4 アイリーン
「アイリーン!」
素っ頓狂な声をあげた勇一に劇団の皆が注目する中、最初に声をあげたのはアドリアーナだった。そのまま勇一の前を素通りし、彼の後ろに現れた人物の元へ駆け寄る。
「アイリーン! どうしたの、戻るのはもう少し先じゃなかった?」
勇一が振り向いた目線の先には、明らかに場違いな雰囲気をまとう者が立っていた。威風堂々とした立ち姿は、ただ者ではない空気が物理的に見えるような気がした。
その人物が深くかぶっていた外套を脱ぐと、まとめられた銀の長髪が露わになった。それがさらさらと風にゆれると、勇一は自分の灰色の髪を何となくみすぼらしく思ってしまう。そしてはじめて、その人物が自分とそう変わらない少女であることに気付いた。
少女は駆け寄ってきたアドリアーナをまっすぐに見つめ、胸の高さほどにある頭を撫でた。傍から見れば仲の良い姉妹のようだ。
「良い匂いがしたから、戻ってきちゃった。……ただいまアド」
静かな声……しかしそれは不思議と皆の耳にするりと入り込む存在感があった。次に少女は、その顔を勇一へと向ける。
「ああキミは……目が覚めたんだ。良かった」
「……!」
ドクン。
一瞬、彼の心臓がはねあがった。向けられたその瞳は、満月のような色に輝いていたのだ。
亀裂を開いた者と同じ……
(……いや)
だが、すぐに
(亀裂を開いたのは男だし、体格も全く違うだろう。それに、右手もあるじゃないか)
見れば当たり前の話である。ショートソードに掛けられようと僅かに動いた左手に、彼の脳は素早く停止信号を発した。
頭のなかで囁く声で落ち着きを取り戻し、努めて冷静に振る舞う。
「ユウ」と言う声の方向に顔を向ける。いつの間にかオーダスカが彼のそばに立っていた。
「ユウ、彼女は劇団員ではないが……ともに旅をしている仲間なんだ」
「後で紹介しようと思ってたんだが」と続けたオーガスタが声を掛けると、アイリーンはにこりと笑う……いや、ただ口角を上げただけだ。仮面のような彼女の表情は、まるで説明書に書いてある笑顔の作り方をそのまま実行しているように見えた。
「アイリーン・ハウル。よろしくね」
整えられた顔と何となく憂いを帯びた表情から繰り出される無機質な笑顔は、相手の心を串刺しにするには十分だった。無論、勇一とて例外ではない。
「目覚めたのは、ついさっき……ユウ・フォーナー、です」
「ふぅん……いくつ?」
アドリアーナを撫でる手を離し、アイリーンは勇一へ歩を進める。彼女はただ歩いているだけなのに、それはそれは威風堂々とした動作だった。
そうして彼の目前に立つと、今度は切れ長の目で穴が開くほどに見つめられる。身長は勇一のほうが勝っていたが、本人は彼女の方がずっと大きく感じた。
「じ、十六」
「私と同じなんだ。じゃあ敬語は無しね」
「ユウ? アンタを助けたのはアイリーンなんだから、ちゃんとお礼を言いなさいよ」
フン、となぜか自慢げに鼻をならしたアドリアーナはそのままに、勇一は目前の少女にどう対応したものかと戸惑いを覚えた。満月の様な金色の瞳に見つめられ、不意に顔が赤くなるのを感じ固まってしまう。
「わかった、よ。助けてくれてありがとうござ……ありがとう」
「うん、よし。堅苦しいの、好きじゃない」
アイリーンは僅かに口角を下げ、深く頷くき目をそらした。
もしかしたら彼女は、口元だけで感情を表しているのかもしれない……と勇一は推察した。と同時に、彼女にとってそれは必要十分な感情表現であって、その心は表情豊かなのかもしれない……とも。
実際勇一はこの短いやり取りで彼女の台詞と表情から、おぼろげに友好的な雰囲気を読み取ることができた。
銀色の髪、眉、長い睫毛。それらは全て計算され尽くしたかのように整っていて、そこに褐色の肌と金の瞳が見事に調和している。彼女のそんな外見も、相手が好ましい印象を持つのに役だっているのだろう。
「恩返し、期待してるよ」
「ああ、うん……はい」
固まったままの勇一の横を通り、アイリーンは焚き火の方向へむかう。その眼はまっすぐ鍋をとらえている。
その距離が短くなるにつれ歩みも速く、最後は小走りに変化した。やがてたどり着いた鍋の中を全身を使って覗き込むと
「えぇーーっ。無い、の?そんな…………」
「ああ、その……ごめんなさいアイリーンちゃん。戻ってくるとは思わなくて」
ラシアタが申し訳なさそうに声を掛ける。振り返ったアイリーンは、はじめてはっきりとわかるほどの表情……絶望の顔を見せた。
やがて彼女は天を仰ぎ膝をついた。そしてゆっくりと地に手をつきガックリと項垂れる。と同時に、地響きの様な音が周囲に響いいた。儚げな表情をした少女の腹から響いてきたように見える。
「ああほれ、ワタシの干し肉を少しあげようか?」
流石にいたたまれなくなったガージャが、腰の袋から赤黒く平べったいものを取り出した。干し肉だというそれは、先ほど全員が食べたものに比べて圧倒的にみすぼらしい見た目をしている。しかしアイリーンは目の前に出されたそれを即座に引ったくり噛り付いた。
「うう……。あ、ありがとう……おいしい……………おいしい」
モソモソと口に含む光景は、どう見てもおいしそうには見えない。
ひょっとしたら彼女は、意外と親しみやすい人物なのかもしれない……と思う勇一だった。
***
「忘れてた!」
明日の出発のため、全員が片付けをしているときだった。アドリアーナがハッとした表情をしたかと思うと、運んでいた荷物を置いてズカズカと父親のもとへ向かった。
「どうしたんだいアド。片付けは終わったのかな?」
荷台に乗り手に持った紙になにやら筆を走らせているオーダスカ。娘に気がつくと手を止めて荷台を飛び降りる。
「どうしたんだ、じゃないわ!彼をどうするか、まだ決めてないでしょ?」
オーダスカは持っていた紙を丸めて「そんな事か」とため息をついた。
「もう決まったよアド。メフィニ劇団は彼をつれて、北の街へ向かうとね」
「お父さん……」
団長の決定にアドリアーナは全然納得できないといった表情だ。対称的にオーダスカの方はと言うと、彼女の気持ちもわかっているとばかりに微笑んだ。
「旅と言うのは思い通りにいかないものだよアド。それに、どちらに行っても私たちのやることは変わらないじゃないか」
「うぅー……」
「アイリーンが何も言わないという事は、周囲に危険はない。少なくとも彼は危険じゃないよ……わかるんだ」
アドリアーナはぎゅっと拳を握り締め顔をしかめた。そんなことはわかっているが、今一つ安心できないといった表情だ。アイリーンという人物はよほど信頼されているのだろう。
ほんの数秒だけのしかめ面だったが、彼女は握った手を開いた。肩を大きく上げて、落とす。その眼は父と自分の間にある椅子を見ている。
「じゃあ、アイリーンがいるなら……まぁ、いいけど…………」
「決まりだね。荷物の確認は移動しながらでもできるし、今日はもうお母さんの所に行きなさい」
「…………はぁい」
オーダスカは荷物に覆いを掛ける。作業が終わりこの話も終わりだという雰囲気を察したアドリアーナは、おとなしく従うことにした。先程置いた物をあるべき場所に戻し、後の作業は大人たちに任せて寝床でもある母の所へ向かう。
「……なにが『わかるんだ』よ」
ふと立ち止まり、振り向く。
少女の眼は、別の作業を行う父の背中を眺めた。