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5 印の意味は

 私が……私がせっかく見つけたのに…………


 アンタの弱さと優柔不断さにはほとほと呆れるわ……


 こんな雑魚にやられるために、アンタに心臓を二つあげたわけじゃない!!


 見なさい、アイツなんか速攻で死ぬアンタを見て言葉も出てないわ!


 アア、オレノ…………オレノ、シンゾウ………………ソンナ……


 まあ、ケルンの時と違ってアイツは手ごわいから諦めさせるのも一つの手よね……まさか、わかっててやった?


 ……まさかね。こっちの事は、起きたら忘れているんだものね。


 アイツは多腕族の長の息子、ちょっと前に流行病で死んだダッサい奴よ。でも謀らずもアンタはアイツを避けた。もう邪魔してくることは無いでしょう。全く、怪我の功名ね。


 ……。


 そうよ、多腕族は心臓が二つあるの。戦士として生き、一度だけ蘇るなんて面白い種族よねぇ……。


 おっと、そろそろ「星」が帰ってくる。アンタは早く目を覚まして、あのクソ野郎をぶっ殺してやりなさい。


 ……。


 そう、もう覚悟は決まったのね。なら何も言うことは無いわ。



 ***



「終わったぞ」


 疲労した男の荒い呼吸、小さな火の中で弾ける枝、それを別の枝でかき回す音が静かな空間に響いた。男の足元には事切れた勇一の身体が転がっている。

 アトラスタは男の方に目もくれず、数本の枝を火の中に放り込んだ。幾ばくか伸びた寿命に歓喜したのか、火はいっそう強く燃え上がる。


「お、おい聞いてんのか! 約束通りアイツをやった。早くこれを取ってくれ」


 彼女の機嫌を損ねまいと、男の口調は乱暴ながら慎重だ。アトラスタは一度だけ男の方を見やると「フン」と鼻を鳴らし口を開いた。


「オレは約束は守る。ああ守るとも……だがもう一度聞くぞ? 本当に殺したかい?」


「あぁ? もちろんだとも。たった今、この手で、殺した。アンタも見てただろう」


 彼女にある六つの手の内、一つが男を指した。反射的に男は防御の体勢を取る。さらに二歩下がったところで、男の背が何かに触れた。


「じゃあちょっと聞いてみなよ。そいつにさ」


「……え?」


 振り向いた男は、直後額に冷たいものが当たったように感じた。同時に下顎が地面に引っ張られるような感覚がしたので、咄嗟に振り払おうとした。しかし両腕が言う事を聞かない男に、それは出来なかった。

 男はそんなことどうでもよかった。振り向いた目と鼻の先に、いるはずのない人物が立っていたから。事実を前に額を貫くような冷たい感触も、力の抜けた全身も、混乱の波がかき消してしまった。


「お、おあえ……うあうう…………」


 次に男は、自分の口が思ったように動かないことに気が付いた。自分の身体に何が起こっているのか確かめようにも、手はおろか腕も上がらない。頭の中に入り込んだ冷たい何かが、口腔を貫いて男の舌を下顎に縫い付けている。かろうじてわかる味覚に、じわりと苦みが広がった。

 男は膝をついた。何故殺したはずの青年が立っている。何故心臓を貫いたのに生きている。男は勇一の心臓を貫いた感触をはっきりと覚えていた。なのに、どうして……。


「……知るかよ」


 勇一は男の額に直立するマナンを握りなおした。小刻みに振動するそれに力を込め、思い切り舵を切った。


 抜いたマナンを一振りすると男の血や脳漿は残らず飛び散り、刀身は火の光を反射して鈍く光る。勇一は無言でそれを鞘に納めると、たき火で二人分の肉を焼くアトラスタの元へのろのろと近づいた。一歩歩く度に足首の鎖が擦れ合う。


「…………」


「……俺を、試したんだな」


「……竜人(ドラゴニュート)ってのは誇りと名誉の種族だ。あいつらは生涯で守り通すものを決め、そのためなら命も投げ出すらしい。それが人なのか物なのか、もっと別のなんなのかかは……本人たちにしかわからんが」


 火から目をそらさず、アトラスタは過去に父親から聞いたことを話し始めた。彼が戦場で見た竜人(ドラゴニュート)は態度や素行に個人差はあれど、皆一様に「守るもの」があったという。

 それは人が通常手に入れるものではなく、例えるなら信仰のようなものだったらしい。守るべき信仰が傷つけられたり侮辱を受けようものなら、それをした者に死を与えるほどに強固で苛烈なものだったと、彼女は父親の話を言って聞かせる。


「そんな竜人の中でも、特に有名なのがファーラーク・フォーナーだったのさ。ファーラークはリザードマンの身でありながら竜人に育てられ、そして受け入れられた。混血やよそから来た者を嫌う竜人から、お前が持っているのと同じような印を貰ったらしい」


「リザードマン……!?」勇一は息が詰まった。とすれば、彼らの怒りは当然のものだった。あの状況でファーラークだけが冷静だったことは、勇一にとって幸運だったのだ。


「ファーラークさんは、どうして俺なんかに印をくれたんだろう……」


「知るか。んなこと、本人にしかわからねぇだろう」


 そりゃあそうかと勇一は失笑した。もしかしたら彼自身と同じように、竜人ではない身で竜人になりたいと言ってきた自分を見て、何か思う所があったのかもしれない……とりあえず、そうとだけ考えることにした。

 そして印を受け取ったという事実が、彼が思っている以上に重いものだったと理解もした。彼女の話によれば、竜人の印を受け取ったという事は彼らの心構えを背負わなければならないという意味だと。さもなければ、竜人全ての誇りが失われてしまうだろう。

 勇一は自らの左頬をそっと触れる。彼からは見えないが、たき火から伝わる熱でわずかに紅く染まったドラゴンがそこに佇んでいた。


「この印を持つにふさわしいか、試したんだな」


「ほとんどはオレの自己満足だ。竜人ほどの強さを背負えなけりゃあ、本人にとっても酷な話だしな」


「……ありがとう、けど」


「…………!」


 鋭い痛みがアトラスタの頬に走った。彼女が思わず勇一に目をやると、青い瞳に怒りをたぎらせ、拳を振りぬいた姿の彼がいた。彼女はようやく、自分の頬は彼に殴られたのだと気が付いた。すぐに口の中に血の味が広がり、溜まったものを火の中に吐き出した。


「二度と……二度と、竜人(ドラゴニュート)の誇りを試すな」


 勇一は静かに、確かな殺意をもって釘をさす。

 アトラスタはじっと彼の眼を見た。体格差は歴然、技術も手数も彼女の方が勝っている。普通に考えれば、ここで彼女が反撃すれば勇一は手も足も出ずにやられてしまうだろう。


(だが……この眼…………)


 アトラスタはそうしなかった。彼の眼の中に、未熟ながらはっきりと火を感じたからだ。ここで反撃すれば、双方無傷では済まないと思わせる気迫があった。

 そしてそんな眼をみていると、彼女は身体の内側に言い様のない火照りを感じた。


「そうだな……悪かった」


 彼女は一言の謝罪と共に、十分に火の通った肉を出した。拍子抜けした表情を一瞬見せた勇一は、素直にそれを受け取りかぶりつく。

 半分ほどが勇一の腹に入った時、アトラスタは彼の足元に手を伸ばした。足首から枷が外され、安っぽい金属音が響く。圧迫されていた皮ふが血色を取り戻していった。


「よし、傷を見せろ」


「これ、もう少し食ってから」


「今すぐ口にいれろ。そんでさっさと横になれ」


 勇一から肉をひったくり、一気に彼の口に押し込む。そのまま口を塞いで腰を抱き、仰向けに押し倒した。地面に後頭部を強打しそうになったが、彼女の三本目の腕がそこを支える。


「ちょっ……モゴ…………」


「動くなよ。ちょっとばかし縫ってやるだけだ」


 人間一人を押さえつけながら処置するなど人員が必要な行為も、アトラスタは一人でこなしてしまう。なにせ彼女は多腕族なのだ。下半身は脚で押さえつけ、二本腕で身体を拘束してもなお四本の腕が余る。非力な勇一はされるがままに上着をめくられた。

 彼女は腰の皮袋から、どうみても人の身体に使うとは思えない太さの針と糸を取り出す。慣れた手つきで糸を通すと、勇一の鳩尾にあいた赤黒い穴をまじまじと凝視した。


「ま、この程度どうってことねぇな。多分」


 傷口に針を押しあてられた勇一は直後刺されるような――実際に刺されたのだが――痛みが全身に走り、言葉にならない呻き声を上げた。立て続けに針が身体を通り抜けていく想像を絶するような痛みに悶える彼を前に、黙々と慣れた手つきで傷を縫い付けるアトラスタ。

 地獄のような時間がやがて終ると、彼女は歪に縫われた傷口に軽く息を吹き掛けた。


「ようし終った。ははっ、おっ勃てる元気がありゃあ死にはしねぇ。ほら立て……ん?」


「…………」


 押さえつけられた体勢のままぐったりした勇一から、返事は返ってこなかった。アトラスタはすぐさま呼吸を確認し、ほっと一息をつく。


「気絶しやがったか……まあいいか。ゆっくり休め……っと、この世に捨てるものなしってな」


 勇一の口内には詰め込まれた肉が残っていた。彼女はそれをかき出すと、躊躇なく自分の腹に入れた。

 そして投げられた人形のように動かない彼を担ぎ上げると、何度もたき火を踏みつけ消化する。唯一の光源が無くなったその場所が、直ちに静寂と闇で覆われる。そんな中をアトラスタは悠々と歩いて行く。そこは明らかに道など存在しないのに、彼女は葉音一つさせずにダンドターロルへと戻っていくのだった。


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