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2 アドリアーナ

「おぉ……そして入れ墨をすると、成人になる……と」


「そんな感じですね……」


 日が沈み、焚き火だけが光源となった頃。劇団の皆は火が沸かす鍋を囲んで夕食にありついていた。

 メフィニ家は、特にオーダスカが勇一の話を聞きたがった。勇一が何か言う度に固い質感の紙へ筆を走らせる。


「いやいや、いい話だ。これはまた捗るな……」


「お父さん。もうすぐご飯なんだから、いい加減に筆をおいてよ」


 隣に座るアドリアーナがため息交じりに父を嗜め、その様子をラシアタが微笑みの表情で見守る。彼らは三人一緒に地面に座り、勇一の話を聞いていた。

 オーダスカは文字とにらみ合いながら凄まじい速さで書き上げ、さっさと紙を丸めると袋の中へしまう。


「あぁそうだったね……ごめんよアド。それにしても、よく亀裂から逃げられたね」


 夕食を待つ間適当に身の上の話をする流れになったので、最初に亀裂から逃れた事を話すと一同騒然となった。すぐさまオーダスカは地図を取り出し、道順を確認する。勇一が歩いた日数を元に亀裂との大まかな距離を出した結果、すぐに移動せずとも良いと結論付けられた。

 オーダスカは到底一人で歩けるような場所ではないと髭をなぞる。確かに地図を見ると、竜人の村があったであろう場所と現在の場所との間には、一目で山や森とわかる記号が敷き詰められている。


「しかし妙な話だ。本来亀裂は、人里の近くにはできないはずなのに」


「亀裂を開いた者がいたんです。それで、皆が俺を逃がしてくれて……」


「亀裂を開く!? 馬鹿なこと言わないでよ!」


 割り込んできたのはアドリアーナだ。黒い聡明な瞳は焚火に照らされた勇一の顔を映し、その小さな口はきゅっと閉められている。

 会話を中断した彼女はコホンと一つ咳払いすると、平らな胸をそらして自身の考えを主張した。


「亀裂っていうのはね、雨が降ったり雷が落ちるのと同じ、自然なの。自然を操るヤツがいたら、それはもう精霊か女神様じゃない! 子どもじゃないんだから!」


「アド……」


「……」


 勇一の眼の前で捲し立てたのは、どう見ても少女である。

 少女はそんな感情の乗った目線に気付くと、フンと鼻を鳴らして続けた。


「あなた、今『お前だって子どもじゃないか』って思ったわね」


「な、なんで……まさか魔法?」


「そんなわけないでしょ。いい?私はもう十一なの。そんな話を信じるほど子どもじゃないわ」


 アドリアーナは握った右手のうち親指、人差し指、薬指を器用に立てて勇一に見せた。その形の意味を理解できなかった彼は、困惑表情がありありと顔に出てしまう。


「あなた、数の数え方もわからないの? 本当に山奥で育ったのね……」


 アドリアーナは途端に呆れたと言わんばかりの表情を見せた。

 勇一は彼らに自分が転生者であることを話していない。何が厄介事の原因になるかわからない今、迂闊に身の上を話すことは悪手だと考えたからだ。

 とりあえず今は『竜人たちが森に捨てられていた赤子の自分を拾い、彼らの村で育てられた』ということにしてある。


「あなた、えーっと。ユウ、って言ったっけ。ユウは賭け事はやらない方が良さそうね」


「……アド、まさかまたガージャさんを困らせたの?ダメよ」


「皆さぁん、お話も良いけど夕食ができましたよ。さぁさぁ器をどうぞ」


 猫の顔をした人物が、低くしわがれた声でオーダスカたちに声をかけた。器を要求する彼の手もまた毛むくじゃらで、短く鋭い爪と肉球のようなものが見える。

 オーダスカが四人分の器を渡すと、猫の男は鼻唄混じりに鍋の底から料理をすくいあげ一つ一つ豪快に盛り付ける。四つの山を乗せた板きれは器の端から溢れたもので少し濡れていた。

 

「ガージャさん、アドがまた困らせてしまったようで……」


「んん? ウハハハハハ! いいのよいいのよ、いつも言っておるじゃろう。孫と遊んでるようでワタシも楽しいとな!」


「もう、だから子どもじゃないって……」


「そうだな、アドリアーナは子どもじゃないものな! よぉし次は負けんから、覚悟しておくんじゃぞ! わはははは!」


 横に長く伸びた髭を揺らしながら、ガージャは豪快に笑う。次にその瞳は勇一を捉えた。

 ガージャは一番多く盛られた器を勇一の前に置くと、彼の顔を穴が開くほど見つめた。


「聞いていたよ、その入れ墨。成人の印なんだってなぁ」


「は、はい」


「団長はワタシたちの演劇の脚本を作る役目をやっとる。各地で聞いた風習や伝承なんかを、あの方なりに解釈して劇をつくるのよ……」


「はぁ……」


 ガージャは眼を細め、長い髭は重力に反発するように角度をつける。わずかに覗いた牙が焚き火に照らされた。


「ワタシにとって特別な人だよ団長は。ワタシだけじゃない、みんなにとってもさ。……あんたは幸運だね。気の済むまでここにいると良いよ」


 幸運。

 ……確かに、上野勇一は運に恵まれている。もし倒れた彼を見つけたのが野盗の類だったら、そこでその生は終わっていただろう。

 例え助けられたとして、手厚く保護され食事まで提供されるこの状況がどれだけ幸運であることか。

 礼を言って器を受け取る。自分は二度幸運に恵まれたのだという事実を噛みしめながら、勇一は気が引き締まる思いがした。


 匙で一つすくって口へ運ぶ。目の前に持ってこられた時点で相当な獣臭がしていたが、不思議と勇一は嫌な気分にはならなかった。

 舌に乗ると予想通りの肉の味。噛んでみると、間違いなく彼が今まで食べてきたどの肉よりも固かった。しかし噛めば噛むほどうまみが口中に広がり、彼の脳は多幸感に浸された。


「おいしい……です」


「ウハハハハハ! そうだろう、そうだろう!」


 ガージャは膝を叩いて笑うと、袖の中から手のひら程の大きさをした葉を数枚取り出し勇一に見せた。


「ここらへんでは珍しいポワポワ草があったからな、炙って砕いて入れたんじゃ。頭の中に風が涼しくなるだろう? そのうち気分もよくなってくる」


 ……それは大丈夫な草なのだろうかと、勇一はぎょっとした。それを身体にいれることで出る悪影響は?依存性は?しかし彼にはそんなことを判断する知識もない。正直に言ってしまえば、どうでもよかった。だから


(酒も飲んだし入れ墨もしたんだ……葉っぱくらいなんだ。)


 そう……この世界で生きるのだから、受け入れるのだ。自分の良心に反しない限り。


「まぁ、いいか」


「ウン? 沢山作ってあるから、もっと欲しいなら声を掛けとくれよ。じゃあなぁ」


 どうせ自分の知る法がなければ、自分を知る者もいない。彼らとも短い付き合いになるだろう。そう自身に言い聞かせ、せめて今だけはこの食事を楽しもうと思った。

 すくってもうもう一度、口に運ぶ。この数日飲まず食わずで歩き続け、胃袋は悲鳴すら忘れてしまった。そこに肉の塊が飛び込むと、強烈な味の打撃で叩き起こされる。


「本当に、おいしいな……」


「ユウ」


 いつの間にかアドリアーナが勇一の隣に座っている。胡坐をかく彼とは対照的に膝を抱えてちょこんと座るその姿は、まるで花のつぼみのようだった。

 彼女は首をかしげ、大きな眼で顔を覗き込む。真っ黒な瞳はじっと見ていると吸い込まれてしまいそうで、勇一は思わず目を逸らしてしまった。


「やっぱりあなた、賭け事や交渉はやらない方がいいわね。全部顔に出てる」


「……ほっといてくれよ」


 生意気な口調が、妙に心地よかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 二進法で数えるのかな、この指の形は……
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