6 ルドの町
「皆さぁん、町が見えてきましたよぉ!」
黄昏時、馬車を操るガージャの声で幌の中の全員が目をさました。それは勇一にとって、不規則に尻や腰を殴りつける衝撃からようやく解放されるという合図だった。
日が半ば沈んでいたのではっきりとは見えないが、城門と思しき場所からそれなりに高い壁が左右に伸びている。
「あれが?」
「そう、ルドの町。何日かはいる予定だ」
オーダスカの声を横に、勇一の目は遠くに見える人工物のようなものに釘付けだ。彼が竜人の村以外で初めて見た、初めての集落……。
馬車がそこに近づくと、薄暗い影に覆われて輪郭しかわからなかった城門がはっきりと見えた。石を積んで出来たようなそれは全体的に丸みを帯びていて、長い年月そこで町や人々を守っていたのだろう事が窺い知れる。
遠目ではそれなりに立派に見えたそんな城門も、近くではなんだかみすぼらしくさえあった。城門にはまり込む扉は半分だけ開いていて、もうすぐ閉まってしまうのではないかと勇一は焦った。
「あ、あのっ! もう閉まっちゃいますよ!?」
焦る勇一がガージャを急がせようとすると、それを聞いていた馬車内の者たちはみな声を出して笑った。
「ははは! ユウ……君もアイリーンと同じ反応をするんだなぁ」
勇一を見て笑う団員とは違い、アイリーンは一人そっぽを向いて静かにしている。まとう空気が沈んでいるのが目に見えるようだった。
「私も、世間知らずだったから……」
騒音響く馬車の中にあって、静かなはずの彼女の声ははっきりと勇一の耳に届いた。彼女もどこか遠い場所から来たんだろうかという興味が、彼の足を彼女の方へ向いた時だった。
不意に、馬車が速度を上げた。
今までの叩くような衝撃に時々馬車ごと飛びあがるような動きが加えられ、勇一は馬車内に飛び込むように転んでしまった。積んだ荷物もグラグラとして、今にも崩れ落ちそうだ。
「な、なんだ!? うわぁっ!」
どうにか踏ん張って立ち上がろうとする勇一を今度はオーダスカが押しのけたので、今度はラシアタにとびかかるように転倒してしまう。
「すまないユウ! 一体どうしたんだガージャ!」
「オーダスカさぁん! 右、右を見てくださいよぉ!」
右?とそちらに視線を向けたオーダスカは凍り付いた。薄暗く、そろそろ完全に闇に覆われるだろう大地に点々と、馬車と並走する影が見えたからだ。数は十にも満たない影たちは、その輪郭だけでわかる程にみすぼらしくやせ細っていることがわかる。
ラシアタは細い腕で勇一を抱きとめた。倒れてきた男性一人を受け止めながらビクともしない体幹に驚きつつ、立ち直った彼は馬車の後ろ側からガージャの言った方向に目を向ける。
「……ゴブリン!」
「コボルトも、いる」
アイリーンも勇一と同じように身をのりだし、疾走する小鬼どもを観察する。その顔はいつもの無表情にみえたが、わずかに驚きもあった。
馬車はバラバラになるのではないかという程の速度で走る。ゴブリンどもはそれから少し離れて四つ足で並走しているが、徐々に近づいていた。そうして段々はっきりと、血走った眼やおかしな方向に曲線を描いた骨、開いたままの口から垂れる涎がはっきりと見える。馬車が跳ね飛ばす土煙や小石などお構いなしに、ゴブリンどもはじりじりと近づいてきた。
「ガージャさん、馬車はそのまま!」
叫んだのは勇一だった。いつの間にか荷台の後方から身体全体を晒した彼を、アドリアーナが止めた。
(このままじゃ駄目だ。突っ込めば馬車は城門を抜けられるだろうけど、それだと門が閉まる前に奴等にも入られる!)
「ちょっと! 何する気!?」
ギリ、と彼は歯を食い縛り下をみやる。足下には高速で動く地面、これからすることは命がけの行為だ。
じりじりとゴブリンどもが馬車との距離を詰めている所を見れば、説明している時間など残されていない事は明白だ。震える手足を落ち着けるように大きく息を吸って、幌の中の少女に覚悟を伝えた。
「俺が止める!」
「やめて!」
「駄目よ!」
宙に浮かんだ彼の身体に手を伸ばした瞬間、アドリアーは予想外の方向からした声に驚いた。振り向くと彼女の母親が血相を変えて腕を伸ばしていたのだ。
しかし勇一は彼女の手もその母親の手もすり抜けて地面に転がり落ち、あっという間に小さくなってしまった。
「お願い!戻ってきて!!」
ラシアタは叫びながら、上半身は勢いのままに馬車を飛び出した。虚しく空を切った手は、今度は速度を失い下に落ちる。そのまま弾みで下半身も車外に放り出されようとしたとき、アドリアーナがその足を全身で捕らえた。
「な、なにやってるのよお母さん!!」
「ああ、そんな……どうして、どうしてよ…………」
大柄なホラクトの身体を支えるのに少女は非力すぎる。母親の上半身は未だ地面スレスレを飛んでいた。その頭は、少し力を抜くだけで大地に削られることになるだろう。
「二人とも大丈夫か!!」
馬車内に戻ったオーダスカは、妻と娘の状態を見て唖然とした。しかしすぐに妻を引き上げるべく行動する。団員は荷物が崩れたり壊れたりしないように抑えるのに手一杯だ。彼は妻の身体を一気に引き上げると、すぐに二人を抱きしめた。
「一体何があったんだ?」
「ユウが……あいつらを止めるって、飛び降りたのよ!」
確かにオーダスカが見ると、遥か向こうに人影のようなものが見えた。かわって視線を馬車内に移すと、髪を振り乱して錯乱したラシアタと動揺する団員たちがいた。
「……馬車はこのままだ! 門に向かえ!」
「お父さん、ユウはどうするのよ!!」
「私たちにどうこうできる事ではない!」
オーダスカは家族と団員の安全を優先した。それは他でもない、団長がしなければならない決断だった。
城門前へ到着すると、オーダスカは馬車から飛び降りた。彼はすぐさま年配の門番に外でゴブリンを見たことを伝え賄賂を叩きつける。それで町に入る手続きを省くと、適当な広場に馬車を止めた。
「アド、そこの包みを持ってきてくれ」
鬼気迫る表情の父親に、アドリアーナは心臓が少し冷たくなった気がした。何も聞き返せない彼女は、彼が指差した先にある棒状の包みへと向かった。
荷台の端で膝を抱えるラシアタは、先程よりも静かになっていたものの俯いて肩を震わせている。
広場は仕事や用事を終えた人々が帰路に着く最中、雑談したり酒を飲み始めるなどして生まれた喧噪に満ちていた。ラシアタの顔を覆った手の隙間から、そんな喧噪の中にあっても聞こえる程度に嗚咽が漏れている。何故母親が突然こうなったのか、少女にはさっぱりわからない。
「お父さん? 一体何を……」
ズシリと重い包みを持って父親の元に戻ると、彼は馬車から馬を切り離している最中だった。手綱を引いて馬を離すと、ひらりと身を舞い上がらせそれに跨る。アドリアーナはこんな姿の父親を見るのは初めてだった。
目をぱちくりとさせる彼女から包みを受け取ると、これまた初めて見る鋭い目付きの父親は乱暴に包みをほどいた。
包みの中は、古めかしい長剣だった。
「アド、お母さんを頼むよ。それと、皆を落ち着かせてやってくれ」
「えっ、えっ……?」
言うが早いかオーダスカは馬を反転させると、あっという間に行ってしまった。
何も聞くことが出来なかったアドリアーナは、剣を受け渡した体勢のまま固まっている。はっと我にかえると、父親のいなくなった方向に向かって叫んだ。
「後で全部説明してもらうからねー!!」
少女の必死の訴えは、人々の喧騒にかき消された。
ここに来てメフィニ劇団の中には、勇一とオーダスカの他に、もう一人居ないことに気付いた者はいなかった。