16 亀裂よりいでしもの-3
ジズ・ジルズは焦っていた。
こんなに大きな亀裂は軍にいたころに一度あったきりだ。ここに住んでから亀裂を見たことは何度かあるがどれも小さく、出現する小鬼共も十や二十…五十はいかなかった。それが今目の前にある奴らはなんだ。百…いや、もっといるかもしれない、と。
しかし、亀裂を放置しておくわけにいかないのも事実だった。ゴブリンは亀裂から出てきた時点でひどい飢餓状態にあるようで、放っておけば目につくものを全て食い尽くす…森に現れれば獣や植物を、河の近くに現れれば魚を、そして運悪くそこにいた者たちも。
放っておけば環境を破壊しつくし、やがて周囲は雑草一つない荒野と化してしまう。当然そんなことを許すわけにはいかないので、空中の光るヒビが確認でき次第そこに軍なりを送るのが常であった。
―――目の前でアトルマは無残に食い散らかされてしまった。彼はミーラの夫で、とても気前のいい男だった…彼がいてこそミーラの食事はもっと美味くなる。
死人が出たことは初めてではないが、大切な仲間と別れるのはいつだってジズの心を酷く痛めつけた。
―――もっと自分が早く下がるよう言っていればもしかしたら…。ああ、またしばらくは眠れそうにない…
いや、今考えるべきことではないとジズは思考を切り替える。皆があきらめずに戦い続けてくれているおかげで、奴らの勢いは確実に弱まってきていると、両手に持った剣を握り肩の力を抜いて、迫る緑色の軍勢に備えた。
「ああ全く…せめてこいつらの肉が最高に旨かったら、もちょっとやる気が出るってもんなんだがねぇ…」
「うまくたってオレは食いたくないね!だいいち、食えるほど肉がねぇじゃねえか!…チクショウ、剣が折れやがった!」
ガルクは折れた剣の刀身を拾い上げると、近場の小鬼の群れへ投げつける。綺麗な弧を描いたそれは、一匹の不運なゴブリンの眉間に突き刺さった。
「ジズさん!また作ってくれよ!もっとデカいやつ!」
「もっと大事に扱うって約束するなら、生きて帰ったらね」
ガルクは更に鉈剣の柄も投げつけると、足元にあった長い倒木を地面から引きはがした。何本もツタが絡んでいるにもかかわらず、ブチブチと力ずくで引きちぎり今度はそれを振り回す。
「もうちょっと力を抜けないもんかねガルクは…」
ガルクと違って、ジズは力で押す気質ではない。そんな彼女が持つ剣は、手首をかえすだけで程よくしなり、最小の動きで素晴らしい切れ味をもつ。時にはゆらゆらと、時には激しく踊るように足を運び、飛び掛かるもの、疾走してくるものを平等に切り刻み、時には蹴りも織り交ぜて、まわり、跳ぶ。
歓声の代わりに断末魔とうめき声が彼女を囲み、そこはさながら一つの舞台のようだった。
***
竜人たちは死力の限りを尽くした。ジズもサラマもガルクも他の皆も生きて帰ろうとする気迫がそうさせたのか、アトルマ以降死者は一人も出なかった。
死体の山をいくつも築いたジズは、ふと亀裂の方をみた。見る限りゴブリンどもの出現は止まっているように見える。加えて戦場に存在する奴らの数もそう多くないように見えたので、周囲の状況をじっくりと把握する心の余裕もでてきた。
「やれやれ、だいぶひどくやられちまったね……、ミーラになんて言えばいいんだい」
仲間たちの実力が劣っているわけではないが、今回は運が悪かった。だがこれだけ数が減れば、後は大丈夫だろうが…ジズはミーラにどう言い出したものかと思案しながら戦場を見渡した。
―――…少ないが、ガルクの方に敵が集中しているね。手伝いに行ってやろうか。
そうして、足をガルクに向けたとき
「どおしたユウイチ!そのまま死ねば楽になるぞ!俺たちもなぁ!」
ガルクが張り上げた声に、ここにいるはずのない名前を聞いて彼女は戸惑った。
サラマは周囲を掃討したようで、亀裂に背を向けている。何があったのかと近づくと、手負いのゴブリンに馬乗りになり一心不乱に石で殴りつけている勇一を見つけた。
「サラマ、何があったんだい?少年は村にいるはずじゃあ…」
「えっと…わかりません……」
サラマも訳が分からないといった様子でひたすら小鬼を殴る勇一を見つめている。
何度目かわからない殴打を終え、彼は立ち上がった。肩を上下させ、土と汗とよくわからない液体で黒くなった顔を拭い、近くのジズとサラマなど気にも留めず血走った眼で一点を睨みつけた。
目線の先にはガルクがいた。彼もまた掃討を終えジズらの方に近づく。
「おうユウイチ。やりゃあできるじゃ……おわぁっ!」
「うるせえぇぁ!!」
勇一は両手で持った石を渾身の力でガルクに投げつけた。一度地面で弾み、転がりながら足にむかったのをガルクはすんでの所で避けた。
転がっていく石を見送り、再び正面を向くと今度は飛んできた小石が胸に当たった。
「な、なにしやがる!」
「うるさいんだよ!黙って聞いてれば好き放題いいやがってぇっ!」
「サラマ、二人は何やってんだい?」
「ガルクがユウを怒らせちゃって…」
頭のつぶれたゴブリン、怒る勇一とやつあたりされるガルク。三つを順番に見てジズはああなるほどと察した。本人をその気にさせるために自尊心を刺激するのはよくあることだが、それはただ怒らせればいいというものではないのだが…ガルクは勇一を激怒させただけだった。
「はぁー…。ほらサラマ、ぼっとしてないで二人を止めるよ。アタイはガルクを…あんたは少年を、良いね?」
まるで子供のケンカをいさめるように二人は双方を抑えるが、男二人はますます熱が上がっていたようで、一触即発の様相だ。
「結局お前は!興味だけで出てきやがったんじゃねぇか!」
「ガァルク、落ち着きなよ」
「確かに最初はそうだったけどな!俺だって役に立ちたかったんだ!」
「ユ、ユウ、おさえて…、ね?」
「役にたつだぁ!?ゴブリン一匹殺したくらいで役に立つたぁ笑わせるぜ!」
「一匹じゃない!二匹だ!」
「変わらねぇよ!」
おさえられながらも口喧嘩は止めない二人は、もはや一応大人という自覚すらないようで周囲をあきれさせた。
しばらくガルクを羽交い絞めにしていたジズも段々と馬鹿馬鹿しくなり、いっそ気が済むまでやり合わせたらどうかと思い始めたとき
「興味本位で来たのは百歩譲っていい!だが隠れて見てりゃいいだろ!ゴブリン程度の爪を通すほど俺たちの鱗はやわじゃねぇんだ!」
竜人の鱗は堅い。
基本的には矢は通さず、人間が持てる程度の斧ですら砕けない。さすがに巨大な鉄槌で殴られたらどうかわからないが、竜人にとって最も信頼に足る防具と言えば自らの鱗だ。
唯一武器が通るとなれば胸や腹、鱗のない部分。ここだけはほかの生き物と同じように刃が通り、そのせいでアトルマは命を落としてしまった。
「じっくり見たことなかったか?腕も、脚も、頭もそうだ。瞼だって矢程度なら通さねぇ。だから姉さんはとっさに眼を閉じたんだ…だから」
「わかってる…。鱗が硬いことくらいサラマと弓の練習してる時に聞いた」
踏ん張る力が消えていくのを感じ、ジズはガルクを解放した。勇一もサラマを押しのける勢いで食って掛かっていたのがウソのようにおさまり、かろうじて聞こえるように喋っている。
想定外の答えにガルクは、眉間にあるはずのない皺が消え、口を閉じられない。
「わかっ…、じゃあ尚更……」
「サラマを守りたかったんだ」
その場にいた勇一以外の全員が呆気にとられ脱力する。
わずかに空気が停止し、思い出したかのように再び動き出した。
「…えぇーっ!?」
「はぁー!?」
「……」
ガルクは頭を抱え、天を仰ぎ見る。
反対にジズは、神妙な顔つきで勇一の顔を覗き込んだ。
―――この少年は、自分で何を言ってるのかわかっているのか?
「なあ、今の話聞いてたか?」
竜人の鱗は大抵の攻撃は通さない。
勇一もそれを知っている。
―――ならば何故…「守りたい」なんだろうねぇ?
体格も、身体能力も、すべてにおいて竜人が上だ。
覆せない現実を今まで見てきたのに
―――何故「守りたい」?自分よりずっと強いサラマを?
「少年…それ、本気で言ってるのかい?」
頭を抱えるガルクとは対照的に、ジズは静かに勇一に聞き返した。
しかし勇一が答えようとしたとき、一人の竜人が青ざめた表情で叫ぶのが聞こえてジズは振り返った。
「ジズ!大変だぁ!!」
「あんだい?騒がし……亀裂、が」
ジズの表情がこわばる。
ゴブリンの流出が止まったと思われていた光る亀裂。それがパキパキと氷を割るような音とともに広がり始めたのだ。その隙間から見える、こちらを睨む無数の眼…!
「な…ぜ!…全員!!逃げろォ!!」
集合よりも、サラマに火炎放射を指示するよりも、ジズは逃走を指示した。しかしジズが叫ぶよりも早く、亀裂から再びゴブリンがあふれ出した。それは前回よりも大量に、迅速に大地を汚してゆく。
―――これは…逃げられない
―――アタイたちよりもはるかに速い…亀裂から押し出される奴らが、先頭を押し出しているんだ!
ジズだけでなくその場にいる全員が、アトルマのような最期を想像し戦慄した。しかし
「全員!伏せなさい!」
現実は勇一を突き放したが、見捨てたわけではない。
背後から飛び込んできた聞き覚えのある声に、皆すぐに希望を取り戻したのだった。
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