15 商業都市サウワン
「馬車に乗っているものは、全員降りろ! 数えやすいように並べ!」
「さあほら、ユウも降りるの」
サウワンは元々寂れた田舎だった。ただただ広いだけの土地は、掘り起こせばすぐに岩が顔を覗かせ農業には適さない。更に土地全体が北の山脈から常に吹き付ける風が覆い、先の理由もあって家畜も育たなかった。
なのでそこに住む人々は細々と狩りで生計を立て、しがみつくように生活していた。
そんな田舎に転機が訪れたのは百年前の大陸戦争。サウワンの村は前線に近かったがために拠点となり、首都エンゲラズから直通の道が整備されそこに物流が生まれた。人が集まれば当然、獲物を求めて商人たちが集まってくる。たちまちサウワンの村は拡大に拡大を繰り返し、商業の街として生まれ変わったのだった。
その後程なくしてブラキアの反乱が起こり、サウワンも例外なく彼らに占領され今に至る。
「…………」
「いつまで見てるの。列から離れないでよ?」
「あ、ああ……」
ルドと違いはるかに高い城門に勇一は呆気にとられ、時間を忘れて石造りのそれを見上げた。
城門を形作る石たちはそのどれもが角ばっていて、丸く欠けているものは視界にはいる範囲では認められない。
「そこのブラキア! 突っ立ってないで前に進まないか!!」
軽装の金属鎧を纏った衛兵が明らかに自分に向かって怒鳴ったので、我に帰った勇一は恥ずかしくなった。そして随分と先に行ってしまった劇団の馬車に走って追い付く。顔を赤くした彼をアドが小突いた。
「なにやってるのよもう……恥ずかしいったら 」
「ごめんごめん、こんなに大きな街は初めてだったから……」
「落ち着きなさい。まだ街に入った訳じゃないんだから」
異世界に来てから初めて経験する事に、彼は興奮を隠しきれない。列の先頭には開かれた扉があり、その向こうに人や馬車が途切れることなく往来している。
「う、うん……なんだか興奮してきたよ」
「ちょっと、本当に落ち着きなさいよ。もうすぐ順番が来るんだから」
まったく……とアドは勇一の手を握る。初めて会った時とはまるで正反対の彼女の様子に、見ていた団員全員が驚いた。
「ウハハ! こりゃあ、どっちが年上なんだかわからんねぇ!」
ガージャがからかうように笑うと、他の団員たちもたまらず吹き出した。ラシアタも静かに笑っていたが、対称的にオーダスカは心ここにあらずと言った表情でいる。
「ガージャさん! からかわないでよ、もう……それ以上笑ったら、お小遣い減らすからね!」
「いやいや、それは困るな! すまんすまん。……ウクククク」
「うふふ……アド、ユウ、みんな、私たちの順番が来たわ。一列に並んでね」
いつの間に列が短くなっていたのか勇一は気付かなかった。皆で談笑しているうちに少しずつ列は前に進み、彼の目の前には巨大な門が迫る。
門を見上げながら、勇一は自分がやるべきことを確認した。
(本当に大きな街だ。ここなら俺の目的……仮面の男の情報を探すことができる。
少しでもいい、何か奴につながる情報があればいいけど……)
仮面の男の情報はなんとしてもほしい。しかし勇一が持っている手がかりと言えば……仮面からはみ出るほどの髭と、切り落としたがために右手がないと言うことだけ。それでも彼はなんとしても男を見つけなければならない。
何はともあれまずは街に入るための手続きに入ろうとしたとき、彼の横を通りすぎたラシアタに気をとられた。
「あれ、ラシアタさん? どうして後ろに?」
「……私は、ここなのよ」
先頭にオーダスカと二人で並んでいたラシアタは劇団の後に続く馬車の、更に後ろに回りこむ。儚く笑う彼女に足を向けようとすると、アドが掴んでいた彼の手を引っ張った。
気がつけば団員は皆悲痛な表情で、さっきまでの和気あいあいとした雰囲気など最初からなかったかのようだ。
「だめよ。お母さんは、あそこなの」
「ええ? でも、何でわざわざ……」
「ユウ、いいから。今は、だめ」
「アイリーンまで……」
彼はラシアタがわざわざ劇団の最後尾につく理由がわからなかった。夫婦なのだからオーダスカと一緒にいたらいいのに、と。
だがそんな考えは、よく通る衛兵の声によって中断された。
「ブラキアが四人……劇団員が四人か? そして奴隷が一か。計九人、問題を起こさぬように。通れ」
「え? ど、奴隷……?」
勇一の手が強く握りしめられたので、彼は反射的にアドの顔を、次に自分以外の全員の表情を見た。
まるで葬列の様な雰囲気で劇団が門をくぐる。無表情でいるラシアタと、何があったのか理解出来ない勇一。そしてそれ以外の全員が沈痛な面持ちで街へと入っていった。
***
今いる場所がサウワンのどの辺りかを知らないが、きっと大通りや重要な施設の近くなんだろうと勇一は見当をつけた。
なぜなら街に入ってから道には耳鳴りがするような喧騒が響き、人の流れが全く途切れないからだ。通行人は常に誰かと……もしくは書類のような紙に向かって話しており、落ち着きなく歩き、時々小走りでいるので見た目にもせわしない。
(奴隷……)
衛兵の言い放った針が心をしくしくと痛める。注意して見てみると、上等な服を着ているのは皆褐色の肌――ブラキアだ。人の波から所々頭を出しているのは皆灰色の肌――ホラクトで、その服は流石にボロきれとまではいかないものの、ブラキアが着ているものと比べるとどうしても見劣りするものばかりだ。
ブラキアだけが上等そうな布でゆとりのある服を着ている。ふと勇一が自分の服の端をつまんでみると、まるで薄い木の皮のような引っ掛かりが指に触れた。
そこで初めて
(もしかしたら俺は、酷く汚い物乞いのような格好をしているのかもしれない)
そう考えると彼は自分の全てがみすぼらしく思えてきて、急に人前に出るのが恥ずかしくなった。
適当な場所に馬車を止め、皆が荷物を下ろし始める。勇一は言われるがままに道具が満載された木箱をよろよろと運びながら、オーダスカに聞いた。
木箱は同じ大きさの金属であるかのようで、勇一が一つをようやく持てるほどだ。
「オーダスカさん、あれ何なんですか? なんでアイツあんなこと……」
「聞いた通りだ」
オーダスカは一言だけ言って受け取った木箱を下ろす。それ以上何も答えなかったが、地面に叩きつけるようにおろされた木箱がオーダスカの怒りを表していた。
劇団の皆は黙々と小道具や衣装の確認をしている。まるで作業することで怒りを紛らわすかのように。
「ごめんね。ユウは初めてだったわね」
背後から聞こえた声に勇一は振り向いた。彼が全力でやっと持ち上げることができた木箱を、ラシアタは三つ重ねて軽々と持っている。
「仕方がないのよ。ホラクトだもの」
「ラシアタ、やめなさい」
「ホラクトだから? でもあんな酷いことを……」
「いい加減にしてよ!」
金切り声に近いアドの訴えは、彼らのそばを通る通行人たちの足をほんの一瞬止めた。それから何事もなかったのように喧騒が再開すると、少女は背伸びをして勇一の胸ぐらを掴み引き寄せる。
「アド、お願いだからやめて……」
「アンタが納得できるとかできないとかはどうだっていい。ヴィヴァルニアでは、こうなの。私たちがどうこうできることじゃない……!」
「…………」
引き寄せられて近くなった彼女の眼に、涙が溜まっている。
彼らは間違いなくラシアタが「奴隷」扱いされたことに憤っている。ホラクトがそう言われる理由も当然知っているのだが、だからといって自分たちに出来ることはないと半ば諦め、受け入れている。
だが勇一はそんなことはどうでもよかった。ラシアタが奴隷と言われたことに戸惑い、また怒りの感情を隠そうともしない。アドの手を払い、彼も精一杯の主張をする。
「だから受け入れるのか? 皆嫌な思いをして、それでもなにも出来ないからって黙ってるのかよ!」
「じゃあどうするのよ! ここを通る人たちに『奴隷なんてどうかしてる』って演説でもするわけ?
できっこないことを考えるなんて無駄なことしないで」
実際、アドの言う通りだと勇一は拳を握り締めた。
今まで聞いた話からするに百年前の大陸戦争でホラクトは負け、それから今日まで奴隷として生かされているのだろうことは彼にでもなんとなく想像がつく。
およそ百年という長い間そうだったものを、彼ひとりがすぐにどうにか出来るなどとそんな馬鹿げたことを考えたりしない。そもそも彼には復讐を果たすという目的がある。それを放り出してまで知らない多数の為に行動できる余裕などあるはずもない。しかし頭ではわかっていても、ここではそうなんだと納得するのは難しかった。
「でもやっぱり俺は……嫌だ。大切な人たちが立場で分けられるのを、ただ黙ってみているなんて」
「気持ちは、受け取っておくよユウ……でも実際にどうしようもないんだ」
オーダスカは精一杯の微笑みを彼に向けた。
「エンゲラズに近い程ホラクトや他種族へのあたりは強くなる。それほど近いわけじゃないサウワンがひどいのは、首都へ直通する街道があるからなんだ」
「……」
尚も納得できない顔の勇一は口を開こうとしたが、その肩に乗せられた大きな手に言葉を遮られてしまった。
「でも、悪いところじゃないんだ。大通りに限ってはエンゲラズに勝るとも劣らない賑わいだし、食事するところにも困らない。衛兵たちの連度は高く、街の規模に対して犯罪はかなり少ないんだ」
「オーダスカさん…………」
「ユウ……あなたは優しい人ね。でも私は本当に大丈夫よ」
奴隷扱いされた本人からそんなことを言われてしまっては、彼は引き下がるしかない。一度深呼吸して肩を落とすと、オーダスカが低く温かみのある声で言う。
「少し気晴らししてくるといい。ここは、もう大丈夫だから」
もしかしたら厄介払いのつもりだったのかもしれない。しかし勇一の方も丁度頭を冷やそうと思っていたところだったので、その提案に渡りに船とばかりに飛びついた。
「……そうします」
「ん、アドも一緒にね」
「……はぁーっ!? 何でっ、私も!? じゃ、じゃあアイリーンも」
「彼女はさっさと仕事を終わらせて、もう行ってしまったよ。私もこれから用事があるから、どのみち皆は暇なんだ」
「ふふ、いつの間にか消えて、いつの間にか現れる……雲みたいな人ね」
どうやらアイリーンは一足先にサウワン観光へ繰り出してしまったらしい。仕事を終わらせてから消える辺り彼女は完全に自己中心的な人間ではないのだろうと、勇一はわずかな呆れの感情まじりに感心する。
「じゃあアド、俺たちも……アド?」
「こっちよ。さっさと行きましょう」
アドはいつの間にか手に持っていた硬貨の入りの袋を懐に放り込むと、まるで飼い慣らした動物にするように勇一に手招きしている。
彼女も彼女で気を落ち着けたいのだろう……今度は呆れの感情だけをもってため息をついた彼は、人の波に平然と突入するアドを見失うまいと後をついていくことにしたのだった。




