10 宿命の復讐者
目の前にいるのは恩人たちの仇であり、恋人の仇であり、この大陸に根付く者たちの敵。はぐれのならず者バツを唆した結果、アドリアーナの父が死に、アトラスタの親友ラレイが誘拐された。獣人族族長を補佐する立場でありながら犯罪組織と繋がりを持ち、ガルーダルの部下の死因となった。ヴィヴァルニア女王ベテルと共謀し、大陸の秩序を乱した。勇一がゴルガリアを追い至う道には、常にこの男の影があった。
そして今、ヴィヴァルニア軍と同盟軍が、彼らの策謀によって衝突しようとしている。
ここで必ず奴を仕留めてやる――勇一はその決意を胸に、短剣マナンを握りしめた。しかし彼の放つ殺気は、仇の隣に立つ者の存在によって捻じ曲げられてしまう。
「アイリーン、どうしてここに……うわっ!」
「ガアァ――――ッ!!」
獣のような叫びはアイリーンからだ。彼女は勇一の姿を確認するや否や、猛然と彼に襲い掛かかった。勇一は驚きと不意打ちにより、思わずよろけてしまう。
「何やってんだ勇一!」
勇一の息の根を止めようとさらに歩を進めるアイリーン。彼女が馬乗りになろうとした瞬間、動きが止まる。相手への軌道上に、ガルクの大剣が待ち構えていたのだ。
「さっさと立て」
「おう」
「オレはこの男だか女だかわからねぇ奴の相手をしてやる。お前はさっさとゴルガリアを殺せ」
ガルクの視線は、苦しそうに頭を掻き毟るアイリーンを捉える。
「アイリーン。"彼女"だ。絶対に殺すな、ヴィヴァルニアのお姫様なんだからな」
「なにぃ!? ……めんどくせぇ交友関係しやがって」
「なんでああなったかは分からないけど、元に戻す方法はあるはずだ」
「あてがあるのか?」
勇一は肩をすくめる。
「無ければ、俺たちは終わりだ」
「……ああ、そうかよ」
ガルクは大剣を差し、拳を構えた。相手の身体は自分の半分程度しかないにも関わらず、全身からあふれる獰猛さがガルクの肌を刺激している。立ちふさがる彼を敵と認識したのか、アイリーンの金の瞳がガルクを映した。
「ウアァァ――ッ!!」
「殺ってこい、勇一!」
地面を滑るように走るアイリーンめがけて、ガルクの黒い拳が叩きつけられた。
***
「ゴルガリア!」
勇一の足でおよそ二十歩。もし殺意が物理的な力を持っていたならば、無数の針が、巨大な塊が、敵をひき肉にしているだろう。しかしそんな殺意を向けられていても、ゴルガリアは微動だにしない。
「三回目だ、ゴルガリア。もう逃げるな」
「逃げる?」
しばしの沈黙――。
「分不相応な幸運によって"お前が"、遂に私の前へ転がり出てしまったに過ぎん。そして、私の道にそんな小石は珍しくもない」
ゴルガリアは崖の向こう――遠くに広がる平原と、互いに前進する無数の松明を眺めた。その表情は険しさがありつつも、どこか安堵の色が見える。
「誰も彼もが、互いを傷つける。種族の長とて例外ではなかった。奴らの卑しい性根に付き合わされるのも、もううんざりだ」
「無駄に命を伸ばすなよ、お前が何を企んでいようが知ったことか。それを成すのを待ってなんてやらない」
勇一は走り出す。
「……同盟は、結局強者の地位ををさらに強固にするだけだった。ヴァパを中心とした主要三種族が周囲を固め、そこから離れるほど人々の生活には貧しくなっていく。それは百年経っても変わりはしなかった」
距離は十歩。勇一の目にはゴルガリアしか映っていない。国同士の争いがどうなろうと、彼にとって今重要なのは、ただ目の前の敵を討つことだ。
「ヴィヴァルニアも同じだ。大陸戦争後に生まれた国が、いまだどことも手を取り合わぬ。挙げ句資源の為に小国を滅ぼす始末、これでは融和など夢物語だ……」
「知るかよ!」
勇一はゴルガリアに飛びかかった。背を向けた相手へ襲い掛かることに、彼は一切の後ろめたさもない。
しかし振り下ろされた短剣が空を切る。次の瞬間、剣筋を見切ったゴルガリアの蹴りが勇一を弾き飛ばした。
「くっ!」
「視野が狭いな」
「お前のやろうとしていることが、正しいとでも思ってるのか!」
「フゥー……」
ゴルガリアの打撃は、相手の胃袋をひっくり返すほど強烈なものだった。しかし勇一は平然と立ち上がり反論する。激痛と痙攣でしばらくの間動けなくなるほどの攻撃を受けて、何故相手は平気な顔でいられるのか。ゴルガリアは不快な違和感を覚えた。
「サンブリア大陸は、古く錆びついた老害どもを取り除き、新たな支配者を受け入れねばならん時が来たのだ。海の向こうには、栄華を極めたエルフという種族がおる」
「エルフだって?」
勇一は再びの攻撃態勢を一旦やめ、首をかしげる。
その反応を見て、ゴルガリアは青白い髭を撫でた。
「お前のような端くれも知っておるか。ならば私の言いたいこともわかるだろう」
勇一の知っているエルフとは、言うまでもなく創作に登場する名だ。自分の知っている名前を聞いて、彼の思考はそちらに引っ張られた。
「貧しい漁村に生まれ、幼いころから空腹と不潔にあえいでいた私は、生まれた場所以外に世界があると考えもしなかった。ある日、事故によって漂流した私は彼ら――エルフに助けられた。彼らの船に乗った瞬間、私は私の存在がこの大陸から解放されたのを感じたのだ」
「金髪で、肌が白くて、細身の……」
勇一はエルフと言われて思い浮かぶ印象を並べた。彼らが支配領域を広げるため、他大陸の領土を求めるのだろうか。彼は自分の持つエルフの印象とずれを感じた。
「私は海の向こうにある彼らの土地……ルナーシークと呼ばれる大陸に行った。その繁栄ぶりに驚いたよ。あらゆる建物が規格化された石を積んでできておった。ヴァパの端にあるような、みすぼらしい土壁の家などどこにもなかった。そして彼らの庇護のもとで、ドワーフ族と呼ばれる者たちが自由に鉱石を生産している。船上でも彼らは互いに尊厳を持ち、働いて――」
「ふはっ」
「……海を隔てた向こう側に楽園があると、想像すらできんか」
「庇護のもと」というゴルガリアの解釈に、勇一は噴き出すのを抑えきれなかった。ゴルガリアは、彼が異世界から来たことを知らない。老人の計画を大まかに理解した勇一は、わざとらしく肩を揺らし、嘲笑う。彼がかつて学んだ知識が、仇の目的は取るに足らないものだと断じた。
「老人ってのは、話が長いよな。つまりお前は、海の向こうにいるよく知りもしない種族が素晴らしい統治をしていると思い込んで、じゃあこの大陸の支配もやってもらおうって……そういう訳だ」
「愚鈍な思考も、数を撃てばまれに真に迫ることがあるのだな。ならば、今は個人的な恨みなど些末な事だとも理解できんか?」
「ファーラークさんの……竜人族の村をわざわざ消したのも、スクロールを奪った賊の前に現れたのも」
「ファーラーク・フォーナー、ダラン・ウェイキン……奴らが生きておれば必ずや計画の障害になる。あの戦場も、両軍を弱体化させると同時に、ヴァルカン・ヴォルカニクを消すためのもの。美しく、豊かな土地を汚すゴミどもは要らぬ」
「目的も計画も下劣な奴が!」
勇一の袈裟斬りが空を切る。薄暗い中で察知しにくい剣筋も、素人が振るなら見切るのは容易だ。
ゴルガリアの拳が迫る。それを勇一が肘でいなす。互いに体勢を立て直し、再び対峙する。互いに腕を伸ばせば届く距離だ。
「今の話で分かった。お前が誰かを救おうだなんて考えたことはない」
ゴルガリアの眉がわずかに動いた。
勇一の知識には体験が欠如している。本来ならば彼は相手に説教できる立場ではない。しかしゴルガリアの考えは、勇一の知識によって容易に否定できる。そしてその確信めいた言葉を、ゴルガリアは無視する気になれなかった。
「お前はお前なりに考えがあって、そのくだらない計画を実行するに至ったんだろう。でも俺はその過程を知らないし、興味もない。支配層を一掃して新たに受け入れる? どうしてその『新しい支配者』がこの土地や住民を愛してくれるって思ったんだ」
「彼らの生活や文明の程度を見ればわかるというもの」
「それが『よく知りもしない』って言ってるんだ!」
勇一の斬撃は再びかわされ、ゴルガリアの拳が襲い掛かる。それは勇一の顎を捉え、骨を粉々に砕いた。打撃は脳を揺さぶり、一瞬で相手の意識を吹き飛ばす……はずだった。
――ダンッ。
勇一の脚が、地面に伏せようとした彼の身体を支えた。変わらず殺意のこもった青い目がゴルガリアを貫く。砕かれたはずの顎は無傷。まるで最初から、触れてすらいなかったかのようだ。
「ああ、俺は話を知ってるだけだ。授業で聞いただけ、地球の裏側の事なんて、画面で見ただけ。でも俺は……そこに人の生があるって知ってるんだ。端末一つ通したあっち側に、人間がいるってことを知ってる。だから俺は代表ぶらないし、押しつけもしなかった」
「……何を言っている」
「お前は実際に経験したかもしれない。だが、自分の目に映る世界がすべてだと思い込んで、見たいものだけを信じた。視界の外にも人が生きてるってことを、知ろうともしなかった!」
迫る切っ先をゴルガリアは弾き、勇一の手首を折り曲げ、返すようにしてその刃を勇一自身の喉に向けた。黒い刃が勇一の喉を貫く。
しかし――血の一滴も流れない。
(何が起こっている!?)
明らかな異常だ。
ゴルガリアはここで初めて動揺した。その隙を、勇一は見逃さなかった。
「そらぁっ!!」
「ぐっ……!」
喉に剣が刺さったままの勇一から、ゴルガリアの顔面へ肘が叩きつけられる。
「本当にみんなを救いたいなら、自分が先頭に立てばよかったんだ。そうすれば、見たくもない現実も目に入ってくるだろうに。なんでお前はそうしなかったんだ!」
折られたはずの手首は既に正常に戻っている。首に剣が刺さったまま、勇一は相手に手を伸ばした。
「教えてやる、お前は称賛を浴びたかっただけだ。自分で事を成そうとする気なんてこれぽっちもない! 自分の生まれの呪いを、大陸とそこに住む人々全てに当てはめた、勝手に! 『自分が嫌だと思ってるから、みんなもきっと同じだ』ってな。上の奴らが全部悪いと、みんなが思ってるって……そう思い込んだんだ!」
「うぐ」
ゴルガリアの胸ぐらをつかんだ勇一の手が、力強く引っ張られる。鼻に強烈な打撃を受けたゴルガリアは抵抗が遅れた。
「そんなに嫌なら、一人で勝手に消えろ!!」
「がはっ!!」
もう一撃。敵の顔面を再び、今度は勇一の頭突きが捉えた。
首に刺さっていた短剣を引き抜き、ゴルガリアを見据える勇一。その首には傷一つ残っていない。
狂った妄想に取り憑かれ、竜人族の村を滅ぼし、同盟とヴィヴァルニアをも破壊しようとするゴルガリアの狂気。勇一の怒りはさらに激しさを増した。
ゴルガリアは後ずさる。毛むくじゃらの手で潰れた鼻を抑え、血まみれの折れた歯を吐き出した。その歯を捨てると、彼は猛々しく勇一を睨み返す。
「俺の仇がこんなに情けない奴で良かったよ。どっちにしても、ここで殺すけどな」
今の勇一に存在しないはずの左腕が現れた。それは白く細い女の腕だった。透けた肌に骨の輪郭が浮かび上がっている。
ゴルガリアはそれを目にした途端、腰が抜けたようにその場に崩れ落ちた。星の女神は死の具現。その一部を見ただけで、彼の本能が恐怖に慄いた。
「ああああっ……なんだ、それはぁっ!」
「どおしたんだゴルガリア、血が出てるぞ。大丈夫かぁ? せめてお前が巻き込んだ人たちの千分の一でも恐怖を味わって、そして死ね!」
勇一はマナンを振り上げた。動きを止められたゴルガリアに、必殺の一撃が振り下ろされる。
しかしゴルガリアの狂気は常識を逸していた。怒りをまとう刃が迫る中、彼は決死の思いで指を伸ばし、自らの目を突いたのだ。
「なにっ!」
自ら目を潰したゴルガリアは視線の拘束から逃れ、迫る斬撃をかろうじて躱した。視力を失ったにもかかわらず、彼の動きは鈍らない。女神の腕が放つ恐ろしい気配が、彼に勇一の場所を鮮明に伝えていたのだ。
「ぬう、おおっ!」
ゴルガリアは、槍のように鋭い手を勇一の胸に突き刺した。
「――が、は」
「情けなくとも、私には、執念がある」
ゴルガリアの手は勇一の胸を貫き、背を食い破った。そこから初めて赤い血が飛び散る。
彼の手の中には細かく震える塊――心臓があった。ゴルガリアがその心臓を握りつぶすと、勇一の身体は動きを止めた。




