19 成人式
「ン"ン"ン"ゥーーーー!!」
「ああほら、こんなことで叫んでたら持たんぞ! もうちょっと頑張りなさい!」
生温い風が吹く午前中、勇一はファーラークの家の広間にいた。くつわを噛まされた彼は、大きなテーブルに仰向けに寝かされ、手足を縛られて身動き一つとることができない。
ファーラークはその大きな手で器用に針を持ち、勇一の左頬を何度も何度も刺す。針には染料が着いており、差し込まれた後に跳ね上げるように針を動かすと皮ふと針の間に出来た隙間に染料が流し込まれる。
それは激痛を伴い、拳を握り締め噛まされたくつわを噛み砕かんばかりに食い縛り耐える彼には正に生き地獄だった。
激痛がふいに止んだ。自分で涙を拭うこともできない勇一は、もう何度目かもわからない質問をファーラークに投げかけた。
「ゼッ……ゼッ……もう……おわり………ました、か?」
「まだまだ。全体の半分の、そのまた半分もできていないぞ」
「頑張りなよ少年ン。自分の言ったことに責任を持つのも、大人っていうものだからねぇ」
「しかし驚いたぞ? 客人をやめて私たちの村に加わりたい、など」
彼らの一員になるための所謂儀式。彼らは成人になることで晴れてこの村を運営する一人となり、一人前と認められる。そして成人となるためにはこの激痛を意識を失うことなく耐え抜き、長からその印を受け取らなければならないのだと言う。
この村の皆は長であるファーラークから印を受け取った。印とは、つまりは入れ墨である。
「も、もう少し休憩を……モガッ」
「駄目だ。この調子だと日を跨いでしまうぞ」
容赦なく再開される針刺し。一刺しごとに響き渡る勇一の絶叫は、外で日常を過ごすの村人全員が聞いていた。
***
「よし、半分終わりだ。少し休もうか」
「……………ふぁい」
「しかしな、もっと声を抑えなさい。男だろう? サラマは一度も声をあげなかったぞ」
ファーラークは勇一の汗を拭い、ちらと家の出入り口を見た。扉と地面の隙間から見える陰、いつの間にか向こう側に誰かが立っている。当然ジズもそれに気付いているが、仰向けに寝かされた勇一だけがそれを知らない。
勇一は何故突然サラマの名前が出たのかと戸惑った。
しかし「声をあげなかった」等と言われると、勇一の「男の矜持」が彼を刺激する。彼は朦朧とする意識のなかで、二度と声をあげないでいようと決めた。
「サラマは君をとても気に入っているようだ。君はサラマをどう思っているんだ?」
ファーラークは染料が入った壺と針の束を確認している。視界の端に映る彼を感じながら、勇一はぼんやりとだが思ったことを答えた。
「最初に話した時から、可愛らしい綺麗な娘だと……思っていました」
「最初……倉庫から出した日の事か。サラマはタバサに似て美しく育ってくれた……自慢の娘だ」
「でも、可愛いって……動物に対するものだったんです」
「は、はぁ?」
「蝶を綺麗だと……小動物を可愛いというように……最初は、そんな気持ちでした……でも」
ファーラークは手を止め、表情はたちまち不機嫌なものになった。一人娘を動物のように可愛いなどと言われたのだから至極当然のことではある。
「それ、私の前で言う?」
彼の声は少し震えていたが、すぐに彼の手をジズが取りなだめた。
「痛みで朦朧としてんだ。最後まで聞いてやりなファーラーク」
勇一とサラマの中が特別なものになりつつあるのは二人とも知っている。いや二人だけではない、今やこの村にいる全員が、いつ勇一とサラマの関係が前進するのかと見守っていた。ガルクを除いて。
「でも心って、みんな形や色が違うけど……種族の違いってないと思うんです……みんな違うけど同じで………」
「ううん?」
「ファーラーク、静かに」
なおも勇一は呟くように続ける。それはファーラークと話すというよりも、自分に話しかけることで飛んでいきそうな意識をなんとか手放すまいとしている様だった。
「サラマと一緒にいるのが楽しい……サラマ話しているのを見るのが好きだ……真昼に雲から差し込む光みたいに綺麗な…………瞳が好きだ」
「……ふふ」
「顔が映るくらい綺麗な紅い鱗が好きで……サラマの全てが、好きです」
「それ、私の前で言う?」
ああよかったと、ファーラークは安心した。
ジズから「守りたい」発言を伝えられた時は彼も戸惑った。自分よりも強く大きく勇敢な者をどうして守りたいなどと思うのかと考えた。しかしすぐに自分は似たような気持ちを亡きタバサに感じていたことを思い出す。そうして誰かを好きになる感情は、相手の姿かたちや立場などどうでもよかったのだと思い至った。
「しかし勇一君、君の表現は何というか……くどいね」
「なぁに言ってんだいファーラーク」
横からジズが横やりをいれる。にやついた顔で、今にも笑いだしそうなのを堪えながら続けた。
「え?」
「アンタがタバサに初めて話しかけた時に何て言ったか、アタイは覚えてるよ? 『君の太陽のような「ま、まった! それ以上はだめだ!」
若かりし頃の記憶を棚にあげた事をからかわれ、むず痒くなるファーラーク。気恥ずかしさと照れに同時に襲われた彼は思わずジズを止めた。
「年頃の男ってのは、何かと詩的に言いたがるもんなのさ」
「ほ、ほら……休憩は終わりだ。噛ませるぞ」
「へ…………? な、なんですモガッ」
過去の恥ずかしさを振り払うように、半ば無理やり勇一に轡を噛ませた。
ジズはやれやれと肩をすくめ、それ以上ファーラークをからかうのをやめた。かわりに、勇一の肩に手を当て声を掛ける。
「あとでご褒美をあげるからね。頑張るんだよ」
ちら、とジズは出入り口の方を見た。扉の向こうにいた気配は、いつの間にかいなくなっていた。
***
「ずいぶんと……赤いんですね」
全ての工程を終え、小さな手鏡に映った身体の一部を見て勇一は言った。
彼の左頬の下半分から首筋、鎖骨を越えて左胸の上半分を覆うように、羽のないドラゴンが描かれている。
「うむ、今は腫れているからな。それは熱を持つと赤く染まる染料を使っているのだ」
勇一は再び鏡を見た。確かに最初の方に彫られた場所は、段々と青みがかった色に変わっているようである。正面から鏡をのぞいてみると、頬に彫られたドラゴンと目が合った。
――これで、皆と一緒か。
彼は家族や友人に感謝しようなどと軽々しく口にする奴らが嫌いだ。感謝や気持ちとは伝えるべき所で伝え、後は行動で示すべきだと考えているからなのだが……今この時だけは、そんな奴らの気持ちが少しだけ理解できた気がした。
「……」
まじまじと自分の顔を見る。向こうで流通している一般的な鏡には及ばないが、自分の姿を映すには十分だ。
……思えば、勇一は自分の顔をじっくり見るのはこの時がはじめてだった。この世界に飛ばされた時点で彼は何となく自分が向こうで死んだことを覚えていた。未だにその前後の記憶は戻らないが……
――褐色の肌に灰色の髪。美男子とは言い難いけど、それなりに見れる顔をしているな。青い瞳というのも少しかっこいいじゃないか。
向こうでは死んでいるんだし、来た方法がわからない以上帰ることは不可能だろうと薄々とだがわかっていた。転生ものの小説を読むのが好きだった彼は、以外にもすんなりと以前と変わってしまった自分の顔を受け入れることができたのだった。
「そういえばまだ詳しく聞いていなかったな。どうして我々に加わりたいと?」
「えっと、実は……」
勇一は正直に話した。自分の力を知るために旅に出ようと思っていたこと。そして自分には帰る場所が必要で、それはここ以外にないことを。
「帰る場所……わざわざ印をつけなくとも、ここは君の家があるじゃないか?」
「それはそうなんですが、皆に受け入れられたここじゃないと駄目なんです。家があるだけじゃ……俺なりのけじめみたいなものです。ここ以外に帰る場所は考えられません」
ファーラークを見つめ返す青い瞳は本当にまっすぐだった。
「そうか……うん。今日はもう遅いから戻りなさい。後片付けは私がやっておくから」
「手伝います「いいから、私がやると言ってるんだ」
勇一は、突然自分を追い払うような態度を見せたファーラークに戸惑いジズをみた。そのジズからも「行きなよ」と目で言われたので、釈然としないながらも素直に従うことにした。彼が出て行った静かな広間には二人の竜人だけが残された。
淡々と片づけを始めるファーラーク。見上げるほど大きな背中がわずかに震えているように見えて、ジズが声を掛けた。
「よかったじゃないか。ここが帰る場所だなんて」
「……ああ」
脱走兵として生き恥を感じ続けて百余年。こんなさびれた村を帰る場所などと言ってくれる人がいるとは思わなかった。まっすぐな眼差しは嘘偽りなく、思わずファーラークは目頭が熱くなるのを感じた。
黙々と掃除を続ける彼にそれ以上声はかけず、ジズは静かに広間を後にした。
***
「おうジズさん。今いいか?」
勇一が印を受け取ってからすぐに、ジズは水車小屋へと向かった。彼女は眠れない日はこうして一晩中鉄を打って過ごしている。
ファーラーク等と村をつくって百年。悲しいことがおきるたびに彼女は不眠となり、そのたびに鉄を打つ。カーンカーンと規則正しい音と、水車の力で衰えることなく燃える炎はそんな彼女の心を落ち着かせる。
鍋の修理から始まり、装飾品づくりから刀剣作りへ。そうして長い間鉄を打つうちに、並大抵の鍛冶職人など到底及ばないほどの腕を彼女は持っていた。
「見りゃわかんだろガルク。絶賛労働中だよ」
答えはするが、彼女は振り向くことなく槌をふるう。村から少し離れた場所にあるこの水車小屋は、皆の睡眠を邪魔せずに作業をするのにうってつけだ。
「新しい剣はそこにあるだろ? もうすぐ折れると思って、あらかじめ作っといたんだ」
「おお、ありがとよジズさん!」
ガルクは机の上に無造作に置いてある剣を取ると刃を確認する。真っ黒な刀身は緩やかに弧を描き、以前使っていた鉈剣と同じように剣先に行くにつれ幅広に作られていた。
相変わらずの腕力で両手剣ほどもある大きさのそれを、まるで玩具を弄んで知るかの如く振り回す。
「やっぱりジズさんはすげぇなぁ……。あれ? じゃあ今作ってるのは?」
「これは勇一の分だ」
勇一の名前を聞いた途端、先ほどまではしゃいでいたガルクは急に静かになる。
その気配を察したのかふるっていた槌を側に置き、身体ごと彼の方を向いた。まっすぐにガルクを見つめ、子どもに言い聞かせるように話し出す。
「ガルク、アンタもいい加減にしな。いつまで意地張ってんだ」
ガルクの勇一に対する態度は、最初の頃よりずいぶんと軟化したように思える。少なくとも彼の心にかかっていた雲は晴れたはずだが、勇一を認めるには彼の矜持という最後の砦が邪魔をしている。なんとも面倒くさい男だ。
「わかってるよそんなこと。でも『あなたは沢山貢献しましたね。成人にもなりました。じゃあ今までの事はなかったことに』なんて、できるわけないだろ……」
本当に面倒くさい男だと、ジズは大きくため息をついた。彼女は片手にハサミを持ち、作りかけの剣をガルクに見せた。それは彼らにしてみれば小さく短すぎる剣だったが、勇一の体格からすると十分武器としての役割を果たせる大きさをしている。
「良い鉄と良い魔鉱石が手に入ったからさ、二本つくったんだ。アンタの剣『バルーク』とはいうなれば兄妹になる。そいつとこの剣は、百年打ったアタイの最高傑作になる予定さ」
彼女の素晴らしい技術を惜しみなく注いだ刀剣。ガルクと勇一のために作られた二振りの剣は大きさこそ違うものの、それは兄妹として生み出された。
「ジズさんの言いたいことはわかったよ。……オレなりにあいつのことは考えてるつもりだ」
「それは次の長として?それともガルクとして?」
「……ああ! わかったよ! 一度あいつと話すから! これでいいか?」
ジズはガルクに本音をもって勇一と向き合ってほしかった。勇一が来る前の彼は次の長として空回りして、この村にもう来ることはないブラキアをいつまでも憎んでいたから。見えないものに対して気張りすぎて、そのうち壊れてしまうんじゃないかと心配していた。
勇一の行動を見るうちにガルクは変わったとジズは感じている。彼との関係がガルクにとって良い影響を与えてくれたとも。
「今日は帰るから、その……ジズさんも無理すんなよ。あと『バルーク』ありがとな」
そう言い残し、剣と一緒にガルクは水車小屋を後にする。
心配されるような歳じゃないんだがね……と、ジズは炉に向き直り槌を持ち、再び振り下ろしはじめた。
金属を打つ小気味良い音は、日が昇るまで続いた。
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