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祖母の初恋

 十五の誕生日を迎えた日、「勉強のため」と言う名目で私はサウワンにある祖母の家にやって来た。

 サウワンはとても寒い。冬でもないのに石畳が氷のような冷たさで、足元から熱を奪って行く。私は震える手を擦り合わせながら、暖かいコートで首を隠すように着た。

 祖母は祖父が死んだあと、サウワンの外周部にたった一人で住んでいた。家族に聞けば、中央区に家をたてられるほどお金を持っていたが、全てをトライン基金に寄付したらしい。

 少し緊張して立った祖母の家の前で、私はいざ扉を開けようと肩に力を入れる。直後、目の前の扉が勢いよく開いたので、私は咄嗟に伸ばした手を引っ込めた。


「おばあちゃん先生ー! ありがとうございました!!」


「はいはい、明日はお休みだからね。ちゃんと勉強するんだよ!」


 中から現れたのは数人の子どもたち。皆相応の活発ぶりで、寒空の元で駆け抜けていく。

 咄嗟に扉を避けた私に気づきもせず、あっという間に子どもたちはサウワンの街へ消えていった。残されたのは私と、子どもたちを送り戸口に立つ老婆……彼女が私の祖母だ。


「あら、お客さんかしら?」


「おばあちゃん、私よ私」


「うふふ、そうだったわねえ。どれ、かわいい孫を抱かせてちょうだい……いつの間にか大きくなって、おむつは汚れてないかしら?」


「おばあちゃん……」


「うふふ、冗談よ……さあ入って。今日の授業は終わりだから、遠慮はいらないわ」


 実は私が産まれて間もない頃、何度が会っているらしい。しかし子どもの頃の事を覚えているわけがないので、祖母にそこをからかわれるといつも参ってしまう。私は「勉強」に来たのに……。

 祖母は変わった人だ。団長を退いた後は全財産を寄付し、サウワン外周部のあばら家を買って住んでいる。そこで何をしているのかと思えば、周辺にすむ子どもたちに勉強を教えていた。曰く「学は人生を豊かにするの」と。

 私はすっかりかじかんだ指を擦り合わせながら、祖母の後をついていった。


「サウワンは寒いって聞いたけど、本当に寒いのね」


「そうよ。けれども、商売する人たちの熱気で一度も寒いと感じたことはないわ。さあ座って」


「ありがとう、おばあちゃん…………げげ」


 通された部屋、机の上には本が山のように積み上げられている。そのどれもが小難しい専門用語を並べ立てた分厚いもので、これから身を削るような時間が始まるのかと思うと、着て早々陰鬱な気分になった。

 来たばっかりなのに、一休みもさせてくれないのかしら……?

 祖母は並べられた二つの椅子の片方に腰掛け、私に手招きをした。


「さあ、早速始めましょうか。温かいスープもあるわ……沢山ね」


 無邪気に笑う祖母を見て、観念した私は分厚いコートを脱ぐ。祖母の隣に座り挨拶もそこそこに、目の前にそびえる高い城を攻略し始めた。



 ***



「ほら、ここ間違ってる」


「うそ…………うええ……だって、ここ間違ってたら、全部やり直しじゃない……」


「あなたが見直さないのが悪いんじゃないの」


 祖母は私に厳しく教育を施した。「劇団の一員なんだからこれくらいできなくてどうするの」と口癖のように私に言って聞かせた。

 昼過ぎに祖母の家に入りそれからずっと、夕食を挟んで夜遅くまで勉強漬けの一日。これがあと十日間も続くのかと思うと、私の精神は壊れてしまいそうだ。


「ねぇおばあちゃん……ちょっとだけ、ちょっとだけ休憩しない?」


「……まぁ、そうねぇ。夕食終わってからずっとだものね。良いでしょう」


 流石の祖母も身体が痛いのか、ぎこちなく首を回して机から離れる。緊張の糸が切れた私は机に突っ伏し、勉強が始まった頃より幾分か低くなった本の城壁を下から眺めた。


「スープのおかわりは?」


 ぼんやりした私の頭が、良い香りで満たされる。私は産まれてから、ずっとメフィニ劇団として大陸中を旅している。各地の食事もそれなりに食べているが、今日味わった祖母手製のスープが世界一美味しいと断言できる。


「勿論! 鍋一杯でも足りないくらいよ」


「あら、嬉しいこと言ってくれるわねぇ。でも、勉強時間は減らさないわよ?」


 二人で笑って、器を祖母に差し出す。受け取ろうとした祖母の手に、私は目を奪われた。

 祖母の手には皺とは違う、明らかに刃物によって出来た古い傷跡があったからだ。そんなのがあるなんて知らなかった。


「おばあちゃん、それ……なに?」


「なにって? あぁ、これかい?」


 どう見ても複雑な事情がありそうなのに聞いてしまう。つい口から思ったことが出てしまい、とっさに口を塞いだが遅かった。祖母はそんな私を見て破顔した。

 祖母は両手を開いて私に見せた。片方だけではなく左右の手のひらに、とても古い切り傷がついている。

 好奇心が抑えられなくなった私は、また聞いてしまった。


「それ……なんの傷?」


「これはね、そう…………思い出、かしら」


 遥か昔を懐かしむ祖母の表情に、私の好奇心はさらに刺激された。どう見ても痛々しい痕なのに、それを見つめる持ち主にはどう見ても負の感情は無い。

 少しでも勉強時間を削りたいと言う気持ちも手伝って、私は更に突っ込んでみる。


「思い出……そんな傷が?」


「……そうねぇ、丁度一区切りついてるし、昔話でもしようかしら」


 二人分のスープを持って、祖母は私の隣に座る。昔を思い出すその顔は、少し若返って見えた。


「私があなたより小さかった頃……十一くらいだったかしら。その頃のメフィニ劇団はとても貧しくて、その日の食事も食べられない時もあった。でも良い人たちに支えられて、私は幸せだったわ」


 祖母が子どもの頃のメフィニ劇団は、私が今いる劇団の姿とは全く違っていたらしい。父からはそれは何度も、劇団が今この姿になったのは祖母のお陰だと聞かされた。


「あの日共に旅をしていた仲間が、行き倒れた彼を拾ってこなければ……もしかしたらお父さんが死んだ時、私は何も出来ずに劇団は解散していたかもしれない」


「……彼?」


 そんな話は初耳だ。祖母がここまで劇団を大きくしたのは、その「彼」がいたからだと?

 私はますます前のめりになって話を聞く。祖母はスープの入ったカップを持って戻ってきた。


「彼って?」


「彼が来てから大体一月、お父さんが死ぬまで一緒にいた。そうね、名前はユウ……ユウ・フォーナー。丁度あなたくらいの歳だったわ」


「私と同じか…………え、フォーナー!?」


 突然祖母の口から出た言葉に、私は耳を疑った。フォーナーと言う言葉を、この大陸で知らない人はいないだろう。そんなすごい人と祖母は一緒に居たんだ……いや、この表情は恋する乙女のそれだ。もしかして、その「彼」とおばあちゃんは恋人だった……?


「フォーナーって……あのフォーナーよね? もしかしておばあちゃん、そんなにすごい人と恋人だったの!?」


「恋人……ふふ、違うわ。私が一方的に好きだったの……初恋だったわ」


 そう言って顔を赤らめる祖母の顔が一瞬少女に見えて、私は思わず目を擦った。そこにいた祖母はやはり祖母のままで、朗らかな笑みで昔話をしている。


「そっか、片思いね……。きっと格好良くて、立ち振る舞いも立派な人だったんでしょう?」


「ユウが……? あっははははは!! まさか!」


「ええっ、違うの?」


「そうね、あの人はこの街で強請りにあって、ただでさえお金に余裕のない劇団のお金を、巻き上げられたことがあったわ」


「……えっ」


「それにマイファーニ家で劇をやった時も、主役だっていうのに緊張で全然動けなかった。棒と演じた方がまだマシだったわよ」


「主役なのに!?」


「ええ、それに……お父さんが死んでしまった日、最初に賊に倒されたのも彼だった」


「…………そんな」


 私の知っている人物と随分と違う。祖母の話を総合すれば、あまりそばに置きたくない人物の様に聞こえる。そんな人をどうして好きになってしまったんだろう。……あばたもえくぼとか、守ってあげたくなっちゃうとか、そう言うものなんだろうか。でも私と同じくらいって……情けなさすぎるぞ、ユウ・フォーナー。


「何がそんなに好きだったの?」


「そうね……絶対に逃げなかった所かしら」


「逃げなかった?」


「ルドでゴブリンに襲われた時、逃げる馬車から「俺が止める!」って真っ先に飛び降りたのが彼だった」


 ゴブリンから皆を守るために、走行中の馬車から飛び降りる? 私だってそんなことやらない。


「強請られた後に、どうやって劇団に稼がせるか思いついたのも彼だった。まあ、マイファーニ家に頼みに行ったのはお父さんだけど」


「……」


「そしてお父さんが死んだ日。何度も彼は立ち上がって、助けが来るまで殴られ続けた。私はそれを黙って見ている事しかできなかった。そして、お父さんを殺した賊に一緒に報いを受けさせたのも彼。この傷は、その時にできたものよ」


「そんなことが……」


「きっと最初から、彼を好きになっていたんだわ。あの一月の間私はずっと熱っぽかった。後になってあの期間は、お父さんが死んだ日の夜に見た夢だったんじゃないかって思う事もあった。でもこの傷を見るたびにあの場面が蘇って、彼がお父さんと皆にしてくれたことを思い出す」


 ユウと言う人物の話をしている祖母は、まるで子どもが楽しかった事を親に報告するかのように饒舌だった。ユウって一体どんな人だったんだろう……祖母が十一の時私と同じくらいと言っていたから、果たして今生きているのだろうか。

 手の中のスープは、少し冷めてしまっていた。


「さあ、ちょっと話過ぎてしまったわね」


「……げ」


 しまった、勉強時間を出来る限り削ろうとしていたのに、話に聞き入って引き延ばすのを忘れていた。再び何か話そうとする私をよそに、祖母は椅子を立ち部屋の奥へ向かった。


「今日はもう遅いから、これでおしまい。奥に布団が用意してあるから、そこで寝なさい」


 良かった! 私はこれ幸いと祖母の後をついて行く。余計なことを言って「やっぱり続けましょうか」なんてことにならないように、ここは素直に従うのが吉だ。


「わかった、それじゃあおやすみなさい…………アドおばあちゃん」


「おやすみなさい。最後にできなかった分は、明日早く起きてやるからね」


 げげ、やっぱり忘れてなかった。明日もっと勉強量が増えるのか……でも睡眠を欲している今の私に、今日の分を終わらせろというのも酷な話だ。

 明日早く勉強が片付いたら、もう少し彼の事を聞いてみよう。彼の話をしている祖母は、この上なく幸せそうな顔をしていたから。


 そのために……頼んだぞ、明日の私。


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