11 見覚えのない記憶
――ケルン!
ほら、呼んでいるよ。行かなくていいの?
――ケルン!
彼女はとても後悔しているわ。貴方を殺したこと。
――お願い、ケルン……
私はどちらでもいいわ。
貴方が目標へ向かうか、ケルンを受け入れるか。
――戻ってきて、ケルン……私が間違ってた……
どのみち貴方は逃げられない。その力を持った時点で、運命に従うしかないの。
遅いか早いかの違いだけ。
――ケルン…………
自分はケルンじゃないって?でも貴方はケルンよ。ケルンでもある。
でも中身は貴方じゃないと、駄目なのよね。
「……いい加減起きなさい!」
***
勇一が目を開くと、覚えのある光景が映った。
そこはいつか目覚めた馬車の中。前回と違うのはメフィニ劇団の皆が彼と同じ場所にいて、顔を赤くしたアドが彼に馬乗りになっていることだ。
腹部に乗る軽い体重を感じながら、彼は間抜けな顔で口を開いた。
「あ、あれ? アド……おはよ、う」
「…………ユウ、どこか具合は?」
「いや、特に……」
「本当に? 景色が逆さまに見えるとか、とにかく誰かを殺したいとか、そんなことは無い?」
「俺を何だと思ってるんだ。なんともないよ……いてて」
目を覚ましてから勇一は、すぐに頬の痛みを感じ取った。触れてみると僅かに熱を持ち、まるで誰かに引っ叩かれたようにひりついている。彼の腹にのった少女はすぐさま飛び退き、ばつが悪そうに眼を逸らした。
「そ、そう! 大丈夫ならよかったわ。本当に、よかった!」
「…………。俺は、どうしたんだ?」
「何も覚えてないのね……。アンタは私を受け止めた直後にぶっ倒れて、そのまま丸二日寝てたんだから。またアンタを運んだアイリーンに感謝しなさいよね」
「下に落ちなくて、良かった」
「アイリーン…………ええ! 二日も!?」
そこでようやく彼は気が付いた。腰に伝わる振動……自分が乗っている馬車が動いていることに。彼が眠っている間にメフィニ劇団はルドの町を出発し、次の拠点へ移動中なのだ。
幌を通してわかる明るさは、現在が夕方であることを示していた。
「ずいぶんとうなされていたけど、よっぽど酷い夢を見ていたのね」
「夢……ゆめ…………」
『夢』という言葉を聞いて、今まで見てきた悪夢と全く性質が違うことに気が付いた勇一は腕を組んだ。
彼らと関わってから見る悪夢は目覚めても不快な気分にならない。竜人の村にいたときは疲労感でどうにもならないこともあったというのに。
彼を苦しめる悪夢はそれを見たという記憶だけが残り、内容はすっかり抜け落ちてしまう。それも未だに悪夢に対処できない理由の一つだった。
(まるで覚えていてほしくないみたいだ……まさかな)
「……ふふっ」
唸りながら考え始めた勇一を見て、ラシアタが僅かに肩を震わせ小さく吹き出した。
「ユウ、アドは今までとても心配していたのよ。突然倒れてから目を覚まさない貴方のそばを、片時も離れようとしなかったの」
「お、お母さん! 余計なこと言わないで!」
「劇団の仕事も、貴方の隣から離れないでしていたのよ。『いつ目が覚めるかわかんないでしょ!』って」
「やめて! やめてやめてったら!」
顔を真っ赤に染めた少女は母親の口を塞ごうとしたが、大人に力でかなうはずもなく、軽々と持ち上げられてしまう。少女の手足が虚しく空を切った。
その光景がどうにも微笑ましく思えてきて勇一は小さく噴き出すと、近くに座っていたオーダスカが口を開いた。
「かなりうなされていたね。どんな夢か覚えているかい?」
「以前からそうなんですが……中身を全く覚えていないんです」
「ううむ……夢というのは予言という人もいるんだ。内容がわかれば、気休めの一つくらいはできるんだがなぁ」
「…………」
オーダスカは短く切り揃われた髭をなぞる。彼らとともにいる期間はまだとても短いが、こうやって親身に話を聞いてくれるのはどうしてだろうと勇一は以前から思っていた。
彼らの懐事情を考えれば、劇団員ではないアイリーンがいる時点で結構な負担になっているだろう。それに加えて身寄りのない勇一を受け入れるとなると相当に切り詰めなければいけないはずだ。
だが勇一はそんなことを深く考える前に、その好意に甘えてしまったのである。
覚えていること。彼の悪夢は起きる際に霧のように消えてしまい何も残らない。しかし今回は、彼が唯一記憶したことがあった。
「………………雨」
ぽつりと呟かれた言葉を、オーダスカは聞き逃さなかった。すかさず耳に入った言葉を繰り返す。
「雨?」
「雨が……降っていたんです」
「いや、ここ数日は雨なんて降っていないな」
「気を失う直前に、雨が見えました。結構強い雨で……」
「ふうむ、他には?」
頭の中に浮かぶ見覚えの無い記憶を言葉にして並べて行く。これがなにかの手掛かりになるんだろうかと思いながらも、吐き出すだけて何かかわるかもしれないという一種の祈りを込めて吐き出す。
「アドを受け止めた時、頭が重くなって。……森の中、雨……腕の中には……赤ん坊…………オーダスカさん?」
ふとオーダスカをみると、その顔は青ざめていた。まるでその言葉が彼にとっての悪夢であるかのように。勇一が尚も口を開こうとすると、素早く手をかぶせて黙らせた。
「この話は、誰にも話さないでくれ」
「ん、んん?」
「頼む、約束してくれ」
訳がわからなといった様子で頷いた少年を見てオーダスカは心底ホッとした表情をした。妻と娘は未だじゃれていて、彼らの様子が変わったことに気づいていない。
「オーダスカさん、どうしたんですか?」
「……すまない、ちょっと……心の整理が必要なんだ」
その額には汗がにじみ、涙を浮かべたまま立ち上がる。そのまま、手綱を握るガージャのもとへおぼつかない足取りで向かった。
(そういえば……)
オーダスカらに初めて出会ったときも、彼があんな顔をしていたことを勇一は思い出した。
ラシアタの言う「ケルン」という名、覚えのない記憶、それに対するオーダスカの反応と表情。彼はそれらがすべてつながっているような気がしてならなかった。




