22 少女の背伸び
よく、眠れたかしら?
ずっと今のように安定してくれれば、私も自由に動けるんだけど。
…………ごめんなさい。理由を言うわけにはいかないわ。
貴方は少しずつこちらに近づいている。だからこうしてやり取りができるようになった。
記憶は、まだ持っていけないようだけど。
更に接近すれば、それもできるようになるかもしれない。
だから、よ。
……その力を持っていれば、運命が貴方を導くでしょう。
そしてどんな形であれ、大きなうねりに関わることになるわ。歴史が、そうだったから。
全てが終わる頃には、私たちの用も終わっているでしょう。
だからしばらくは、死なない事だけを考えて……ね。
***
「本当に残念だ。ここにいれば、生活に悩むことなど無くなるというのに」
演劇は数日間だけ公開され、大層な評判となった。中央区に住む者たちはマイファーニ家へ押しかけ、あの演劇を見せてくれとせがんだ。
そしてここを離れる頃には、メフィニ劇団はすっかり有名になってしまった。
「私たちは、旅の劇団なんだ。一ヶ所に留まることはないよ……これからもね」
ライアンはメフィニ劇団を雇いたいと提案した。マイファーニ家専属の劇団となって、そこで演劇をやってほしいと。しかしそれは自由がなくなるという事だった。確かに衣食住には困らないが、どこにでも行きどこででも劇を披露するという、メフィニ劇団の存在意義とは合わないものだ。
故に、団員の満場一致で旅を続けることになった。
「アイリーン、本当に後から来るのよね?」
「うん、私はもう少し調べることがあるから。私も目的地がエンゲラズだし、一人だし、そっちのキャラバンより速い。すぐに追いつく」
メフィニ劇団はエンゲラズへ向かうキャラバンに同行し、街道を通って向かうことになった。最後尾についた劇団を、ライアンが見送る。
「オーダスカ、我が家の書斎は役に立ったかな? 思えば子供の頃、ずっと本ばかり読んでいたな」
「ありがとうライアン、おかげで面白いことを知れたよ。落ち着いたら、彼に話してみるつもりだ」
「…………どうか、無事で」
「ああ」
懐かしさと別れの名残惜しさを残して、二人は固く交わした握手を解く。更に一言二言話し、別れが惜しくならないうちにとオーダスカは馬車に飛び乗り手綱を握った。
ライアンが先頭に向かって手を上げると、キャラバンは動き始める。やがて最後尾のメフィニ劇団が走り始めると、荷台からターンとラトーが身を乗り出してライアンに手を振った。
そしてキャラバンが砂粒程の大きさになると、丸い身体をくるりと反転させ独り言つ。
「いい子たちだったな……」
「危うくあの笑顔を消してしまう所だったの、わかってる?」
「ひぇっ、アアアアアイリーン様いつの間に!? わかっております、おりますともぉ……」
背後からの声に思わず飛び上がり振り向く。無表情のアイリーンは小さくため息をつくと、中央区に背を向けて歩き出した。
「何か食べてくる……調べ物は、その後」
太陽が地面を暖め始める。北からは相変わらず冷たい風が吹いていた。
***
見事に整備された街道を、数多の馬車が土埃を上げながら進む。一台を除いた全ての馬車が真新しい幌と荷台で、それを引くのは見た目麗しくとても従順な馬たちだ。その集団の最後尾……老いた馬が引く、薄汚れた幌と荷台の馬車がメフィニ劇団である。
団長が手綱を引く馬車の中で、団員たちはこの数日間の話に花を咲かせていた。見たことのない程に豪華な劇場、小道具、椅子、幕……初めて味わう食事や酒。自分の為に食事を持ってきてくれる使用人の存在など、経験したことがあろうはずもない。だが誰一人として、ライアンの提案に乗ろうと言い出す者はいなかった。次にあんな経験をするのは、全てを自分たちだけで稼いだ時だと皆考えていたからだった。
街道を通ってもエンゲラズへは数日の距離にある。やがて太陽が地平線に掛かるとキャラバンは歩みを止め、それぞれが野営の準備を始めた。いくつもの焚き火が夜空を照らし、簡単な食事を済ませた者たちは思い思いに寝床へ向かう。
メフィニ劇団の馬車から少し離れた場所で、消えつつある焚き火を眺める二人。座り込んで物思いにふける勇一とアド。赤く熱を持つ焚き火をぼんやりと瞳に映した勇一とは対称的に、アドはそわそわと落ち着きない。
二人は当たり障りのない言葉を交わしていたが、そのうち少女は意を決したように話しかけた。
「ユウ、それちょっと貸して」
「え? いやこれは」
「大丈夫、取ったりなんてしないから」
彼女が言っているのは、勇一の左腕に巻かれた金の首飾りの事だ。亡き恋人から受け取ったそれは、彼の腕の中で静かにきらめいている。そんなものを寄こせと言うのだから、よっぽど何かあるのだろう。彼はそれを慎重に腕から外すと、彼女に手渡した。
「ん。落とさないか、心配だったのよね」
「一体何を……」
「まぁ黙ってみてなさいよ」
片方の手が地面にあてられる。手のひらをゆっくり地面から離すと、それにつられるように地中から植物の根が現れた。近くに生えている樹木、その太い根の一部だ。
「……根付くものよ、どうか私の願いを聞いて。ほんの少しだけ、あなたの一部を分けて」
するとその根から、少しずつ何本もツタが伸び始めた。一本一本は細く頼りないが、束ねると立派な縄になりそうなツタだ。彼女はそれらを全て引き抜くと手元に引き寄せ、黙々と編み始める。交互に重ねたツタの中心に勇一の飾りを織り込んで、更に編み上げる。やがて彼女の小さな手には、小さな帯が出来上がった。
「できた。ユウ、利き腕を出して」
「……」
戸惑いつつも出された右手首にそれが結ばれ、ぴったりと勇一の手首に巻き付いた。細い金の飾りが、波打つように腕輪の中に編み込まれている。
「これで、落としたり千切れたりの心配はないわね」
「これは……腕輪か。アドにこんな趣味があったなんて」
「趣味というか、まぁ、その、出来るからやったのよ。……中々良い感じね」
勇一がまじまじと腕輪を見ると、編まれたツタは微妙に色合いが違い、とてもではないが売りに出せるような代物ではない。しかし逆にそれが年相応な技術で作られ、彼のためだけに作られたこの世に二つとない物であることを示していた。
心地よい締め付けの中に見え隠れする金色は、まるでサラマがより近くなったようだと彼の顔は思わず綻んだ。それを見てアドは、ほっとしたように微笑む。
「ありがとう、アド。大事にするよ」
「いいの。アンタには助けてあげた以上の事をしてもらったんだし、お礼はこっちの台詞よ」
「いや、命を救ってもらった以上の事をしていないさ。皆からは、返しきれないものを貰ってるよ」
「……じゃあ、お互い様ってことで。ふふふ」
「そうだね、はははっ…………」
勇一はいやに素直なアドに若干戸惑いつつ、同時に彼らとの出会いに思いを馳せた。復讐の旅が始まった途端に行き倒れた所を彼らに拾われなければ、今生きてはいない。恩返しの為とは言え、考えなしに馬車から飛び降り大けがを負う所だった。仮面の男を探すために情報を得るために、脚が棒になるまで歩き回った。一月にも満たない期間であったが、劇団と一緒に居た時間は間違いなく大切なものだ。
そして今、仮面の男がいる場所……少なくとも手がかりはあるであろうエンゲラズまで残り数日という所にきている。自分の力が何だとか、仮面の男に敵う敵わないだとかの問題は、結局解決しなかったな……と、頭にかかる霧を感じながら、彼はゆっくりと消えゆく焚火に目を移した。
「……あ、あのさユウ。ちょっと話があるんだけど」
「うん?」
移した目線が再びアドに戻ると、彼女は勇一から顔を背け俯いていた。癖のある黒髪の隙間から、真っ赤に染まった耳が覗いている。
膝を抱えた少女は、意を決したように上ずった声で話した。
「あああああの、えと…………」
「落ち着けアド、ゆっくりでいいから」
「………………復讐がおわったらさ、劇団に来ない? そ、その……よかったらでいいんだけど」
思わぬ提案に勇一は虚を突かれた思いがした。彼の目標は復讐であり、メフィニ劇団は偶然道程が交わったに過ぎない。当然いつかは別れが来るつもりでいたし、向こうも同じ事を考えているのだろうと思い込んでいた。
しかし目の前の少女は、それは嫌だという。彼が了解すれば、劇団に席を設けてくれると……。勇一はたまらなく嬉しくなった。この世界で身寄りもない上に迷惑をかけた自分に、いてほしいと言ってくれる人がいるとは思っていなかったから。
「それは嬉しいな。全てが終わってからの事、何も考えてなかったし」
「じゃ、じゃあ!」
「でも約束は出来ない。復讐を終えたら、まずは村の皆を弔ってやらないと。それにもしかしたら、負けるかもしれない」
「………………」
廃墟となった竜人の村には、ゴブリンどもに食い尽くされた者たちが放置されている。世話になった者たちを野ざらしにするのは忍びないと、せめて埋葬してやらねば彼の気が済まなかった。
そして「死ぬ」とあえて言わなかったのは、彼なりの配慮なのか。……そんなのは嫌だと少女は頭を振る。隣に座る彼と、ずっと一緒に居たい。口づけという手段が駄目なら、やはり言葉で伝えるしかないのだと観念するアドは立ち上がる。周囲に建てられた松明を頼りに二歩歩き、胡坐をかく勇一と対面した彼女は、改めて彼の眼をまっすぐに見つめた。細く小さな身体が飛び上がりそうな程に心臓は大きく脈打ち、また彼を見つめる黒い瞳は僅かに震えている。遠くで揺らめく火が彼女を照らした。
「私、もっと大きくなったらこの劇団を継ぐんだ」
「……うん」
「もし、もしだよ? 全部終わって、劇団に来て、それで……私が団長になったら…………」
「……なったら?」
「私と……その……………………………………きゃあ!」
「アド、伏せろ!」
勇一はアドを押し倒した。下で固まる少女の頭を抱え、とにかく姿勢を低くする。あちこちで響く叫び声と、小刻みに繰り返される鐘の音。それはやがて大きくなり、キャラバン全体に張り詰めた空気が走った。
離れた所に留めた馬車から飛び出したオーダスカは、すぐさま音の方へ駆け出す。途中地面に伏せる二人を認めると、同じように頭を低くして近寄った。
「大丈夫か二人とも。あの鐘の音は緊急事態の合図だ」
「緊急事態?」
「雄たけびが聞こえないから、ゴブリンや魔物ではない。となるとおそらく、野盗だ」
「そんな奴らが……」
「だが大丈夫だ。こちらは護衛を雇っているから、並大抵の盗賊では歯が立たないよ。隠れてやり過ごそう」
しかし勇一には、暗闇に響く鐘の音がひどく不吉なものに聞こえてしょうがなかった。




