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26 旅立ちの朝

「うぅっ……ゲホッゲホッ…………おえぇ」


 飛ばされたような浮遊感の直後に襲う、薄い壁を突き破る感覚を全身で味わう。その後、平衡感覚を一時的に失った身体は天井か壁か地面にぶつかった。

 強かに背中を打ち付け気道が詰まる。口の中に入った泥水を咳で吐き出すと、土の味だけが残った。

 全身がきしみ痛みが走る。立つことも難しいが、だからここで丸まっていると言う訳にはいかないのは本人が一番わかっている。

 身体中の筋肉にむち打って立ち上がると、次に目に入った光景に勇一は混乱した。

 彼が謎の男と戦ったのは崩れた家屋の中だったはずだ。しかし今目の前に広がるのは家屋どころか、村の中ですらない。鬱蒼とした木々、ドウルの遺体も何もかもが消えていた。


「な、何が…………ここ、どこだ……?」


「ユ、ユウ!一体どこから!?」


 理解の追い付かない出来事が連続で起き、正直な話心がボロボロだった勇一に声を掛ける少女。

 今一番聞きたかった声に振り返ると、槍を片手にランタンを持ったサラマが立っていた。槍の他にも、腕には複数の小刀が帯に留められ、両脚と腰に一振りずつ剣を差し、完全武装といった出で立ちで。

 彼女はその後ろをついてくるガルクを止める。ガルクは怪訝な顔をしてサラマを見たが、次に勇一を認めるとぎょっとして何度も後ろを確認した。


「私たちより後に来たはずよね?どうして先にいるの……?」


 サラマは首を傾げ目の前の男をまじまじと見つめる。二人の態度を疑問に思った勇一は後ろを振り向くと、すぐそこには増水た濁流があった。

 どうやら勇一は、いつの間にか二人を追い越して合流場所にたどり着いてしまったようだ。

 だが村からここまではそれなりの距離があるはずだ。それを一瞬で跳躍してしまったのは何故だろうか。

 勇一はここに来るまでにあったことを二人に話そうとしたが、サラマをみて思いとどまった。彼女は安堵と寂しさから解放された表情でいたが、勇一は最初に焦燥を感じ取ったからだ。

「説明は後で」と二人に告げ小舟の前まで移動すると、まずはガルクにファーラークから預かったものを渡した。


「これ、ファーラークさんから」


「これは親父の……。ん、勇一お前……手ぇどうした?」


 ガルクが自分の事を気にかけるなど珍しいと思いながら、手?と勇一は自分の手を見下ろした。

 手渡すために握った左手が濡れて滑る。しかしそれは雨のせいだけではく、小指の爪が剥がれて無くなっているからだった。気付いた途端、鋭い痛みが左腕全体を走った。


「あれ、いつのまに……いたた」


「ちゃんと見とけよ。気がついたら死んでました、なんてゴメンだろ」


 ガルクに心配されるのは何となく気色悪い。具合でも悪いのだろうかと勇一は本気で心配した。

 ガルクは受け取ったものを首に巻き、その一部を手の平に乗せ指で弄んでいる。

 いつもの厳つく鋭い目つきは、昔を懐かしんでいるようだった。


「これは(おさ)の証……その時が来たらオレに渡してやるって、昔親父が言ってたやつだ」


 巻かれた首飾りを握りしめ、やがて鼻をすする音が聞こえてくる。彼の頭はランタンの明かりの外だったが、勇一にはその表情が手に取るようにわかった。

 首飾りはファーラークの体格に合わせたものなので、ガルクには大きい。彼の首に二周させてようやく丁度良い長さだ。

 勇一はあえて声を掛けなかった。ガルクの性格ならば、周りがとやかく言うよりも一人でいさせた方が良いと考えたからだ。サラマもそう思っているのか、静かにガルクを見守っている。

 時間にして二十秒もなかったかもしれない。ガルクは一度咳をすると、いつもの調子で話し出した。勇一は、彼の声が少し震えているのを感じた。


「さあ、もう時間がねぇ。ゴブリンどもの足音がする。ここも危険だ」


 耳を澄ませると、確かに村の方向から時々叫び声が聞こえた。そして間違いなくそれは段々と近づいている。


「ガルク、この前やったアレ……出来ないのか? 地面を踏みつける……」


「馬鹿言え。こんな誰がどこにいるかもわからねぇ状態で、出来るわけがねぇだろうが」


 この闇の中、まだ戦っているものや逃げているものがいるかもしれない。地震は無差別に影響を及ぼすので、そう言った「いるかもしれない」者たちの行動を邪魔してしまう可能性がある。だからファーラークも全力で風の魔法を使えなかったのだ。

 ガルクは先に船に乗り込み櫓を持ち上げた。さっきからガルクに覇気がない。放っておけばそのまま消えていきそうな姿に、勇一は胸を痛めた。

 船は小さく、三人乗るにはかなり詰めなければならない。雨の影響で増水し流れが早くなった川を渡れるのだろうかと勇一が心配していると、背後からサラマが声をかけた。


「ユウ、こっちにきて」


 あまり時間がないとガルクは言った。彼女もわかっているはずなのに、一歩もそこから動こうとしない。

 そういえば、と勇一は思った。何故彼女はこんなに武装をしているのだろう。村から離脱するだけなら、最低限の装備で良いはずなのに。

 彼女はいつも勇一と話す表情のままだ。それが彼の不安を増大させる。


「腕を出して、片方だけ……。これを」


「サラマ、聞いていただろう? 急がないと」


 焦る勇一を余所に、出された彼の腕になにかを巻き付けるサラマ。それは彼女がいつか見せてくれた、紐状の金の飾りだった。


「私の大切なもの。今度はユウが持つ番」


「何をいって……わっ」


「外に出たら『フォーナー』の名前を使うと良いよ。旅先で注目されるのは、あまりよくないらしいから……」


 両膝をついた彼女に、勇一は抱き締められた。

 サラマはさっきから何故こんなことを言うのだろう。何故彼女は過剰なほどに武装しているのだろう。勇一の頭は既に答えを導きだしていたが、心がそれを拒否した。答えを口に出すことができない……自身がこんなに憶病だったと彼は初めて知った。

 対してサラマは自分のこれから向かう先を、淡々と早口で並べて行く。いつもと変わらない表情だったが、彼にはそれが儚く見えた。


「ユウは山があいつらで覆われているのが見えた? その一部がこっちに向かってきてるの。そしてこの川は浅すぎる」


「サラマ」


「奴らは仲間の死体を平気で乗り越えてくる。川は増水してるけど、あれだけ大量のゴブリンが来たら河底を埋めながら船に追いついてしまうでしょう」


「やめてくれサラマ」


「ユウは自分の力の正体を探すんでしょ? ガルクは集団を食い止めるのに向いていない。でも私は……私の火の魔法なら、二人が大きな河に合流するまで奴らを食い止められる!」


「やめろ! サラ……んぐ」


 叫ぼうとした勇一の口を、サラマの口が塞いだ。

 直後に勇一の鳩尾に衝撃が走った。サラマの拳が勇一の腹にめり込んだのだ。突然胃袋が裏返る程の衝撃を受けた勇一は息が止まり、なすすべなく倒れてしまう。

 動くことができない勇一を彼女は軽々と抱きかかえ、ガルクに渡す。彼女の覚悟は固いと彼もわかっていたのだろう、黙って勇一を受け取り船に乗せる。ガルクは一度も、サラマと目を合わせることができなかった。


「ガルク……途中で言った通り、アガラ江に合流したらすぐに岸につけるの。……その先は滝だから」


「姉さん……」


「だめだ、サラマ……」


 時間は残されていない。勇一の声も虚しく船は岸を離れた。小さな船は大きく軋み流れに乗る。転覆してしまわないように、ガルクは危なっかしく船を制御していた。

 船が離れるとサラマは岸に向かって腕を袈裟斬りに振る。すると川と陸の境界線に炎が勢いよく吹き上がり、壁がみるみる出来上がった。ランタンを捨て、奴らが来るであろう森の奥をキッと見据える。


「さあ来いゴブリンども!この身体は頭からつま先、魂に至るまでユウとともにある!!お前ら如きに汚せると思うな!!」


 サラマの宣言を試すように、無数の奇声とともに森の奥からゴブリンがあふれ出た。後続が先頭を押し出し、木々の隙間から粘ついた液体が噴き出すように。

 火炎放射、発火、武器による攻撃。勇一は閉じ行く炎の壁の隙間から、全てをもって迎撃を敢行(かんこう)するサラマと雪崩のように襲い掛かるゴブリンを見た。


「サラマァーーッ!! ……ガルク、戻せ! 船を戻せよぉっ!!」


 船で激流は戻れないとか勇一では役に立たないだとか、そういう事ではない。彼はとにかくサラマと一緒にいたかった。彼女は死ぬ……それは勇一にとって身を裂かれるよりつらい。だが濁流は無慈悲に二人を引き離す。

 最初は大きく見えた炎の壁。勇一はそれが離れるにつれ小さくなっていくの見て、サラマの命も消えていくように感じた。


「勇一、やめろ!」


 痛みから復帰し、錯乱した勇一はサラマの元へ戻ろうと片足を船から出した。今まで歯を食いしばり船を漕いでいたガルクは、彼を尻尾で殴りつけ船上へ押し戻す。波が当たり、船は大きく揺れた。ガルクは悲痛な表情を隠そうともせず勇一を叱責した。


「馬鹿野郎! 姉さんは俺たちを生かそうとしたんだ! それを無駄にするな!」


「うるさい! 何が……何が成人だ! 大切な人を見殺しにするのが、俺たちのやることかぁっ!」


「大きな亀裂が現れたら近くの奴らに知らせなきゃならねぇ! 姉さんはオレじゃあ壁にならねえって判断したんだ! 自分が残ることが一番いいって……希望があるって!!」


 だからって……と、勇一は言葉を続けられなかった。やがて膝をつきガルクに掴みかかった手は離れ、言葉の代わりに慟哭(どうこく)した。正しい事や正解の回答がいつも皆を納得させられるわけではない。現に今、二人は大切な人の命と引き換えに生きながらえている。ガルクはそれ以上何も言わなかった。これ以上何かを喋ろうとしたら、先に嗚咽が出てしまうから。


 しばらく進むと川は大きく蛇行し、もう炎の壁も見えなくなった。やがてアガラ江と呼ばれる広大な川へ合流しようという時、二人は不吉な音を聞いた。大きく岸から離れた小舟から勇一は岸の方を見て、そして愕然とした。

 白み始めた空の光で、少数のゴブリンどもが森を背景に浮き上がる。そのうちの何体かは血走った眼で小舟の方を見ていた。奴らは二人が岸につけるのを船と並走しながら待っている。

 幸いなことに奴らがいる側に船をつける予定はない。しかしここに奴らがいるという事は……。


 一瞬、真昼になったかと思うほどの閃光が走った。何が起こったのか、二人は互いの後方を確認する。

 勇一はすぐそれに気づいた。今まで見てきた景色に、明らかな異物が目に飛び込んでくる。


「ガ、ルク……あれ……は」


 ガルク越しに震える指で差した方向を二人は見た。そして双方とも目を見開く。

 サラマと別れた方向に、森の高い木々よりも巨大なキノコ雲が上がっていた。



 ***



 ユウたちは、無事に逃がす。私は自分の退路を断つように、鳥が翼を広げる形に炎の壁を作った。

 同時に自分の体内に火を灯す。

 奴らとの戦いは熾烈を極めるだろう。元々軍隊が相手にするような数を、私一人が止めるんだもの……当り前よね。

 奴らには作戦とか戦略とかいうものは無い。ただ数の暴力をもって押しつぶすのみ……だからとても厄介なんだ。

 最初の奴らが来た。私は鉄槍で薙ぎ、まとめて処理する。

 僅かな間があって、また集団が来る。私は隙あらば広範囲に炎を吐いて奴らを焦がした。

 奴らは死を恐れない。だから怯まない。仲間の死体を平気で踏み越え、飛び掛かる。

 森の奥に大きな影が見えた。竜人(ドラゴニュート)とそう変わらない体躯をした……オーク。こんなやつまで亀裂から出てくるのか。私はすぐさまそいつに向かって槍を投てきする。

 オークが私を見つけ咆哮した。でも残念ね、私の槍はもうお前の頭を貫通するわ。オークの口内に侵入した私の槍は、その頭蓋を身体ごと後ろの木に磔にした。

 上腕に留めた小刀を投げ、また数匹殺す。父さまは昔言っていた「敵に家族や親しいものがいると考えると、つい武器を持った手が止まってしまうことがあったが……奴らにはそんなものは無い。だから安心して殺すことができる」と。

 両脚に差した剣を抜き振り回した。ジズさん程じゃないけど、私だって双剣を扱えるんだ。

 こんなことになるならあの時ガルクを追い返して、そのままユウと繋がってしまえばよかったな。父さまだったら許してくれるよね。

 剣が折れた、腰に差したロングソードを抜く。だけどそれも数匹切っただけで折れてしまった。

 私は全身に火をまとわせた。高熱の鎧は近づくだけでその者を消し炭にしてしまう。でも、これもただの時間稼ぎにしかならない。何度も火を吐いたから、体力もあまり持たない。

 息が上がる。すでに丸腰となった私の横を、ゴブリンの一団が通り過ぎる。先頭の奴らは炎の壁で焼かれるが、あまりの数に壁が処理しきれず幾分か通過を許してしまった。

 高熱の鎧を着た私に、大量のゴブリンが覆いかぶさった。私の身体に触れた奴らは例外なく消し炭になるが、そんなことはどうでも良いとばかりに後続が次々と闇雲に爪や牙を突き立てる。

 焼ける、突き立てる、焼ける、突き立てる。

 鱗に立てたそれらが折れる感触があった。段々と体力を失い炎の鎧も冷めて行くが、奴らは無尽蔵に私に掴みかかる。

 しかし最初体内に灯した火が、身体の中の圧力を十分に高めていた。

 最期の攻撃がどれほどの効果をもたらすか、私は見届けることができない。でも大量に奴らを吹き飛ばすことができるのは確実だ。

 奴らの爪が、熱を失った私の腹を遂に裂いた。痛みを感じる前に体内で極限まで高められた圧力と、全てを焼き尽くす爆炎と衝撃が……私という殻を破って一気に解放された。


 ……ユウ、あなたは無事に逃げられたかな。



 ***



 巨大なキノコ雲は、周囲の木々や地層をも巻き込んで白む空に天高く舞い上がった。

 勇一は理解したが、理解したくなかった。たった数時間前まで、旅の予定や今までの思い出を語り合っていたのに……。それが今、サラマが命を散らすさまを脳裏に焼き付けられることになろうとは。

 ガルクも直感でそうだとわかったのか「姉さん……」と一言だけ呟いた口を開いたまま黙ってしまう。

 直後勇一はハッとしたと同時に、こんなことが頭に浮かぶ自分が嫌になった。巨大な爆発、のぼるキノコ雲、爆心地に近い自分たちが受ける影響。気が付けば彼の喉から叫び声が産まれていた。


「ガルク!伏せろぉーーっ!!」


 ガルクは伏せなかった。櫓を放り投げ、すぐに勇一を抱きしゃがみ込む。竜人が最も信頼する防具……自らの鱗を盾に、襲い来る衝撃波から勇一を咄嗟に守った。

 波に翻弄される枯葉の如き小舟は衝撃波に巻きあげられ、あっという間に転覆してしまう。濁流に二人は放り投げられたのだった。


 濁流に頭から突っ込んだ勇一は泥水を飲んでしまった。とにかく彼は水面から頭を出すと、凄まじい速さで後方に流れていく陸地を見て焦る。


 ――この先には、何があるんだった?


 確かサラマは、滝があると言っていた。だからすぐに岸につけろと。このままでは滝つぼに落下する、急いで陸地に上がらなければ。だが、ガルクの姿が見当たらない。衝撃波から勇一を守った彼は、一体どこに行ってしまったのか。勇一は見える範囲を探す。探して見つけたらどうするのか、そんなことは今の彼の頭にはなかった。

 一瞬、黒くとがったものが見えた。がむしゃらに手足をかき、波を顔面に受けながらそれに近づくと今度は腕のようなものが現れた。間違いない、ガルクだ。


「ガルク!……ゲホッ、こっちだ!」


「勇一、手を……。はやく」


 必死の呼びかけに反応したのか、茶色く濁った水面にガルクが頭を出した。彼はぐったりとして、生気がない表情で答えた。力なく伸ばされた手に勇一は向かう。

 生きていることにとりあえず安心するが、まだ状況は危機を脱していない。このままでは、二人とも滝に真っ逆さまだ。既に耳にはごうごうと大量の水が落ちる音が入ってくる。勇一はとにかく腕を伸ばし、ガルクの手を掴む。掴んだ手を引っ張りどうにか岸に向かおうとしたが、彼の力ではガルクを引っ張る力が圧倒的に足りない。

 突然、ガルクは反対側の手で勇一の胸倉を掴んだ。直後、浮遊感とともに勇一の身体は水面から離れる。いつの間にかつないでいた手は離れ、ガルクがはるか遠くに見えた。ガルクの渾身の力をもって投げられた勇一の身体は放物線を描き、身体は固いものにぶつかる。土のにおい、懐かしき地面だ。


「ガルク……!?何やってんだよガルク!!」


 勇一は瞬時に立ち上がる。ガルクは一体何をやっているのか。彼は濁流に時々頭を出すが、こちらに泳いでくる様子はない。衝撃波を全身で受け最後の力を振り絞って勇一を陸にあげた彼に、もはや自分自身を助けるだけの体力は残されていなかった。

 川の先が切り取ったように途切れている……滝だ。裁断された水流の向こうに不自然に低い山が見えた。勇一はとにかく走る。走ったところでどうにもならないのはわかっているが、彼はとにかくガルクに声を掛けずにはいられなかった。


「ガルク!!こっちだ、ガルクーーッ!!」


 喉がつぶれるほどに叫んだとて、川は止まらないし滝も登りはしない。あまりにも呆気なく、黒い影は滝の向こうに消えた……。

 ガルクはファーラークから受け継いだ長としての使命を全うした。命をかけて民を守るという、父親と同じ使命を。


 勇一の周りには時々吹く風と弱くなった雨、そして滝のゴウゴウとした音だけがあった。

 彼だけがそこに存在し、彼の事を知るものは誰もいなくなった。彼は……一人ぼっちになってしまった。

 彼はぼうっと濁流を眺めていた。思い出、亀裂、謎の男、サラマ、ガルク……この短時間で多すぎる出来事と別れが彼を翻弄した。

 勇一は、もしかしたら自分は今まで夢を見ていて、たった今目覚めた所なんじゃないかと思いたくなった。しかし、そんな彼の眼を覚ますかのように左手に痛みが走った。白んだ空がはっきりと見せた左の小指は、確かに爪がなくなっていた。じんじんと続く出血と痛みが、これは確かに現実なのだと勇一に嫌というほど叩き込む。


「…………」


 やがて勇一は歩き出した。愛する人と親友、そして大切な人たちを奪った場所から逃げるように。

 太陽が頭を出し、彼を照らした。濡れた顔は青く唇は震えていたが、青い眼は僅かに生気があった。腕に巻かれた金の飾りを抱きしめるようにしてこれから向かう方角に眼を向ける。


「……北」


 この状況を作り出した者はいっていた……「北へ」と。どれくらい大きな大陸かもどれくらい人がいるかもわからない……絶望的な人探し。だが謎の男を見つけるという目的を持つことでかろうじて顔を前に向けられた彼は、自ら命を絶つという選択を捨てることができた。


 そして上野 勇一(ウエノ ユウイチ)は、朝日の照らすサンブリア大陸に足を踏み出した。








 ――――――一章「炎の竜人(ドラゴニュート)」 終

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

感想や評価等頂けると励みになります。


二章「巨木の少女(仮題)」は過去の告知通り、月単位の時間をかけて完成させた後、毎日投稿できるようにするつもりです。


ツイッターの方は今まで通りでやっていきます。


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