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14 甘えたがり

 本来なら皆寝静まっている頃、静寂に包まれているはずの草原に車輪の音が放散する。

 皆を運ぶ馬はその日終わったはずの労働を延長させられたことに腹をたてているのか、心なしか乱暴に足を運んでいた。

 酒を飲み過ぎたガージャはシュルテの膝枕で寝息をたてているので、手綱はオーダスカが握っていた。

 ぎゅうぎゅうに荷物と団員が詰められた馬車の中では誰一人口を開くものはなく、アドが時々後方から顔を出して亀裂の発する光が見える方角を見ていた。


「何だか、とんでもないことになっちゃったね」


 何度目かの確認の後、アドはさも当然とばかりに勇一の隣に座った。膝を抱え、背を丸めてぼそりと呟く。

 彼女は手元にあった革袋を開け、一口含んだ。


「ラトーはお手柄だった。あの子が馬車に登ってなかったらどうなってたか」


「本当によかったわ。私は亀裂を初めて見たけど……あれの下でゴブリンとかが出てきてるのよね?」


「うん……」


 はるか遠く、木々の向こう側で微かに発行する場所に亀裂がある。それはひびの状態から強い光を発するので、必然的に夜は発見が容易だ。

 勇一も幌に空いた小さな穴から時々亀裂の光を見つめていた。彼が間近で見たものより規模は小さいが、それでも地上では多くのゴブリンどもが現れている。

 アドはもう一口革袋の液体を飲むと、ほのかに身体が温かくなるのを感じた。


「後でターンを誉めてあげなきゃ。あの子、ちゃんと誉めないと機嫌悪くなってふて寝しちゃうの」


「うん」


「ターンはとっても歌が上手いのよ。多分、大陸で一番ね。ラトーはターンの歌に合わせて楽器を弾くのが凄い得意なんだ」


「うん」


「……」


「……」


 隣に座る青年は、亀裂から逃げてきたと言っていた事をアドは覚えている。彼の瞳が恐怖とも憎しみとも取れる感情を宿しながら亀裂の光を映しているのを見て、どうにか彼の気を紛らわすことができないかと考えた。


「えぇ……っと…………ユウ?」


「うん」


 何とかして彼のまとう重い雰囲気を払ってあげたい。自分が話しても彼は上の空なので、今度は向こうが話せばどうにかなるのではないかと考えた。


「サラマって、どんな人?」


「俺の、恋人……だった人」


「……」


 アドはしまった、という顔をして言葉をつまらせた。彼の気を紛らわせるために話をさせようと思ったら、一番聞いてはいけなさそうな話題を最初に引き当ててしまった……と。

 申し訳なさそうに顔を反らし膝を抱えて小さくなる少女。対して勇一は、それきり黙ってしまった彼女を見てなんとなく愛らしく感じた。


「あぁーっ、と……。その…………」


「……いいよ。アドは俺に気を使ってくれたんだろ? ありがとう」


 流石の勇一も隣の少女が考えていることがわかったのか、邪険にすることはしなかった。

 直後、アドの頭に重しが乗った。彼女が思わず肩を震わせた瞬間、それはすぐに離れてしまう。

 勇一の方を見ると、彼の驚いた顔が目にはいった。彼女の頭のすぐ上には、行き場を失った彼の手が浮かんでいる。


「あ、ごめん……嫌だった?」


「ううん、親以外に撫でられるのはじめてだったから、びっくりしただけよ

 ……どうぞ」


 ぐいと向けられた少女の頭を、勇一は今度こそ優しくなでた。

 その行為がなぜか懐かしいような気がして彼は一瞬戸惑ったが、そんなはずはないと頭を振って引き続き撫でる。


「サラマは、よく俺と一緒に居たがったんだ」


 幾分か落ち着いた彼の口から、過去一緒にいた者たちの物語があふれ出す。彼は自分の身に起きたことを確認するかのように、ゆっくりと語った。

 結局彼も、自分の経験を誰かに話したかったのかもしれない。


「狩りの事とか、道具の作り方とかも教えてくれた。そして俺が話すこと全てに彼女は興味を持った」


 頭を撫でられているのでアドからは彼の表情を見ることができないが、その声は優しく落ち着いていて彼女の耳にするりと入る。やがて彼女は身体を勇一に寄せ、寄り掛かった。


「彼女と何度目かの釣りをしていたとき、ようやく一匹釣れたことがあって。でもその時まで俺、釣ることばかりで持って帰る方法を考えてなかったんだ。

 釣り上げたはいいけどぶら下がったまま暴れる魚を捕まえようとして、咄嗟にサラマが手を出したんだけど……どうなったと思う?」


「どうなったの?」


「あまりに身を乗り出したもんだから、そのまま前のめりに湖へ……ドボン。釣糸が彼女の鱗に引っ掛かって、俺まで一緒にね。

 魚は逃がすし、二人で糸に絡まって溺れかけるし、散々だったよ。他にも……」


 村での生活やガルクとの決闘……オーダスカに話した以外の話を初めて聞いたアドは興味津々だ。

 やがて開いた亀裂、謎の男、村からの脱出……彼がメフィニ劇団に出会う直前までどうしていたかをアドに聞かせる。


「亀裂を開いた男が逃げて……だけど追いかけるよりも、村から脱出しなきゃならなかった」


 語る声は段々と重く、悲痛なものへと変わっていった。それでも撫でる手を止めないのは、彼なりに平静を保とうとしてるからだ。


「それで、サラマは俺を逃がした……一緒に逃げられなかった。俺が魔法を使えなかったから…………弱かった、から」


 それを聞いた瞬間、アドは頭を跳ね上げた。乗せられていた手は咄嗟に引かれ、勢いのまま今度こそ戻っていく。

 勇一に向けられた漆黒の瞳がその心を見透かすように刺さり、彼は思わず身じろいだ。


「アンタが強かったらなんて関係ないわ! サラマはアンタを、ユウを助けたかったのよ。

 アンタを、絶対に、生きたまま、逃がすために、最善を尽くしたんだわ!」


「俺は、彼女と一緒にいたかった。離れたくなかったんだ!」


「じゃあ、サラマと一緒に死んだ方が良かったの? 『ユウに生きていて欲しい』ってサラマの願いを裏切ってまで?」


「…………」


「だめよ。好きな人の判断を『間違ってた』なんて言わないであげて……信じて、あげなさいよ」


 二人の会話は馬車の騒音で互いにしか聞こえない。そして他の者は、耳に叩きつけるような騒音と振動の中でぐっすりと眠っている。

 床が軋む、小石をはねる、砂と車輪がこすれ合う……そんな音の中にありながら、二人を静寂がつないでいた。


「……」


 勇一は身じろいだまましばらく固まっていたが、やがて膝を抱えた。

 サラマが別れ際に言ったことや彼に渡したものや話したこと、アドの表情は自分の考えが正しいと確信している顔だ。そして優しく子どもをなだめるような表情で目を背けた彼をじっと見ている。


「……嫉妬、しちゃうわね」


「え? なに?」


 静かに呟いた少女の独り言は、車輪の音にかき消された。

 よく聞き取れなかった勇一はつい頭を上げ聞きなおす。その頭を少女の小さな両手が掴んだ。


「えいっ!」


「…………わっ! な、なにを」


 少女のその手は縦横無尽に彼の頭を引っ掻き回し、頭髪を滅茶苦茶に荒らしまわる。

 戸惑いなすがままの彼の頭を一通り蹂躙し終えると、今度はしっかりと頭を自分に向けさせ目線を合わせた。


「アンタのそれは、一人で背負うには大きすぎるわ。だからって私はどうすることもできない……だからね」


 次に少女は両手を添えた青年の頭を引き寄せ、胸に抱いた。高い体温と速く脈打つ鼓動が彼の耳に伝わる。


「今だけは、自分の事だけを考えて……眠るの。ぐーぐーって」


「……」


 先程までとはうってかわって急にしおらしくなった彼女の態度に戸惑う勇一。次に彼は彼女が吐く息が酒臭いことに気付いた。


「アド、何か飲んだ?おわっ」


「んー……んふふ」


 少女はやがて勇一の肩に足をのせ頭にしがみつくようにしたので、二人は床に倒れこんだ。彼は胸に押し付けられた顔面を動かし外に目線を向けると、側に栓のされた革袋を見つける。

 自由に動かせる両手でそれを手繰り寄せ嗅いだ中身は、わざわざ鼻を近づけなくともつんと来る臭気を放っていた。


「これは……ガージャさんが飲んでたやつ」


 こんなものを放置しておくなよ……と独り言ち、勇一は頭にしがみつくアドを引きはがそうとしたが外れない。そうこうしている内に耳元で寝息が聞こえ始めたので、彼は抵抗をやめて自分も眠ることにした。


「…………」


 深呼吸すると、アドの匂いが頭に充満する。少女の服と圧迫によって塞がれた口と鼻は空気を求めて大きく開くが、無駄だった。


(……今回は、別の意味で悪夢を見るかもしれない)


 勇一は早々に諦め、少女の体温を感じながら目を閉じるのだった。


 本来であれば二日で到着するはずの道のりは、亀裂の出現によって大きく狂った。

 亀裂とそこから出現しているであろうゴブリンたちを避けるために迂回した結果、メフィニ劇団が街へ到着するには更に一日を要した。

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