3 初仕事
遂に自覚したのね。ずいぶん時間がかかったけど、まあいいわ。
こうして貴方と話すのも何度目でしょうか。覚えていないでしょうけど。
……そう、私が「星の女神」。貴方に力を与えた者。
辛い事がありましたね、でも歩みを止めてはなりません。遠回りになったとしても、貴方は確実に目的に近づいているのです。
……それが運命だからよ。
そのまま旅を続けなさい。私たちの方は、まだ時間がかかるから。
ああまた来たのね。ケルンが終わったと思ったら、次は…………
――ソレハ、オレノダ!
――カエセ!
――カエセ!!
――カエセェェ!!
***
「さあ着いた。今日はここで仕事を探そう」
小高い山の上にある廃墟……アトラスタの寝床をたたみ、多種族同盟――黄金同盟側に向かって歩き約半日。日が地平線に触れる頃に二人がたどり着いたのは、いかにも田舎、と言った風景の町だった。通りに人はいるものの、決して多いわけでは無い。かといって閑散としているわけでもない。稀にゴミが放置されているのを見かけるが、目立つ場所はとりあえず掃除しているようで異臭もない。
その雰囲気はまるでルドのようだと勇一は思った。違うと言えば、ルドよりも若干小さい建造物が、やけに間を空けて建っている。そしてルドよりも寒く乾燥しており、道行く人々の頭には大小様々な角が生えていた。
「角がある……肌の色は、ブラキアと同じですね」
「有角族は角があるってくらいで、他はヴィヴァルニア人と変わらねぇ。むしろ向こうより肌の色も顔つきもたくさんある。この町にいるのは主に北方系の有角だな……ほらみろ、ああいうのがいると同盟の領土にいるって感じがするだろう?」
彼女に指さされた方には、有角族よりも頭一つ分大きな種族がいた。狼のような顔をしたその人物は、道端で膝をつき手を組んで何やら祈っている。他にも身体が青色の鱗に覆われた者や、目が三つある者、種族もさることながらそれ以上に様々な風体をした者が有角種の中にまばらに混じっている。
そんな者たちを相手に怖気づくようなそぶりを見せず、談笑すらする有角族はさながらサウワンで見た商人たちのように表情は活気に満ちていた。
「なんだか……角以外はブラキアそっくりですね」
「それ、本人たちの前では言うなよ」
短い忠告だったが、アトラスタの声は低く洒落で言った訳ではなさそうだ。勇一はそれだけで察したのか、以降同じような話題を口にしなかった。
その後は何事もなかったかのようにアトラスタは施設を紹介していく。ここは鍛冶屋、ここは雑貨……など端的に話すが、教えられるたびに勇一は混乱してしまった。何せ店と言われた店舗はどれも同じような見た目で、全てが開いているのかそうでないのかわからない外見だったからだ。
どの店も十人入れば満員だろうという広さで、外から見える限り客入りが良いようにも見えない。相変わらず小さな建物同士が妙に離れていて、はたしてそこが道なのか敷地なのか彼には見当がつかなかった。四方見渡しても同じような景色なので、「町」にしては地味で殺風景な所だなぁと言うのが彼が感じた第一印象だった。
「あまり栄えているようには見えないな……」
「はははっ。そうさ、初めて来る奴は必ずそういうんだ。町にしては随分と寂れてるなぁって思っただろ? そこがダンドターロルが他と比べて面白い所なんだ」
「面白い?」
「ここに用がある。さあ、ネタばらしと行こうか」
勇一には読めない看板が立てかけられた店は、まばらな客と地味な店先を携えていた。壁に隣接する石造りの短い煙突からはにわかに煙が立ち上り、それと一緒に食欲を刺激する香りが二人の鼻をくすぐる。それで目覚めた彼の腹は、容赦のない主張を始めた。
(ここは……食堂、か?)
看板が出ているという事は何かしらの施設なのだろうが、あいにく彼は字が読めない。しかし香りから、そこが大衆食堂なのではないかとあたりをつけた。
「ほらこい。コケんじゃねぇぞ」
彼女が入っただけでニ、三人分は場所を取りそうだ……そう思いながら、勇一は小走りで後をついて行った。
***
地上の閑散とした景色から一転、そこは混雑と熱気がまじりあっていた。小さな家屋に入ると途端に下へ向かう階段が現れ、アトラスタは慣れた様子で暗い階段を躊躇いなく進む。対して勇一は慎重に降りて行く。降りた先の光にたどり着くと、客でごった返す空間が現れた。勇一の見立て通りその店は食堂だった。
そこはアトラスタが屈まずにいられるほど天井が高く、混んでいなければ不自由なく歩ける広さがあった。
彼女は人ごみをかき分けて進む。このまま行けば、隣家の地下に入っていまうのではないかと勇一は心配したが、時々柱があるだけでどこまで行っても壁どころか仕切りすら見当たらない。
(基礎って、どうなってるんだろう……)
わかるはずのない疑問を浮かべながら、彼はただ黙々と女傭兵について行った。
地上よりはるかに人の密度が高い地下は、勇一が見たこともない種族がひしめき合っていた。彼の常識が通用しない外見を持つ者が沢山いたので、わずかに目眩を覚える。数歩にふらつくが、直後顔に当たった岩のような感触で我に返った。追突したのは、アトラスタの背中だった。
「あったあった。よし、とりあえず座れ」
長い机の前にどっかと腰を下ろすアトラスタ。そこが幸い机の端だったので、勇一は机を挟んだ正面に座った。
「それで、どうやって仕事を探すんですか?」
「そりゃあ雇い主を探すんだよ。困ってるやつがいたら、作り笑いでいいから笑顔で声を掛けるんだ。『必要なら手を貸しましょうか?』ってな」
(見た目のわりに手段はしっかりしてるんだな)
「おい、今俺の顔を見て失礼なこと考えなかったか?」
「い、いやいや。まさかそんな……」
「そうか? まあ、いい……それで、大丈夫なのか? 悪夢とやらは」
「起きたら何も覚えていないので、半ばあきらめています」
メフィニ劇団と別れてすぐ、彼の悪夢は再発した。時間を空けて再び現れたそれは、以前と変わりなく不快感だけを残して記憶から消える。正直、勇一はまたか……と思ったのだが、一つの変化が彼に疑問を持たせた。
「かえせ……か」
夢の中に響く亡者の声が、目覚めてからも脳裏にこびりついていた。これが「近づいている」からなのは、当然彼の知るところではない。
「なんだ?」
「目が覚める直前、かえせ! って声がしたんです。それは俺のだ! ……とも」
誰かから何かを奪った記憶はない。だが確かに「かえせ」と男の声がした。試しに勇一は記憶をたどってみるが、この世界に来る直前の事を思い出そうとすると頭が痛みだす。記憶に関してはお手上げの状態だった。
「覚えもないんじゃあ気にするだけ無駄だ。それより、女神魔法との付き合い方を考えたらどうだ?」
「アトラスタさん……」
「噂に聞き耳をたてる奴なんていやしねぇよ。それにこの喧噪だ、聞こえるもんか」
勇一の持つ「星魔法」は、他の二つの属性と共にまとめて「女神魔法」と呼ばれている。
この世界に住む者は、主に「精霊魔法」と呼ばれる五つの属性の内一つを扱える。二つ以上扱えるものは極めて珍しい。また一つだけだったとしても、単純な威力によっては国から声がかかることもある。
対して女神魔法は三つの属性の内一つしか扱えず、更に精霊魔法も使えない。その代わり世界に大きな影響を与えるほど強力なのだという。最も女神魔法の存在は、ただの噂程度に広まっているだけなのだが。
そんな噂程度の話なので、人々が存在を信じているかどうかはまちまちだ。ただの噂だと一蹴する者もあれば、どこかに必ず存在していると信じてやまない者もいる。アトラスタも含め圧倒的に多いのは前者だったが、彼女は実際に力を使ったところを目の当たりにして考えを改めた。同時に代償の事を知り、難儀な力だと他人ごとに考えている。
「……実際他人事だしなぁ」
「?」
「代償のせいで碌に魔法の訓練もできねぇのは、厳しいんじゃねぇかなって思ってよ」
自分がどんな力を使えるのか。これは死を司る星魔法であるからして「死」に関する力だろうことは想像に難くない。では「どんなことが出来るのか」……勇一はそれをすぐに試してみようと言う気にはなれなかった。何せ使うたびに自分の身体が削られて行くのだから、悠長に試行錯誤する余裕などない。
今は左手の小指が半分ほどの長さまで削れている。これが完全に無くなったとして、次は薬指が削れるとどうして保証できようか。右手かもしれないし、足かもしれない。最悪内臓を削られれば、対処の仕様がない。
短くなった指を見るたび、彼の心臓は言いようのない不安に浸されるのだった。
「ぶっつけ本番で、小指の次は薬指でありますように……って、祈るしかない」
「目茶苦茶怖えな」
と、周囲の喧騒が一層やかましくなった。どうやら盛り上がっている訳では無い様子のそれは、それほど遠くない場所で起きている。アトラスタは立ち上がるとすぐにその方向へ足を向け、勇一も一拍遅れて着いていく。
騒ぎの中心地では喧嘩が起きていた。有角の男二人が取っ組み合い、互いの拳と蹴りが交互に飛び交う。野次馬たちは二人を取り囲むようにして野次を飛ばし、まるで見世物のようにはしゃいでいた。
アトラスタと勇一もその中に紛れていたが、彼女の背は周囲より頭一つ以上出ているために離れていても様子が見える。対して勇一の方は詰めかける人々で「喧嘩が起きている」程度の理解しか得られない。彼は人々が押し合う中でアトラスタだけが柱のように微動だにしないので、たまらず彼女の脚にしがみついた。
「なんだ、こんなんでよろめいてんじゃねぇぞ?」
「いや、これは……立ってられない」
「もぉー、こんな所で喧嘩なんてやめてよ!」
不意に後ろから女性の声が響いた。激しい野次と歓声の中にあってよく通る声の主は、人ごみをかき分け騒ぎの原因へ向かっていく。しかし彼女は数歩進んでは押し戻されを繰り返し一向に進む気配がない。
その姿を認めた勇一には、歳は自分と同じくらいの有角の女性に見えた。彼女は遠くから喧嘩を止めようとするが、二人の殴り合いは更に白熱していく。野次馬たちからの無責任な煽りもそれに拍車を掛けていた。女性は中々前に進めず、オロオロとするばかりだった。
「お、ラレイ。今日も仕事か?」
アトラスタがその女性に声を掛けると、ラレイと呼ばれた彼女はその声にハッとした。アトラスタの姿が目に入ると、渡りに船とばかりに手を振る。
「アトラスタ、久しぶりね! いつ?」
「たった今だ」
「そうなの! ……ええっと、そっちの人は? あなたが人を連れてるなんて珍しいわ」
ラレイは人の波に揉まれながら、アトラスタと勇一の顔を交互にみて明るく話しかける。大きな眼をした彼女は更に勇一をまじまじと見ながら「ブラキアなのね」とこぼした。
「ユウ・フォーナーです」
「ラレイよ、アトラスタとは幼馴染みなの……ってそれどころじゃないわ! ねぇ二人とも、ごはんまだじゃない? 一食奢るからさ、喧嘩を止めさせてよ!」
怪我を負うかもしれない頼み事を受けるのか。勇一はアトラスタの表情を見ようとしたが、見上げる高さにあるそれは組んだ腕と大きな胸で遮られた。
「酒も付けてくれるか?」
「……まぁ、一杯だけなら」
「ははっ、ラレイの頼みとあっちゃあしょうがねぇ! おいユウ、早速仕事だ」
ようやく現れた顔が勇一を見下ろす。
アトラスタとラレイの口調から、顔見知り程度の仲ではないことがなんとなく窺い知れる。そんなことを勇一が考えていると、彼女が彼の首根っこを掴んだ。
「え? ……はぁっ!?」
「おい、片方を抑えろ。ちゃんとやれよ? 早く腕輪を返してほしかったらな」
「わっ、わっ! ちょっ怖っ!」
軽々と身体を持ち上げられ、直後彼の身体は宙を舞った。投げられた彼は放物線を描き騒動の中心に放り込まれる。地下食堂の騒ぎは、彼が着地した瞬間静まり返った。
勇一は二人を巻き込む形で地面に激突してしまった。倒れ伏す三人は少しの間呻いていたが、同時に立ち上がると自分以外の二人を睨み付けた。
「いたた……」
「てめぇ、どっから飛んできやがった!」
「なんだ? お前、そいつは……」
男の片方は勇一の顔を一目みて明らかに動揺している。しかし二人を止めようとする勇一は、その反応を気にも止めなかった。とにかく喧嘩を止めさせようと声を張る。
「何があったか知らないが、喧嘩は店の外でやれ!」
「……俺に指図するなあぁーっ!!」
もう一人の男が激昂し、唾を撒き散らしながら勇一に殴りかかってきた。つい最近ホラクトの暴力を受けた勇一からすれば、有角族の拳などとるに足らない振動でしかないだろう。
「……!」
振り上げられた拳をみて、咄嗟に顔面を防御する勇一。しかしいつまでたっても男の攻撃が来ない。
慎重に防御を解くと、地面を後ろに転がる男が見えた。いつの間にか現れたアトラスタが彼を突き飛ばしたのだ。凄まじい力の突きを胸に受け、男は地面を数回転し目を回している。
「おら、オレはこっちだ。お前は向こうだろう」
人の壁を裂いて現れたアトラスタは、勇一に指示を飛ばしながら歩みは止めない。突き飛ばされた男は、自分より何倍も強そうな彼女を見て腰が引けてしまったようだ。そんな男の脳天をアトラスタは容赦なく殴りつけ、あっというまに昏倒させてしまう。
対する勇一は、自分顔を見て驚いた表情の男を抑えようとじりじりと追い詰めていた。
「ま、まさかお前みたいなヤツが……」
「何言ってるんだ。お前の事なんて知らないぞ」
「ははは、お前は知らなくとも、俺は知ってんだよ。たしか……痛たたたたた!」
「さあ、さっさと出ていけ!」
男が何か思い出す仕草を隙と判断した勇一は、一息に飛び掛かって男を押し倒してしまった。
「おお、やるじゃねえかユウ。後はオレがやろう」
倒した男を引きずるアトラスタが、後ろからやってくる。彼女は勇一の下にいる男の足を掴むと、両手に掴んだ二人を高々と逆さ吊りにして野次馬に見せびらかした。片方は昏倒して無反応だが、もう片方は周囲から笑いものにされる恥辱に震え「降ろしてくれ!」と懇願している。
自分と勇一の名前を周囲に名乗ったアトラスタは、とりあえず両手の二人を地面に降ろしてやった。勿論脚は掴んだままなので、地に着いたのは上半身だけだ。意識のある方が地べたに顔を擦りつけながら呼吸を整えると、勇一の方を見て言った。
「ああクソ、何されるのかって思ってたが……拍子抜けだぜ」
「さっきから俺を見て……何を言ってるんだかわからないぞ」
「ははっ、お前その入れ墨の意味を知らねえのか? そりゃあ竜人のものじゃねえか!」
「いや、それは知ってるけど……」
勇一の左頬で佇む翼の無いドラゴン。それは彼が竜人の村の一員になりたいと懇請し、それをファーラークが受け入れた印だ。今はない竜人の村に住む者たちは皆が鎖骨のあたりにこの印をしていた。竜人は勇一よりも遥かに体格が大きかったので、彼には左の頬から胸にかけて描かれている。
「竜人に憧れたか? 奴らに相手にされなかったからと言って、自分で描くなんて情けねぇ野郎だ」
「やめておけ。もう一回逆さ吊りにしてやろうか?」
「……」
正直、男に言われても勇一にはピンと来なかった。口ぶりからアトラスタに敵わないと知り、自分に八つ当たりをしているのだろうと彼は考え、事実それは当たっていた。
しかも男の言うことが事実に掠りもしなかったので、彼はうんざりとため息をついた。男が竜人の何を知っているのだろうか。
「さっさと終わらせましょう。相手にするだけ無駄だ」
「……」
アトラスタが彼の言葉に驚き、直後心底失望した視線を送ったことに。この時勇一は気付かなかった。




