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9 太陽の後継者

 彼女が間違いなく太陽の女神であることは、ガルクにも理解できる。しかし、その女神がなぜ自分の前に現れたのか、何をしようとしているのか――そこまで考える余裕はなかった。女神が言った母の名を、彼はただ繰り返すことしかできなかった。


「タバサって…………」


「詳しく話す義理はない。竜人、友を助けたいなら、それを取って身につけろ」


 女神の言葉に操られるようにして、ガルクは太陽の女神が指さす先に視線を移す。指先は彼の抱く勇一に向けられていた。


「これは……」


 勇一の手首には、金と茶色が幾重にも交差した腕輪があった。女神はこれを外せと言うが、一体どういうことだろうかと彼は一瞬訝しむ。しかし友を助けたいという思いに突き動かされ、彼は勇一の腕からその腕輪を外した。適当な指をくぐらせて、金の部分を観察したガルクは、その正体に驚愕した。


「腕輪? いや、姉さんの……!」


 それは、竜人の村を脱出する際にサラマ・フォーナーが愛する勇一に贈った首飾りだ。そしてもともと彼の母タバサ・フォーナーのもの。ブラキアには大きすぎたそれは、丈夫な木の根と蔓で補強され、編み込まれて腕輪へと姿を変えていた。ガルクの記憶の中にあるものとは姿が異なっていたため、最初はそれが形見であると認識できなかった。


「勇一……ずっと持っていたのか」


「片や商売のために砕き、片や執着のため集めるか。いくら探しても見つからない訳ね、()()持っていなかったのだから。確かにこれほどの純度なら、我が力を封じる事もできるか――――さて」


 太陽の女神は、ガルクの頭にそっと手を置いた。そこから凄まじい熱が彼の体内を駆け巡り、やがてその熱は腕輪へと収束していく。彼がその熱の行き先を確認するために手を見ると、腕輪から蔦が焼け落ちて消え、金は一塊となって指を覆っていた。腕輪は変じて指輪となり、ガルクはまるで自分が女神の所有物になったかのように感じた。


「ふん。これでお前に、我が力が宿った。奉仕と愛、精々忘れぬようにな」


「ま、待ってくれ。どうしてオレなんだ! オレは、何をするべきなんだ……」


 ガルクは事もなげに背を向ける女神に、思わず声をかけた。

 母から姉へ、姉から友へ、そして友から自分へと首飾りが渡ったのは、偶然だとは到底思えなかった。どこかで途切れていてもおかしくはなかったのだから、彼はそれに「運命」を感じずにはいられない。これほどの流れが続いてきたのだから、もし創造神が関わっているのであれば、明確な答えでなくとも、自分のこれからを決める手がかりを得られる気がしたのだ。 しかし、太陽の女神は縋るようなガルクに対して、刺すような視線を送った。


「自惚れるな。親の力を受け継ぐのに都合が良かっただけだ」


「そんな」


「しかしお前とお前の目指す所は、太陽の光と熱に祝福されている」


 彼は理解した。自分が今、この上ない幸運の中にいるのだと。

「祝福」という言葉に心を燃やしたガルクは、導かれるようにして再び大きな手を勇一の胸に当てた。指輪が熱くなったかと思うと、その熱が彼の手を通じて傷口へと広がっていく。やがて熱が収まった後、ガルクが手を離すと、とめどなく流れていた血は止まり、矢が開けた穴も縫われた傷口も、跡形もなく消えていた。


「左腕は神に捧げられたもの故、治りはしない。その男がここまで生きてたどり着いたことでお前たちは救われたのだ。これが……いや、神が使うべき言葉ではないか――」


「ありがとうございます、女神様」


「礼など言われる筋合いはない」


 太陽の女神はガルクに背を向けた。一度だけ小さな肩が上下したかと思うと、その姿は景色に塗りつぶされるようにしてあっという間に消えてしまった。


「ガルク殿、その者はもう助からん」


 ダランの声に、ガルクはハッとして辺りを見渡した。絵画のように止まっていた周囲が急に動き出し、天幕内には再び混乱が溢れた。ガルクが経験した数分間の出来事は彼以外の誰にも感知されず、一瞬の出来事として消え去っていた。

 ガルクだけが、その出来事を知っている。彼は涙を浮かべ、首を振った。


「いいえ、ダラン様。彼は――」


「……ゴホッ、ゴホッ」


 喉に詰まった血液を吐き出す勇一。さらに、自分の脚で立ち上がる彼の姿に、ダランは目を白黒とさせる。

 驚いているのは勇一も同じだった。激痛と寒気に襲われ、明らかに助からないと思ったその瞬間、急に痛みが引いていったのだ。胸の熱さが消えると同時に、沈みかけていた意識が引き戻され、身体が軽くなっていく。太い腕に支えられていた体を起こすと、折れていたはずの脚がしっかりと体重を支えた。

 何日も山道を歩いて蓄積した疲労が嘘のように消え、以前刺された傷も、矢を受けた穴もなくなっていた。しかし、失った左腕だけはそのままだった。


「ガルク、一体何があったんだ」


「……うるせぇよ」


「はあ?」


「根性と運だけでここまで来ただけでも意味がわかんねぇのに、寄りにもよってこっちを守るなんて」


 のそりと立ち上がったガルクが、勇一を睨みつける。竜人族の睨みは、ほとんどの動物を震え上がらせるほどの威力があったが、勇一はまるで意に介していないようだった。自分よりはるかに小さな生き物に守られたという腹立たしさと、友の生還に対する歓喜が、ガルクの中でぶつかり合っている。

 なぜ勇一が竜人の睨みを受けて平然としていたのかと言えば、友の気性を知っているからでもあり、その目が真っ赤で涙を溜めているのが見えたからだ。さらに、歪んだ口元が示す感情は、言葉以上に勇一に伝わっていた。

 勇一は、腕輪があったはずの右手と友の指輪を交互に見つめ、不思議なことが自分の意識のない間に起こったのだろうと、なんとなく理解することにした。


「わかったよガルク……ありがとう」


「感謝ついでに、ゴルガリアをオレに任せろ」


「俺の次に決まってるだろうバカが」


「助けがいのない奴がよ! もう根性も運も頼れねぇってわかんねぇのか!」


「――のう、お二方」


 先ほどまであったしんみりとした空気は何だったのか。ダランは二人を前に、爪で額の角をコツコツと弾いた。


「先ほど逃走したゴルガリアは部下が追っておる。ぬしらの並々ならぬ因縁、我らにとっても後顧の憂い、それはここでしっかりと断っておかねば」


 周囲の混乱はダランの部下たちが落ちつけている。彼は皺だらけの指で天幕の外を指した。


「ダラン様、それでは……」


「ここは任せなさい。まだワシの頭には理解が追いつかんが、友が助かり、倒すべき相手に手が届くであろう事実ははっきりとしておる。ワシの役割もな」


 ダランの杖が地を突く。今は同盟軍とヴィヴァルニア軍が衝突する寸前の状況なのだ。彼とて慈善で動いているわけではない。いったん戦いが始まってしまえば、平原を擁する有角族が最も大きな被害を受けることになる。ダランが衝突を回避したいと願うのは、ひとえに土地と民を愛しているが故でもある。


「放たれた火球が一つでも届けば、煽られた恨みで双方が相手を絶滅させるまで戦いが続くじゃろう。そうなればもはや希望はない。しかしゴルガリアと、奴と同じ役割を持ったヴィヴァルニアの何者かをどうにかできれば…………」


「ダラン様?」


「……いや、急げ! 何もかもが手遅れになる前に、行け!」


「お、おう。行くぞ勇一!」


 勇一とガルクは、なぜダランが言葉を詰まらせたのか理解できなかった。しかしその気迫に押し出されるようにして、急いで外へ向かう。一歩外に出ると、ダランの部下がゴルガリアの飛び去った方角を指さした。ガルクは勇一をひょいと持ち上げて走り出す。二人は冬を運ぶ風に背中を押されながら、ゴルガリアの元へと向かった――。


「……無責任なことを言ってしまったな」


 二人が去った方へ、ダランは罪悪感を帯びた顔を向ける。彼にはわかっていた。たとえゴルガリアをどうにかできたとしても、前進し続ける双方の兵を即座に止める方法がない。そしてヴィヴァルニアにいるゴルガリアの共犯者が女王ベテルであることも、彼は知らないのだ。 ダランにとって、この状況は詰みに近かった。


「しかしな、諦めんぞ。ワシのためにもな」


 気持ちを切り替えたダランの表情にはさらに深い皺が刻まれ、鋭利な眼差しが平原に向けられた。力ずくでも前進を止めるべくヴァルカンが向かっている。彼の行動を無駄にしないためにも、ダランは糸のように細い希望に縋るしかないのだ。



 ***



 ガルクはゴルガリアを追跡する道中で、担いだ勇一に自分に起こったことを説明した。女神に急かされたとはいえ、意識のない勇一から腕輪を取ってしまったことに彼は罪悪感を抱いていた。贖罪の意味も込めて説明したが、彼は友からの強烈な非難を覚悟していた。


「そうか、それで腕輪が指輪に」


 しかし友の反応は、意外なほど淡白なものだった。


「おい、本当にわかってるのか。オレ自身だってまだ信じられねぇのに」


「信じるさ。俺も、あの人たちとは話したことあるし。女神サマが言うなら、必要なことだったんだろう。それに家族の元に戻ったなら、いい事じゃないか」


 勇一は自分の右手を、ガルクの指に視線を移した。旅を共にした腕輪との別れに寂しさを覚えつつ、あるべき場所に戻ったのだと言い聞かせる。


「お前……。!」


 感傷的な雰囲気に包まれた勇一に何か言いかけたガルクは、突然、追跡の速度を緩めた。勇一も友の変化に気付き、視線を前に向ける。目標を見つけたのだ。夜明け前、広がる両軍を北に見下ろす崖に、紺碧の闇に溶け込むようにして黒い人影が立っている。


 二人は殺気だって武器を抜いた。古の竜王の名を冠した二振りの剣が、その人影に向けられる。


「ゴルガリ――」


 勇一の叫びが止まったのは、追っていたはずの人影が二つに増えたからだ。今さら敵が一人増えた程度では驚かない。しかし、それが彼の知っている人物だったなら――。


「ア、アイリーン……どうして」


 黒い人影に浮かび上がる見知った少女の顔。金色の眼光が、獣のように光った。

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