街の酒場。ヴァパの商店は時間で客の出入りに差はあれど、基本的に閉まることはない。勇一とアトラスタの二人は娼婦たちとのひとときを終え、通りを挟んだ酒場で食事をとっていた。肘をつくたびにガタガタ揺れる机には湯気をたてる料理が並び、食事と会話を同時進行で行っている。


「さすがのオレも、ヒュドラは抱いたことがねぇな」


「他はあるんだ?」


「まあな。けどよ、これでお前は本当に男になったわけだ」


「…………」


「死に値するものを殺し、女を抱き……大抵の男じゃ出来ねぇ経験をしたってことは、まぁ自信になるな」


「子どもみたいだな……」


 しかし、本人の心持ちを変化させたのは本当のことだ。事実二人が合流する際、アトラスタは雰囲気の変わった彼を見つけられなかった。それを思い出した彼女は、自らがきっかけで相手が変化したという事実に口角を上げる。そのせいで、唇の裂け目から液が滴った。


「それで、ヴァパに来たのは仕事を探すためだったんだろ? あったのか?」


「お、おう、そうだな。実はもう見つけたんだ。お前の支払いを一気に終わらせ、オレも儲けられる仕事がな」


 勇一はそんなうまい話があるのだろうかと訝しんだが、自分にそんな仕事を見つけられるかと言われたら、答えは否だ。彼は話だけは聞いてみようと、上半身を少しだけ傾けた。


「そうだ、いいぞ。いいかよく聞け……」


 ――なんだぁ? 女の多腕と竜人もどきが一緒に居やがるぜ。ゲテモノどうしがつるんで、何話してんだろうなぁおい?


 ――はっ、大方ネズミみたいな仕事に決まってらぁ。そうでなきゃ物乞いの準備だろうよ。


 話を遮る不快な声。二人は目を合わせ、周囲を見渡した。喧噪の中ではっきり聞こえる声、勇一は経験から察した……これは風魔法であると。

 多くの客でごった返す酒場の中から、まっすぐな視線が二人に刺さる。


「アトラスタ、アイツらだ」


 いち早くそれに気づいた勇一がアトラスタに告げると、二人は声の主たちに悟られぬよう目線だけを向けた。鋭いくちばしを持った白頭鷲の獣人が、下種な目線を送っている。もう一人は背を向けて顔が見えないが、黒い体毛にピンと立った耳が見えた。


「よく見つけたな。で、どうする?」


「……みてろ」


 勇一は並ぶ食事の一角を平らげると、おもむろに立ち上がった。ゆっくりと、わざと床に足を叩きつけるようにして声の主に接近する。彼は黒毛の男の背後に立つと、わずかに胸を逸らしてくちばしの男を見下ろし口を開いた。


「よぉ」


「なんだ。俺たちに用があるようには見えないな。おしゃべりな口を開く前に失せろ」


「そういうなよ。肉、肉、肉、酒…………いいものを食ってるな」


 勇一は丸い机の縁に沿って、またゆっくりと移動する。あえて余裕を見せつけ、しかし隙を見せないようにくちばしの男の背後に移動した。そこからは黒毛の顔がはっきりと見える。狼の顔をした毛深い男だった。男たちは勇一が手を出さないとたかをくくっているのか、あるいはそうなっても問題ないと思っているのか、顔を見合わせてニヤニヤ顔を崩さない。


「だろう? お前らはその顎で肉を食えるのか?」


「無理だな。こいつらじゃあ精々骨をしゃぶるので精一杯さ」


「ハハハ!!」


 勇一は鷲の男の側にあった、大きなジョッキに手を付けた。


「はは! そうかもな…………なぁ、一つおごらせてくれよ。あんたらのこれからにさ」


「失せろ」


 男は顔色一つ変えず、視線すら勇一に向けない。しかし先ほどまでとはまるで別人の様な低い声で、優しく忠告するように言い放った。


「三度目は無いぞ、偽物(ニセモン)ども。なぁ、テメェらが道を歩くだけで俺たちが不快なんだ。だから人助けだと思って、表に……うおわっ!!」


 言葉は中断された。勇一の手に握られたジョッキが男の頭上で下を向いたのだ。半分以上残っていた酒が鷲頭(わしあたま)の羽を濡らす。思わず悲鳴を上げた男だったが、自分に何が起こったか理解すると途端に頭に血が上り始めた。狼の男は驚愕の表情で、男と勇一を交互に見やった。


「遠慮するな。もしかしたら、お前らが食える最後の食事かもしれないんだからな。旨いだろう? 下種には似合いの酒だ……おかわりは?」


「…………」


 鷲の男に食いしばる歯があったなら、間違いなく砕けていただろう。羽毛に包まれた拳をわなわなと震わせ、ひりついた空気をまといゆっくりと立ち上がった。

 身長はアトラスタと同じくらいだろうか。腕が六本あるだけ彼女の方が怖いな……不思議と勇一は落ち着き払い、男の行動をつぶさに観察する余裕すらあった。周囲の客たちは一瞬にして静まり返った。近くにいた者など、勇一がジョッキを持ち上げた時点で避難していた。鷲の男が勇一に対峙する。血走った眼で睨みつけ、くちばしを開いた。


「小せぇな。有角族の歳は外見じゃわからねぇんだ、ガキか?」


「お前の悲鳴、雌の雛みたいに可愛かったぞ。夜もあんな風に鳴くのか?」


「テメェ!!」


 男が拳を振り上げる。様子を見ていたアトラスタが、興奮のあまり駆け出した。狼の男も、ここでようやく立ち上がった。

 ごった返す酒場の中で、戦い(ケンカ)の火蓋が切られた。

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