2 将軍と代理人
「へぇ。じゃあ反乱軍の首領、アペレジーナ様ってわけか」
広大な畑を擁する村。そこでは多くの蟲人たちが互いに協力し、土地をひたすらに耕している。
その様子を丘の中腹から見下ろすのは、薪を背負ったガルクとアペレジーナだ。彼らは適当な岩に腰を下ろし、しばしの休憩をとっていた。
アぺレジーナの案内でたどり着いた蟲人たちの村で、ガルクは喪失感と無力感で一睡もできず一晩を過ごした。翌朝、どうしたら良いのかもわからず途方に暮れていると、今度は「何かしなければ」という焦燥感に駆られる。そこで彼は村人たちの仕事を手伝うことにした。体を動かして、負の感情を振り払おうとしたのだ。開墾の為に切り株を素手で引っこ抜き、伐採された丸太を何本も担いで山肌を駆け抜ける。
その活躍に村人たちは驚き喝采を上げた。彼も頼りにされると嬉しかったし、自分の行いで笑顔が増えると高揚感と充実感に満たされた。
そうして一晩のつもりの滞在は、あっという間にひと月に伸びてしまった。
「ぐ、軍など……私は、民の話を聞いてもらうためには一人二人では足りないと考えているだけです」
彼女の細長い触覚が風に揺れた。漆黒に縁取られた青い翅が、薪の圧力から開放されて嬉しそうに膨らむ。
彼女がこの村の生まれではないというのはガルクにもわかった。立ちふるまいと言葉遣いの丁寧さは、粗野な村人たちの中にあって際立っている。しかしいくら彼女が親切だからといって、身の上を聞くにはまだ距離がある……と彼は感じていた。だから彼女から話してくれたことに、ガルクは内心ほっとした。
「へぇ? にしてもその……マリアってやつは酷いもんだ。手前の飯がどうやって出来るのかも知らないんじゃないか」
「……昨年はとうとう何人かが冬を越せませんでした。このままでは民の生活は立ち行かなくなってしまいます」
村の一角には柵で囲われた区画がある。等間隔に並んで立てられた粗末な墓標を瞳に映しアぺレジーナは物悲しく話す。
「マザーが新しくなってから急に税が上がり、取り立ても厳しくなりました。財産を失った人々が街には溢れています」
「無茶苦茶じゃないか」
「反抗した者はなぶり殺されました。生きたまま焼かれた者もいるらしいです」
「あんたが立場を生かして、声を上げてみたらどうだ」
「え?」
「あ、いや」
しまった! とガルクは自分の口を塞ぐが、既に遅かった。
アペレジナは面食らった様子でガルクを見つめる。すぐに翅がさわさわと震えだした。そして俯くと、しなった触覚の先が地面を向いた。
「わ、私は……ただ地位があるだけの娘です」
彼女の言葉使いや仕草を見て、彼女が農民でないことは明らかだとガルクは踏んでいた。
しばらく俯いていたアペレジーナだったが、やがてぽつりぽつりと身の上を語り出した。上位階級であった彼女の両親は、現マザーの行動に異議を唱えていた。その手段は過激で、いつしか最後は家族が止めるのも聞かず民衆とともに蜂起を計画……しかし本懐は叶わず、鎮圧された折に死亡したという。
「じゃあ今あんたは……」
「両親は手段を誤りました。でも民を助けようとした意志そのものを否定するつもりはありません。だから私は活動を続けているのです…………ただし、武器を使わない方法で」
「それが声を集めるってことか。でも無視されちまったら終わりじゃあ」
蟲人特有の複眼がガルクを映した。その表所にはか細いながらも強い意志が燃えている。
「何度も送るのです。無視されようとも、皆の窮状をしたため、何度も、何度も…………それが何もかもを失った私にできる唯一の活動です」
アペレジーナは再び目を落とした……爪が黒く汚れている。
彼女の背丈はガルクの友よりも少し低いくらいだ。しかし六肢は細く、体つきは土をいじる農民たちとも全く違って丸みを帯びている。竜人族の肩に乗せてやれば、そのまま散歩に出られるだろう。
蟲人は階級社会だ。本来村人はアペレジーナに口をきくこともできない。
しかし彼らは彼女と気さくに話し、あまつさえ一部の仕事までやらせている。それが彼女の正体に気づいていない故なのかは、ガルクにはわからなかった。
(民の声を集めてマザーに届けるか、気の長い話だ。それにその方法が正しいかは別にして、身分を隠してたった一人で苦しむ人たちを救おうだなんて馬鹿げてる)
「この前聞いたんだか……オレと初めて会った時、あんたは子どもを探すために持つものも持たず走っていったっんだって?」
「あのとき……あ。もう、皆おしゃべりなんだから……」
「誰かの為に体を張れるなんて誰にでもできることじゃない。あんたの気持ちは本物だと思う」
「ガルク様……」
「オレにもあんたに似た知り合いがいてな。そいつは何の力もねぇのに前に出てきて、危なっかしいやつだった」
「まあ」
「最初は面倒ごとになる前に殺してしまおうと思ってたんだが……なんだかんだで家に居着くし、死ぬかもしれないって時も何回かあったかな。不思議なことに別れるまでは生きてたし、余計なことしなけりゃこれからも死なないだろうが、絶対に自分から飛び込んでくっで確信がある。そんなやつだ」
「話しぶりからすると、その方に好意を持っているようですね」
「どうだかな。まあ、まっすぐなやつだったよ」
その性格はいつか痛い目に合う。しかし、せっかく救ってやったのだから、彼には生きていてほしいとガルクは心底思っている。
彼は首飾りを握りしめた。村を脱出する直前に手に入れた、村長であった父の形見だ。持ち主が仕留めた動物や魔獣の一部が革ひもでつながれている。
「自分に力がある訳じゃねぇのに一人で無茶なことをやろうってのがあんたに似てるんだ。助けになれることがあったら言ってくれ……世話になってるしよ」
「ふふふ。貴重な心遣い、ありがとうございます」
暗かったアぺレジーナの表情に微笑みが戻ると、ガルクの胸がざわついた。彼女を助けてやりたいという気持ちは間違いない。しかし万が一「その時」が訪れたとして、友を救ったように彼女も救えるだろうか。彼はそんな不安がどうしても拭えなかった。
二人は休憩を切り上げると帰路に就いた。空は徐々に赤みを増し、影は長くなっていく。
***
村に到着した二人の目に、奇妙な光景が飛び込んできた。
本来ならばこの時間、各々の家から上がっているはずの飯炊きの煙がない。それどころか道具の手入れをする男たちも、家畜を小屋に誘導する子どもたちも見えない。
「なにか、あったのでしょうか」
アペレジーナは人の気配がする唯一の小屋に向かい、隙間風の吹く屋内に足を踏み入れる。そして飛び込んできた光景に目を瞬かせた。所狭しと並んだ村人たちが、不安げな表情で話し合っているのだ。
「ああ、アペレジーナ。よく帰ってきたね! ちょっとシュテの話を聞いておくれよ」
痩せた蟲人の女がアペレジナの手を取って迎え入れる。室内にあったすべての目が彼女へ向いた。皆不安に駆られて、どんよりとした顔をしている。
「皆さん、どうしたんです。こんな時間に集まるなんて」
「ドラーニが捕まったんだ」
座っていた集団の中から一人が立ち上がった。泥と埃に汚れた黒い甲殻の蟲人だ。彼はアペレジーナの元に駆け付けると、彼女の後から入ってきたガルクに後ずさる。
「彼はドラーニと一緒に街で物品の売り買いをしています。今回は遠くの街へ行っていたので、ガルク様はシュテとは初対面ですね」
「ああ……どうもガルクさん、とにかく話を聞いてくれないか」
シュテは余裕のない顔で二人を座らせると自らも腰を下ろし、手元のカップに入った水を一気に飲み干して激しくむせ込んだ。
「お、俺とドラーニはいつも通り仕事をしてたんだ。小便をしに行ったあいつを待つ間に帰り支度をしてると、あいつが大変な噂を聞いたって慌てて帰ってきてさ」
「大変な噂?」
「ああ。どうやらマザーの奴……『将軍』を雇ったらしい」
「……将軍を?」
心配していたアぺレジーナの表情がみるみる険しくなって行く。
「それで噂を確かめようってドラーニのやつ、兵舎に忍び込んで捕まっちまって……さらに間の悪いことに、ゲルドラフが視察に来てたんだよ」
「それは……いけませんね」
「将軍? ゲルドラフ?」
初耳の名前に戸惑うガルク、しかし一望した彼らの顔色を見てことの深刻さを感じ取った。
「ゲルドラフはマザー・マリアの代理人です。代理人は、広過ぎる蟲人の領土を治めるためにマザーより信任される役で、主に地方を統治します。代理人の言葉はマザーの言葉とされるほど権限があるのです」
「ゲルドラフから見れば、ゴミ漁りだって強盗になっちまうよ」
「『将軍』は、ヴァルカン・ヴォルカニクという名の竜人族です。彼は大陸戦争で戦い、戦後は各地を放浪しながらゴブリンや賊をことごとく殲滅しいると聞きます。山のような大きさで、黙して戦い、その堂々とした振る舞いからいつしかそう呼ばれるようになったと」
「竜人族……」
「彼がマザーに雇われた。私たちの行いが向こうの耳に入り、反乱の兆しと捉えられたのかもしれません」
「そんな馬鹿なことがあるか。こっちは何もやましい事はしてねぇじゃねぇか!」
アぺレジーナの行動は、武器を持たず現状を訴え続けるという途方もない行為だ。蟲人族の階級社会の中で精いっぱいの事をやっている。非難される謂れはないとガルクは声を荒げた。
「待ってくださいよガルクさん、あんたはマザーの残酷さを知らないだろう。今まで向こうと戦おうとしたやつらがいなかったわけじゃない。でもそんなやつらをマザーは、有無を言わさず殺してきたんだ。更地になった村なんて数えきれない。あいつらは疑いがあれば刈り取りに来るんだ。
そんでゲルドラフはマザーの右腕……その上、将軍を雇っただなんて、ああ恐ろしい」
「そんなことまで……」
「しかしまずはドラーニの為に動きましょう。起こってしまったことは仕方がないので、侵入の罪は認めなければなりません。彼が拷問を受けてなければいいのですが」
「将軍の方はどうする?」
「私たちのやることは変わりません。各地で賛同を集め、文字が書ける者たちが現状をしたため、マザーに訴える」
「おいおい、それじゃあ不確実すぎるだろう。こうしている間にも将軍とやらが向かってきてるかもしれねぇんだぜ?」
「まだ噂も事実かわかりませんし、私たちが疑われていると決まったわけでもありません。闇雲に動くのは危険です。皆さん――」
アぺレジーナはすっくと立ちあがり、村人たちを見渡す。皆不安そうな顔を彼女に向けた。
「皆さんの不安やマザーへの恐怖は私も感じています。しかしおびえることはありません。私たちは武器も持たない農民でしかないのです。もし彼らがやってきても、いつも通り鋤を土に打ち込んで見せるのです。
今夜は温かい食事を摂って、横になってください。明日もまた、いつもの生活を続けるのですよ」
ひそひそとした声は静まり、暗い雰囲気が徐々に拭われていくのをガルクは感じた。彼女には人を惹きつけるものがある。彼にはそれが何かはわからなかったが、視線も意識も気づけば彼女に釘付けになっていた。
(アぺレジーナ、好かれてんだな)
捕まったドラーニを助けなければならない。自宅へ帰っていく村人たちを見送りながら、彼は自分にできることが無いか頭をひねった。
しかしいくら考えても、アぺレジーナに任せた方が良いという結論から抜け出せなかった。




