表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
162/175

3 シュテとドラーニ

 静かな小屋の中で、アペレジーナは捕らえられたドラーニのための嘆願書を準備し始めた。屑水晶の灯りが、冷え切った部屋の雰囲気と相まって、二人をより冷たく照らす。ガルクは真剣な表情でペンを走らせる彼女を邪魔しないよう、部屋の隅で静かに待っていた。

 しばらくして、彼女は深いため息をつき筆を置いた。それを見たガルクも、詰まっていた息をようやく吐き出した。


「仲間想いなんだな」


「家族ですから。家族は守らないと」


 アペレジーナは文の書かれた小さな板を重ね、ペンをしまった。彼女の表情には疲労の色は見られない。

 山道を歩き、村人たちを帰らせた後だ。食事も採っていない。きっと彼女もすぐに横になりたいだろう。気丈な姿にガルクは自らの顎を掻いた。

 肌寒い夜。二人がいる部屋を暖めるには、炭が足りない。貯蔵も十分ではないようだ。ガルクは村の端にある、静かな墓地を思い出した。このままだと、数カ月後には去年よりも墓石が増えることになる。


「だが冬が来れば……また誰かが死ぬ」


「そうならないように、貯えています」


「端っこの奴らがあくせく働いて作ったものを、マザーのやつが吸い取ってるんだろう。それで食うものがなくなったら人が死ぬ。それでも続けるのか」


 現実は言葉だけでは進展しない。彼の訴えにアペレジーナは眉一つ動かず答えた。


「訴えは続けます」


「その心構えは立派だと思うがな。誰も血を流したくはないが、あんたの夢がかなうのはいつだ。冬が来るたびに誰かが死んで、みんないなくなっても続けるつもりなのか」


「ガルク様の仰りたいことはわかります」


 疲労と焦燥が重なった所に今までの活動を否定され、自身の感じていた不安を改めて聞かされるのは辛い。だが彼女はいらだつ前に悲しくなった。


「でも、私たちは蟲人なのです。私たちが自らの秩序を否定しても、そこから生まれるものがより良いとは限りません。むしろ否定したことで、今よりもっとかわいそうな人たちが生まれるでしょう」


「マザーの好き勝手をぶっ壊して、今よりひどくなんてなるもンかよ! お前も感じているんだろう、(ここ)の人たちがお前をどう思ってるか」


 ドラーニの件で村人たちはアぺレジーナの住居に集まった。彼女も、自分が思う以上に彼らに当てにされていることはわかっている。その望みが行く先も。


「それでは結局、私の両親と同じ結末を迎えてしまう」


「マザーに殺されるか、自然にじわじわと殺されるか。極端な話、二つに一つだ。でもオレだったら、少しでも望みのある方を選ぶ。自分がマザーになるとかな」


「やめてください!」


 アぺレジーナの激昂にガルクは息をのんだ。彼女の手に握られたペンは折れ、弾け出たインクが嘆願書に垂れている。触角がピンと張って、怒りに染まった複眼が彼を映した。


「あなたがマザーの何を知っているというのです、マザーはマザー・マリアしかいません。都合が悪くなったら挿げ替えるなどという考えは、浅はかが過ぎます!」


 ひと月では蟲人の文化を知るには短すぎると自覚しつつ、ガルクは敢えて言う。止まるも死、進むも死なら、彼女の両親に倣うことも考えた方がいいのではないか。彼としては厳しくも現実的な案の一つのつもりだったのだが、それがアぺレジーナの逆鱗に触れてしまったのだ。


「何にだって限度ってものがあんだろうが! 頭が腐っていてもいいってんなら、皆死ぬだけだ!」


 自身ごと強烈に否定されたと感じたガルクはつい声を荒げてしまう。人の生死の問題は特により良い方向に考えるべきだと考える彼は、アペレジーナの手段を理解はできても納得はできない。

 自分の何倍も大きな竜人族を前にしても、彼女は恐れなかった。だが次に放った一言はガルクの心に冷や水をかけた。


「全員を危険に晒すよりも、実績を重ねる……皆で決めたことです」


「……そうか、所詮オレは部外者って訳か」


「わ、私はそんなつもりでは」


「いや、いい」


 アぺレジーナが慌てて否定するが遅かった。ガルクは握った拳を解くとのっそり立ち上がり、竜人族には狭い戸をゆっくりくぐった。


「ガルク様……」


「ちょっと頭冷やしてくるだけだ」


 戸が軋み、二人を遮った。夏の終わりの風がガルクを迎えると、彼は大きく息を吸い込んでしばらく止めた。

 わかっていたことだ。居候の自分には彼らの意思決定に何ら関われないことなど。しかしこうもはっきりと言われると立つ瀬はない。止めた息を吐き出した彼は歩き出す。じわりと熱くなった目頭を擦り、彼は真っ暗な空を見上げた。そしてとにかくこの場所から離れたくて、一直線に家屋から遠ざかって行った。

 そしてこれが、二人の最後の会話になってしまった。



 ***



 ガルクがアぺレジーナの家から去った後のこと。彼はシュテやその仲間たちと共に村から何日も離れた所にいた。

 山間を通る静かな道、緑の景色の中に茶色が混じり始めている。町からは遠く、乾燥した土埃が風にあおられ踊る。彼らは茂みに身を隠し、時折通る馬車をじっくりと観察していた。


「本当に、ここを通るのか? ドラーニはもう死んでるってことは――」


「それはありませんよ、ゲルドラフの野郎がその場で犯罪者を切り捨てるなんて!

 あいつは前のマザーに取り入って今の地位を手に入れたんだってもっぱらの噂でね。部下にちっぽけな犯罪者を捕まえさせて、自分は手柄を大きく見せるのにどうしたらいいかを一日中考えてるような奴なんだ。そんな野郎がドラーニをその場で罰するわけがねぇ。確実にマザーの元に連れて行って、適当にでっち上げた大犯罪をおっかぶせて派手に処刑するに決まってる」


 シュテの熱のこもった表情にガルクは妙な説得力を感じた。アぺレジーナの家を出て適当に夜風に当たっていた所、ガルクは彼に声をかけられた。彼はアぺレジーナの嘆願書が届く前にドラーニが処刑されてしまうと予想し、ガルクに彼の救出を手伝ってほしいと懇願した。とにかく早く出発して、移送されるドラーニを助けたいと。その時も同じように熱のこもった声に押され、ガルクは彼らと行動を共にしようと決めたのだ。


「ドラーニとは長いのか」


 なぜそこまでしてドラーニを助けたいのか。処刑が事実で急がなければならないにしても、手製の槍を持つシュテたちを見て「まるで賊だ」とガルクも抵抗を覚えた。加えて、ドラーニを移送するのは間違いなく兵士たちだ。数が多ければ彼らでは太刀打ちできない。

 シュテは道の先から目を離さずに答えた。


「俺とあいつはまぁ、腐れ縁ってやつです。反乱があったときも俺とあいつはそこにいなかった」


「反乱?」


「マザーの圧政に耐えかねて、俺たちみたいなやつらを助けようって貴族様が反乱を起こしたんです。このままだと死ぬかもしれねぇって思ってたみんなはそれにすがって、戦えもしねぇのに鍬とか振り回して興奮してね」


(貴族……アぺレジーナの両親が主導したってアレか)


「俺は物心ついた時には一人でしたが、ドラーニの家族は……マザーの軍に殺されちまったんです。俺たちは出稼ぎに出されてて難を逃れたんですがあいつ、戻ってくるなり仲間外れにされたって泣くわ怒るわ。その姿が不憫で不憫で……ガルクさん」


 家族を失った悲しみ、生かされたのが悔しさ、そしてマザーへの憎しみが無茶な行動をさせた。シュテの声は今にも泣きだしそうで、握りしめた手は震えている。


「俺はね、あいつがいつかこうなるんじゃないかって思ってましたよ。でもね、捕まった責任があいつだけにあったとしても、俺はあいつを見捨てるなんてできません。友を見捨てるなんてできるわけないし、憎い奴らにこのまま殺されるなんて、あんまりじゃないですか」


「そうだな。それなら絶対に助けよう」


 ドラーニがどんな人物でも、これほど素晴らしい友人がいるのだ。ガルクはその気概に応えようと決意し、彼の答えにシュテも力強く頷いた。


「おいシュテ、来たぞ! ドラーニが乗ってる!」


 見張りから戻った仲間の一人が、曲がった道の向こうを指さした。複数の蹄の音と、ガラガラという車輪の音がひと塊で近づいてくる。シュテは仲間たちに道を挟んで隠れるように促すと、自らも槍を持って伏せる。全員が布で顔を隠し、合図を待った。

 音は徐々に近づき、やがてシュテらが待ち伏せする地点まであと少しという所に来た。ガルクもその瞬間を呼吸を整えて迎える。


「いいか、絶対に殺しはなしだ」


「ええガルクさん、わかってます。俺たちはマザーとは違う……今だ!」


 シュテたちは前方から、ガルクは後方から馬車を囲む。たった二人の護衛は、多勢に無勢を察した護衛は悲鳴を上げて逃げ出す。ドラーニ救出の第一段階はあっさりと終わってしまった。


「フン、あいつら本当に兵士か? 御者も逃げたみたいだ。おい、牢の中は――」


「ドラーニ!」


 シュテは牢馬車に飛びかかると、友の名を呼んだ。すると鉄格子の中でその声を聞いた蟲人が驚いたように顔を上げる。


「な、なんだ。こんな所で友の声を聞くなんて、俺はついにおかしくなっちまったのか」


「いいや本物さぁ友よ。ちょっと待ってな、護衛が逃げたから鍵がないんだ。すぐに出してやるから」


 目立つ傷こそ無かったが、ドラーニの姿はぼろを纏った枯れ枝に見えるほど貧相だった。シュテ越しにその姿を見たガルクは、どんな扱いを受けたのかを想像してマザーへの怒りを募らせる。

 シュテはその辺から手ごろな石を拾い上げると、ドラーニを閉じ込める牢の錠前に思い切り振り下ろした。


「ありがとう……ありがとう!」


「喜ぶのはまだ早いぞドラーニ。くそっ、この錠硬いな――うわぁっ!」


「何っ!?」


 すぐに感動の再会が叶うと誰もが思ったその時、ガルクらのすぐそばで突如轟音が鳴り響いた。落雷にも似た激しい音と衝撃に、その場にいた全員が反射的に頭を覆う。そして直後に聞こえてきた複数の悲鳴にガルクは恐る恐る目を開いた。


「み、みんなは!?」


 シュテと共に来た仲間たちがいない。忽然と姿を消した彼らを探そうとしたガルクは直後に戦慄する。異様な気配と自らを覆う影。その主が自分のすぐ後ろにいるのだ。そして今立っている場所が巨躯によってできた影の中であることに気付き、彼は一瞬、呼吸を忘れてしまった。

 本能的な恐怖を抱いたシュテがガルクへ振り返った瞬間、あまりに恐ろしい光景に彼はその場にへなへなと座り込んだ。ガタガタと震える指がガルクの後ろを差し、絞り出した息でその存在を明らかにする。


「し、し、し――」


 山のような体躯はガルクたちから太陽を奪い、彼らの足元を漆黒に染めた。爛々とする眼光は視線だけで心の弱い者なら射殺す気配を放ち、右腕は無数の蛇が絡みついた様な火傷の跡が覆っている。

 噂にしか聞いたことのない様相が目前にある。シュテの心は自らの命が風前の灯火であることを理解し、壊れてしまった。


「将軍っ、しょう……ぐ、ん」


「なにっ!?」


 将軍、ヴァルカン・ヴォルカニク。ガルクはアぺレジーナの言葉を思い出した。曰く、歴戦の竜人族。

 村の皆が恐れる人物が今、自分の背後を取っている。ガルクは初めて経験する強烈な殺気に身震いした。

 シュテの仲間たちがいた場所は、牢馬車とシュテを挟んだガルクのちょうど反対側だ。しかしそこに彼らはおらず、代わりに、血だまりとへしゃげた赤い塊が転がっているだけ。それに張り付いた布切れを見て、ガルクはあれがシュテの仲間たちだと直感した。あれを将軍がやったとも。

 そして轟音の直後に彼らを消したヴァルカンが、ガルクの後ろに回り込んでいた。背中から氷で貫かれたような気配に、ガルクは全く身動きできない。


(勝てる勝てないじゃねぇ……二人を守らねぇと!)


 慄いて呼吸すら忘れ、青くなっていくシュテを見て、彼は何としてもこの二人だけは助けなければと全身に気合を入れた。彼は息を止めてじっとりと汗をかいた手で剣を握り、土属性の力を全身に込める。そして恐怖を振り払うように身体を捻ると、同時に刃を振りぬこうとした――――。


「ぐあぁぁッ!」


「ぬぅん!」


 次の瞬間に彼が感じたのは浮遊感、そして全身を襲う衝撃。彼の身体は宙を舞い、凄まじい力で地面に叩きつけられたのだ。地面はひび割れ、大地はわずかに震えた。そして彼は、そのまま昏倒してしまった。


「シュテ逃げろ! シュテーッ!!」


「ひいいっ、うわああぁーーっ!!」


 自分の背後を容易く取る素早さ、竜人族を軽々と投げ飛ばす怪力、たとえ正面から挑んだとしてもかなうはずがない。


(オレの身体、どうしたんだ。う、動かねぇ……オレが、怖気づいてるだと。動け! チクショウ! 動けよ!)


 心の中で激しい闘争心のようなものが燃え上がっても、身体はネズミのように震え指一本動かない。


(助けるんだ! くそう……身体が……うごかね……ぇ………………)


 鉄格子に張り付いたドラーニの叫びが虚しく響き、ヴァルカンの巨岩の如き足がシュテを踏みつぶす。

 ガルクの瞳はその様子をぼんやりと映した。そして骨が砕ける音と、ドラーニの慟哭を最後に、彼の意識は沈んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ