18 マイファーニ家
サウワン中央区、メフィニ劇団はこの街の中でも特に裕福な者たちが暮らす区画にいた。そこは面積こそ広くはないものの地面は雑草や落ち葉一つなく、道に沿って並ぶ一軒々々が家主の趣向を凝らし贅の限りを尽くしている。まるで隣人と張り合うかのように、道に面した壁面は装飾と彫刻が争っていた。ともすればここは、単に芸術家が己の感性を爆発させた結果できた場所なのではないかと思わせる程だ。
サウワンのほとんどを構成しているのは庶民や平凡な商人の住む外周部だが、街の富の大半は中央区に住む富豪の懐の中だ。また外周との境界には深い堀が設けられていて、互いの世界を一層深く隔てていた。まるで上昇気流のように外から巻き上げた富で、中央区の住人たちが居城を構えている。
またそこに住まう人々も自らを着飾ることに余念がなかった。外周部の住人も他の町と比べれば十分豊かな身なりをしている。しかし中央区の住人の服は輪をかけて鮮やかで、さらに全ての指に宝石がいくつも輝いていた。
とにかく目に入るもの全てがきらびやかで目が移ろう。メフィニ劇団の皆は初めて景色に口を開き、茫然と興奮が入り混じった表情をするしかなかった……オーダスカ以外は。
しかし見た目が派手であるからと言って、中身はどうなんだと言われればそれはそれである。裕福な者がいるという事は、その分貧しくなった者もいるのだ。ここ中央区に住む者は何れも他者を陥れ、奸計を巡らせた結果その椅子に座ることができた者たちである。今日も中央区の住民たちは、表向き談笑しながらもどこか相手の柔らかい場所は無いかと互いに探り合うのだった。
「メフィニ劇団の皆さまでございますね、お待ちしておりました。……ご案内いたします」
サウワン中央近くで途切れる大通り、途切れた所から堀を超えて橋が架けられている。そこは唯一外界と中央をつなぐ通路だ。故に衛兵が常に立ち、出入りが厳しく監視されていた。
橋の手前で皆を出迎えた執事らしきブラキアの男は、地に響くような低い声でついてくるよう促した。その目線が明らかに客人を迎えるものではないことに勇一は気付く。
男は颯爽と自分の馬に飛び乗ると、振り向きもせずに進み始めた。
「……絶対歓迎されてないよね、あれ」
「あの顔、心底私たちを哀れんでる感じだったわ」
マイファーニ家へ向かう途中、中央区の住人と何度もすれ違う。彼らは劇団の馬車をみると、まるで醜悪なものを見るような目をむけた。皆はそんな視線から隠れるように幌の奥に身を潜め、はためく僅かな隙間から外をうかがっていた。
***
勇一は胃が痛くなる思いがした。確かに中央区の住人に比べれば、自分たちの身なりは些か地味だと言わざるを経ない。しかし正門ではなく下働きの者たちが出入りするような裏口に案内されたので、彼は思わずため息をついた。
通された部屋もおよそ屋敷の外見とはかけ離れたもので、壁には所々しみが見える。こんな扱いはないだろうとせめて言ってやりたがったが、開いた口はオーダスカからの無言の圧力で塞がれてしまった。
「こちらで支度を。必要なものがありましたら、使用人にお伝えください」
一礼し、役目は終わりとばかりに部屋をそそくさと出ていく男。
案内された控室に荷物をおき、団員たちのなれた手つきで演劇の準備が始まった。全員で台詞を合わせ衣装を整えはじめる。七日間と言う短すぎる期間、ほとんど不眠不休で覚えた台詞を全員で諳ずる光景は何かの儀式のようだった。
「どうユウ。台詞は覚えられた?」
「なんとか。……でも何で俺が」
「言い出しっぺじゃないの。言うだけ言って何もしないなんて、示しがつかないわ」
「ユウ……私も出るんだから、文句は無し」
「アイリーン」
アイリーンは顔の上半分を隠す面を被り、役の動きを確認している。誰よりも早く台詞と動きを完璧に覚えた彼女は、ラシアタの役目である衣装作りの手伝いもしていた。
ラシアタは嬉し涙を浮かべながらアイリーンの手を取り、感謝の言葉を述べる。
「本当にありがとうアイリーン。手伝ってくれたから、細部まで作り込める余裕ができたわ」
「ラシアタは腕が良い。私はかえって邪魔をしてるんじゃないかと気が気ではなかった」
「うふふ……そんなことはないわ。ありがとう」
仮面の奥で金色の瞳が優しく輝く。
大きな体格のシュルテや一番背の低いターンまで、劇団の衣装制作や修繕はラシアタの仕事だ。布や革を採寸も無しに裁断して繋ぎ会わせ、ぴったりな衣装を作るその能力は目を見張るものがあった。
「皆、七日間の強行軍本当にありがとう。これが成功すれば、劇団の状態はかなりよくなる。後は、皆がうまくやってくれると信じているよ」
励ますオーダスカに全員が注目する。本番直前のヒリヒリとした空気は、勇一の心も例外なく高ぶらせた。
アドもきつく拳を握り締めて膝に置き、両肩は僅かに震えている。
「さぁてもうすぐなわけだが……大丈夫かユウ。顔色が悪いぞ?」
「ちょ、ちょっと緊張しすぎて……」
「そうか……今のうちに用を足してくるといい。扉を出て左へまっすぐだ」
確かにここで落ち着かなければ、本番でどうなるか分かったものではない。促されるままに立ち上がり、勇一は部屋を出る。言われた通り静かな廊下を左へ進みやがて見えた背の高い扉を開くと、ほのかに排泄物の臭いが鼻をついた。扉自体もそうだったが、排泄をするにはあらゆるものが彼には少し大きいようだ。
(…………ああ、使用人が使う方ってことか。便器も扉も大きいってことは、きっとホラクトが使うものなんだろう)
そこは確かにかすかな悪臭が漂っていたが、極端に不潔と言う訳ではなかった。床も壁もよく掃除されていて、あらゆる物につやが出ている。
奴隷と言われる彼らは、自分が知っているような――いわば虐げられるような立場ではないのかもしれない、と彼は思った。しかしそれが常識ではない彼の感情には、違和感という重しがのしかかる。
(俺に内政の能力とかあったら、すぐにでも奴隷を解放できるんだろうか。…………所詮ラノベはラノベだ。俺にできることは、少ない。
今はどうにか自分に出来ることをやるしかない、か)
沈んだ感情も一緒に流水へ流し、彼は廊下に出た。気持ちを切り替え、劇団の皆が待っている部屋に足を向ける。
「あー、君は劇団のものかね?」
静かな廊下で不意に背後から声をかけられたので、勇一は飛び上がりそうになった。
振り向くとそこには、一目でこの屋敷に住んでいることが想像できる太った男が立っている。三十代くらいの男は、にこやかに笑って膨らんだ腹を揺らした。
「ん? まちがったかな……」
「い、いえその通りです。メフィニ劇団のユウ・フォーナーです。」
振り向いた彼の顔を見て、男は最初に目を見開いた。そしてその身体を弾ませながら、勇一をまじまじと観察する。その丸い身体が動くたびに、勇一は彼の着ている服が悲鳴を上げているような気がした。
やがて男は身体を起こし、おそらく腰であろう場所に手を当てた。
「ははぁ、君が……」
「あの? 団長なら控室に」
「んん! いや違うんだ、探していたのは君だよ」
初対面の人物から「探していた」と言われ勇一は混乱した。どう考えても相手との接点が思い浮かばないのである。もしかしたら自分は、気付かないうちに無礼な振る舞いをしてしまったんだろうか、とも思った。
とにかく何か答えなければ、その真意がわからない。しかし彼の頭は連日の演劇の練習によって疲弊し、正しい受け答えをするための処理すらできないでいる。
「ハッハッハ! まあ混乱するのも無理はないだろう。私も知っているのは、君の容姿だけなんだ。まさかこんなところに居ようとは」
膨らんだ顔から良く通る快活な笑い声が廊下に響く。
「失礼ですが、一体……」
どういう事なんです?と言おうとした彼の言葉を、男は手を広げて制止した。
「灰色の髪、見たことのない青い目、そして帯刀。そんな格好のブラキアが、街中で人を探し回っていると聞いた」
男は口角を釣り上げ、人懐こい笑みを浮かべる。勇一はそれが何となく危険な微笑だと感じた。
「探しているのは……ローブで全身を隠した、青い髭の、右腕のない中年以上の大男、だったね」
「知っているんですか……?」
「知っている……と言ったら?」
勇一の心臓は跳ね上がった。大陸でも特に人の出入りが激しいことで知られるサウワン。五日間足を棒にして聞きこんでもかすりもしなかった情報が、向こうからやってきた。
しかし――と彼は我に返る。危うく男に掴みかかりそうになるところをぐっと堪えて、拳を握り締めた。都合よく向こうからやってくるなんてことは考えにくい。都合の良いことは、決まって厄介事と一緒にやってくる。
(そうなのだとしたらこの男は、一体俺に何をさせようと?)
「君、すぐに顔に出ると言われないかね?」
そして彼もここ中央区に住む人間。それなりの経験とそれなりのあくどいことを一通り経験してきた男。戸惑う勇一の様子を微笑を崩さずに眺めている。
「まあ、いい。君が欲しい情報を教えてやってもいいんだが、一つ頼みを聴いてくれないか?」
ここで情報を先に聞いてしまえば、勇一は「頼み」を聞かざるを得なくなる。彼はすぐに首を縦に振らずに、男の考えを探ることにした。
「……頼みの内容に、よります」
「ふふ……流石にあんなことがあった後では、慎重にもなるか。……まあいい」
丸い男が言っているのは、数日前に銀貨二枚を取られた件だろう。どうしてそこまで知っているのか、その耳の速さに勇一は表情が強張るのを隠せなかった。
――目の前の男は、おそらく何でも知っている。彼は一体どんな無茶を言ってくるのだろうと、勇一は身構えた。
「そう緊張しなさんな。頼みと言っても難しい事じゃない、ただ……」
「…………」
男は一呼吸置いて勇一に耳を貸すよう手招きした。二人しかいないとはいえ、流石に危害を加えてくることは無いだろうと思った彼は素直に従う。
「頼みというのは、な。………………」
「……ええっ」
そのあまりの要求に、勇一は硬直してしまった。用事を済ませた男はすぐに離れ、その巨体を弾ませながら劇団の控室とは反対方向に向き直る。
「私はライアン・マイファーニ。うまくやってくれることを、期待しているよ」
男は静かな廊下を悠然と歩いて行く。
静かな廊下に、茫然とした勇一だけが残されていた。
***
「遅かったじゃないユウ。みんなアンタを待ってたんだから」
「あ、ああ。ごめん」
控室に戻った勇一はアドの隣に座った。どこか上の空の彼を心配してアドは袖を引っ張るが、どうも反応が鈍い。
「ちょっと、しっかりしてよ。アンタと私で主役なんだから。台詞を忘れてないでしょうね?」
「そう、そうだね……ちょっと外の空気を吸ってたんだ」
「……もう」
「皆揃ったな。今回、成功すれば今までで一番実りのある演劇になるだろう。客も目の肥えた富豪たちばかりだ。そんな彼らの横っ面を引っ叩いて、メフィニ劇団の名前を刻んでやろうじゃないか!」
勇一はオーダスカの激励を聞いても上の空で、そこにただ座っていた。彼の頭の中には、ライアンの「頼み」が洞窟内のように反響していた。
――頼みというのはね……劇を台無しにしてほしいんだ。それが出来たら、君が欲しい情報をやろうじゃないか。




