23 脱出-1
「ほんっと、ユウは凄いよ。ガルクから一本取るなんて」
日の落ちた湖は少し冷たい風が吹いていたが、三人の座る岩にはまだ日中の熱が残っていた。
月明かりだけが周囲を照らし、湖面はキラキラと輝き、時々魚が跳ねる。
頭に包帯を巻いた勇一はサラマに愛おしく見つめられ、膝枕をされている。サラマの反対側にはガルクがいて、彼はじっと湖面を眺めていた。
「だぁから、相討ちだって言ってんだろ……」
転倒しながらもガルクが咄嗟に繰り出した攻撃は、確かに勇一の頭部を捉えた。
しかし勇一の木刀による突きもまた、ガルクの心臓に届いていた。
互いに急所への攻撃に成功したが、勇一だけが意識を失いその後を知ることができなかった。
村人たちは木刀が折れるほどの威力で勇一の頭部を打ち抜いたガルクの勝利と判断したが、当のガルクが勇一の突きも同時に届いていたと証言し、相討ちとなったのである。
「なんでガルクは相打ちなんて言ったんだ?黙ってれば俺の負けに出来たのに」
決闘から三日たっても未だにこぶが収まらない勇一は、疑問をそのままぶつけた。
「どんな手でも使ってこい」と言うのは、つまり「勝つためなら何でもしろ」と言うことなのだと勇一は解釈していた。最もガルク相手に使える手など、ほとんどなかったのだが。
「戦ってる最中なら勝ちに行くさ、何をしてでもな。その為に、オレは盾を使った」
だが……とガルクは首を曲げて、サラマの向こう側から勇一を覗き込む。その表情は清々しく笑っていた。
「結果ってのは、それまでの行為の答えだ。それに嘘をつくことはできねぇよ」
照れ臭そうに鼻をフン、と鳴らす。
つまり戦闘中なら何をしてでも勝ちにいくが、それで生まれた結果は受け入れると言うこと。
やはりガルクは堂々とした漢だ。自分だったら黙っていただろうなと考えていた勇一は、自分を恥じた。
自嘲気味に思わず吹き出した勇一を見て、ガルクも豪快に笑う。静かな湖畔は、しばらく男二人の笑い声が響いた。
「二人とも、いつの間にそんなに仲良くなったの?」
サラマの疑問を聞いたガルクは一瞬きょとんとしたが、すぐにまた吹き出すと今度は膝を叩いて笑う。
ひとしきり笑うと一度大きく深呼吸して勇一からサラマへ目線を移し、勇一への憎しみなど最初からなかったかのような顔をして口を開いた。
「仲良くなってねぇよ。ただオレが……オレが勇一を認められるようになったってだけだ。
そうすりゃ、コイツを信じられる」
認めることで相手を受け入れられ、相手を信じられる。互いに認めることができれば、信じあえる。ガルクが求めているのはそんな関係だった。時間こそかかったが望み通りの関係を得られたのは、彼の人生にとって忘れることができない出来事になった。相手が異世界人になるとは全くの予想外だったが。
ガルクはサラマの背後から回り込ませた尻尾で、寝そべっている勇一の脇腹を小突く。
「あいたっ……な、なにを?」
ガルクは勇一の事を気に入らない……それは一生変わらないだろう。だがガルクはそれでもいいと思っている。気に入らないことと信じることは別なのだから。
「勇一よぉ、お前ジズさんから剣もらったか?」
「剣?いいや、何も聞いてない」
「ジズさんがユウに剣を?」
ガルクは真剣な面持ちで、側に置いた自らの剣を二人に見せた。それは以前彼が使っていた鉈剣と同じ形をしていて、切っ先に向かうほど幅広く作られている。違うのは、その刀身が真っ黒だという事だ。
鉈剣の刀背を前腕に乗せ、切っ先を湖の中央に向ける。月光をわずかに反射する美しい刀身に、勇一とサラマは思わず見とれてしまった。
「ジズさんはお前のとオレのとで一対作り、この剣を『バルーク』と言っていた」
「じゃ、じゃあユウのは『マナン』だね!すごいじゃない!」
何がすごいのだろうかと勇一は考えた。物に名前を付ける者がいること自体は、彼にとってなんら不思議に思う事ではない。確かに名前を付けることで愛着がわく、そう言う人の考えを否定する気はさらさらない。
しかし物を使いつぶす性格の彼にとって、物に名前を付けるというのはそれ以上の価値がない行為だった。
「バルーク」と聞いてサラマの口から即座に「マナン」という言葉が出たように、もしかしたら何かにあやかった名付けなのかもしれない。勇一は、サラマが刀剣に見入りガルクが解説している中に声を掛けた。
「名前に何か由来が?」
「そう!『バルーク』と『マナン』っていうのはね……五人の竜王のうち二人なんだ!」
五人の竜王……と勇一が繰り返すと、サラマは顎を反らし両手を広げ、声に大袈裟に抑揚をつけて「五人の竜王」と題された言い伝えを語り始めた。
それはこの世界ができて間もなくの頃に生まれた、竜人の王たちの話だった。
竜人たちが過去の過ちを悔いるところはしっとりと、戦いの場面になると大きく身体を動かして、彼女は子どもに伝えるように勇一に聞かせた。
言い伝えと聞いて、正直田舎の老婆が孫にきかせる眠気を誘うような内容を想像していた勇一は、思わぬ話につい起き上がり背筋を伸ばして聞き入った。
「ザーヴォルグ、ペイルダン、バルワト、そしてバルークとマナン……。映画みたいというか、壮大だなぁ……」
「んー。エイガって言うのが何かわからないけど、母さまがしてくれた中で私が一番好きなお話なんだぁ」
横で聞いていたガルクも彼女の考えに頷く。
母の話をしたサラマは一瞬寂しそうな表情をみせたが頭を振り、すぐに膝枕から起き上がった勇一を抱き寄せた。女児がお気に入りのぬいぐるみにそうするように、彼を膝に乗せる。そして、ついでに勇一の頬に爪を伸ばし
ペリッ
「あ痛ったぁ!」
先日の決闘で出来た頬の傷。浅く裂けた頬は深手ではないものの、食べたり話したりする度に痛みがひどいので、薬効があるらしい大きな葉をドウルに貼ってもらった。
張り付けたときは傷のある頬全体を覆うほど大きい葉だったが、一日もしないうちに傷を覆う程度の大きさまで縮み、それに伴って痛みも引いてきていたのだが……。
裏返った声で抗議する勇一に、サラマはまた一つ行動した。
「い、いきなり剥がす?もっとこう……うわっひゃあ!」
サラマの青い舌が勇一の頬の傷をなぞった。大きなナメクジを押し付けられたような感触に思わず勇一は飛び跳ねようとしたが、腰に回されたサラマの腕ががっちりと彼の両腕を固定し捕らえそれを阻止する。大きく這うような感触は何度も何度も彼の頬を蹂躙し、抵抗の意思を示さなくなるまで続いた。
二人を見守っていたガルクはあきれた様子で行為が終わるのを待ち、小さくため息をついた。
「大丈夫。もう血は出てないね」
「そ、そう……別に舐めなくても」
「あのな、そういうことはオレがいない時にやってくれ」
彼らが今いるこの湖は、勇一がここにきて三日目、最初に三人が揃った場所だ。
もしかしたら最初から、自分は彼に惹かれていたのかもしれない。そう考えるとサラマの中の感情があふれ出して、とにかく彼を愛おしく感じてしまう。感じたことをそのままぶつけることに抵抗がないので、空気が沈むことを避けたい彼女は半ば体当たりするように彼に抱き着く。
目の前で姉と友人がいちゃつく姿をいやというほど見せつけられたガルクは、流石に黙っていられず二人をたしなめた。
ガルクの存在を忘れていたのだろうか、ピタリとじゃれあいを止める二人。
「とにかく、お前とオレの剣は兄妹だってことだ。出発前にジズさんから受け取っとけよ」
自分は村に残り、二人は旅立つ。彼らは世界で何を見るんだろうか。種族の違う者同士で旅をするのは意外に目を引く、面倒なことに巻き込まれなければいいが……。
表情には出さないが心配するガルクをよそに二人は再びじゃれ合いを始める。物理的な違いこそあれど種族の違いを感じさせない勇一とサラマの関係を見て、彼は何となく安堵の感情を持つのだった。
***
「そういえば……亀裂って何なんだ?」
湖面を何度目かの魚が跳ねたとき、勇一はふと疑問を口にした。
「亀裂」……この世界で生活する以上切っても切れない「災害」。勇一は周囲の山より低い上空から垂れ下がった光るヒビと、それが亀裂に変じゴブリンどもが埋め尽くす地上を見た。当然それは彼が元居た世界では見たことのない現象だ。
「さぁな。実を言うとオレもわからねぇ。たしか亀裂を見たのは二回……しかねぇんだ」
ガルクは顎に手を当てて記憶を掘り返している。当然ながらサラマも同じような反応で、それは亀裂に遭遇すること自体稀であることを意味していた。
「父さまやジズさんは、軍にいたころに見たことがあるって言ってたよ。それでも、この前みたいな大きな亀裂は珍しいんだって」
少なくとも百年以上前から確認できているのに、現地に行って亀裂から現れるゴブリンをせん滅させることしか対処法がないなんて、よほどの事だろう。
勇一は自分の持っている知識で役に立てないか記憶を検索するが、そもそも彼の世界にはなかった現象なので「亀裂がどんな原理で何故現れるのかすら知らないうちはどうしようもない」という結論にあっさりとたどり着いてしまった。
「まぁ、親父が十回も見たことはねぇっていうくらいだ。普通に生活してりゃ、話を聞くだけで一生見ることもないってヤツがいてもおかしくはねぇ。……ただ、出会っちまったら死ぬ気で戦うか、逃げるかだ。急ごしらえとは言え戦う準備をしていた俺たちでさえああなった」
すっ、とガルクの表情が硬くなった。彼は前回の亀裂で戦った際に、死者が出たことを思い出していた。竜人ですら時には食い殺される。そんなゴブリンが、力の弱いものを襲ったら……。
「ないとは思うが、旅先で亀裂には近づくなよ。あと面倒ごとには首を突っ込むな。特に勇一、お前は必要以上に周りと関わろうとするのをやめろ。ここではうまくことが運んだが、他も同じとは限らねぇ」
「どうしたんだ急に。ガルクは俺の親じゃないだろう」
気を使われてると感じた勇一は、わずかに寒気を感じた。今までのガルクとは別人のような発言に、内心悪いとは思いつつも身構えてしまう。サラマの膝に乗った状態で。
初めて彼を心配する言動を見せたガルクにサラマはわずかに微笑んだ。
そんな勇一の様子など気にすることなくガルクはゆっくりと立ち上がり、刀身の黒い剣「バルーク」を担ぐ。
村の方角へゆっくりと歩を進め、村と湖を隔てる森を前に振り向く。
「出発の日までそう時間がある訳じゃねぇ。……最後くらい気を遣わせろ」
そう言い残し、湖畔に二人を残して暗く静かな森へ消えていった。
ガルクも寂しいのだと、勇一は受け取る。そうでなければ彼がわざわざあんな事を声に出すなどありえないと思った。
「やっぱり、二人は仲がいいんだ」
頭上から声がこぼれる。サラマは勇一を抱きかかえたまま、湖の方を見ていた。
今日ばかりは虫や獣たちも気を使ってか身を潜めているようで、残された二人はしばらく静寂を楽しんだ。
***
「ユウ、私ね……この世界が好きなんだ」
時々波打つ湖面。音という音を排除して、この世に彼女の発する声だけが真実の様な世界。男性一人が寄り掛かってもびくともしない体幹。腰に回された腕は心地よい重さで、鱗は少し冷たいが手のひらは暖かい。
「今まで誰かの話を聞くだけだった、けどもうすぐ私たち自身がこの目で見る世界。これから描かれる真っ白な地図が好き」
勇一が頭ごと目線を上にやると、サラマと目が合った。月を背景にした彼女の表情を、湖面に反射された月光がわずかに照らす。その双眸はじっと勇一を見つめていた。
「地図を書き終わったら、どうする?」
「うん……別の大陸に行こうかな」
「全部の大陸の地図を書いたら?」
「うぅーん……」
我ながら馬鹿なことを言ったものだと勇一は失笑した。そんな先の事考えてどうする……少なくとも今は、どこに行くかを考えるくらいでいいのに。
眼を閉じ首をかしげて考え込んでしまったサラマに「やめやめ」と声を掛けた。考えることをやめて再び彼の方を向けたその頭を、両腕をあげて迎え入れる。
サラマは勇一の手のひらに頬擦りすると、彼に引き入られるままに頭を下げた。
「これから、よろしく」
サラマの頭は勇一の誘導に素直に従い、そのまま互いの唇が軽く触れ合った。
彼女は彼に回した腕から、彼は彼女に預けた背中から、これまでにないほどお互いの鼓動を感じた。
また数度触れ合う。竜人の頭はドラゴンそのものの形をしており、それは口づけというよりついばむ様な有様だ。しかし二人にとってはお互いの形など些細な問題でしかなかった。
「えへ、よろしくね」
更に二度三度、お互いに形のない何かを身体に刻む。
二人は、旅になど出ずにこのままでいたいとさえ思った時だった。
「姉さん!!」
木々が揺れるほどの声量。
いつか聞いた怒鳴り声、勇一は一瞬過去に飛んでしまったのかと思った。
村に戻ったはずのガルクが、再びここへ戻ってきたのだ。雰囲気を完全に破壊された二人はがっくりと肩を落とす。
二人で文句の一つでも行ってやろうかと一緒に振り向くと、ガルクは明らかに憔悴しきっていたのでぎょっとした。
息が上がり、バルークを杖にするように立っている姿を見るとそれが尋常でないことがすぐにわかる。
「ど、どうしたのガルク?」
「ゼェ……ゼェ……。大変だ、姉さん」
何度も深呼吸し息を整えたガルクは、次にその口からできれば今後一生遭遇したくないものの名前が吐き出された。
「……亀裂が!」
いつの間にか現れていた雲が月を覆い、ポツポツと水滴が落ち始めた。
別れの時は、着実に近づいていた。




