4 侮辱と誇り
「しかしよぉ、本当にいいのか?」
ラレイから受けた依頼……喧嘩する男たちを地上に叩き出し、二人は報酬である食事と酒を胃袋に流し込みながら雑談している。アトラスタの向かいに座る勇一は、何故彼女が不満そうな表情でそういったのかわからなかった。彼女の隣には、休憩中のラレイが肘をついて自分の食事を摂っている。
「いいのか……って?」
「片方の阿保が言ってたじゃねぇか。お前のそれ、竜人のだろう?」
「へぇ、竜人! 私見たことないんだよね……あなたがそうには見えないけど?」
アトラスタの長い腕が机を跨ぎ、勇一の頬を指した。彼女が言いたいのは、追い出した男の片方が竜人を中傷したことだ。六本の腕は横に広く、長椅子に座った彼女一人で三人分は場所を占拠している。ラレイは彼女の腕に抱かれるような位置に座って咀嚼を続けていた。勇一は一旦食べるのをやめ、まじまじと自分を見つめるラレイの視線に戸惑いながら口を開く。
「何も知らない奴にどういわれようと、気にはしません」
今の勇一にとって腕輪を取り戻すことが最優先で、見ず知らずの男の悪態に付き合う程余裕は無い。改めて彼は、自分の旅の目的と今は腕輪を買い戻すことが一番であることを二人に告げた。
アトラスタは自分の腕に巻いてある腕輪を見て「そういう事か……」と樽のように大きなジョッキから酒を煽る。口を離すと、彼女の裂けたままの上唇から僅かに酒がこぼれた。
「へぇ、亀裂が間近で開くだなんて、恐ろしい話ねぇ」
「竜人の村で、お前がただ一人の生存者ってわけか……」
「だから俺は、余計なことに首を突っ込むわけにはいかないんです。今だって、せっかくエンゲラズが目の前にあったのに……」
亀裂を開いた仮面の男は、ヴィヴァルニアの首都「エンゲラズ」にいる……例えいなくとも必ず手がかりはあるはずだ、と勇一は考えていた。しかし道中で不幸にも野盗に襲われたところを、目の前に座る傭兵「アトラスタ・クヴァ」に助けられた。彼女への支払いの代わりに、勇一は恋人の形見である腕輪を差し出す。形見に執着する彼は、それを買い戻すまでアトラスタの元で働かせてほしいと頼んだ。
そこから二人はエンゲラズから反対方向へ向かい、国境を越えて黄金同盟へと入った。
今までの事を簡単に思い出す勇一の目に、指した手を引っ込め、一対の腕だけを組んで考え事をしている風なアトラスタが入った。彼女はやがて何かを思い出したかのように空を見上げると、重々しい音を立てて盆の前に肘をついた。
「お前の名前……ユウ・フォーナーと言ったな。もしかして、ファーラーク・フォーナーと関係が?」
「ああ、アトラスタがよく話してた人?」
「……え?」
アトラスタの口から出た言葉に、彼は豆を皿に落としてしまった。こんなところでその名前を聞くとは思ってもいなかったのだ。
「ファーラークさんを知っているんですか⁉」
「ガキの頃によく父親が話してたんだ。耳にタコが出来るほどな」
「俺に、これをくれた人です」
勇一を村の一員として受け入れたファーラークは、その証として彼の頬に印を刻んだ。それは翼の無いドラゴンで、体温が高くなると紅く染まる。
「オレは英雄としてのファーラークしか知らないが、お前は本当に彼から認められたのか?」
「……どういう、意味です?」
間違いなく勇一はファーラークから印を貰った。しかし彼以外の村人が全滅してしまった今、それを証明できるのは自分一人しかいない。
つまりアトラスタは疑っていた。入れ墨など誰でも彫れる、名前など偽れる。自分は英雄に選ばれたのだ……などという横柄さは感じない。だが彼女の知っている英雄像と、目の前にいる青年から伝わる人柄に、どうしても繋がりが感じられなかった。
「言った通りだ。ファーラーク・フォーナーといやあ、大陸戦争を語るなら必ずと言って良いほど出てくる名前だ。それくらいの有名人にお前は成人として認められ、受け入れられたんだから、何かあるだろうと思ったんだが……」
「……」
アトラスタはまるで家畜を見るような目で勇一を眺めた。彼は気のせいか、髪の毛の一本一本、鼓動の回数まで調べられているような感覚を覚える。
彼女は大きく鼻を鳴らすと、皿に残った肉を串刺しにした。
勇一は少し顔が熱くなってきた。彼は自分や竜人を何も知らない者に何と言われようと気にはしない。それは想像であり、妄想であり、妄言だからだ。しかし自分とのつながりを疑われるのはどういう訳か癇に障る。それも大したことではないのに、自分の全てを疑われているような気がしてならなかった。
「誰が何と言おうと、これはファーラークさんからもらったものです」
「そんなら、証明しなきゃな。お前が『あの』ファーラークから直々にもらったものだと」
「証明? そんなものしなくたって……」
「お前のくだらないプライドなどどうだっていい。ファーラークのためだ」
それから数度「必要ない」「必要だ」の押し問答が続いた。
彼は段々と腹が立ってきた。どうして証明することにこれほどこだわるのか。そんなことアトラスタの自分勝手じゃないのか……。いまいちかみ合わない会話も、彼のいら立ちを加速させた。
ラレイはそんな二人を交互に見ながら、なおも咀嚼を続けている。明るい緑色の瞳が振り子のように左右に揺れるたび、照明の灯りが反射して宝石のようにきらめいた。
「とにかく、俺は早くそれを取り戻したいだけなんです! だからさっさと仕事を見つけて……グッ」
アトラスタの大きな手が勇一の胸倉を掴んだ。そのまま引き寄せると、彼の上半身は軽々と机の上に引きずり出されてしまう。周囲の客たちは再び喧嘩が起こるのかと、辟易と好奇心半々の視線を二人に送っている。
「お前は言ったな? 腕輪を買い戻すまで、オレの元で働かせてくれ、と。いつから雇い主に命令できるほど偉くなったんだ?」
「……クソッ!」
勇一は精一杯睨みつけるが、彼女が纏う覇気を破るには到底至らなかった。ラレイは少し呆れた風な視線を二人に送るが、かといって声を掛けるでもなく、皿に残った細かい食べ残しをつまんで口に放り込んでいる。
「今から自由時間だ。夜になったら、町の北のはずれにある雑木林まで来い」
「はぁ? ……うわっ!」
掴まれた胸倉は彼の後方に押し出され、地面に背をついてしまった。アトラスタは立ち上がるとラレイの頭を乱暴に撫で、集まった人ごみを割って行こうとする。
「ちょ……どこに」
「用事が出来た。忘れるなよ、北の雑木林だ。ラレイ、ごちそーさん」
「んー。またね」
高い所から彼を一瞥すると、アトラスタは有角族の群れの向こうに消えていった。
ラレイは綺麗になった皿を重ねた。木製のそれは大分使い込まれ、修繕されたひび割れが数本走っている。
「ねえ君、面白いね」
不意にラレイが勇一に声を掛けた。興味深いといった目線を起き上がった彼に向けると、屈託のない笑顔を浮かべる。
「あんなアトラスタはじめて見た」
「あんな?」
「そ。人を連れてくるのも、あんな顔をするのも……ねぇ、あなたはどうしてアトラスタと?」
「ああ、それは……」
勇一は何故アトラスタと一緒に行動してるのかを話すと、今度はどうして旅をしているのかをたずねられた。彼は正直に復讐相手を探していると答え、相手の顔色を窺う。ラレイの深い緑色の瞳がまっすぐに目線を捉えた。彼は今まで得た情報を元にダンドターロルでも聞き込みをすることを話し、手始めに彼女に聞いてみる。
「ラレイは知らないかな。髭を生やした右手の無い男で、背はこれくらい……」
「う~ん……特徴だけじゃなく、人相はどうなの? 右手の無い髭の男、だけじゃあ同盟には割いると思うよ」
「仮面をしていたから人相は……でも、声と手から初老って感じがした。皺だらけの手だった」
「その人は同盟の人かもって話だけど、同盟にどれだけの種族がいるか知ってる?」
私も数えたこと無いんだけどね、とラレイは吹き出しながら付け足した。
聞けば同盟に名を連ねた種族は優に百を超えているらしい。『黄金同盟』結成より以前は、種族間の交流はほとんどなかった。しかし同盟締結と大陸戦争での共闘を経て繋がりが生まれ、やがて盛んに交易が行われるようになった。
そして百年の間に混血も進み、昔よりも多様な種族が同盟内にいるのだという。
「まぁ、アトラスタの受け売りなんだけどね」
「……」
見た所同じくらいの年齢の少女は、仕事柄なのか体格が良い。ちらと目線を横にやると、店の奥で恰幅の良い男が鍋を振るっていた。肌は茶褐色で、額からはやはり上向きに角が生えている。
目線を戻すと、ラレイと再び目が合った。彼女は好奇心に満ちた目で勇一を見つめている。身体からは活発な雰囲気がにじみ出て、それは生活が充実しているからか、久しぶりにアトラスタに会えたからなのかはわからない。どちらにしろ、間違いなく今は機嫌がいいのだろうという事だけは彼にもわかった。
「あんまり人のことジロジロ見るのはやめなよ」
「え? み、見てたかな」
「そりゃあもう! あの人は店長。ここらで一番おいしい料理を作るのよ」
言いながらラレイは席を立つ。空になった三人の皿を重ね、片手で持ち上げた。
「私はまだ仕事があるから、もう行くわ。……ねぇ」
「?」
「アトラスタが人を連れてくるの、本当に珍しんだから…………仲良くしてあげてね?」
食堂の喧噪は収まることを知らず、酒を煽り始める者も現れた。ラレイは縦横無尽に動き回る人々の間を器用に抜けて、あっという間に消えてしまった。
***
町を出ていくらも歩かないうちに、枝葉のこすれ合う音が聞こえてくる。転ばないようにと足元に降ろしていた目線を前に向けてみれば、月や星の光を遮る木々が現れた。
雑木林のどこだろう……という勇一の疑問は、すぐに解決した。目線の先で無秩序に生い茂る木々の隙間に、一つの灯りが見えたからだ。彼が歩を進めるたびにちらちらと格子の向こうで見え隠れするそれは、近づくにつれ揺らめいた光源であることがわかった。
(たき火……あれか)
彼がさらに接近すると、たき火のそばに大柄な人物が座っているのが見える。光に照らされた横顔を見るまでもない、アトラスタがじっと火を見つめていた。勇一がまた一歩踏み出すと、彼女はゆっくりと立ち上がり彼の方へ向く。逆光で表情が隠れた彼女は、大きな声をあげた。
「ユウ! もっと静かにこれねぇのか!」
(誰かに追われているわけじゃあるまいし……)
不満そうな勇一をよそに、アトラスタは早速「そこに座れ」と促しす。ここに来ても彼女の意図が全く読めない勇一だったが、何か聞くまえに無言の圧力によってそれも断念せざるをえなかった。
「ユウ、オレはお節介な方じゃねぇ。自分一人を生かすのに精一杯で、誰かを弱い奴を守りながら戦おうなんて考えたこともねぇ」
突然始まった語りに面食らいながらも、勇一はとりあえず黙って聞くことにした。そんな彼を見て口角を上げた彼女はさらに続ける。
「お前の口からファーラーク・フォーナーの名前が出たときは驚いたぜ。英雄が気にかけたヤツが一体どんな豪傑なのか楽しみで……すぐに失望した。
オレはガキの頃から英雄の話を聞かされて育ったからさ、想像とかけ離れた現実にオレは……まあいいや」
アトラスタが勇一の目の前にしゃがみ込む。その眼は彼ではなく、その頬に眠るドラゴンを映していた。すぐに彼の右足首が硬く冷たい感触に包まれる。重々しい金属が擦れ合うそれは足かせと鎖で、彼の足首から伸びた鎖はアトラスタの手に握られていた。
「!?」
「だからオレはこう考えたんだ。目の前で英雄の名前を出すやつが本物かどうか、もう一度試そうと。本物ならそれでよし……もし話が嘘なら」
彼女のもう一つの手には縄が握られている。それは少し離れた、鬱蒼とした草木の中へ続いている。二つの手に鎖と縄を持った彼女は、縄の方を思い切り引っ張った。
茂みの中から引きずり出されたのは一人の男だった。男は縛られて身動きが出来ず、口も塞がれている。アトラスタは男の縄を解き、間髪入れずに足かせをはめた。そしてうつ伏せの男の頭を乱暴につかみ、仰け反るように顔を上げて見せた。
「! ……そ、そいつは!」
「ここで死んでも、何ともねぇなってよ!」
その男は日中に見た人物だった。喧嘩をしていた二人の内の片方、勇一に倒された男。
「さあ、お前を生かすも殺すもオレ次第だ。助かりたいだろう? 死にたくないだろう? それなら……」
混乱する男にアトラスタは捲し立て、短剣を放り投げた。それは鈍い音を立てて男の足元に転がる。
「目の前の、入れ墨の男を、殺せ」
ようやく状況を飲み込んだ男は、無精ひげにまとわりつく汗を拭った。素早く足元の短剣を拾い上げると、怯えた目は瞬時に獲物を狙う獣のように変わりじりじりと勇一ににじり寄る。
たまらないのは勇一だ。呼び出された思ったら枷をはめられ、殺意を向けられる。暗がりに照らされる男の顔は痣だらけで、つい最近ひどく殴られたことがわかる。
短剣の切っ先が自身に向けられると、勇一は腹のあたりが急に冷たくなったような気がした。一気に噴き出した汗がマナンに掛けた手を滑らせる。アトラスタに事情を聞く暇も男を説得する余裕もないと悟った彼は、震える手でゆっくりとマナンを抜き、男に向けた。
そして勇一は敗北し、心臓を貫かれてしまうのだった。




