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10 力の使い方-3

「オラァ!!」


 稲妻のように落とされた棍棒が、振り向いたゴブリンの脳天に叩き込まれる。直後その頭に詰まっていた血肉が、叩きつけられた水風船のように弾け飛んだ。腐臭をまとって散乱するそれらを気にする風もなく、棍棒を一度だけしならせ付着した肉片を飛ばす。同族が砕け散った音に反応し、頭を向ける周囲のゴブリンどもが一拍おいて一斉に飛びかかった。


「ははっ、数がわかってりゃあ怖くねぇぜ!」


 アトラスタからすれば、股下程度の大きさのゴブリンどもが向かってきても恐怖など感じない。だがそれは向こうも同じようで、奴らは戸惑いすら見せず彼女に向かって行く。まるで恐怖という感情そのものを持っていないかのように。いくら体格差があろうとも、数で勝れば連携によって巨体を倒すこともできよう。しかし奴らの頭に協力という文字はない。ただ相手までの最短距離を全速力で駆るだけだ。

 対処自体は簡単だと勇一が思った所以である。事実彼の目の前でゴブリンどもは皆、直線的な動きでアトラスタに飛びかかっていった。彼女は時々豪快に笑いながら、その体躯からは想像できない軽やかな足さばきで飛びかかるゴブリンを避け、的確に打撃を与えている。


「まあだだ、ゴミ共! そのバカ面をこっちに向けやがれ!!」


 手持ちの武器を激しく打ち合わせ周囲に派手な音を立てる。六本の腕を翼のように広げ、一つにまとめた赤い髪が乱れると音と合わせてとにかく目立つ。ゴブリンどもはそばに伏せている勇一に目もくれず、一直線にアトラスタへと向かっていった。

 これこそが彼女の狙い。視覚と聴覚に訴える行動によって注目を集めるのが彼女の流儀。そしてできるだけ長く引き付け、あるいはそのまま相手を倒すのである。

 そんな勇ましい彼女の行動を見て、勇一は一つの疑問が浮かんだ。


(アトラスタの戦い方、ゲームならタンクと呼ばれるチームの盾役だ。攻撃を一身に受け、多少の傷はものともしない。盾がいるからチームは安定して戦えるし、被害も抑えられる……)


 また数匹のゴブリンが彼女に屠られた。棍棒や剣が空気を裂き、一瞬悲鳴のような音が勇一の頭上を駆け抜けていく。

 彼女の言動から、傭兵としてそれなりに長く働いていることがわかる。ならば身体のどこかに傷の一つや二つあってもおかしくはないのだが、見た限りではそれが見当たらない。ダンドターロルで一緒に暗い温泉に入ったときも、やけに綺麗な身体だと思ったことを思い出した。


(あんなことを繰り返していていれば、身体中に傷跡があってもおかしくない。でもそれが一つもない。ゲームの世界ならともかく、現実には回復役なんていないしHPの概念も無いんだから、雑魚の一撃が致命傷になることだってある。盾も持っていないのに……なんであんなことが出来るんだ?)


 アトラスタの戦い方は一見無謀に見えた。胸当て以外の頼れる防具もなく、使い込まれた皮や布でできた服は擦りきれ四肢を大きく露出している。しかしその浅黒い肌に戦いの痕は見当たらない。直前にマナンでつけた以外は、顔面の、唇を縦に割ったそれだけが彼女の傷だった。

 なおも派手に暴れまわり、屍を次々と積み重ねて行くアトラスタ。そんな彼女の視界外から、一匹のゴブリンが飛びかかった。勇一は咄嗟に注意を引こうとしたが、それは既に地面を蹴り彼女の筋肉質な背中に牙を立てた……立てようとした。


「ははっ! そんなもんでオレを食おうってか!? なめるなぁ!」


 勇一は目を疑った。突き立てられた牙も爪も、彼女の皮膚に当たったとたんに砕け散ったのだ。まるで岩にでも叩きつけたかのように、砕けた破片か飛び散る。彼女の皮膚は、まるで岩盤のように硬質化していたのである。折れた牙でなおも噛み付くゴブリン。しかし相手には一切の傷は出来ず、逆に噛み付いた側の口からおびただしく出血し始めた。彼女は無意味な行動を繰り返すそれを鷲掴みにすると、勢いよく足下に投げつける。

 彼女の口が興奮のあまり緩むと、唇の裂け目が広がり隙間から涎が流れ落ちた。ぐい、と手首で拭う。表情は一方的に蹂躙する快感がにじみ出ている。


「アトラスタ!」


 勇一が飛び出した。彼は死んだゴブリンを使い、更に広範囲を索敵し始めていた。アトラスタの屠ったどれもが損壊激しく、まともに歩けるものを見つける方が難しい。しかしどうにか使えるゴブリンの死体を見つけると、念のためにとそれで周囲を見渡す。そこで見つけだ事実を彼女に伝えた。


「おい! オレ一人でいいって言ったろうが!」


「それはこの十五匹だろ! ……まだいる!」


「ああ!? お前、さっきは……」


「派手に暴れすぎたんだ! 遠目の奴らにも聞こえて、それが今向かってきてる! デカいのが一匹まじって……来た!」


「ああ⁉」


 大きな影が闇の中から姿を現した。緑色の肌はゴブリンと変わらず、しかし奴らよりも数倍大きい。亀裂から現れた者たちと変わらずやせ細った身体をしているが、悪臭は一段と酷い。アトラスタを認めると猛然と走り出し、長い腕を振り回しながら突進を始める。最短距離を仲間であるはずのゴブリンどもを弾き飛ばしながら向かっていく様子を見て、こいつも頭は他と同じか、と勇一は一種安堵の感情を覚えた。


「……オーク!」


「知ってるのか?」


「ゴブリンと同じだ、亀裂から時々出てきやがる……うおっ!」


「アトラスタッ!!」


 雄叫びを上げたオークの身体がアトラスタに向かって急加速する。彼女とそれよりも大きな身体が激突した。彼女は咄嗟に武器を手放しすべての腕で正面から受け止める。しかし力は並のゴブリンの何倍も強いようで、アトラスタは身体を大きく後退させた。


「っは、デカブツが! 図体だけかよ!」


 渾身の力でオークを引き倒すと、それは無様に腹を晒して倒れ込んだ。アトラスタがすぐさま拾い上げた剣でとどめを刺そうとする。しかしオークと共に新しく現れたゴブリンどもがその腕に飛び掛かった。

 まとわりつき、牙や爪を立てるゴブリン。そのすべてが彼女の肌に食い込むことなく折れた。しかし徒労などと考える頭が無いのだろう、ただがむしゃらに噛み付き、引っ掻く。彼女の方は痛みを全く感じないのか、むしり取ったダニを捨てるように淡々とゴブリンを放って行く。

 だがゴブリンの脅威は数と勢いだけではない。奴らの身体や体液から発する腐敗臭に似た悪臭もその一つなのだ。集まれば戦意も萎びてしまうだろう悪臭にさすがのアトラスタも堪えるようで、不快極まると言った表情でいる。


「だああ、くっせぇ!! 全部くせえ!! ケツに香料でもぶち込んでやりてえよチクショウ!!」


 彼女が悪臭に悶えている間に、倒れたオークが起き上がった。目ヤニだらけの目で自分を倒した者を睨みつけ、まるで引き付けられる磁石のように再び突進を始めた。アトラスタはゴブリンを引きはがすのと悪態をつくのを同時に行っており、オークに気付くことが出来なかった。


「アトラスターッ!!」


 こうなるまで勇一は何もしていなかったわけでは無い。ゴブリンのほとんどがアトラスタへと向かっていったが、ごく少数が彼の存在に気付き、襲い掛かっていた。

 流石に三度目ともなると幾分か余裕が出来るというもので、向かってくる数と方向、対処の手順を脳内でじっくりと練ることが出来た。それなりにうまく立ち回る彼は余計な手出しはせず、確実に反撃出来るところで始末している。そうして穢れたものどもの数を減らしていた。


「……クソッ! 何で一匹だけなんだ……!」


 しかしオークが二度目の突進を始めようとしたとき、彼の表情には焦りの表情ははっきりと浮かんでいた。倒したゴブリンどもに何度も「起きろ」と命令してみても、実際に起き上がったのは一匹だけなのだ。少ない損壊で絶命させる技術など持っていない彼は、確認せずとも絶命したとわかるように斬撃を放つしかなかった。

 頭を落とされたゴブリンの身体がむくりと起き上がり、頼りない腕で勇一を護る。それだけでは突進するオークを止められないと瞬時に悟った彼は、支配下のゴブリンを囮に切り替えた。そして自らが駆け出す。


「俺が、止めるしか……っ!」


 ――全力で駆ければなんとかアトラスタとオークの間に割り込める。彼女ならまともに突進を受けても大丈夫かもしれない。でも戦いは何が起こるかわからない。彼女の身体に触れた時、筋肉質とはいえ間違いなく女性の柔肌に間違いなかった。ならなぜ今は牙も通さない程に硬くなっているのか――勇一の頭は瞬時に仮説を立てた。


(それは……魔法で硬質化しているかもしれないからだ。今アトラスタはオークに意識が向いていない。ゴブリン相手に耐えてるけど、意識の外から攻撃を受けたら、流石の彼女もまずいかもしれない……!)


 万全の状態であっても不意打ちには弱いように、巨大な質量に意識の外から追突されれば無事では済まないだろう……そう彼は考えた。そして反射的に駆け出し、未だゴブリンに奮闘するアトラスタと、彼女に向かって速度を増すオークの間に飛び込んだ。

 勇一はマナンを振り上げた。アトラスタよりも大きなオークに、一撃で致命傷を与えられる技量を彼は持ち合わせていない。ならばと、マナンを持った腕をオークの足めがけて振り下ろした。必死に伸ばした腕の先で、マナンの刀身は確かにオークの右足首を捉えた。


「ギャアアア――――ッ!!」


「や、やった…………うぐっ!」


 耳をつんざく悲鳴が辺りに響く。すれ違いざま、頭上から聞こえたそれに勇一は狙いが成されたのだと確信した。不揃いな両足で均衡を欠き、アトラスタへの軌道をそれるオーク。それはアトラスタのそばに、今度はうつ伏せに倒れこんだ。

 雄叫びによって接近に気付いたアトラスタはそちらへ視線を移す。倒れたオークとマナンを構える勇一を見て、瞬時に状況を理解した。


「おいユウ、バカヤロウ!!」


「アトラスタ、だめだ! オークの頭を飛ばせ!」


 偶然にも剣を持った腕が自由になった。アトラスタはそれで勇一に群がろうとするゴブリンどもを追い払おうとしたが、肝心の彼はそれを拒否した。


「オレに指図するんじゃねぇ!」


「頼む! 今は俺より、オークなんだ!」


「……ああクソッ!!」


 勇一へ駆け寄ろうとした脚を止め、まとわりつくゴブリンを引き剥がしながらオークへ向き直る。それは足りなくなったつまさきの痛みよりも、満たされることの無い飢餓によって再び身体を起こそうとしている。そのがら空きのうなじに、アトラスタの剣が突き立てられた。


「ガッ、ガァア……ゴボッ」


「終わったぞ!」


 首は落ちなかった。しかし彼女の剣はオークの脊椎を断ち、その命を消し飛ばした。これで二度と起き上がることはないだろう……アトラスタはオークを蹴り飛ばすと、再びまとわりつくゴブリンどもを処理し始めた。切羽詰まった状況にありながら、大物を仕止められたことは僥光と言わざるをえない。勇一は自分に群がるゴブリンを押し退けながら、必死に叫んだ。


「立て! 立てよぉー!!」


 一度だけオークの身体が大きく跳ねた。次の瞬間にはそれは立ち上がり、虚ろな目でだらりと舌を出したオークがアトラスタへと向かって行く。歩行は若干不自然だったが、彼は十分だと思った。

 動くはずの無いものが起き上がったので驚愕したのはアトラスタだ。彼女は未だに飛びかかっては噛みついてくるゴブリンを叩き落としながら歯噛みした。


「こいつ、なんで生きて……!!」


「大丈夫だアトラスタ! そいつはもう、大丈夫!」


 何が大丈夫なものか……そうアトラスタが思った矢先、彼女の目と鼻の先でオークが腕を振り上げる。一度まとわりつくゴブリンどもを無視し、落ちてくる拳を受け止めようと身構えた。振り上げられた拳は高く、月も穿たんとしていた。

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