17 ひらめき
安定してる。とてもいい状態ね。
このまま貴方が旅を続けてくれれば、私としてもありがたいわ。
…………。
どうして自分の前に現れるのかって?
あー、ふふふ……違うわ。
私が行ってるんじゃない、貴方がこっちに来てるの。
そして段々『こちら側』に近づいてきている。こうやって受け答えできるようになったのがその証拠……まるで帰巣本能ね。
でもあまりのんびりしないでね。起きたら忘れているでしょうけど。
私は『星の女神』。その旅路に、祝福のあらんことを。
***
「………………………………はぁーーーーぁ」
街中に灯りがともされ始めた頃、とある店先から浮かない顔の勇一が現れた。身体中の空気が抜けるほどのため息をついた彼は、肩を落としながら歩き出す。
サウワンについて五日。彼は一向に進展しない人探しに疲れきっていた。広いこの街を足が棒になるまで歩き回り、人が集まる場所に行っては必要ならば金を支払い仮面の男の特徴を聞いて回る。しかし全てが空振りで、酷いときなど探し人とは全く違う人物の元に案内されたこともあった。
これだけ人の出入りが激しい街で全く情報がないということは、仮面の男はよっぽど隠れるのがうまいのだろうとすら彼は思い始めている。
日が沈み星が輝く空を見上げ、次に彼は手の中で踊る数枚の銅貨に目を移した。
「今日もこれだけか…………食費の足しにもならないな」
劇団の好意で共にいさせてもらっている立場の彼は、先日の銀貨の件もありせめてその穴埋めをしようと日雇いで仕事をしている。オーダスカやラシアタは気にしなくても良いと言ったが、彼は納得しなかった。
だがいくら若いブラキアとはいえ、身元も知れぬ者に倉庫番や会計などを任せるわけにはいかない。そうなると必然的に簡単な雑用などを押し付けられることになるのだが、当然給料は雀の涙程だ。
「いやいや、稼げるだけまだましだ。後は何とかして劇団を稼がせないと。……ああくそ! こんな時こそ向こうの知識の出番じゃないか…………何にも思いつかないんだけど!」
彼が身を寄せている劇団はサウワンの文化に合わず苦労している。ここで暮らす庶民と呼ばれる者たちの娯楽と言えば賭け事で、演劇とはほとんど無縁なのだ。
皆が待っている馬車への道すがら、頭の中は自然と劇団をどうしたら助けられるかを考え始めた。
(大衆演劇と言えば喜劇だとアドは言っていた。楽しく食事をしながら笑ってみられる劇を皆は求めてると……でもここでは違う。
ガージャさんやシュルテさんだけでは劇団が食べていくだけでも厳しい。なら自分たちが出来ることを、アドが言うお金持ちの人たちに売り込んでいくしかない。……でもお金持ちが求めてるような劇がメフィニ劇団に出来るのか?
いや、そもそも演劇の素人である俺がこの問題に口を出していいんだろうか……それを言ったらおしまいか)
五日間で何度目かの堂々巡りに陥ったところで、これはいけないと頭を振る。今まで世話になりながら自分ができることと言えば、自らの食費を浮かす程度しかないことにいら立ちも感じている。
場末の露店では古くなった食物が捨てられようとしていた。店主を呼び止め、すっかり冷めて固くなった何かの肉を格安で譲ってもらうことに成功し、彼は思わずほくそ笑んだ。
その日の夕食にようやくありつけた安堵の次に、ふと劇団を仕切っているメフィニ夫妻の事が頭に浮かんだ。彼らの好意なくして、今の自分はいないと改めて思う。
(そういえば二人はどこで知り合ったんだろう。ホラクトが奴隷と言われているこの世界では、身分違いの恋愛はそれなりにあるんだろうか)
ブラキアの国であるヴィヴァルニアではホラクトは奴隷である。オーダスカとラシアタが夫婦になってアドリアーナという子どもまでできてしまったら、周囲からは相当厳しい目で見られていたのだろうことは勇一にでも容易に想像がつく。
(身分違いの恋、と言えば悲恋……悲恋…………そういえば文化祭の時…………ちょっと、まてよ)
軽い頭痛とともに浮かび上がる記憶、それは彼が向こうの世界で経験したことの一部だった。
体育館と呼ばれる場所、舞台の上、明るい光が目の前の人物を照らす。その光景が目の前によみがえったのだ。
(そうだ、あの時……あの劇ならそれなりに短かったし、俺でも台詞を覚えてる)
これならいけるかもしれない。そんな希望を得た勇一はまばらな通りの通行人たちを押しのけ、まっすぐに劇団の馬車の方角へ駆け出した。
***
「……というのを考えたんです。オーダスカさん、どうですか?」
「どう、と言われてもな……」
オーダスカは困惑していた。満面の笑みを携えて帰って来た青年は、馬車に乗り込むなり団長の名前を叫んだ。
自分を見つけるとすぐさま駆け寄り、その口から演劇の脚本が流れ出す。
「ううむ、確かに……内容は中々いい出来だが…………。劇場も借りられない私たちにはどうしようもないじゃないか」
「でも何もしなければ、どうしたってやっていけなくなります。それならいっそ、この劇団の出来ることを売り込んでみませんか?」
勇一が話したのはとある演劇の脚本だった。向こうの世界で友人らと共に行った演劇、それを「昔村に旅芸人がやってきたときに見たものを思い出した」という体でオーダスカに伝えた。
オーダスカは彼の突飛な提案を否定したかった。どう考えても自分たちの様な貧乏劇団に場所を貸してくれる者が、ここサウワンにいるわけがないと。
だが事実彼の言うとおりであることもわかっていたので、その提案に飛びつきたい気持ちもあった。
「しかし、うちに劇場を貸してくれるところなど…………」
オーダスカの言いかけた言葉はそれ以上出ない。ラシアタの刺すような目線が彼を石のようにしてしまったからだ。彼女の何か言いたげな目線に、彼は一つの可能性に思い至った。しかし
「あなた?」
「いや、だめだ! それだけはどうしてもだめだ!」
「あなた、私は平気です」
うろたえるオーダスカとそれをなだめるラシアタ。二人以外の団員は、何があったのかと顔を見合わせる。
「だって今更じゃないか! 今更、どんな顔をして…………!」
「正直に言うんです…………助けてほしいと」
「ラシアタも、無事ではいられないかもしれないんだぞ?」
「あなたと一緒なら、平気です。皆のために沢山背負ってきたでしょう、今更なんです?」
頭を掻きむしるオーダスカにラシアタは寄り添った。覚悟を決めたような彼女の表情を、アドと勇一はとても美しいと思った。
俯いて額に手を当てるオーダスカを全員が見守る。全ては、団長である彼の決断次第だ。
「……本当に、いいんだな?」
「ええ。勿論」
「…………ユウ、その『昔見た演劇』を出来るだけ詳細に思い出してくれ。私が書き起こす。『火よ、僅かにあかりをともしたまえ』」
「……はい!」
何処からか取り出した紙と羽ペンを両手に、オーダスカはロウソクへペン先を向けた。一拍して静かに火が灯ると、今度は大きく胸を逸らし、次に大量の息を吐く。
「おお、久しぶりに仕事に打ち込む団長が見られますなぁ……」
「……よし、始めよう」
小さな机に向かった彼の表情は、勇一が見たことがないほどに真剣な顔つきをしていた。
***
「それで、私たちが寝た後もお父さんに付き合ってたの?」
「一通り伝えた後は、『寝てていいよ』って」
「お父さん、朝も机に向かってた。よっぽど集中していたのね」
日が昇りきったあたりに、オーダスカの仕事は終わった。
しかし終わるやいなや書いたものをまとめて、行き先も告げずに出て行ってしまったのだ。なので劇団の皆は彼が戻るまで今まで通りに活動している。
アドと勇一の二人はというと、勇一の情報収集も兼ねた散策の途中で昼の休憩に入ったところだった。
「じゃあ、お父さんが帰ってくるのを待つだけね。……話は変わるけど、ユウ」
「ん?」
「文字が読めないのに、いろんな言葉がわかるなんて変よ。……まあそのおかげで、ぼったくられずに済んだんだけど」
散策に出てから少しした時だった。アドが買い物をしようとしたとき、店主がわざと公用語以外の言葉で捲し立ててきたのだ。
「公用語で喋りなさいよ!」と怒鳴り付けるアドを抑え勇一が通訳すると、何故か店主の声は明らかに小さくなる。遂には公用語で話し始めたものだから、アドは怒りのままに値下げ交渉に入り結果値札の四割というとんでもない額で購入を果たしたのだ。
「村長が大陸戦争の時、色んな人から言葉を習ったらしくて、それで……」
「ふうん……ま、何でもいいわ。おかげで日用品を買いだめできたんだし」
買ったものが詰まった木箱を踏み台にしてようやくアドの上半身が机の上に現れる。ここのところ毎日食べている固いパンを頬張り、すぐに水を流し込んだ。
「後は、スクロールがあればなぁ」
「スクロール?」
「そう、呪文書。ヴィヴァルニアで生まれた発明の一つよ。発明したのがサウワンでも屈指のお金持ち『マイファーニ商店』。それで、スクロールっていうのは……えーっと、なんて言うか」
アドは勇一に説明しようとしばらく唸っていたが、やがて何かをひらめいたのか残りのパンと水を一気に口へ押し込み木箱から飛び降りる。
「見た方が早いわね。行きましょう」
「えっ……これまた俺が持つのか」
「当たり前でしょ。女の子にそんなもの持たせないでよ」
件の店で買った物が詰まった木箱は、当然のように勇一が持たせられた。颯爽と人ごみに向かう少女を見失うまいと、今度こそ気合を入れて彼は歩みだした。
そこは二人がいた食堂からほど近い場所にある商店だった。勇一がそっと中を覗いてみると、同じ大きさをした大量の紙が重ねられて置いてある。中は薄暗く、店の者の姿は見えない。アドが先に入り手招きすると、彼はそのあとを不安そうな表情で続いた。
店内に入ると、彼の鼻を僅かなカビ臭さが刺激した。表の賑やかさとは対称的に店内は静かで、二人以外に数人の客と思しき人影をロウソクの揺れる光が映し出していた。
「やっぱりここで売ってたのね。……ほら見て、これが呪文書」
ぺら、と勇一が受け取った古めかしい紙を見ると、それには何かがうねった様な文章が書いてあった。他の紙も似たようなものばかりだったが、文章の最後に押された印が違っている。彼が持っているものには赤色が、隣の棚には青色の印が押してある紙が積まれていた。
「ユウが持っているのは火属性のスクロールね。赤い印が付いてあるでしょ? これに魔力を流し込めば、スクロールに対応した魔法が放たれるってわけ。本人が使える属性に関係なく、ね」
彼が持っている汚れが目立つ紙は、言わば『火の呪文書』とでもいうのだろうか。よく見ると、文章を構成するインクが僅かにきらめいている。それが何となく不思議な力を持つものなのだと彼に思わせた。
「それは五級のスクロールみたい。店の奥に行くにつれて、等級が上がっていくようね」
「等級?」
「等級が上がる程、より強力な魔法を放てるの。ただし、値段は一気に上がるわ。一級の呪文書なんて、私たちが死ぬ気で働いても一枚買えるかどうか……まあ主に王宮や軍で使うから、ここには置いてないでしょうね」
「アドは物知りだなぁ」
「こ、こんなの旅をしてたら自然と覚えるわよ……ふふ」
つり上がった口角を隠しきれず、アドは素早く顔を背けた。
勇一が改めて店内を見回してみると、五級と言われたスクロールは出口に近い場所で山のように積まれている。反対に奥を覗くと、明らかに紙質の良いスクロールがそれなりの高さで積まれていた。
「ウォッホン」
彼が咳のした方に顔を向けると、シワだらけの顔面をした老人が二人を見ている。みすぼらしい格好の者が入ってきたので、商品を盗まれないかと監視しているのだ。
アドが勇一の袖を引っ張り耳打ちをする。
「……行きましょう。スクロール、面白かったでしょう」
「うん、ありがとう」
二人はそそくさと店を後にした。
***
「ああ、二人とも。待っていたよ」
勇一とアドが戻ると、オーダスカが神妙な面持ちで二人を出迎えた。馬車の前には全員が揃っており、一目で何かあることがわかる。
オーダスカは二人を座らせると手をこすり合わせ、皆に報告した。
「劇をする場所が決まった」
「ほ、本当!? とんだもの好きがいたものね!」
団長は水をさすアドを目で静止しつつ、今度は詳細を語り始めた。
「猶予は七日、ユウの話した劇をやろうと思う。皆の台詞と動きはいつも通り私が書いたものを渡すから、ちゃんと覚えておくように。主役はユウ……君だ」
「お、俺ですか!? ななななんで!」
「年齢的に一番近いのが君だからだ。大丈夫、出来るだけ台詞は簡素にわかりやすくしてある。そして、場所は……」
そこまで言ってオーダスカは言葉を詰まらせた。久しぶりの仕事にやる気に満ち溢れる団員たちの熱意がこもった目線が団長に集中する。
高揚する皆とは対称的に浮かない表情のオーダスカは短く息を吐くと、何とか最後の言葉を絞り出した。
「場所は…………マイファーニ家だ」




