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27 星の魔法

「ホラクトの女と、猫の爺! あれか!」


 突如咆哮の様な叫びが辺りに響いた。更に敵の援軍かと皆の心は折れかけたが、同じく動揺する賊どもを見てどうも違うと気づいた。

 間近まで来た地響きのような足音が不意に止むと、賊の一人が倒れた。それはピクリともせず、始末したのは一瞬の出来事だったことがわかる。

 賊の背後から現れた人物はホラクトよりも大きく、獅子のような深紅の髪を纏い、丸太の様な腕を三対持った傭兵風の人物。


「あれは…………男? ……女?」


 金属の胸当てで性別はわからなかったが、どちらにしても激しい戦いぶりだった。六つの手全てに武器を持ち、それを巧みに操る攻撃は同時に数人相手にしても尚圧倒している。その人物が剣を振り下ろせば敵の腕を断ち、槍で叩けば金属製の粗雑な兜ごと頭を凹ませる。背後からの急襲と、数人が次々と惨殺されていく。間違いなくそれは蹂躙だった。


「味方かどうかは置いといて……この状況は、切り抜けたみたい」


 アイリーンが明後日の方向をむくと、そこには次々とキャラバンから離れて行く賊たちの姿があった。目的の物を手に入れたからか、それとも略奪に満足したのか、彼らは多腕の人物に蹂躙される仲間を見ても助けに入ろうとせず去っていく。薄情な奴らだと思う勇一だったが、これ以上戦わなくて良いとわかると解放された気分に包まれた。

 最後の賊の首が断末魔と共にねじ折られると、傭兵はそれを投げ捨て劇団の方へ向かってくる。

 遥か上空から見下ろされる感覚を覚えた勇一は再びへたり込んだ。……おい、と多腕はぶっきらぼうに自らの背後に声を掛ける。

 ひょこ、とその肩越しに現れた顔に皆は覚えがあった……ターンだ。


「ターン! よかった、無事だったのね!」


「この鳥の嬢ちゃんがオレの所に来て、いきなり泣きわめくんだ。落ち着いて話を聞きゃあ、あんたらを賊から助けてくれってねぇ」


 鞘に納めた剣を担ぎ、槍を立てて話す姿は堂々としている。アドは勇一に寄り添い手を握った。周囲からは完全に敵の気配は消え、生き残った者たちは徐々に姿を表し始めた。とにかく安全は確保されたのだと、オーダスカ以外の皆は息を吐いた。



 ***



「皆、ちょっとこっちへ」


 近場に積まれた木箱を背もたれに、オーダスカは上体を起こして皆を呼んだ。彼の周囲には広がった血の海が残っており、そこに足を踏み入れるのは憚れた。しかし呼んだ本人がそこを動こうとしないので、仕方なく赤い地面を進む。

 オーダスカは青い顔をしていて、出血量から明らかに致命傷なことが素人目でもわかる。しかし彼はそんなことは気にしていない様子だ。


「あなた、しっかりして! ああどうしましょう……まずは血を止めないと」


「お父さん、大丈夫!?」


「いいんだ。止血も手当ても必要ない。ユウ、君は……女神魔法を使えるんだね」


 彼の口から突拍子のない言葉が出されると、その場の全員が訳が分からないという表情で勇一を見た。

 各地を転々としていればどこかで聞いた記憶がある女神魔法という言葉。それは旅人たちの間で流れる笑い話のようなもので、劇団の全員が信じていなかった。しかし勇一は何となくそんな気がしていたと充血した目を擦りながら返すと、オーダスカは微笑んだ。


「お父さん、今はそんなこと……」


「いいや、今でなければならない。私は……私はもう、死んでいるんだ。胸に手を当てるとわかる、心臓が……止まっているんだよ。ユウの力によって、こうして蘇ったんだ」


 彼は胸に手を当て、不思議な気分だと穏やかに話す。団員たちはざわつき、困惑した。


「ユウ、左手を」


「左手? …………あ痛っ!」


 出した左手に激痛が走る。それは血に染まったままだったが、未だ罪悪感で震える手を覆うそれは賊のものだけではなかった。左手の小指……勇一が観察すると、それは幾分か短くなっているように見えた。


「ゆ、指が……」


「やはり、これが『代償』と言う訳か」


「だいしょう?」


「二人とも何を言っているの……?」


 勇一とオーダスカ以外の者は全く話についていけていない。しかしオーダスカは説明の時間も惜しいらしく、焦りの表情で皆に伝えた。


「時間がないんだ。端的に言えば、このままではユウは死んでしまう」


 突然出された死の宣告に、勇一は動揺を隠せない。それは皆も同じのようで、全員がオーダスカに詰め寄る。


「お父さん、ユウが死ぬってどういう事よ! 女神魔法って何! 代償って何! 一気にいろんなことが起きすぎよ!」


「どどどどどういうことですかオーダスカさぁん!」


「静かに!! もう一度、手を見るんだ」


「で、でも……」


「いいから!!」


 一喝され言われるがままにもう一度短くなった指に視線を落とす。すると勇一はすぐに違和感に気付いた。…………指が、更に短くなっている。彼の小指は短く縮んでいる、いや、第一関節までが消えていたのだ。そしてそれは今も進んでいる。消えて行く度に、指先から刺されるような激痛が彼を襲った。


「これは……削れている? ……っく」


「そうだ、今は興奮しているからあまり痛みはないだろう。だが落ち着けば更に強くなるはずだ。そういうわけだから、話を続けるぞ」


「は、はい」


「お父さん……」


 淡々と話を始める父親を、アドはどんな表情で見たらいいかわからなくなった。確かにあの時、父は賊に刺されて死んだ。今も地面に広がる血液は、誰が見ても致死量だとわかる程に広がっている。彼は積まれた木箱に上体を預けているが、足が動かないのだろうか? どうしてこんなに落ち着いているのだろうか? 彼女の脳内は混迷を極めた。

 母親を見ると目が合った。彼女もどうしていいかわからないと言った顔をしてこの状況を傍観している。ガージャも、シュルテも、ターンも、ラトーも……皆、目の前で起きている事態に理解が及ばなかった。


「私が子どもの頃……三人の女神がこの世界を作り見守っているという話を、いつも母親から聞かされたことを覚えている」


「女神……」


「その女神たちは仲が悪く長い間争っていたが、やがて疲れ果てた。そこで三人は争いをやめ、共同で何かを作ろうとした。結果、生まれたのがこの世界だと」


 オーダスカの母親が毎夜聞かせてくれたおとぎ話は、世界の成り立ちをわかりやすく子へ伝えるものだった。女神はいつも自分たちを見ている、死後それは裁れるのだから、悪いことはやめなさいと言った内容だ。

 しかしオーダスカは、マイファーニ家の書庫でそのことを詳しく調べていた。結果、出所ははっきりしない、しかし各地の伝承にその形跡を見つけたのだ。


「三人の女神はそれぞれ『太陽』『月』『星』を名乗り、各々が『生』『心』『死』を司った。『生』がなければ増えず、『心』がなければ混沌とし、『死』がなければ停滞する……世界はこの三つで均衡を保ち、正しく循環し、歴史を紡いできた。

 女神魔法の使い手は、歴史の変わり目に各属性一人だけ現れるという………………ユウ、君は『死』を司る『星』の女神の力を授かったんだ。つまり、この世に三人いる女神魔法使いの内の一人……と言う訳だ」


「『星』……」


「その力で、死んだはずの私もこうしていられるんだと思う」


 自分に何が起きているのかようやく理解した勇一は、記憶を遡ってみた。確かゴブリン同士が乱闘した時、片方は積み上げられた死体の山から飛び出した……更に仮面の男に飛び掛かったゴブリンには、頭が半分なかった事を思い出す。そしてネズミの死体からマナンが現れた件……それにも彼は覚えがある。


(ドウルさんの遺体に激突した時、俺はいつの間にかサラマたちを追い越して森の中にいた…………ネズミからマナンが現れたのと併せて考えると……俺は、死体同士をポータルとして使える? 死者を蘇らせ、死体を道具として扱う魔法。

 ああくそ、まさかそんな……俺は)


 自分の力の一端を理解したと同時に、彼の脳裏を冷たい液体が満たした。


(………………死霊術師(ネクロマンサー)、か)


「心当たりがある顔をしているね」


 勇一は喉元まで出かかった内容物をどうにか押し込んだ。ただの人からすれば、それは死者の冒涜のように見えるだろう。なぜ星の女神は自分に力を授けたのか。人知の及ばぬ女神の思惑などわかる訳もなく、涙を流す彼をみてアドはその背中をさすった。心配そうに皆が見守る中で、オーダスカは更に続ける。


「しかし、女神魔法を扱う者について回る問題がある……『代償』だ」


「俺の……この指がそうだと?」


「ああ、他の女神魔法の事についてあまり確かなことは言えないが……確実なのは、女神魔法(それ)を行使する度に代償が支払われるという事だ。それはやがて、自らを死に瀕する程に」


 オーダスカの顔色が悪い。既に死んでいるのだから最初から青ざめていたのだが、段々と肌は黒ずみ、眼は白濁してきている。おそらくもう時間がないのだろう、勇一は何とかできないか考えるが、自覚したばかりで扱い方もわからない力ではどうしようもなかった。


「オーダスカさん、ごめんなさい……俺がもっと注意していれば、こんなことには…………」


 もっと慎重に行けばよかった。

 もっと強ければよかった。

 もっと……もっと…………。

 自分のせいで大切な人を死に追いやってしまった自責の念は、いくら謝罪しても晴れることは無い。そんな彼を気遣ってか、オーダスカは優しく答えた。


「いいんだ。これが運命だったんだ。それに、君はアドと一緒に奴に報いを受けさせたし、こうして、皆とお別れを言う時間をくれたじゃないか……感謝こそすれ、君を恨むなんてある訳がない」


 俯いた勇一の眼から、再びとめどなく涙があふれる。膝の上で拳を握り締め肩を震わせる彼は、その言葉についに声が漏れた。死人に苛まれる者が多い中、救われた彼はどれだけ幸せなことか。


「オーダスカさぁん……」


「ガージャ」


 脚の折れたガージャは、シュルテに抱きかかえられながら話す。シュルテにはラトーを守ってくれと言い、馬車を飛び出した彼は大けがを負った。しかし結果的に、アイリーンが到着するまでの時間を稼いでいた。


「お別れだなんて、悲しい事言わないでくださいよ……。ワタシ、シュルテと夫婦(めおと)になるんです。ターンとラトーを養子にして、二つの家族で力を合わせて劇団を大きくしようって……親子ほど年の離れたワタシを好いてくれて、本当に、ワタシは…………あなたに拾われて、今日までワタシはどれだけ救われたか。まだ恩を返し切ってないんですよぉ!」


「そうだったのか……皆の幸せを祈っているよ。ガージャは演技、シュルテは脚運びの天才だ。二人ならターンとラトーも良く育つだろう」


 ぽと。オーダスカの口から歯が落ちた。表情も変わらなくなっている。彼が消えてしまうのに、もう時間は幾ばくも無い。勇一は力の使い方がわからないなりに念じたり拳を握り締めてみたが、どれも効果が薄かった。


「あなた……」


 ラシアタが屈み、オーダスカに口づけをした。互いの手を握り確かめ合う。彼は妻の耳元で別れの言葉を囁いた。


「私は消えるわけじゃない、いつでも見守っているよ。大丈夫、ケルンがいるから寂しくはない」


「もう少しだけ、待っていてくださいね……愛しています」


「私もだ……愛してるよ、ラシアタ」


 アド、とオーダスカは前に手を出しかすれる声で呼んだ。眼は完全に濁り、誰がどこに居るのか把握できていないのだ。アドは伸ばしたオーダスカの手をとり頬に触れさせた。


「アド、人はいつか死ぬ。お父さんは、それが少し早かっただけだ」


「やだ、お父さん……やだよう」


「わがままを言うんじゃない。それに私をこのままにしておけば、ユウの身体が削られやがて死ぬ。そんなのお父さんは望まない。お父さんの劇団を継いで、夢を叶えておくれ」


 アドを引き寄せ胸に抱く。いつもは暖かい父親の胸が雪のように冷たいのを感じて、彼女はようやく理解できた。しかし感情はそうもいかないので、少しのあいだ父親のいう事に頭を振っていた。

 彼女の頭を撫でる手は枯れ枝のように細く変化し、指先は黒く変色している。頬はこけて別人のような人相になっても、かすれた声だけは優しく娘の名前を呼び続けた。


「……お父さん、みてて。私、メフィニ劇団の名前を知らない人はいない世界にするから。みんなが憧れて、世界中の人たちが楽しめる劇団にするから……」


「ああ、アドならできる。必ず、絶対だ」


 一通り皆に別れを告げたオーダスカは、再びユウの方へ顔を向ける。頭を動かす動作すらぎこちなく、骨の軋みが聞こえてくるようだった。彼は精一杯の力で息を吸うと、最後の一言を放った。


「ユウ、やってくれ」


「…………」


 力がうまく扱えない彼は、少しばかり難儀した。魔法を思ったように持続させられないので、蘇らせた者をどうやって還すのかわからなかった。しかし要は繋がりなり供給なりを断てばよいのではと、頭の中でオーダスカとのつながりを断ち切る想像をしてみる。


「あ……お父さんが…………」


 オーダスカの身体から、僅かに塵が舞い上がった。それは一本の柱のように連なり天へと昇る。風に逆らうように舞う塵で出来た柱は、オーダスカの身体が消えて行くのに比例して伸びて行った。雲はなく、全ての星々が別れを見守っている。


 ――ユウ。


 不意に勇一の耳に聞いたことのない声が響いた。目線を上にやると、そこには彼とそっくりな青年が浮かんでいた。しかしその眼は勇一と違って茶色をしている。


(……ケルン、か)


 ケルンは静かに頷いた。初対面なはずなのに、勇一はその姿をどこかで見たような気がした。


 ――僕はお父さんを連れて行くから……その身体、大事に使ってよ。


 劇団の誰もが彼に気付かないので、その姿は自分にしか見えないようだと勇一は理解した。なので心の中で深く頷くと、ケルンはほっとしたような表情を浮かべた。


 ――よかった……これで、逝ける。


 娘を抱いた手に、僅かに力が込められた。家族を想い夢に生きた男は、最期は娘に微笑を向けて旅立っていった。

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