24 脱出-2
その夜の見回り組に、ドウル・ルピトスはいた。
彼は村で一番の年長者だったが、一番働くのが好きだった。
だから身体中のあちこちが加齢によって痛みに苛まれても、体を動かすことはやめなかった。
サラマとガルクが幼少の頃から、何度も遊び相手になってやったこともある。体力に自信のある彼ですら、二人の子どもと遊ぶのは人生で一番疲労を溜める行為だと思い知った。
ある時ガルクがブラキアを連れて帰ったとき、ドウルはこの村の何かが動き出したような気がした。ジズはブラキアの男に何度も声をかけていたが、反対に彼は積極的に関わろうとせず経過を見守ることを選んだ。
あまりブラキアの青年と関わることはなかったが、彼はいつの間にか成人としてこの村に迎え入れられた。ファーラークの決定にもとより反対する理由もなかったドウルは、そのまま受け入れた。
そうしてまた時間が過ぎ、今度は彼がサラマと一緒にここを出ていくと聞いたドウルは、そこで初めて勇一が自分の願いを叶えてくれる者だと思った。
サラマが小さな時から外の話を聞きたがっていたのは知っている。やがてそれが憧れになっていったのも。
誰かが若いサラマを連れ出して、世界を見るという夢を共に叶えてくれないだろうか……ドウルはずっとそう願っていた。
しかしあと数日でその願いが叶う。ドウルは喜んでいたが、誰がみてもそうとはわからないように努めた。それは年寄りらしい気丈さだった。
仮眠を済ませたドウルは装備を整え、きしむ扉を開ける。直後、その鼻先を雨水がうった。少し肩を落とし、うなだれる。
(まいった。体が冷えるのは、年寄りには堪える)
そう思ったドウルは次に違和感に気づいた。
何故、自分の足が見えるのだろう……。
夜、雨が降っている。ならば雲は厚く、月も隠れているはずだ。雨に濡れるから松明もつけられないので、ランタンに火を灯さなければ自分の手すら見えない暗闇のはず。
だのに今、ランタンも持っていないドウルには、足元の濡れた地面がはっきりと見える。
ドウルはゆっくりと顔を上げ、次に目に飛び込んできたものに思わず叫ばずにはいられなかった。
広場の直上、村を包む柔らかな光は絶望の合図。
「皆起きろ!亀裂だぁーーーーっ!!!!」
直後に空中のヒビは雷のように広場に落ち、亀裂となった。
雨は更に勢いを増していた。
***
「ハァッ……ハァッ……ハァッ……」
戻ってきたガルクが落ち着くと、勇一は二人を先に村へ向かわせた。自分の歩幅では全力疾走する彼らに追い付けない。ならばいっそ自分を無視して先にいけと指示したのだ。
勇一は一人、雨の降る夜の森をひたすらに走っていた。時々濡れた木の根が彼の足を掬い、べしゃりと転倒するが、身体中についた泥をはらう余裕などない。
足元すら見えない暗闇の森。目が慣れているとはいえ見覚えのある場所を確認しながら走る。何度もよろめき、時には顔面から転倒した。
既に頭に巻いた包帯はどこかに落ち、息は上がり、身体中痣だらけになってもなお彼は足を止めなかった。
木々の隙間からわずかに光が見えた。明らかに月の光ではないそれは、間違いなく亀裂から出るものだ。
勇一は森と村との境界線までたどり着くと、前回の反省を踏まえて真っ先に飛び出したい衝動を抑え、恐る恐る村の様子を木々の間から覗き見た。
光るヒビとそれが亀裂に変じた場所。そこは村のど真ん中にあり、未だにゴブリンの出現は続いているようだ。亀裂の周囲はいくらか明るいようだが勇一の方まで照らすほどの光量はなく、暗闇と雨ではっきりと村の様子を確認できない。
更に強さを増す雨は視界と音をほとんど遮断したが、ゴブリンどもの耳をつんざくような叫び声だけが時々聞こえてきた。
竜人たちの声は聞こえない。この豪雨で聞こえないだけだ。きっと皆避難して無事なんだ、と勇一は自分に言い聞かせる。
まずはガルクたちと合流しよう……そうして茂みから出ようとしたとき。
稲妻。
一瞬だけ暗闇から青く正体を現した世界。倒壊した家屋と地面に広がる食い散らかされた複数の死体は、勇一の網膜に焼き付けられ心に絶望感を刻んだ。しかし彼はぎゅっと心臓のあたりが苦しくなり胸を抑えたものの、このまま茂みに隠れていようとは思わなかった。
稲妻は凄惨な光景を映し出したが、同時に村の奥で動く巨体をも浮かび上がらせたのだ。
あの巨体を見間違えるはずがない。戦っているのは、ファーラークだ。がくがくと震える脚に拳で気合を入れ、顔面の鬱陶しい雨水を拭う。彼の元へ向かうという使命を帯びた勇一の脚は、恐怖と絶望を振り払うかのように全力で勇一を運んだ。
***
「ファーラークさん!!」
亀裂から全方位に散らばったせいかゴブリンどもに出会うことなくファーラークの元へたどり着いた勇一は、まずその名を背後から叫んだ。
豪雨のせいで声の通りが悪かったが、二回目の呼びかけでようやくこちらに気づく。
「おお、勇一君か。ジズ!彼が来たぞ!」
襲い来るゴブリンを叩き潰しながら「よく来た!」と応答するファーラーク。暗闇の中で辛うじて認識できる彼の影は例の鉄柱を振り回して暴れていた。
ジズ!と再び彼が叫ぶが、返事はない。しかし返事のかわりとばかりに飛んできた小石が、勇一の胸に当たった。
「ジズ……さん?」
再び飛んできた小石を拾い上げその方向を見るとこれまた辛うじて認識できる影が、元は何だったかもわからない瓦礫を背もたれに座っている。
勇一が影に駆け寄ると、それは間違いなくジズだった。彼女はずぶ濡れの状態でぐったりとした様子で瓦礫に寄り掛かり、脇腹を抑えている。しかし、いつものニヤニヤ顔はそのままだった。
彼女は腹を裂かれて止まらない出血を、飛び出た内臓と一緒に体内に戻そうと押さえている。どくどくと肩を上下させるたびに流れ出るものが雨でながされる様を、稲妻の光が浮かび上がらせた。
「あぁ、やっと来たのかい……。遅すぎるよ全く」
雨音でかき消されるほどの弱々しい声でジズは言った。勇一は思わず傍に寄ろうとしたが、ジズは彼が足を踏み出そうとした瞬間「寄るな!」と手で彼を静止した。
ファーラークは雪崩のように襲い来るゴブリンを鉄柱で潰し風の魔法で押し返しているが、それも長くは持ちそうにない。
「いいかい、時間がないから一度しか言わないよ……ゲホッ。アタイらはここでヤツらを抑える。ガルクとサラマには、ドウルの船でここを脱出するように言った……。場所は、あんたが落ちた川だ。いいね!」
「で、でも二人は……わっ!」
ジズは傍らに置いてあった棒状の物を乱暴に勇一に投げつけると、ふらふらと立ち上がった。投げ込まれたものを取り落としそうになりながら受け取る彼をしり目に、ギリときつく腹に布を巻くと一つ息を吐く。
彼女は口に溜まった何かを吐き出して、雷の様な怒鳴り声をあげた。
「一度しか言わないって言ってんだろぉがっ!!アンタってお荷物を背負って、アタイらの邪魔すんじゃないよ!!……それを持って、さっさと行きなァ!!」
激痛は彼女の顔を一瞬歪ませた。それでも武器を取ってファーラークの元へ向かう。
闇の中、勇一は受け取ったものの形を手で確認すると、投げつけられたそれは彼の腕よりも少し短い剣だとわかった。所謂『ショートソード』といわれる武器。鞘には見事な彫刻が施されていることがなぞった指先からわかる。
「『マナン』だ……大事にしなよ。それに巻いてあるのは『ファーラークからガルクに』だ。渡せばわかる」
「ガルクに必ず渡してくれぃ!頼んだぞ!!」
「ファーラークさん!ジズさん!」
返事は返ってこなかった。勇一に背を向け、もう話す気はないと言わんばかりに二人は武器をふるう。
戦う二人の背を見て勇一は自分の無力さを呪った。今こそ「強大な力」とやらを使うべきだろうと。散々期待を持たせておきながら、その実それがどんなものかも知らない上に、使い方さえ分からないとは。
誰も知っているものはいないのだから、自分で探すしかない。しかしそんな時間さえ勇一の背後に現れたゴブリンたちは許してはくれない。
無言で二人に一礼し駆け出そうとした瞬間、勇一は背後にぱしゃりと足音を感知し振り向く。骨と皮だけの痩せこけた小人が立っていた。
闇と雨音は自分の姿と足音を消してくれるが、それは向こうにとっても同じことだった。勇一が気付いた時には、数匹のゴブリンは既にとびかかる体勢になっていた。あとは彼の喉元を食いちぎるだけ。
(嫌だ……死にたくない!)
勇一はとっさに剣を抜く。いや、抜こうとした。
不思議なことが起こった。柄を握った剣を引き抜こうとする直前、闇の中から別の数匹のゴブリンが突然現れた。普通なら絶体絶命といったところだが、なんとそれらは勇一に飛び掛かろうとする同族たちに体当たりしたのだ。
この暗闇だ、おそらく獲物と見間違えたのだろう。勇一のことなど目もくれず、目の前でゴブリン同士が乱闘を始める。
「ファーラークさん!ジズさん!……ありがとうございます!!」
礼を叫ぶ時間だけは残っていたが、目の前の事態を理解する時間はない。だがとにかく助かったのだと、彼は乱闘の傍を通り抜け走り去った。
***
「はははっ、すげぇなぁ……。ファーラーク……アタイは最期に……ふぅ……良いものを見れたよ」
ファーラークが鉄柱を振る隙を塗りつぶすようにジズが舞う。すでに彼女の身体は思うように動かない。意識は段々と薄れ、視界は狭くなる。それでも長年培った経験で繰り出す体捌きは、波のように押し寄せる奴らをどうにか押しとどめる。
「あの子、もう覚醒してたんだ……ハァ……。色は違うが……、タバサと同じものがあの子に見える!」
「……本当かジズ!勇一君に同じものが!?」
ジズが頭を下げると、直後に鉄柱がそこを通り抜ける。飛び掛かるゴブリンを最小の動きでかわすと、直前までジズがいた場所が叩き潰される。お互いの呼吸が手に取るようにわかる二人は、昔戦場でともに戦ったことを思い出していた。
(ああ、アタイはなんて幸せ者なんだ。アタイの全霊を込めた剣が二人に渡った。素晴らしい魔力を見れた。そして……そして何より)
ガクリ、と遂にジズは膝をついた。呼吸が浅い、視界がぼやける、彼女の心だけが戦場を駆け回る。
ファーラークが彼女を片手に抱え上げ、鎖を伸ばす。風の魔法を何度も使って奴らを押し戻すが、押し戻す力だけでは対処しきれない数のゴブリンが押し寄せる!
稲妻。
光が一瞬みせた景色に、ファーラークは思わず唸った。村を見下ろす山々を、あの醜い緑色の者共が覆っていた。それらはすべてこちらに向かっている。
「ああ……あの子、は……絶対に、死なせちゃいけ、な……い」
「ジズ!……ジズ!!」
(惚れた男と、最期まで一緒にいられるんだから)
闇に染まった緑色の波が二人をさらうのは、直後の事だった。
もうすぐ一章が終わります
読んで頂きありがとうございます!




