12 ヴァパ
あら、久しぶりね。
ここに来たのは……何年ぶりくらいかしら? え、そんなに経ってない?
人の時間の感覚はわからないわね。
ああ、「星」は今いないわ。全く、どこにいってるんだか。
…………。
聞きたいことがある? アンタ運がいいわね。私は今機嫌がいいの。
でも面倒だから、一つにしなさいな。沢山なんて欲張りが過ぎるわ。
ほらなんでも一つ、言ってごらんなさい。
……………………。
ふうん。「操る相手が一体じゃ少なすぎる」って?
……。
それなら心配ない。前も行ったけど、アンタの魂は「こっちに近づいてきている」から。すぐにアンタの思い通りになるわ。
まあ、あまり好ましい事ではないんだけど……何でもないわ。
えぇーっと、アンタの世界での言葉で言えば……あっぷぐれーど、と言うやつね。
………………。
え? 当たり前じゃない。
力が大きくなれば、代償もそれだけ増えるわ。
才能がどうこうという話じゃない。これは理。
さあ、用が済んだからもう行きなさい。長く居すぎれば、ここに囚われてしまう。
……それとも、業火に追いかけ回されたい?
……。
行ったかしら?
……精々死なないでね。私たちの、希望。
***
カパル平原を北東に抜けた先。地形の隆起によってできた巨大な崖に張り付くように、その都市は存在していた。
崖を割るように流れ落ちる滝は、文字通り雲の上から始まり地上を穿つ。当たればただでは済まないその水量に耐える、巨大な水車が回る光景。それはこの都市にいればどこからでも目にすることができ、ここに住む者たちは、その音を子守唄がわりにして育ってきた。
「ここが……ヴァパ…………」
「いつ見てもデカいな。ここが『黄金同盟中央都市ヴァパ』、そして……」
一日歩き詰めた二人は、日が地平線に隠れる直前にヴァパへ到着した。
通りに並ぶ建造物たちは大小様々な上に、外見も実に個性的だ。勇一が見上げるほど大きな扉があるかと思えば、屋根が腰辺りまでの高さしかないものもある。それは彼に、大陸で最も多種多様な種族が入り乱れる都市にいることを実感させた。
大陸北部の黒い土にこれでもかと敷き詰められた石。その上を一日に何千という住人たちが行き来するので、滑らかにすり減った石畳は少しの光も反射する。夜になっても足元を見失わないこの道は影をはっきりと浮かばせる効果もあるので、不意に近づく人物を警戒できた。そして種族間にありがちないざこざを解決するための巡回兵も多い。故に大陸で最も人口が多い街であるにもかかわらず、軽犯罪が少ないのがヴァパの特徴の一つだった。
「……そして?」
「またの名を『暫定首都』ともいう」
暫定……妙な名前があるものだと勇一は首を捻った。
「暫定、なんて……他にここ以上の都市があるのか?」
「ははは、それはな……」
かつての大陸戦争が終結した直後、同盟は大きく三つに割れた。元々親しく付き合うような義理もなかった彼らは、例え共にホラクトを撃退したという実績があっても、依然排他的な質は無くならなかったのだ。
戦後すぐにブラキアの国「ヴィヴァルニア」が興されたとき、同盟の中にはすぐに彼らを攻め滅ぼすべきと主張する声が上がった。独断で兵を派遣し、あわや衝突となったことも一度や二度ではない。しかし大陸戦争以後の争いを否とする勢力が苦心して抑え込んだ結果、ヴィヴァルニアとは良好とはいかないまでもそれなりの関係を築くまでに至ったのである。
全ては丸く収まら無かったが、以降同盟は互いに結びつきを強化しようという事で話が付いた。一つの国のように動くことで種族全体を守ろうとしたのだ。そして意思統一のために集権が必要で、ついては最初に首都の機能を持つ都市を決めようという話が持ち上がった。
当然三つの勢力は割れた。どこも我らが領土に首都をと主張したのだ。長い間決着を見なかったこの問題は、下らない話に時間を割くわけにいくまいとした者たちによってある案が出された事で決着する。互いの領土が丁度接した地点に町をつくり、とりあえずの首都とすること……というものである。戦争、領土、首都と続けざまに問題にぶつかってきた三勢力は、これ幸いと「とりあえず」同意した。
「黄金同盟中央都市ヴァパ」が出来て数十年。この都市は未だ正式に首都とされていない。やがて同盟の間で「暫定首都」という別名が生まれると、瞬く間にこの不名誉な名が定着した。これが、ヴァパが「暫定首都」と呼ばれる所以である。
要するに、同盟は一枚岩ではないのだ。
「……と、そう言うわけだ」
「……」
どこが首都でも必ず反感が生まれるのなら、いっそヴァパが首都でもいいだろうに……。勇一が呆れた感情を出すと、アトラスタは狙い通りの反応を引き出せた満足感ににやけた。目の前で人々が生み出す活気はそんな事情とは無関係で、立ち上る熱気が渦巻き、実際に見えたような気がして勇一は呆ける。
(サウワンと比べても遜色の無い賑わい。違うのは姿形だけ……みんな同じなんだ、みんな)
「なぁに気取ってんだよ。さっさとこれを被れ」
アトラスタから不意に投げ渡されたそれは、咄嗟に出された勇一の指に引っ掛かった。手の中には広めの鉢金に二本の角があしらわれている鉢巻があった。
「……なんだこれ」
「ヴァパじゃブラキアは歓迎されねぇ。せめてそれをつけて、有角族になりきるんだな」
勇一が改めて周囲に目線をやると、街行く人々の何人かは彼の事をすれ違いざまに見ていることに気が付いた。寄せられる複数の目線は好奇心や不審が入り混じっていたが、一つ言えるのは好意的はものは一つもないという事だ。ここではブラキアと言うだけで目立つのだろうと理解した彼は即座に鉢巻を巻く。額にぴったりと角が合うように調整し、襟を立ててフードを被った。
(そういえばガルクも、最初はブラキアを嫌ってたっけ)
何故ブラキア以外からブラキアは嫌われているのか……当然理由は勇一の知るところではないが、彼はあえてそこを知ろうとはしなかった。アトラスタの言から、自分一人が解決できる理由ではないだろうと思ったからだ。ならば取れる行動は、開き直るか、隠れるか。
「…………」
「よく似合ってるぞ。さて…………」
「うわっ!」
アトラスタは勇一の手を取り歩き出した。ごつごつとした硬い掌に包まれ、更に信じられない強さで引かれたことで、彼は勢いよくつんのめってしまう。彼の状態を知ってか知らずか、アトラスタは振り返ることなく人ごみをかき分けていく。
屋外であるにもかかわらず、狭い部屋に押し込められたような密度で蠢く大小様々な住人たち。押し出された力がどこに行くのかと言えば、空間がある場所だ。アトラスタが押し出した者は他の者を押し出し……やがて通りに並ぶ店舗の商品を見ていた住人が、頭から勢いよく商品棚に突っ込んだ。何かが割れたり棚が落ちる音は全て喧噪にかき消された。
「アトラスタ……ッ! どこに⁉」
「こういう街で夜に行くったら、決まってるだろう? お前が男になった記念に、連れてってやるよ。なぁに心配はいらねぇ、おごってやるからさ」
引かれる腕が悲鳴を上げはじめたが、なおも彼女は止まらなかった。勇一を連れていく以上に自分が楽しみな様子で、待ちきれない子どもの様な顔で通りのある一点から目を離さない。
遂に勇一が転倒した。しかし彼女にとって人一人分の体重など取るに足らないものだった。振り返りもせず、それどころか足はますます速く地面を蹴る。ひしめき合う住人たちを弾き飛ばしながら、夜のヴァパで最も金が動く通りへと飛び込んでいった。
***
「これはアトラスタ様。お久しぶりですわ」
通りの一角、重々しい城壁のような通路を過ぎ、アトラスタよりも高い扉をくぐった先にそこはあった。紫色の火を灯すロウソクが辺りを儚く照らし、強烈な甘い香りが二人にまとわりつく。
勇一はアトラスタに引きずられながら通る景色を見て、そこが繁華街のさらに奥であるとたちまち理解した。城門前で酒を飲みながら歩いていた住人と、明らかに身に付けているものが違う。店のような建物の前で立つ彼――若しくは彼女――らは道行く人々に声を掛け、あるいは腕に抱きついて客引きを行っている。
眼が一つだったり、下半身が馬のようだったりと目に入る人々の形状は実に様々で、視界から入る情報の多さに勇一は頭痛を覚えるのだった。
「おう、随分と儲かってるみたいだな」
「うふふ、お陰さまで……そちらは?」
小さな城の形をした店の扉をくぐり、二人が入った先には受付の女が机越しに立っていた。気だるそうに肘を立てて机に寄りかかり、はだけた大きな胸を押し潰している。女は煙草を一度吸うと、アトラスタとの挨拶もそこそこに彼女の足下に目をやった。下にはぼろきれのように土埃にまみれた勇一がぐったりとしている。
「アトラスタ、せめて前みたいに持つとか……いてて」
文句を言いつつ、身体中の埃を叩き落としながら勇一は立ち上がった。頭をあげた彼の目に入ってきたのは、薄暗い室内でランプの灯りに浮かび上がった女。肩や胸を大きくはだけさせた衣装は扇情的で、見るものの視線を見事に誘導するように作られている。毒々しい紫色をした唇は、場所の雰囲気も相まって女をさらに妖しく魅せていた。
勇一はつい見がちな谷間から意識的に目線を外しつつ、常に視界にそこを入れたまま名乗った。
「ユウ・フォーナー……です」
「ふふ、正直者は嫌いじゃないわ……かわいいわね」
「かわいいだぁ? こいつはもう成人だ。見ろ、これは竜人に認められた印がある」
「へえ、竜人に。それ本当?」
意外、と言った表情でまじまじと勇一の頬に印されたドラゴンを見る女。机越しでもわかるきつい香水の香りが鼻を貫くと、彼は顔をしかめそうになるのを必死でこらえた。
また一度、女が煙草をふかす。気だるげな表情に戻った女は、アトラスタへと目線を移し羽ペンを持った。
ここは明らかに普通の店ではない……勇一は初めて経験する雰囲気に警戒を強めるが、同時に、言い様の無い興奮を感じ始めた。なぜ自分が興奮しているのかわからないので、警戒と同じくらい戸惑いの感情も膨らんで行く。
「ま、どうでもいいわ。それで、彼を紹介しに来た訳じゃないのでしょう? 三人で?」
「久しぶりだからな。オレとコイツは分けてくれ。オレには一番良い部屋を頼む」
「それじゃあ、彼には適当に?」
会話の内容が理解できない勇一を差し置いて二人の会話は進む。女の「適当」と言う言葉に反応して、アトラスタは素早く腰の皮袋に手を突っ込んだ。
「いや、今回の主役はこいつだ。こいつに例の娘をあてがってくれ」
「あら、いいの?」
「かまいやしねぇ。とびきり良い思いをさせてやってくれ」
突っ込んだ手が抜かれ、女の手のひらに開かれる。ちゃり、と勇一が見たこともない色をした、小さな平たい長方形が積まれて行く。
アトラスタは何を言ってるんだろう。例の娘って何のことだ……彼の戸惑いは益々加速するばかりだ。にやつくアトラスタと、横目で彼を見つめる女に警戒心は募る一方だったが、同時に「とびきり良い思い」とやらに興味を引かれたのも事実だった。
「ふふ、それじゃあ。あなたは誰を?」
「マリアは」
「あら、運がいいわね。丁度空いたところよ」
女は自らの胸元に手をいれた。白く細い指が白磁のような谷間をまさぐり、取り出されたのは一枚の紙切れ。アトラスタはそれを受けとると、かわりに身に付けていた武器を女に手渡した。
女は次に勇一へ豊満な身体を向け、白い両手を出した。
「ここでは、あなたの身体だけが武器なのよ。さあ、剣をお預かり致しますわ」
勇一は甘い香りにくらくらする頭を押さえ、アトラスタの真似をする。羽のように軽いマナンだが、女の手に渡ると彼は自分の身体の一部が無くなったように感じた。
女は再び胸元に手をいれ、同じように紙切れを手渡す。受け取った勇一の手を包み込むように女が指を被せると、すべすべとした感触が彼の心臓を高鳴らせた。
「よっし、ユウ。終わったら向かいにある酒場で待ってろ」
「終わったらって……まだなにも聞いてないんだけど」
「意地悪ねぇ」
「ははは、こう言うのは何もわからない方が良いのさ」
女の後ろから誰かが現れた。それは一言も発することなく、アトラスタに奥へ行くよう丁寧に促す。彼女がその先にある扉の前で立つと、大きく軋みをあげてゆっくりと開き始めた。
「………………!」
扉の軋みは勇一のいる空間を埋め尽くすように響いたが、彼の耳は扉の向こうから聞こえてくる音を捉えていた。
男の唸るような声。
未熟な哄笑。
淫らな水音。
嬌声。
「ユウ!」
アトラスタが踏み出すと扉がすぐに閉まり始めた。急に不安に駆られた勇一は彼女を追いかけたかったが、足の裏が床に張り付いたように動かなかった。
「男になってこいよ!」
励ますアトラスタの表情は、残された彼の顔を裏返したように晴れやかだった。




