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7 食卓

 勇一の怪我が治るまでここに居ろと言うラレイの言葉に、二人は――主にアトラスタが――甘えることにした。泊まっている間、アトラスタはラレイが務める食堂の警備を、勇一は自分の傷が塞がるまで町の雑用を請け負った。そうして三人が狭い一つの部屋で過ごし、あっという間に一週間が経っていた。

 食堂はいつも満員な上に客の容姿も種族もバラバラで、様々な言語が飛び交っている。種族が違うという事は、価値観もそれぞれ違うという事だ。考え方が異なる者たちが一つの場所に集まると、当然のことながら衝突が生まれる。口喧嘩で終わるなら穏便な方で、ひどい時はそこから暴力を伴う騒ぎに発展することもあった。そんなときこそアトラスタの出番で、騒ぎが起こるたびに自慢の三対の腕で騒ぎの原因を瞬く間に制圧し、地上に放り出して行く。そんなことがニ、三日続けば流石に評判も出回り、五日目には遂に彼女のいる間に喧嘩をしようとする輩はいなくなってしまった。


「ユウ、と言ったか。あんたいろんなことが出来るんだねぇ」


「育った村では、こうやって助け合っていましたから」


 勇一の方はと言うと、必要とあらば掃除から修理まで何でも請け負った。共同炊事場を掃除する人手が足りないと聞けば、女たちに交じってかまどの煤を掃う。木桶の修理が必要だと聞けば、進んで槌や鋸を振るう。怪我に影響のない範囲であれば労力を惜しまなかったし、彼の傷口を見た町人たちも重労働を押し付けるようなことはしなかった。

 彼が何故部屋で安静にしていることを選ばなかったのかというと、彼のプライドによるものが一つ。女の部屋で自分だけが寝ているという状況がどうにも我慢できず、出来ることは無いかと部屋を飛び出したのだ。


「……にしてもあいつら、昼日中から働きもしないで何やってんだか。ちょっとはユウを見習えってんだ」


「ははは……」


 もう一つは、町の若者たちから向けられる刺すような視線に耐えきれなかったからだ。勇一は最初、ラレイの部屋を出るたびにどこからか視線を感じていた。視線の正体は町の若者たちで、彼らはラレイの部屋に男が出入りしていることに怒りを感じていたのだ。喧嘩腰に声を掛けられたことなど一度や二度ではない。その都度勇一は出来るだけ穏便に追い払っていたが、今度は水を汲みに、食事を作りに、その他用事があるたびに監視のように数人がついてくる。手を出されては面倒だと、一つ目の理由もあって年寄りの近くにいるようにしたのである。


「ラレイも遂に身を固める気になったのかな。あの娘は器量がいいからもったいないと思ってたんだ」


「遂にって……俺と同じくらいでしょう?」


「はは、十六なんて一瞬で終わっちまうよ。いい娘は早く幸せになって欲しいもんさ」


「そう言うものなんですか……」


「それで、あの娘のどこが気に入ったんだい?」


「気に入った? いや、別に俺は……」


 やたらと突っ込んだ質問をぶつけてくる雑貨屋の女店主は、一通り片付けが終わった店内で勇一と茶を啜る。勇一としては会って何日も経っていない娘の事をどうだと言われても返答に窮してしまう。当たり障りのない言葉ではぐらかしていたが、彼はこういった手合いが苦手だ。所狭しと並べられた商品の山の中にいるのも相まって、牢獄にいるような気さえする。


「おーい! ここにいたんだ!」


 そこによく通る声が飛んできた。店と通路との境目でたむろする者たちをかき分けて現れたのは、件のラレイだった。ありがたい救世主の登場に、勇一はハッと立ち上がり手をふる。彼女が勇一に近づくにしたがって、たむろしている者たちの表情がこの世の終わりであるかのように変化して行った。


「なんだラレイかい、今あんたの話をしていたところだよ」


「あら、丁度私もユウを探していたんです。アトラスタと一緒にお昼でもって」


「それは良い! じゃあ、俺はこれで……」


 渡りに船とばかりにラレイのそばに立ち、女店主がお節介を言う前に彼女を連れ出した。取った手は細く温かい。解放感とともにお礼を言うと彼女は解せないと言った表情を浮かべたが、一言「ま、いいか」と笑うと今度は勇一の手を取り食堂へと向かっていった。


 昼の山場を超えた食堂は、客同士にいくらか人が通る程度の隙間が出来ていた。二人は食堂に入るなりアトラスタを探すが、他人より背の高い彼女を見つけるのにそう時間はかからなかった。


「お腹の怪我はどう?」


「ちょっと痛みがある程度かな」


「おい、もっとそっちに寄せろ。皿が乗り切らねぇ」


「アトラスタ、もっと一つにまとめるとかさ……」


「オレに指図するな。それに、一個にまとめたら見た目が不味い」


 アトラスタは食の事になるととにかくうるさかった。もっと細かく切れだとか、この器に盛れだとか、三人が食べるものの一切を取り仕切り、勇一たちに口を出させない。ラレイは慣れているのか相槌をついて言う事を聞き、戸惑いそわそわとする彼を面白がっていた。


「アトラスタはこういうこだわりがあるんだな」


「飯は活力だ。旨いものを食えば、また明日生きようって気になれるのさ」


「昔からそうだもんね。一人の時もそうなんでしょ?」


「ああ。飯は何よりも大事だってのに、全然聞く耳を持つ奴なんぞいやしねぇ」


 過去を見つめるアトラスタの瞳。それでも食べる手を止めない彼女にラレイはクスリと笑った。


「二人は仲がいいんだな。昔からそうだったのか?」


 言った直後、アトラスタの鋭い目線が突き刺さった。彼女は勇一の、気安く人の過去を詮索するような言動を無言で咎める。そして彼が次に口を開く前に、威圧するような語気で釘をさした。


「人の過去を詮索したがるのは、感心しねぇな」


「いや、俺はそんなつもりじゃあ……」


 アトラスタの機嫌が明らかに悪くなったのを見て、勇一は慌てて否定した。しかし撤回しようと彼が口を開きかけたとき、ラレイがアトラスタを小突いた。


「いいじゃない? 別に知られたくないことがあるわけじゃないし」


 てっきり向こうの味方だと思っていたラレイがあっけらかんとして答えるので、勇一は虚を突かれた思いがした。事実有角族と多腕族の組み合わせは珍しい。彼にとってもそれは同じで、何の繋がりがないように見える二人がこうして話しているのを見ると、嫌でも二人の馴れ初めが気になるのは仕方の無いことだった。


「アトラスタがいない間、私は寂しい思いで暮らしてるの。わかってる?」


「オレだって外では一人だ」


「ユウと一緒に帰って来て言う? 他でもそうなんじゃないの?」


「バカ言え。そんなわけがねぇだろう」


「私が一人部屋になったのだって、アトラスタが全然帰ってこないからなんだからね!」


「オレは寝られりゃあ野宿だってかまわねぇんだよ。お前はちゃんと、一人の部屋でいるべきだ」


「食事を気にかけるなら、それ以外もそうしなさい。そうやって唇も治さないからそうなったんでしょう」


「これはこれで良いんだよ。舐めた奴らが近づかねぇから」


「役に立つからって、自分の身体を粗末に扱うのはやめて」


 ………………。


 何となく勇一が放り投げた言葉に、二人は言い合いを始めてしまった。ラレイは尻込みせずアトラスタを責め立てる。責められる方はムッとした顔で時々凄むのだが、相手は意に介さない。そして今度は日々の不満をあげつらって行く。

 応酬が続く光景を見て、二人はただの友人関係ではないと勇一は改めて思った。そしてそんな二人と一緒にいる自分が、ひどく邪魔な存在であるかのように感じ始めた。今ここでこっそり部屋に戻っても、二人は気付かないだろうか。

 暖かい肉団子を割ってみると、中から湯気と肉汁が溢れだした。手頃な大きさに切ったそれを口に放り込むと、火傷しそうな熱とともに濃い血の味が広がる。獲物の血が混ぜ込まれた肉は、強烈な獣臭と少量の穀物による歯応えによって噛む口が止まらない。


「それで? 流浪の傭兵アトラスタ様は、今度はどこに行くつもりなのかしら?」


 拗ねたラレイが口を尖らせる。アトラスタは大きく息を吐き出し、うんざりした様子で勇一を指差した。


「そろそろ大きな仕事を探そうと思ってな。だがダンドターロル(この町)ではあまり期待できない」


「まぁ……それで?」


「ヴァパにでもいこうかと」


「バパ」


「ヴァパかぁ、行ったこと無いんだよねー」


 勇一はアトラスタに一番大切なものを預けている。それを買い戻すために彼女の元で働くことになったのだが、来て早々殺しを覚悟しろだとか、相手を殺せだとか散々な目にあっている。しかも浅くはない傷を負ってしまったせいで、重労働はしばらくできないときた。

 自分からついて行きたいと申し出ておいて早々にそういうことになるのだから、普通なら捨てられてもおかしくはない。ところがアトラスタはどういうわけか、彼を連れて戻りあまつさえ寝食を共にしている。勇一が考えれば考えるほど、今の自分の境遇が奇妙に思えて仕方がなかった。


「ユウ、聞いてるか? お前の話もしてんだぞ」


「あ、ああ。悪い。……そこに行けば、大きな仕事があるのか?」


「あるかどうかはわからねぇ。だが『ヴァパ』は同盟で一番でかい都市だからな。どっかに転がってるだろうって事だ」


「ヴァパ…………」


「っと、騒がしくなってきたな。オレは行く…………残すなよ?」


 離れた場所で大きなざわめきの気配がする。「仕事の続きだ」とアトラスタは適当に口へ食べ物を詰め込むと、颯爽と人ごみの中へ消えていった。

 二人は残された料理の山に閉口し、しばらく無言で食べ続ける。しばらく無心で口を動かしていると、彼の様子を見ていたラレイがくすりと笑った。


「アトラスタ、本当にあなたを気に入ってるみたい」


「気に入ってる?」


「たまに仕事仲間を連れてくることはあったわ。でも食事や寝るのは別々だった。だから私は、アトラスタとしか食事をしたことがない……それか一人で」


「……」


「三人で食べたのなんて、初めてで……ふふっ」


 それは、嘘偽りない素直な感情だった。

 しかしラレイの話を信じるとして、勇一は何故自分がアトラスタから特別扱いされているのかわからなかった。特に彼女のために何かしたわけでは無い。例え無意識のうちにそうしていたとしても、命のやり取りを生業とする傭兵がそう簡単に馴れ馴れしくなるものだろうか。

 頭の中の疑問符と、かえって都合がいいと受け入れる感情が混じり合いながら、彼は再び手を伸ばした。半分以上がアトラスタの腹の中に納まったにもかかわらず、二人を隔てる山は未だ健在だ。

 人の壁の向こうでわずかに赤が動いた。たてがみの様な赤い頭髪は、ひと目でアトラスタだとわかる彼女の目印だ。


「本当にアトラスタったら……どうしちゃったんだろう」

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