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8 悲劇の犠牲者

 ガルクはその光景を前に、ただ立ち尽くしていた。

 かつて彼を助けてくれた村。アペレジーナが住む、朗らかで、厳しさに抗い、誇りを失わなかった人たちの土地。しかし、彼が今見ている場所は、以前とは全く違ってしまっていた。

 十数軒あった家々はことごとく焼かれ、黒い柱は未だに燻り続けている。人影はなく、彼だけがその場に立ち尽くしていた。


「誰も……誰も、いないのか。生きている者は……」


 ガルクは我に返り、一軒一軒瓦礫をどかし、生存者がいないかを調べた。しかし出てくるのは黒く変色した村人たちの亡骸ばかりで、どこにも生命の気配は感じられない。

 逃げ遅れた者たちは往来に点々と横たわっている。大きな者も小さな者も等しく命を奪われ、そして焼かれていた。


「アペレジーナ……ゴホッ……アペレジーナ!」


 立ち込める異臭にむせびながら、彼は静まり返った村で叫んだ。どこかに彼女がいるはずだ、いや、いてほしい。死んでいるはずがない。彼はその名前を呼び続けながら、自然とアペレジーナの家へ向かっていた。道中の土は赤く染まり、煙はますます濃くなっていく。

 そして、一度も呼びかけに答えを得られぬまま、彼は村の反対側へとたどり着いた。そこは、本来ならアペレジーナの家があった場所だった。その光景を見て、彼はようやく叫ぶのを止めた。


「ああ……!」


 倒壊した家の前に、横たわった人影がある。黒く縁取られた青い翅、そして黒い触角。それらは火に焼かれた、根元が残るだけでボロボロだった。ガルクは彼女を抱き起こし、呼びかけた。しかしいくら声を張り上げて揺すっても、返事はない。

 現実はガルクの切望をことごとく切り捨て、彼の選択の結果をただ突きつけたのだ。


「ああ……あああ……っ!」


 小さな体を抱きしめたガルクの慟哭は、獣も魔獣も遠ざけた。

 季節外れの雨が村を覆い尽くしていく。



 ***



 大粒の雨は何日も降り続け、血も灰も洗い流した。

 ガルクはぼんやりと(ついでにこの雨の一粒一粒が、オレを貫いてくれればいいのに)などと考えた。しかし雨は彼だけを地上に置いていく。まるでそれが、村を見捨てた罰だと言わんばかりに。無意識に抱き込んだアぺレジーナの亡骸は一層冷たく、彼はそれがことさらに強く自らを責め立てているように感じた。


「ここにおったか」


 いつの間にか立っていたヴァルカンの声にも、ガルクは無反応だった。守りたいと思っていた人々も守れず、ただ己の無力さを反芻し続けるガルクの姿は、ただただ哀れであった。しかしヴァルカンは、ガルクが自分を認識していることを察し、あえて声をかける。


「竜人族の生は、他の者どもと比べても長い。これから、こんなことが何度でもあるだろう。立て」


 ガルクは動かない。


「まさか、お前が中央に行かなければこの村を守れたのに、などと考えているのではあるまいな。そうなればゲルドラフの目論見通り、マザー・マリアの殺害は果たされていたことだろう」


 ガルクの失意に沈んだ心に、ぽっ……と怒りが芽生えた。


「そんなこと、わかってる」


 失意と怒りが入り混じったガルクの声は、雨音にかき消されそうなほど小さかった。

 結局どちらを選んだとしても、どちらかの命は失われていたのだ。

 ガルクは知った。せめて手の届く所だけ守ろうとしても、身体は一つしかないことを。そしてたった一人の善意や選択など、大河に沈む小石に過ぎないと。


「一人でできることなどたかが知れておる。間違ってしまった事実は忘れ、なぜ間違ったのかだけ覚えておればよい。そして自分のせいで死んだ者たちに示しをつけるのだ」


「誰もがあんたみたいに割り切れるわけじゃない!」


「自惚れるな!」


 弔いの時間は誰にでもあって然るべきだ。誰もがヴァルカンのようになれるわけではない。事実を忘れるというが、自らのせいで命を落とした人たちも忘れるなど、ガルクにそんなことができる訳がない。彼は少し前に故郷と家族を失ったばかりなのだ。近しい者の不幸が続けば、鬱屈とした感情を持つのも当然だろう。

 しかしヴァルカンはそれを許さなかった。彼が握りしめた拳に力を込めると、ガルクの身体中に縛られたような痛みが走った。

 直後、


「なんだ、脚が勝手に……!」


 ガルクの脚が急に伸び、体を持ち上げる。体を操られる感触に彼はうろたえた。

 ヴァルカンは直立したガルクを乱暴に振り向かせると、射殺すような視線を投げつけると共にその胸を指で突いた。


「お前がここで膝をつき続ける限り、彼らの魂は報われん! 哀悼は心の中で、贖罪は行動で示せ」


「なにぃ」


「背負って立て。足が折れたのなら、骨を束ねて支えとしろ。お前にできるのはここで腐ることではない!」


 本来ならばガルクは怒るところだったが、彼は先に戸惑いの感情を抱いた。連日「特訓」などと称して暴力を振るいさんざんに彼を痛めつけていたヴァルカンから、励ましともとれる言葉が出てくるとは思わなかった。

 ヴァルカンはガルクの何倍も長く生きている。彼の人生で何度こんなことがあったのだろうか……そう思ってガルクは再びヴァルカンを見た。彼を睨みつける眼光に一抹の哀愁が混じっているように見えた。

 ガルクの脚からは既に操られている感覚は消えていた。彼はアぺレジーナの家に体を向ける。


「……酷い有様だ」


「ゲルドラフはあらかじめ命令を飛ばしていたのだろう、でなければここまで迅速に兵は行動できん。奴が一枚上手だったのだ」


「男も女も、大人も子どもも関係ねぇ。なんでこんなことができるんだ」


「兵士を恨むな。彼らは命令に従い、忠実に職務を執行したに過ぎん。その大元はゲルドラフだ」


 アぺレジーナの亡骸を抱く黒い手が震え、肩が大きく上下する。

 ガルクがその混沌とした感情を落ち着けるまでにしばらく時間を要した。彼はやがて遺体を地面に寝かせると、ゆっくり振り返る。その表情には、ヴァルカンもわずかに動揺した。


「オレは、まだ何もできない」


(……ほう)


「行こう、ヴァルカン」


 雨が上がり、雲の隙間から差し込む光が帰路を照らす。

 中央へ着くまで、彼はずっと考えた。救いたかった命すら救えなかったのは、自らの影響力のせいだ。そこで彼は、せめて無駄に命が失われないようにと、己の手をどこまでも伸ばす決意をした。



 ***



 マザー・マリアの元に戻ったガルクとヴァルカンは、ゲルドラフの真の目的とその結果を報告した。種族の長らしい威厳のある姿で玉座に座るマリアは、口を結んですべてを聞いた。彼女の服の隙間から見える治療の跡が痛々しい。だがそんな傷を負っても眉一つ動かさない彼女に、ガルクは指導者としての矜持を見た。

 報告を聞き終えたマリアは二人を労い、つかの間の静寂が訪れた。やがて、彼女はガルクへ視線を向け、口を開いた。


「ガルク・フォーナー。ゲルドラフに代わって、おまえを代理人に指名する」


「オレを……ですか?」


 突然の宣言にガルクは動揺を隠せない。


「おまえの働きはヴァルカンから聞いていたわ。彼が言うには、おまえは『夢想するだけの奉仕者』だと」


「……」


「でも、今は違うのでしょう。ヴァルカン?」


 名前を呼ばれたヴァルカンは顔を上げた。


「今は『現実を知った惰弱者』ですな」


 それを聞いたガルクは、不思議と腹立たなかった。自らの力を過信して、自分が何とかなればよい流れはやってくると漠然と思っていたのだから。現実は、アぺレジーナの元を離れても、ゲルドラフを捕まえても、マリアを助けても、彼の思い描いていたものとは程遠い結果しか生み出せなかった。


「つまりおまえは、手の届かなかったことへの後悔も、自らが選択する重さもわかっている。だから任せたい――」


 マリアの上体が一瞬揺らいだのを、ガルクは見逃さなかった。逆光の中でよく見ると、その額には汗がにじんでいる。彼女は激痛を押して謁見を受けているのだ。それほどまでに切羽詰まった状況であることを察した彼は、彼女の役割に対する姿勢に感服し、自然と頭が下がった。


「謹んで、お受けします」


「よろしい。正式な委任状は我が書かねばならぬが時間がかかる。それは後日送らせるとして、ガルクにはまずヴァパへ向かってほしい」


「ヴァパへ?」


「そう……私が向かえるならそうするが、このような体になってしまったし、ゲルドラフは代理人を解いた………………こちらへ」


 ヴァパへの長旅は、怪我を負った少女には過酷すぎる。ましてや、代理人もいない領土からマザーが一時でもいなくなるのは良くない。マリアの判断は至極妥当なものだ。

 マリアの手招きに、ガルクは戸惑いつつも玉座の側へと歩み寄る。少女に使える犬のように、大きな黒い頭を彼女に近づけた。


「先日、有角の長から知らせを受けた。最近、そこかしこで不穏な動きがあると。おそらく我がこのようになったのも、それを主導する者どもの思惑だろう」


「私に、その対処をせよと?」


「うむ、ヴァルカンとともに行くと良い。有角の長の元で世界を見れば、お前の能力も花開くだろうな――」


 マリアは、選択の結果傷ついた者同士という意味でガルクに同情と連帯感を抱いている。同時に、久しぶりに見た彼の表情から幼さが消えていることに気づいていた。彼女はガルク・フォーナーという人物を大きく羽ばたかせるために彼を代理人に据え、ヴァパへ送ることを決意した。

 ガルクにはこの突然の幸運を断る理由などなかった。自らの決意のため、陰謀が蝕むヴァパへ足を向ける。それが彼の人生を決定付けるとも知らずに――――。



 ***



 混乱が満ちる天幕の中で、ガルクは再び動かない勇一の体を強く揺すった。ゴルガリアの放った矢が突き刺さっていた友の胸に、黒い鱗の手が当てられる。そこからは、今にも消え入りそうな鼓動が伝わってくる。

 血が止まらない。一秒前よりも脈が弱い。ガルクの眼前は、勇一を助ける術がないと悟った瞬間から歪み始める。


「親父、姉さん、アペレジーナも死んだ。み、みんな、いなくなる……」


 地面に広がる赤い斑点がガルクの目に映った。

 黄金同盟の第一勢力である蟲人族、それを統べるマザー。正式に代理人となったガルクには、そのマザーに次ぐ権力が与えられている。しかし膨大な力を得たはずの彼にすら、目の前で消えていく命を助けられなかった。


「オレは手が届く限りの皆を助けたいって、決めたはずだろう。どうしたらいい、オレはどうしたら――」


 絶望に沈もうとするガルクの心。しかし、突然かけられた少女の声が、それを食い止めた。


「なるほど、これがタバサの子か」


 脈絡なく母の名を聞いたガルクは、ハッとして頭を上げた。

 目の前に少女が浮かんでいた。燃える髪をなびかせ、目には青い炎を宿し、はっきりと見下した視線をガルクに向けている。鱗の焼けるような熱にガルクは思わず顔を逸らした。次に目に映った周囲の光景に、彼は戸惑いを隠せなかった。


「何が起こってるんだ」


 混乱の中にあるはずの天幕から音が消えている。それだけでなく、動揺する者たちやガルクを案ずるダラン・ウェイキンも、まるで絵画のように動かない。

 少女は戸惑うガルクを嘲笑するように鼻を鳴らす。


「ここまで探すのに手こずるとはな。あの女もかわいい顔をして、中々狡猾だったか」


「お前は一体……いや、あなた、は……」


 少女の格好に、ガルクは聞き覚えがあった。燃える髪と青い炎揺らめく目、服には太陽の模様があしらわれている。それはまさに、あらゆる土地で信仰を受ける女神の一柱。命を司る女神――。


「太陽の……女神様」


 少女な不敵な笑みとは裏腹に、ガルクは不思議と安堵の感情を覚えた。

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