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16 洗礼

 サウワンの街は勇一の予想以上に大きな街だった。

 どうやら劇団が馬車をとめたのはこの街のなかでも細い路地に分類されるようだった。向こう側が見えないほどの人の群れが縦横無尽に動き回る中で、前後左右から押されながらどうにか前を歩くアドを見失うまいと彼は進む。


「ア、アド! ちょっと、まってくれ!」


 人の波に消えては現れを繰り返す少女を追いかけるうち、彼は段々と混雑の密度が薄くなっていくのに気がついた。幸い少女の方向に向かえば向かうほど人の密度が下がっていくのがわかったので、このまま行けば一旦落ち着ける場所に出られるのではないかと考える。しかし不幸にも、前後左右から迫る人の波によって小さな影を見失ってしまった。


 必死の思いでようやく人の波を抜けると、目の前には広大な広場が現れた。

 左右を見るとその広場と思われた場所が遥か遠くまで見え、正面には随分と小さな家々が並んでいる。彼はそこで初めて、今いる場所がとてつもなく幅の広い道であることに気が付いた。

 足元は綺麗に敷き詰められた石畳。大小さまざまな石がパズルのように組まれ、それが遥か彼方まで敷かれている。

 勇一は思わずしゃがみ込み、長い間踏まれ続けたことで滑りの良くなった石の一つを指でなぞった。


「これ……道、か?」


「おや旦那様、サウワンは初めてですかい?」


 唐突に背後からかけられた声に驚き振り返ると、姿勢の悪い小さな男がへらへらとした顔いかにも怪しい目つきで勇一を見ている。


(猫背にしたって程があるだろう……)


 初見で男の印象を心の中でつぶやきつつ、彼は質問に答えた。


「あ、ああ。さっきついたばかりで」


「ははぁ、それは良い! ぜひこの素晴らしい街を記憶に刻んでいってくださいな、旦那様! 見せたいものがあるんでさぁ……ささ、こちらに!」


 男は指を組んで大袈裟に喜んで見せると、今度は勇一の手を取って道の真ん中まで連れていく。

 そこは人通りもまばらだったが、今度は馬車が二人のすぐそばを通った。幅の広い道の中央は馬車専用で、列を成した馬車がひっきりなしに往来している。男は大げさに両手を開き振り返った。。


「この道は遥か昔首都エンゲラズとここを結び、人と物資の循環を良くするために作られたんでさぁ!」


「こんなに広い道が……」


「必要なのかって? そりゃあもう! 大陸戦争の時は、ホラクトどもがここを使って東側に兵隊を送ってたんですよ。最初は軍事拠点だったのが、商人たちが集まって結果的にこうなったんですねぇ!

 街があまりに早く広がるもんで、物資輸送のための道を街が巻き込んで今やサウワン最大の大通りってんだから面白いでしょう?

 この道がサウワンを南北に分断してるんですがね、互いに行き来するのに馬車たちが邪魔で大変でしょう? そこでどうしたと思います?

 ……なんと地下道をつくっちゃったんですねぇ! 馬車ではなく人用の道なんでこんなに広くはないんですが。

 それから人が生活するには、水が必要不可欠でしょう? ブラキアの反乱が起こったとき、この街には川がなかったんですよ! そうしたら先代国王様がですよ、奴隷どもを使って運河を作らせたってんだから素晴らしい! いゃあハウィッツァー家の血筋は御三方とも素晴らしい手腕でオイラ参っちゃいますねぇ!それから……」


 男は聞いてもいないことをベラベラと止まることなく話し出す。

 相手のうんざりした表情などお構いなしに、今度はヴィヴァルニアの歴史まで語りだした。

 しばらくして土地の歴史から成り立ちからを一通り話し終え満足したのか、男は満足そうに目を細めた。それを見た勇一はこれ幸いと切り出す。


「ああ! もういいよ、ありがとう!」


「へへへ、どういたしまして……それでは」


 ずい、と目の前に出された手のひらを勇一は理解できなかった。戸惑う彼に男はへらへらした顔のまま続ける。


「旦那様、お代ですよ。お・だ・い。特別に銀貨一枚でいいですよぉ」


「お代……何の?」


「しらばっくれちゃあいけませんよ。オイラがこの街を詳しく紹介してあげたんでしょう? そのお代ですって!」


 しまった……と彼は後悔したが、後の祭りだった。

 押し売りの様な手口で金をせびる輩がいるなど、人の多い街ではよくあることだというのに。さらに言えば、今彼は金を持っていない。迂闊すぎる行動は自分を追い詰めることになるのだという事実を失念していたのだ。


「あれあれ旦那様、もしかして……持っていないんですかい?」


「あぁ、ええ……っと」


 しどろもどろになった自分の表情を前に男の目つきが変わったのを見て、彼はようやく理解した。


(もしかしてこの男、俺が金を持っていないと知っていた…………!?)


 果たして彼の予想通りだった。みすぼらしい格好で田舎から出てきたであろう青年から、後生大事そうに抱えている剣と腕に巻いた金の装飾品を奪おうとこの男は声を掛けてきたのだ。


「おいあんた……金もねぇのにこのオレをこき使いやがったな。ただ働きさせた落とし前、どうつけてくれやがんだ。あぁ?」


「……っく」


 マナンに手を伸ばそうとしたが、それよりも速く男の刃物が勇一の胸にあてられた。それは中指程度の長さしかないが、人一人を死に追いやることくらいは簡単にできる威力がある。


「あんまりバカなことはしないこった。これで一刺し、後は馬車通りにあんたを投げ込めば、それでおしまい。その剣と腕輪を置いていくか、ここで死ぬか……選ばせてやるよ」


 勇一のすぐ後ろを馬車が通り過ぎ、風が通り抜けた。

 刃物をあてたまま男は囁く。


「ヒヒヒ……いい勉強になったじゃないか、ええ? この街は獲物に事欠かないねぇ。アンタもやってみるといいよ、生きて帰れたらねぇ」


 ニタニタ笑う男を憎しみを込めて睨むが、無駄なことだった。

 命あればこそ、復讐は遂げられる。持っている物は所詮道具と、怒りに震える全身に言い聞かせる。


(……所詮? んな訳あるか! だけど…………クソッ!!)


 必死にマナンに伸ばした手の力を抜き、鞘に手を掛ける。

 その時、男の背後から幼い声が飛び込んできた。


「ちょっと、人の連れに何物騒なことしてんのよ」


 落ち着いてはいるが静かな怒りを含んだ聞き覚えのある声、その方向に勇一は頭を向けた。腰に手を当てたアドがそこに立っているのを認めて、彼の折れかけた心が一気に立ち直る。黒髪で褐色の肌をした少女は、男の持つ刃物を見ても臆することなく二人に歩いて来た。

 互いに手が届く距離まで近づくと、少女は男を睨みつけて再び口を開く。


「聞こえなかったの? 人の連れに、な・に・し・て・ん・の・よ」


「ヒヒヒ、威勢のいいお嬢ちゃんだ。こいつはね、銀貨二枚の約束でオレをこき使った挙句、金は払わないって言いだしやがったのよ」


「お前、さっき一枚って……つっ!」


「詐欺師は黙ってろ!」


 突きつけられた刃物が、服を通して僅かに肌へ沈む。もだえるほどではないがそれでも鋭い痛みに彼は顔をしかめた。

 慣れた手つきで刃物を扱う男は、最早その凶悪な性格を隠そうともせず


「なるほど、銀貨二枚ね…………払いましょう」


「だから二人の話し合いが終わるまで……あん?」


「顔だけじゃなくて、耳まで悪いのかしら? 銀貨二枚、払うって言ってんの……ほら!」


 少女の懐から出た銀色の輝きに男は目を奪われた。直後に投げつけられたそれを男は思わず両手でつかみ取ろうと手を伸ばすが、一枚は地に落ちた。


「お、オレの! オレの金! …………ぎゃああーー!!」


 石畳を転がる硬貨。やっと止まったそれに手を伸ばそうとして、男は悲鳴を上げた。伸ばされた手を馬車が轢いて行ったのだ。右の前腕が枯れ枝のように折れ曲がり、明らかに重傷なのが見て取れる。


「いでえぇ! くそぉおお!」


「卑しい奴ね、だからその年になってもまともに稼げないのよ。ほらユウ、行きましょう」


 アドは素早く勇一の手を取ると、足早にその場を立ち去る。掴んだ手が震えていることに彼は気付いた。


「ア、アド」


「いいから、はやく!」


 人通りが多い安全な場所に行くまで、少女はずっと手を離さなかった。



 ***



「……二日」


「え?」


 サウワンに無数に存在する食堂のうちの一件。二人が昼食のために寄った「大衆食堂兼酒場・火と酒亭」は、昼時とあってその混雑ぶりは最高潮に達していた。


「銀貨二枚……劇団が切り詰めれば、二日分くらいの食料になったのよ」


「その……本当にごめん! 不注意だった」


 サウワンに住む者たちはほとんどが何らかの店を持ち、規模の大小に関わらず精力的に働いている。そんな彼らも当然腹は減るのだが、常に金を稼ぐことに忙しい彼らは座って食事をとることが少ない。なので仕事中にも食べられるようにと、日中は軽食が好まれた。

 二人が食べているのは、その中でも一番安い「固いパンと水」である。


「不注意? そんなもんじゃないわ! アンタ、殺されるかもしれなかったのよ!? それを……」


「わかってるって。全般的に俺が悪い……知らない場所でアドとはぐれて不安になっていたとはいえ、簡単に話を聞くべきじゃなかったんだ。本当に、ごめん」


 メフィニ劇団は貧しさ故に余裕などなく、当然人数分の宿などとれるはずもない。荷物は端に寄せて、馬車内で寝泊まりすることになっている。

 机に額をこすりつける勢いで頭を下げた青年を前に、少女はばつが悪そうに出かけた言葉を引っ込めた。自分のせいで劇団に不利益を被らせてしまったことを彼は反省している。そう確信した彼女は相手を責めることをやめ、次に自分にも不注意がなかったかを考えた。


「まぁその、私もお母さんのことで熱くなってたから……色々考えて歩いてるうちにそっちのこと忘れちゃって」


「……」


「そう考えたら、そもそもの原因は私よね。……こっちこそごめんなさい」


「いや、俺がアイツをちゃんと無視していればこんなことには」


「でも…………やめましょう、この話」


 二人は石のように固いパンにかじりついた。

 常に忙しいサウワンに住む者たちは食事の時間も惜しいらしく、食べるときは専ら立食だ。彼らに合わせて食堂もほとんどが椅子を設置しておらず、その分机を所狭しと並べている。

 机の高さが合わないアドは食堂の主から適当な木箱を借り、その上に立って口に水を流し込んだ。


「……ここで稼ぐのは、ちょっと難しいかしら」


「どうして?」


「ここの人たち昼も夜も働いてて余裕がない。劇を見るのは、お金も時間も余裕のある一部のお金持ちだけなのよ」


「劇団……そういえば劇団だったね」


「ルドに着いた翌日の夜は、一応ちゃんとした演劇をやったのよ。ユウは眠ってて知らなかったでしょうけど。

 ……とにかく、ここで演劇は上流階級の人にしか見られない。そして私たちはどちらかと言えば大衆演劇。ここ(サウワン)で庶民の娯楽と言えば、往来で披露する大道芸ね。それか賭博」


「ああそうか、腰を下ろさずにできるから」


「そ。体術はガージャさんやシュルテさんが出来るし、音楽はターンが出来るから大道芸もできなくはないわ。けど……」


「……けど?」


「収入がね……見た人みんながお金をくれるならいいけど、道端でやっても見るだけの人がほとんどだから」


 だから室内や決まった敷地で演劇を行い、収入を安定させたい。というのが彼女の思惑だ。実際ルドでは酒場の主人に話を通し、演劇をした日の酒場の収入から何割かをもらう形で収入を得た。しかし立って食事をするのが常識のここサウワンではそれも難しい。


「劇場を借りるのは?」


「そんな余裕はないわ。借りられたとして、無名で貧乏な劇団の演劇をわざわざ見に来るお金持ちがいると思う?」


「うーん…………」


 劇団の懐事情は、日々の食事に顕著に現れていた。今二人が食べているもの程ではないが、同じ貧乏人の食事と言わざるをえない。自分の失敗で劇団を更に困窮させてしまったと自らを責めていた勇一は、汚名返上とばかりに張り切る。


「俺も役に立ちたいんだ。何か考えておくよ」


「ふふ、ありがとう。期待しないでまってるわ。でもユウは自分の目的も忘れないでね……するんでしょ? 人探し」


 当然忘れたことなどないと言わんばかりに頷く勇一。そして二人は残りのパンを口に放り込むと店を後にし、未熟な知識で何とか劇団を救えないか話し合いながら馬車へと戻るのだった。

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