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5 ヴァルカンとマザー-2

「おっおっ、ガルク。お疲れさん」


「カッコよかったぞ~」


 一人倒れ伏したガルクに、二人組のヴァルカンの手下が駆け寄る。大きい方がガルクを助け起こし、小さい方が水筒を投げ渡す。ガルクは水筒の中身を一気に飲み干すと、大きくため息をついた。


「落ち着いたか? ヴァルカン様相手にあれだけ動けるなら大したもんだ」


「そうそう。初日に聞いた話とは全然動きが違うもんな」


「特訓」と称したヴァルカンの一方的な暴力に野次馬たちも熱狂した。ガルクも大陸戦争の英雄である父親から鍛えられた身であり、並外れた強さを持っている。しかしヴァルカンの実力はそれをはるかに凌ぐもので、その巨体からは想像できないほど素早かった。結局彼は一度もヴァルカンに触れることすらできず、何日も何日も、ヴァルカンが飽きるまで戦い続けなければならなかった。

 ガルクの様子は手下たちによって隊の中で共有されている。そのしごかれ方は彼らのいい話の種だ。自分が笑いものになっていることはガルクにとっても不愉快だったが、それよりももっと気に入らないことがあった。


「人を舐め腐りやがって……クソジジイ」


 全力で向かっているにもかかわらず、ガルクは全く手ごたえを感じていなかった。ヴァルカンは素早いだけでなく、特訓が始まってから右腕一本しか使っていないのだ。火傷で覆われた右腕でガルクの胸回りほどもある巨大な戦鎚を扱い、それで圧倒している。そんな状況で「大したものだ」と言われても、ガルクには響かなかった。


「しかしなぁ、ヴァルカン様は一体どうしちゃったんだろうね」


「そうだなぁ、特訓なんて初めて聞いたよ」


「初めてだって? あんたらを相手にしないのか」


「俺たちはヴァルカン様にくっついてるだけだからさ。訓練や生活は基本自分たちだけでやってるんだ。ヴァルカン様もそうだねぇ」


「そうそう。古株のヤマーキンだって知らない事さ。だからみんな、あんたがヴァルカン様の特別なんだって話してる」


「だったらなんだ……あの野郎はオレの特別なんかじゃねぇ」


 気色悪い話だ。ガルクの正直な感想がそのまま顔に出ていたのか、二人は同時に肩をすくめる。


「まあまあ、長く付き合っていればわかることもあるさ。じゃあ俺たちは戻ってるよ」


「そうだな。じゃあねガルク君」


 二人が消え、野次馬たちもはけ、ガルクは取り残された。太陽は半分ほど身を隠し、もうすぐ闇の時間だ。彼は体から土埃を叩き落とすと、鱗のない部分にできた痣の痛みに顔をしかめる。


(毎日飽きもせずクソジジイめ。全然追いつけねぇ俺自身にも嫌気がさしてくる)


 今自分とドラーニが生きているのも、中央に居られるのも、マザーという人物を見られたのも、ほぼヴァルカンのおかげだ。成り行きが全く自分の意志に基づいていない事実にいら立ちを隠せない彼は、それでも減る腹を満たそうと大通りの方へ歩き出そうとした。


「ねえ、あなた」


 ……少女の声だ。先ほどまで野次馬がいた場所に、ぼろを纏った蟲人がいる。薄闇の中に一人でいる彼女をガルクは怪訝に思った。


「ああ? ガキの時間は終わってるだろうが、家に帰れ」


「なあに、あなただって子どもじゃないの」


「なんだと」


「謁見の時、(われ)にもわかるくらいヴァルカンを嫌ってたわ。今だって癇癪を起していたじゃない」


「謁見? ……おいおい」


 少女が纏ったぼろから頭を出すと、ガルクの表情は固まった。こんな時間に子どもが出歩くのは危険だ。それが蟲人の主であるならなおのこと。


「やっと声をかけられたと思ったのに、あなたは我が嫌いなの? それとも、竜人族はそうやって話すの?」


「いや、それは……それより、なんでこんな所に」


 ガルクは冷静でいられるはずもなかった。少女は、マザー・マリアその人だったのだから。



 ***



 マザー・マリアは言葉少なく、彼に大通りを通って城へ連れて行けと命じた。

 異常な気配を感じたガルクは命令に従い、大通りへ向かう。途中彼女を自らの肩に乗せ人ごみをかき分けて彼は進んだ。そして二人が通れるほどの路地に差し掛かると、マリアは指を差して言った。


「待って、そこの路地ならあなたも入れるでしょう」


 ガルクは小さな住人たちを踏みつぶさないよう注意しながら、大通りを横切った。魚人族(マーフォーク)の露店で買った食事をマリアに渡し、薄暗い路地に入る。触手の生えた魚の素焼きは、強靭な顎を持つ竜人族には少々物足りなかった。


「それで」


 少しばかり喧騒が遠ざかったあたりでガルクは切り出す。


「オレに接触しにきた理由を教えて頂けるんですよね」


「力を貸しなさい」


 唐突な要請だった。しかしその声はガルクの複雑な気持ちを察してか、少し柔らかかった。


「力を貸す?」


「ゲルドラフを捕らえるために」


 マザーがわざわざガルクに会いに来たのだ、やんごとなき理由あっての事であることは想像に難くない。しかしそれがマザーの代理人ゲルドラフ・ジンを捕らえてほしいというものであるのは、ガルクは予想していなかった。


「奴が城にいる間に事を済ませたい」


「ちょっと待って下さい。突然言われても」


「複雑でしょうけど、あなたは拒否できないわ。奴はおそらく、ドラーニを始末しようとしている」


「ええ。そもそも、ドラーニは処刑されるかもしれないとは聞いていましたが」


彼を何とか助けてやりたくてガルクはここまで来たのだ。今更驚くことではない。


「ゲルドラフからの報告では、ドラーニは反乱を扇動する勢力の一人となっている」


「不法侵入ではなく?」


「そんなことは書かれていない」


ガルクの肩に乗ったままのマリアは、彼の頭に体重を預けた。


「やはり、ドラーニの存在は奴にとって不都合の様ね」


「なんなんだ。勝手に納得しないでくれませんか」


 なぜゲルドラフがドラーニを? ガルクは想像できなかった。確かにドラーニは不法侵入の罪で捕らえられた。シュテの話ではゲルドラフは自らの地位に為にドラーニを処刑する。しかし犯罪者だから、とドラーニだから、とでは意味が違う。

 マリアは魚の皮を剥がして捨て、柔らかい身に口をつけた。


「我がマザーになって少ししたころ、ゲルドラフの配下のヴィタラ家が反乱を起こしたと報告があった。我はすぐに軍を向かわせて、それで反乱は収まったと思った。最近までは」


「オレもその出来事は聞いたことがありますが、違うんですか」


 アぺレジーナの両親が反乱を起こし、マザーの送った軍に鎮圧された。その折に彼女とドラーニは家族を失ってしまった。それがガルクの知っている事実だ。


「少し前、有角の長から知らせが来た。『詳しい事は書けないが、ゲルドラフが怪しい動きをしている』という内容だったわ。それで彼と旧知のヴァルカンを呼んだ」


(クソジジイはいろんな所に繋がってやがるのか)


「我が呼ぶ前から情報を精査していた彼は、極秘裏に様々な話を聞かせてくれたわ。人や金の巧妙に隠されていた流れを見せつけられて、我は頭が真っ白になった。その中でもある情報が我のゲルドラフ不信を決定付けた」


「それは」


「――ヴィタラ家反乱の事実はなかった。ということ」


 それがマリアの口から語られた時、ガルクの頭も真っ白になった。そんな話信じられるか、と声を荒げたが、マリアはヴァルカンを信じると言ってきかない。それはそうだ。長く有角を治めてきた長の忠告と、戦争後百年の活動を経て支持を獲得してきたヴァルカンの言葉なのだから。


「は? いや、一体どういうことだ。だって反乱があったからあんたは軍を送ったんだろう?」


「マザーになったばかりの我は、先代の忠臣だったゲルドラフを代理人に据えた。その彼からの報告ならば、我も信じるしかなかったのだ」


 あまりのことにガルクは相手がマザーであることも忘れてまくし立てた。弱さや無知が許される地位ではないという考えと、しかし目の前にいる少女に負わせるような責任ではないという思いがぶつかり、彼の拳は震える。


「オレが世話になった所ではあんたの軍に親を殺されたってやつがいた。今牢にいるドラーニだってそうだ。あいつはヴァルカンがあんたの元に付いたって噂を聞いて、兵士たちの話を盗み聞きしようと兵舎に忍び込んで捕まって……それが反乱の扇動? オレが今まで聞いてきたのはなんだったんだ。反乱が実はなかったとか、ドラーニの扱いといい、あんたは誰を従えてるんだ!」


 マリアを振り落とす勢いで一通り喋った後、ガルクはハッとした。壁の黒い染みに視線を移し、頭の中で通り過ぎて行った思考を捕まえる。報告と食い違うドラーニの罪と、実際には起きていなかった反乱。


「………………『従ってない』?」


「我もそれを聞いたときは耳を疑ったわ。これが本当なら、ヴィタラ家に集まっていただけの罪のない人々を我は殺せと命じてしまった。けれど、今更どうすることもできない。そして気づいただろうガルク、二つの問題がゲルドラフを起点にして起きていることに」


 マザーの信を受けたはずのゲルドラフが従っていない。


「ゲルドラフがそうする理由はなんだ」


 不自然な人と金の流れ。彼の配下であるヴィタラ家。虚偽の反乱報告。滅ぼされたヴィタラ家。巻き込まれたドラーニの家族。そして処刑が用意されたドラーニ。一旦頭を覚ましたガルクが事実を整理してみる。それらが並んだ瞬間、ガルクの頭に一つの仮定が浮かんだ。


「我が思うに、ゲルドラフは自らの罪を隠すべく関係者を始末しようとしている。ドラーニという変哲もない者をわざわざ処刑するということは、彼がそうだから」


 ドラーニは実際にその生き残りだ。マザーのたどり着いた答えと同じだとガルクも頷く。


「そして今、それを裏付けるためにヴァルカンが動いている。彼の紹介であるあなたであれば話しても良いと思ったの。もう一度言うわ――手を貸しなさい」


 ドラーニを助けるためにはゲルドラフを捕らえなければならない。彼は嫌な予感を感じつつも、その提案に乗るしかなかった。


「……オレは、どう動けばいい」


「我の城を自由に歩けるように計らう。竜人族がそこにいるだけで、良からぬことを企む輩は動きにくくなるからな。常に我の場所とドラーニの生死は確認しておけ。その日が来るまで大きな動きは控えよ」


(ドラーニが危ないってことは、アぺレジーナも危ないということだろうが……。でもドラーニを口実に彼女を捕らえに来なかったな。ということは、ゲルドラフは彼女の存在を知らないんだろう)


「それと、ドラーニの処刑はしばらく待たせる。罪状の確認をするとか、ごまかして」


「そんなことができるのか!?」


「我を何だと思っておるのだ」


「そ、そうでした。ありがとうございます!」


「話は決まったな。それでは、我を送れ」


 マリアを乗せたままガルクが城に近づくと、彼女は自分の通ってきた抜け道を指さした。

 マリアが道の向こうに消えると、ガルクはようやく解放された気分に瞬く星を見上げた。そして昼間のように明るい大通りに再び足を踏み出す。破滅的な結果を回避できるかもしれない。心のつっかえが取れたガルクの足どりは、来た時よりも軽かった。



 ***



「あの野郎……寝床にいなかったな」


 ヴァルカンとその手下たちは無関係という体裁から、彼らの寝泊まりする場所は異なっていた。

 しかし、ヴァルカンが招かれる際には手下たちも必ずついてきた。招いた側もそれについては触れない。これは、彼が大陸戦争の英雄であり、人々の支持を受けているからだ。その存在が語られるだけで、街の裏側に潜む者どもは震えあがる。

 当然、それは統治者にとって不都合なことであるため、彼らはあくまで客としてヴァルカンを招き、ヴァルカンもその立場を理解して行動するのだった。

 寝床に戻ったガルクは、竜人用に用意された食事には手を付けず、床にどっかりと座り込んだ。ヴァルカンの計らいで、中央で最高に近い環境に寝泊まりしているにも関わらず、彼は居心地悪そうに尻尾を丸めた。

 最初の数日間、彼は床で眠った。白いシーツを泥で汚すことに忌避感を覚えただけでなく、床の硬さと熱が、消えた故郷で過ごした記憶と一番近かったからだ。それは今日も変わらない。

 そして、今日も一日を終えようとした時、彼の頭にふと考えが浮かんだ。


(オレの知らない所で、誰も彼も頑張ってんだな)


 悪逆非道だと思っていたマザーも、ヴァルカンも、理解してみれば重い責任を負っている。善悪は別として、役割と信念を貫くのは試練の道と言う他ない。それで生まれる犠牲には、どうやって向き合っているのだろう。ガルクは横になって考えたが、彼が眠りにつくまでに答えは出なかった。


 マザーの話した『その日』は、ガルクの思っていたよりもずっと早く来た。

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