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2 多腕の女傭兵、アトラスタ・クヴァ

 夜の森は獣と魔物たちの世界だ。一見静かな風景の此処彼処に、狩る者と狩られる者の攻防が繰り広げられている。

 水を一口飲むにも命がけの世界で自分の位置を知られることは、死に直結するほどの危険を孕む。しかし暗闇の中である一点だけが光っていた。山々の中に見えるそれは起こされたばかりの焚火で、これから更に大きく育つ気配を見せていた。


「ここが、オレの城だ」


 傭兵は松明に火をつけ、辺りをぐるりと照らす。雲の少ない夜空は月の明かりだけでも十分に視界を確保できたが、瓦礫同士の闇を見るのには頼りなく、手元に灯りを持つ必要があった。


「城……?」


 勇一は辺りを見渡すが、見渡す限り彼の知っている城は見当たらない。周囲には広い範囲に瓦礫が散乱しており、おおよそ城とは呼べない住処があった。

 元は何かの施設だったのだろうか、あちこちに崩れた壁と、数本の折れた柱。僅かに赤を残して色あせたボロ布が、吹き曝しのまま冷たい風に寂しくはためいている。天井などという物はなく、雨が降ればせっかく風から守ってくれる瓦礫も無意味になってしまうだろう。

 そんな瓦礫の山の中心、四隅に部屋の角と思われる石材を残した場所に彼女の寝床はあった。


「そうだ、城だ。……まあ座れ」


「…………」


 促されるまま敷物に腰を下ろす。この敷物も一体いつからここにあるんだろう、と勇一に思わせるほどにみすぼらしい。穴だらけの生地を撫でながら、彼は震える身体を暖めようと焚火に身を寄せた。

 傭兵は松明を壁の穴に差し込むと、焚火を挟んでどっかと座り鎧を脱ぎ始めた。光を反射して胸当てに浮かび上がるへこみや傷は、相当長い間使われていたのだろうと容易に想像できる。しかしその割にはつやがあり、つまりそれはこまめに手入れされ大切に使われている証拠だ。

 弾かれるようにして外れた胸当ての下から現れた肢体には、無駄な脂肪など一切なかった。そんな鍛え上げられた肉体は、戦いによってのみ身に着くものだと勇一は一目みて確信した。そして今まで胸当てに押し込められていた大きな胸が、そんな身体に乗っている。

 それを見て初めて相手が女性であることを知った勇一は、思わず赤面して顔を逸らしてしまった。たてがみのような緋色の髪が風になびき、左半身には牙のような模様が肩からくるぶしまでうねっている。そして膜を張ったようにきらめく褐色の肌が、惜しげもなく晒されていた。


「さて、と……オレはアトラスタ・クヴァ。見ての通り傭兵……おい、話してるときはこっちを見ねぇか」


「いや、あの、できれば、何か羽織ってもらえると……」


「あぁ? もしかして多腕を見るのははじめてか?」


 勇一を睨んだ眼は白目の部分が黒く、瞳は夕焼け色だった。

 アトラスタは六本の腕で力こぶを作り、見せびらかすように胸を張った。汗で濡れた薄い布一枚が張り付いた肉体を見せつけられても、勇一は直視できない。仕方なく顔は前に向け、視線を落とさないようにアトラスタの眉間を注視する。


「はじめて……です」


「そうかそうか、はじめて話す多腕がオレで良かったな」


 彼女の言った言葉の意味を聞こうとしたが、アトラスタから放られたものによって打ち切られてしまう。

 それは見慣れた干し肉だった。こちらの世界で食べた肉と言えば、調理したものよりも干した肉の方が多い気がする……そんな気持ちと共にとりあえず一口かじると、強烈な塩気が口内を満たした。おそらくこれは、かなり長い間保存されていたに違いない。勇一は顔をしかめながらなんとか飲み込むと、改めて質問した。


「アトラスタ……さん、でよかった。というのは?」


「多腕族は血気盛んでな。礼儀知らずの輩に手が出る性分の奴が多いんだ。多腕族(オレたち)は傭兵が盛んだから、評判が全てでな」


「礼儀」


「話すときは相手を見る、なんて基本だろうが」


(タンクトップ一枚でこっちを見ろ、なんて……)


 それはそうだが……という言葉を飲み込んで、頷いた勇一は二口目の肉を噛む。肌を隠すどころか気にもしていない彼女の様子を見て、きっと自分の考える女性らしさを持ち合わせていないのだろうと思った。

 彼女に服を着てほしい理由を言っても、素直にそうしてくれるとは思わない。腕輪を買い戻すまでそんな彼女と一緒に居なければならないのかと思うと、彼の頭は重くなった。



 ***



「ところでお前は、一体何が出来るんだ?」


「料理と簡単な修理……後は、狩りを少し」


 竜人の村で過ごした月日は決して無駄ではない。彼らの信頼を得るために、勇一は積極的に村の雑務を請け負っていた。それは職人とまではいかないものの、それなりの技能となって彼を支えている。

 しかし、それを聞いたアトラスタは腕組みをして口を結んでしまった。そして自分の答えに相手の出方を窺う勇一をしばらく見つめると、一呼吸置いて口を開いた。


「殺しは?」


「……アトラスタさんが助けてくれたあの時、賊を一人やったのが初めてです。でもあれは」


「本当に? それだけか?」


「? はい」


 嘘をついてもしょうがないし、それ以外に答えようがない。だがアトラスタはいかにも不服と言った表情で、大きくため息をついた。


「さっきも言った通り、俺は傭兵だ。基本的にどんな仕事も請け負うが、当然荒事もやる……時には、自分の身を守るために相手の命を奪う事もある」


「……」


「俺の元で働くと言ったのはお前だ。だからお前は、この先殺しをする覚悟を持ってもらう。腕輪を買い戻したけりゃあ、自分の身は自分で守って生き延びろ」


「そ、そんな」


 他者の元で働くと決めた以上、多少の荒事は覚悟していたつもりだった。しかし、突然「殺しも覚悟しろ」と言われるとは夢にも思っていなかった。彼女は本気だ……彼は本能で悟ると全身に冷水をぶっかけられた気分になった。

 アトラスタは最初にショートソード(マナン)を、次に彼の左頬で眠るドラゴンを見据え静かに告げる。


「兵士に必要なのは剣と飯だが、傭兵には更に『信頼』が必要だ。お前の剣と身体のドラゴンにかけて、仕事は完遂しろ。お前の行いは、そのままオレの評価にも関わってくるんだからな」


「ま、要は慣れだ」彼女はゆっくりと立ち上がり勇一を見下ろす。彼は顔に不安が表情となって余すことなく現れ、立ち上がったアトラスタを追いかけた目線で後ろに倒れそうになった。

 勇一は彼女が酒を何杯飲んだとか、腰巻と布一枚の上着で寝床に向かっていることなどどうでもよくなった。明日から始まる、暴力を含んだ仕事に直接自分が関わる事実に恐怖で震えた。


(俺はもしかしたら……選択を誤ったかもしれない)


 アトラスタは既に自分の寝床に寝そべっている。組んだ棒の上から覆いをかけただけの粗雑なそれは、既に彼女の大柄な身体で占拠されていた。

 歩き詰めで疲労も溜まった瞼は鉛のように重い。しかし彼には眠れない理由があった。周囲を見渡し風よけに良さそうな瓦礫の下に丁度いい地面を見つけると、そこへ腰を下ろす。二人以上で旅をするなら、交代で見張りをすると本で読んだことがあった。このまま起きていれば、永遠に朝が来ないのではないかと身を震わせる。


「おい、なにやってんだ」


 しばらくするとアトラスタが声を掛けにきた。いつの間にか寝床から這いだした彼女は、固い地面の上で震える勇一を呆れ顔で見ていた。


「何って、見張りを」


「こんな山の上まで誰も来ねぇよ」


「動物が来るかもしれないし……」


「周りには魔狼の糞を撒いてあるから、大丈夫だ。ほらこっちに来い」


 アトラスタは勇一の腕を引っ張ると、自らの寝床へ放り込む。わらの上に敷物が敷かれた質素なその場所は、少々かび臭いが寝るのには十分だった。

 そして彼女も同じ場所に入り込み、六本の腕で彼を正面からきつく抱きしめた。


「アトラスタさん、なにをっ!?」


「寒い時は身を寄せ合うんだよ、知らねぇのか? 多腕族(オレら)は身体が熱いから、仕事仲間とはよくこうする」


 彼女の話は本当だった。抱かれた身体は前後から暖められ、彼は寒さなど感じなくなった。


「本当だ……暖かいです」


「おう。そんじゃあ、寝ろ。明日は山を下りるからな……」


 そう言ってアトラスタは目を閉じた。間近で見る彼女の顔は鼻筋が通っており、性格に反して整った顔だと勇一は思った。しかし顎から唇を縦断して左頬に伸びる深い一本の傷が、その調和を台無しにしていた。その傷によってできた唇の隙間から、白い牙が顔をのぞかせている。

 僅かな時間で彼の疲労は限界に達し、全身の力が抜け始める。標高が高い場所にいながら感じる暖かさは、とても贅沢なものに感じられた。が、すぐにそんな気分は吹き飛んだ。


「グゴゴゴゴゴゴゴ…………」


(うるさい…………)


 アトラスタのけたたましいイビキが耳を貫いた。せっかくまどろみの中に落ちようとした勇一の意識を引き戻し、覚醒に導く。そして彼を睡眠から遠ざけようとするのはそれだけではなかった。


(臭い………………)


 一日歩き、二人とも身体も拭かずに横になったので当然である。一度相手の体臭に気付いてしまうと、気にしないようにするのは無理な話だった。

 勇一はその後も騒音と汗臭さに苛まれた。ようやく疲労と眠気がそれらに勝ったのは、焚火が消えかけた頃だった。

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