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1 後悔しない行いを

「どうしたどうした。そいつをやらなきゃあ、お前が死ぬぞ」


「そんなこと、言っても…………!」


 多腕の女は、焚火を挟んで二人を煽った。二人の内一人は上野勇一……異世界転生者だ。

 勇一の目の前には、短剣を持った有角の男が一人。互いに泥と汗にまみれて剣を振るうが、勇一は防戦一方だ。有角の男は何度も相手を殺そうと迫り、勇一は男の剣をかろうじて避けて距離をとり……殺意を持つ男と対称的に、戸惑いと欠けた意思でマナンを構えていた。

 男が踏み込んで突きを繰り出すと、それは勇一の頬を僅かに裂いた。そのまま首を切り裂かれないようにすかさずマナンで打ち払う。しかし剣に意識を向けた隙に男の蹴りが腹に入り、よろめいた勇一は躓いて転倒してしまった。馬乗りになろうとする男の股を咄嗟に蹴り、悶絶した顔面に二度目の蹴りを叩きこむ。


「あぁーっ、今! 今やれよ! そんなんじゃァこの先……」


「……くそぉっ!」


 震える手で再びマナンを構え、勇一は煽る女を睨みつけた。彼の怒りなどどこ吹く風の彼女は、六本の腕を器用に使って酒を注ぎ肉を切り分けている。その姿が勇一のすり減った精神を逆撫でするが、目の前の男を殺すとなると一片の躊躇が剣先を惑わせる。

 剣術など素人同然の勇一に人殺しをしろと強要するのは、彼女なりの理由あっての事だった。だが実際に手を下す彼の身にしてみれば、それがどれだけ理不尽な行為か。だが理由に多少納得できる部分もあるとわかっているだけに、勇一の頭の中は殺すか殺さないかでせめぎ合っていた。


「……おぉらっ!」


 まるで勇一の隙が見えているかのように、男は再び襲い掛かってきた。何度目かの攻防……否、防戦でどうにか男の素早さにも目が慣れ始め、次はどうやってこの状況を切り抜けるか思考する僅かな余裕が生まれた。しかし尚も戦闘中であることは忘れず、目前の命のやり取りから決して意識は離さない。


(悪いのはこの男だ……こいつが、こいつがさっさと訂正するなり謝るなりすればよかったんだ)


 この男が余計に絡まなければ、今勇一はこんな状況にならずに済んだのは事実。しかしそれはいずれ通らなければならない道で、偶然彼は早く経験することになったに過ぎない。


「お前は、そのドラゴンに恥ずかしいと思わないのか?」


(俺だって、覚悟していないわけじゃない。この入れ墨に恥じない行いをしてきたかって言われれば……自信ないけど)


 女傭兵はどうあっても勇一に男を殺させる気だ、それ以外に道はない。彼女のぎらついた眼で、それだけは確信できた。

 勇一の左頬で真っ赤に燃えるドラゴンは、殺意のこもった視線を男に向けているのか、それとも情けない勇一に怒っているのか、彼の頬が焼けるように痛んだ。


「はぁ……はぁ……なぁお前、いい加減死んでくれねぇかな。こっちも暇じゃないんだ」


 有角の男は息切れながらも剣をくるくると回しながら悪態をついた。この冴えない男はただのならず者で、勇一と因縁浅からぬ関係と言う訳ではない。特に罪を犯していないにも関わらずこうして連れてこられたのは、ひとえに口の軽さが災いしての事だった。


「お前が最高に情けない奴だってのは事実だ。そんなお前を誰も求めちゃいない、臆病者」


「…………」


「連れてこられた時は何かと思ったが……聞いて見りゃあいつはお前を殺せときた。そんで殺す価値もねぇお前を殺さなきゃ、俺があの女に殺される。全く、理不尽な話だぜ」


 暗闇の中にいる二人の顔を、焚き火の光が浮き上がらせる。姿勢を低くした有角の男は、ヒヒヒと目を細めながら剣先をいじった。

 勇一は、事実その男の言う通りだと心の底で感じている。だが見ず知らずの人間に指摘されると、それだけで彼は自分の体温が上がっていくのが分かった。


「少しはその口を閉じろ……!」


「何の権利があって指図してんだ? あぁ!? テメェこそ黙って死にやがれ!」


 男が何か蹴ったかと思うと、激しく砂が舞った。咄嗟に目を閉じた勇一は後退しようとして躓いてしまう。


「くそっ……痛っ!」


「っと、無駄に悪運の強い奴だ!」


 尻餅をつく直前、勇一の腹に鋭い痛みが走った。目くらましをした直後に男が踏み込み、心臓をめがけて突きを放ったのだ。偶然にも軽傷で済んだが、明らかな殺意を込めた攻撃をこうも容易く繰り出せるのは、男がそれなりに場数を踏んでいるからだ。

 そんな男の攻撃が、ただ一度の突きで終わるはずもなく。起き上がろうとする勇一を踏みつけると、馬乗りになって数発顔面に拳を入れた。


「はぁー……ったく。手間ァ取らせやがって」


 片方の膝でマナンを持った腕を押さえつける。まるでようやく仕事を終えたような表情で男は逆手に持った短剣を振り上げると、焚火を挟んで酒をあおる女傭兵に向かって言った。


「おい、本当に帰っていいんだな?」


「ああ、好きにしな」


 まるで興味がないと言わんばかりの即答だった。事実彼女は食事に夢中で、二人を見ようともしない。男は短く鼻を鳴らすと、勇一に目線を戻さず剣を振り下ろした。

 勇一はなんとかもう片方の腕で男の手を防ぐ。男は無感情のままに両手で剣を押し込んだ。刺されまいと必死な勇一に対して、男は既に事が済んだような眼をしている。二人の間には絶対的な温度差があった。


「くそっ……くそぉ…………!」


「はいはい、お前の死体は川にでも流しといてやるよ。肉は動物の腹に、骨は魚の住処になるんだ。ゴミみたいなお前でも何かの役に立てるなんてよかったじゃないか。それだけでも生きてる価値はあったってもんだぜ。

 ……俺は死んでも御免だがな」


 男は吐き捨てて、勇一に僅かな興味も見せなかった。そして全ての体重を乗せて、今度こそその胸に剣を刺し込む。

 ゆっくりと……抵抗があればある程苦痛は長く続き、勇一の表情は歪んだ。自分の胸に刃物が沈んで行くのを目の当たりにした時、最期に何を思うのだろうか。彼は痛みが強くなるのと比例して、段々と全身の力が抜けるような感覚を覚えた。


「じゃあな臆病者。お前は何もできず、何も成さず、ただ意味無く死んだ。お前が無抵抗を選んだんだ、後悔なんて無いだろう?」


「……がはっ」


 勇一の抵抗が止んだ。刃は完全に彼の身体に埋まり、動かなくなった。

 男はすぐに短剣を抜くと、相手の服で血のりを拭く。そして立ち上がると女傭兵と倒れた勇一に背を向け、だらだらと自分の荷物を身に着け始めた。


「…………」


 勇一には僅かに意識があった。自分が何故こんなことになったのか、何故こんな目に合わなければいけないのか……悔しさと怒りで頭が一杯になった。

 そして次に、こうなるとわかっていたら、もっと抵抗すればよかった……という後悔が、徐々に感情を支配し始めた。

 そしてふと、こんな状況になった原因を思い出した。全ては二日前、あの時ちゃんと行動していれば……。


 勇一の頭に、走馬灯のようにその時の記憶が押し寄せてきた。

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