4 ヴァルカンとマザー-1
ヴァルカンに叩き伏せられたガルクは、二十人ほどの男所帯の中で目を覚ました。森の中にできた狭い平地は野営の荷物で敷き詰められ、むさくるしく熱を帯びている。彼らは挨拶もそこそこに、目覚めた直後で戸惑うガルクにさも当然と言わんばかりに仕事を押し付けてきた。抗議する暇もなく流されたガルクは、集団を構成する種族と同じくらい多様な要望を聞くのに苦労した。
全く想定していなかった展開にガルクも戸惑いを隠せない。しかし作業をさせられているうちにわかったのは、彼らは「ヴァルカンの手下」であるということだった。そして辺りを見渡したガルクは、自分とドラーニが捕虜になったことをようやく理解した。
一体自分はどうなるんだろうかと途方に暮れつつ、彼はつぶさに周囲を観察した。彼らの身なりは荒くれ然としたものだったが、野営地は意外にも綺麗で立ち振る舞いも不快でない。様々な言語が飛び交っているにもかかわらず秩序は保たれていて、ガルクは(本当にヴァルカンの手下なのか?)と訝しんだ。
彼はいざとなればドラーニを抱えて逃げることも考えていたが、そんなガルクに声をかける獣人がいた。長毛種の彼は穏やかな表情と仕草でガルクとドラーニの前に食事を置くと、それを食べるよう促した。
「ドラーニ、今はおとなしくしていろ」
「……」
返事はない。
「シュテのことは残念だったが、オレはあいつにお前を助けてやるって約束したんだ。必ず出してやる」
「……」
ドラーニは隅で丸くなり、ガルクと目を合わせようともしなかった。友が目の前で凄惨な死に方をしてしまったのだから仕方がない。
ガルクは皿の中身を腹に流し込む。ドラーニを置いて逃げようなどという考えは彼の中にない。
「いいぞガルク君、どんな時も食べられるのは丈夫な証拠だ」
この長毛の獣人だけではなく、彼らの誰もがガルクを前にして怖気づく様子を見せたことはなかった。
「ヴァルカンはどこにいるんだ。目覚ましてからずっと姿が見えないが、置いて行く気じゃないだろう?」
「さてねぇ、またどこぞで盗賊でも狩ってるんじゃないかね」
「手下を置いて?」
「ヴァルカン様はいつもそうさ。俺たちはあの方についてってるだけだからなぁ」
手下がいるのに連れて歩かない。一人で賊を狩る。そしてこれがいつも通りだという。よくわからない集団だ、というのがガルクの率直な印象だった。
(だが、こいつら腕が立つみたいだ。動きに無駄がない、それに……親父とそっくりな目をしてる)
一人でも腕っぷしで生活できそうな者たちがこぞってヴァルカンの元にいる。装備品にも種族にも共通性が見えないのは、彼らが軍ではなく本当に寄り集まってできた集団だからだ。ますます訳が分からないとガルクは頭をかいた。
「なんでそんなやつに――」
と言いかけたところで、野営地の彼のいる場所と反対側から声が上がる。と同時に周囲が湧きたった。
「おい! お帰りだ!」
それを聞いた長毛の獣人はガルクに着いてくるよう促すと、とっとと走っていってしまう。
多少のいらだちを抱きながら、ガルクは声のした方へ向かった。
「お帰りなさいませ」
「お帰りなさいませヴァルカン様!」
迎えの者たちを挟んだ向こう側に見える巨体。それががヴァルカンであることはガルクにもわかった。そこにいるだけで感じる異様な気配に、彼は悪寒と興味を同時に覚えた。しかし黒い影が徐々に大きくなり、それが自分の前で止まると、彼の頭は別の感情で満たされてしまった。
(ただ見下ろされてるだけなのに、なんて威圧感だ!)
太陽を背にした巨影。その頂点には鋭く光る黄色の双眸。それががガルクを映すと、彼はすくみあがった。
――相手をしてはいけない。
武術の達人如きが山を動かせるか。土砂崩れや洪水を止められるか。人が自然をどうにもできないように、何人もヴァルカンに干渉してはいけない。ガルクの直感がそう告げた。
「お前が」
地鳴りのような声が響く。手下の者たちがぎょっとした顔をヴァルカンに向けた。
「誰であろうとどうでもよい。だが、その印には興味がある」
「印……?」
ヴァルカンの目はガルクの胸に向いている。そこには翼のないドラゴンの入れ墨が佇んでいる。
「父親の印がどうしたんだ」
竜人族は成人を迎えると長から印と呼ばれる入れ墨をされる。それはどこの部族に属しているかを表している。ガルクの胸にあるのは父親から授かったものだ。
「親父、だと……グハハハハハ! アーッハッハッハ!」
一瞬ヴァルカンの顔が歪んだかと思うと、突如彼は笑い出した。
彼の手下の者たちが驚き戸惑っているとき、ガルクは気づいた。
(こいつ、印が……)
竜人族ならあるはずのヴァルカンの胸に、印が見当たらない。よく見れば印があったであろう場所の皮膚に剥がされた跡がある。誰がやったにせよ、これではヴァルカンの所属がわからない。
「ヴァルカン様、いかがなさいました。この竜人は一体」
「ああ、こんな日が来るとは思わなんだ……小僧」
「ガルクだ。何がおかしい」
「名前などどうでもよい。そこな蟲人を殺されたくなければ、来い」
「はぁ?」
ヴァルカンは一人で興奮したように土を踏むと、にやりと牙をみせてガルクに命じた。
きっと彼の中では既にやることが決まっていて、周りが自分に合わせるものだと考えているのだ。ガルクはそんな身勝手さに腹が立ってきた。
「日が落ちる前に中央へ行く。出るぞ」
「は、はいヴァルカン様。ただいま」
「何一人で話進めてんだ。オレの仲間を殺しておいて!」
ガルクの手は無意識に彼の腰の剣に伸びていた。大剣バルークが光る。周囲に緊張が走り、ヴァルカンとガルクの間にた者たちは下がった。
しかし敵意を向けられたヴァルカンは涼しい顔でいる。それどころかガルクの態度を鼻で笑うと、ぐいっと彼に欠けた鱗だらけの顔面を寄せて言った。
「お前のような奴を何度も見てきた。行動が目的になった小僧をな」
「なにぃ……」
「どう助けるか、助けた後どうするか、考えもなしに動いたのだろう。無能はとにかく考えることを放棄し、結果も考慮せず動くものだ」
「……」
「手段などいくつもあったのに、お前たちは賊の真似事を選んだ。だからあんな結果がでた。違うか?」
アぺレジーナの手段に不満を持ち、そこへ飛び込んできた話に乗った。本来ならば彼は止める立場だったはず。甚だ軽率な行動だったとガルクは後悔する。
「父親に感謝しておけ、奴の血がお前を助けたのだ。僅かでも思慮深くありたいなら、来い」
「ガルク君、ヴァルカン様がこう仰っているんだ。とりあえず、行こう」
長毛の獣人の慰めるような声が彼には辛かった。
ドラーニを助けるのだと息巻いて、アぺレジーナに黙って村を出た。その結果シュテらを失い、ドラーニに届かず、自分も捕らえられてしまった。
ガルクはこの屈辱に耐えられそうにない。しかし今は自身の失態を認め、この怪物の言う事を聞いた方が良い。彼はバルークを握る手を震わせ、黙って頷いた。
「立場が理解できるなら、底辺の一つ上だ。小僧」
ヴァルカンが背を向けると、緊張の糸がぷっつりと切れたようにガルクはよろめいた。より強い者の情けによって、彼は我を通すことの無意味さを知った。
噴き出す汗をぬぐった彼は周囲を見渡した。皆は出発の準備に入り、一部は既にヴァルカンの後に連なって歩き出している。彼は腰にバルークを差し、ドラーニが入った牢馬車を引いた。
「ドラーニ、もう少し待て。必ず助けてやる」
返事はなかった。
***
蟲人たちが「中央」と呼ぶ街に到着したヴァルカンは、手下を壁の外に置き、牢馬車を引くガルクだけを連れて門をくぐった。
身なりを整えた二人が通されたのは、宮殿と呼ばれる場所だった。大柄な種族にも配慮された空間は、ここが蟲人の領土であることを忘れさせるほどだ。そして目の前にいるのは、中央の最高権力者である。
「――以上が、ヴァルカン・ヴォルカニク殿からの報告です」
ガルクは今まで、これほど高い場所にある天井を見たことがなかった。それどころか、同じ大きさの石が規則正しく積まれて壁を形成しているのも、魔法や焚火以外の大きな火も、彼には初めての光景だった。こんな立派な城には荘厳という言葉が相応しい。そして跪いで頭を垂れるという行為も初体験であった。
「賊の討伐、亀裂の対処、囚人の護送、まことにご苦労でした。ヴァルカン」
報告を受けた人物がヴァルカンを労う。中央の最高権力者、即ち蟲人の長だ。
「光栄に存じます。マザー・マリア」
ヴァルカンの形式張った返答。その隣でガルクは床に向けた目を見開いた。心臓が強い衝撃を受け、息が荒くなる。
(マザー・マリアがいる……!)
民に重税を課し、アぺレジーナとドラーニの家族を殺し、度重なる陳情を無視し続けるマザー・マリア本人が、目の前にいるのだ。
「それで、そこの者は」
同時にガルクは混乱した。跪いた彼にはマザーの姿がわからない。今は声だけだ。その声が、どうしてもあの悪逆非道の者という印象からかけ離れていたからだ。
「我輩の友の血縁に当たる者でございます」
「ヴァルカンの。ねえ、あなた、顔を上げて」
顔を上げたガルクが初めてマザーの姿を瞳に写す。黄色と黒の体色は危険を感じさせるものだが。その姿は小さかった。玉座の側に立つ従者と思しき蟲人と比べてもその線の細さが際立つ。
彼女は一対の触角と大きな黒い眼をガルクに向けた。
「名前を教えてくれる?」
マザー・マリアは、あまりにも幼かった。




