30 再会と別れ-5
勇一はダランに断りを入れ、アイリーンからもらった通信筒を手に取った。簡単な状況説明と勇一・ダラン二人の名前が書かれた紙を詰め、蓋をきつく締める。すると筒はひとりでに上空へ飛び上がり、突風と共に西の方へと飛び去った。(飛んでいく筒を見て勇一の心情)
しばらくして彼は大きな天幕へ通された。広間には長方形の会議机と多数の椅子が並べられている。間もなく重要な集まりが行われるこの場所の空気は冷たく、重苦しかった。
誰もいない広間を通り過ぎ、一番奥のさらに奥……天幕に瘤のようにくっついた小さな空間へ入るよう兵士は言った。年季の入った椅子の後ろから、会議が行われる空間を一望できる場所だ。
勇一をそこへ押し込めた兵士は、広間との間に仕切りを設けた。そしてダランに呼ばれるまで待機するように言うと去っていった……。
ほんの僅かな間静けさが天幕内を支配していたが、ダランとガルクとヴァルカンを含んだ数十人の族長たちが現れると、すぐにそこは言葉の行き交う会議の場へと変わった。
誰かが始めの音頭を取るでもなく自然と戦争の可否を問う議論が生まれたのは、その場にいる全員が一番に解決するべきだと考えていたからだ。
勇一は仕切りの向こうから聞いていたが、理解できる話のほうが少なかった。しかし雰囲気を察するに、総じて開戦に否定的な意見が大勢であることに安堵を覚える。それは言うまでもなく良いことだ。そしてそれは、ダランたちの根回しの成果だった。
しかし……。
「お待ちください! 現にヴィヴァルニア軍はそこにいるのです、こちらが兵を引いたとなれば侮られましょう!」
突然上がった反対の声に周囲は一斉に静まり返る。
ダランは、立ち上がって反論しようとするガルクを制止した。そしてヴァルカンと目配せをすると、鋭い眼光を声の主へ向けた。
「ゴルガリアよ、パンテラの代理人でもない貴様には何の発言権もない。彼が現れぬから置いておるのだ」
その名前を聞いた瞬間、勇一は幕に空いた穴に張り付いた。
(あれがゴルガリア!)
立ち上がった獣人の顔を、勇一はしばし足の痛みも忘れて食い入るように見つめた。その姿は勇一が最初に見た時と同じく、飾りのない黒いローブを纏っていた。ただ一つ違うのは、今回の男は仮面をつけていない。ずっと知りたかった仇の顔を、穴の向こうから遂に見ることができたのだ。
(獣人らしいのはわかってたけど、見たままのゴリラだ)
ゴルガリアの素顔を知っても、勇一の感情は揺らぐことがなかった。既にやることは決まっている。今更顔を知ったところで目的は変わらない。むしろ相手の顔を知ったことで、彼は自身の覚悟が硬く、重くなっていくのを感じた。
「だが……そうじゃな、貴様には疑いがかかっておる」
「疑い?」
「そう、貴様は夜の手と関係を持っておるな」
ダランによる突然の主張に会場は騒然となった。夜の手といえば主にリザードマンで構成されている犯罪組織だ。そんなものと通じていたとなれば追及は避けられない。
ゴルガリアは冷静を装っているが、その目がヒクついたのをダランは見逃さなかった。
「突然何を仰っているのです。今は――」
「わしが何を言っておるのか分からんのか。今この場で、貴様に疑いをかける意味を、本当にわかっておらぬのか」
ダランの気迫がゴルガリアの口をふさいだ。困惑の表情で固まる相手に彼はさらに語気を強めて言う。
彼の横ではガルクが戸惑いの感情を露にしていた。。
「思えば今日に至るまで、おかしなことばかりじゃった。ヴィヴァルニアのスクロール輸送隊襲撃。ガルク・フォーナーへの書状輸送妨害。ヴァパの亀裂や居住区の焼却。突然国境に現れたヴィヴァルニア軍と同盟軍のあまりに早すぎる出撃。調べはついておるぞゴルガリアよ、貴様は同盟とヴィヴァルニア双方を壊滅に追い込むべく暗躍しておったな!」
開戦か否かを話し合う場で、有角族の長が突然個人を攻撃し始めた。と思ったら、この状況の罪がその者にあると主張したのだから、その場のほとんどの者たちが呆気にとられた。しかし彼らの視線が何度も往復する内にざわめきは静寂へ変わった。有角の長は無思慮に言った訳なではないと気づいたのだ。
「な、なにを仰っているのです! 調べ? 私には疑いをかけられるようなことは何もありません!」
ダランは続ける。
「わしの言葉を妄言と断ずるか!」
ドンッ。
ダランが机に叩きつけたのは、勇一とガルーダルがナミルの書斎で発見した手紙だ。ゴルガリアが夜の手との関りを示す内容で、獣人族の長パンテラに宛ててある。
険しい表情のダランが手紙を読み上げると、事情を知らない者たちは驚愕の表情をゴルガリアに向けた。
「一連の出来事には、仮面の男なる人物が関わっておる。皆もヴィヴァルニアの輸送隊が襲撃された事件は知っておろう。あれを企てた男からも仮面の男の証言を得ている。あちこちで異常な数の亀裂が報告されておるが、同様の男を少なくない数目撃報告を受けておる」
「その仮面の男が私だと? 一体なにを根拠に! もしやダラン様は、パンテラ様が勝手に焼却や軍を動かしたことの責任も私にかぶせるつもりではありませんか。その手紙も、私が書いたという証拠はない!」
「この期に及んで悪あがきをするでない。証拠が足りないのなら出してやろう」
ダランの側で控えていた部下が、証拠を全員に見えるようにして机に並べる。
「クソジ……ヴァルカン殿、ダラン様はまさか」
嫌な予感がしたガルクは後ろのヴァルカンに囁く。
「黙って見ておれ」
取り付く島もないヴァルカンの態度。ガルクは早々に諦めて事を見守ることにした。
(それにしても、勇一はどこに行ったんだ。クソジジイはあんなこと言ってたけど、どこにも見当たらない)
彼の不安をよそにダランの追及は続く。彼は部下の置いたそれを手に取った。白く、のっぺりとして、目の部分にだけ穴の空いた仮面だ。勇一が竜人の村で見たものと一致する。
「これが貴様の私物にあった。形も目撃証言と一致する。そしてもう一つ……来なさい」
ダランが後方の幕に向かって話しかけた。ガルクは疑問符を浮かべて同じ方を見る。そこから勇一が現れると、途端に表情を曇らせた。
その者はブラキアではないか、との声にダランははっきりと頷く。そして周囲が次の声を上げる前に、彼はガルクを指した。
「この者はガルクと同じ印を持っておる。即ち、かの英雄殿に認められたということが皆にもわかるだろう。そしてこの男は仮面の男を知っておる」
その場にいた者たちの視線が、勇一とガルクの間を何度も行き来する。「竜人以外に?」「この者は一体」などと小声で話す声が聞こえてきた。
「ユウ殿。英雄殿の村を出る際、仮面の男を見たというのは本当かな」
「はい。俺はファーラークさんの村から脱出する直前、仮面の男を見ました。この仮面と、その声。間違いなくこいつが――」
「そのような得体のしれぬ者を信じるというのですか!」
証言を遮ってゴルガリアが机を叩く。彼の顔に明らかな焦りが浮かんでいるのは誰が見ても明らかだった。
「ダラン様。あなたは一体、この場を混乱に陥れて何をなさろうとしているのです! そもそもここはそのような話をする場ではないと――」
「逃げるな! これを見ても、まだ自分は無関係だと言えるか!」
勇一は今こそあれを使う時だと思った。アトラスタと一緒にゴブリン討伐へ参加した際、竜人の村跡地で見つけたものだ。奇跡のような確率で拾ったあれを、懐にしまっていた小袋から取り出して机に置く。
「ユウ殿、それは何だね?」
十個ほどの白い塊が転がっているのを見て、ダランは疑問を呈した。どれもが手のひらで転がせる程度の大きさをしており、その中に二つだけ人差し指と同程度の大きさをしたものがある。彼は白い髭を撫でて、どこかで見たような気がする……と首をひねった。
「ほう。小僧、あのブラキア、面白いな」
しかしヴァルカンの方はそれの正体にいち早く気付いた。彼は愉快な気分でガルクを小突く。
しかし彼はしかめ面で無視した。
「俺は仮面の男と戦い、その右手を切り落とした。これはその切断された手の――骨です」
それはゴブリンどもの顎に砕かれずに残っていた。どよめく周囲の声の中、勇一はそれらを並べ始める。やがて不完全な手の形が現れると、そばにいたダランが小さく驚きの声を上げた。
そしてもう一つの発見がさらにダランを驚かせた。彼が並べたうちの細長い二本の骨は、先端が不自然に途切れている。
「この断面……斬られておるのか!」
ダランは切断面に注目すると、即座にゴルガリアへ険しい顔を向けた。そして直ちに彼へローブの下に隠れた右腕を見せるよう言い渡す。
切り落とされた自分の右手と再会するとは思っていなかったゴルガリア。彼は肩を上下させ、一歩下がった。そして全ての視線が自分に向けられていることに気付くと、明らかにうろたえた様子を見せた。
「そんなこと、ある、わけが」
「どうしたのだゴルガリア、その腕を見せてみよ。この切断面がその腕と合わなければ、貴様と仮面の男の関係はないと証明できよう。できぬのか」
兵士がゴルガリアを拘束する。彼らの手によってローブの裾がまくり上げられると、剛毛の腕が露になった。その先端には、当然あるはずの手はない。もう一人の兵士が勇一のもたらした骨をその先端に合わせると、切断面がぴたりと一致した。
周囲はどよめき、今度は勇一へ視線が注がれる。
「どうやら答えは出たようじゃなゴルガリア」
「ぐ、くっ……!」
羽交い絞めにされたゴルガリアは顔を歪ませ、怨念のような息を吐いた。
仮面の男はゴルガリアであると勇一によって証明され、その罪が明らかになった。もはや言い逃れはできない。
戦争回避の希望が生まれると、族長たちを包む空気は完全にそちらへ傾く。そして一様に胸をなでおろすのだった。
***
(ヴァパ居住区の焼却や軍を勝手に動かした件、獣人族の者たちから証言はもらっておった。あれ以上ゴルガリアが悪あがきを続けるようならそれらを叩きつけてやってもよかったが……)
会場の雰囲気は光に照らされたように明るかった。スクロール強奪にまでゴルガリアが関わっていたのだから、その件に全くの無関係なわけがない。だから他の族長たちは残りの問題も解決にさほど時間はかからないだろうと考えていたし、事実そうだった。
(ま、それらは追々……か)
「まずは報復であろうダラン!」
気迫に満ちた老人の声が響いた。全員の目がそちらに向かう。待ってましたとばかりに身を乗り出したヴァルカンだ。彼は鼻息を荒くして机を叩く。
「問題は片付いた。これよりここは、竜人族の報復を行う場となる。ああ全く、種族の名を背負った血の返礼より高ぶるものがあるか!」
しかしガルクが彼を止めた。
「まて。ゴルガリアは拘束されている。報復はこの騒動を収めてからでも遅くはない」
「いいや、今だ小僧。今やらねば――」
ダランは二人のやり取りを見ながら、ゴルガリアの処遇をどうしようかと指に髭を絡める。率直に言って、今勇一に報復をやらせるのはよろしくない。ヴィヴァルニアとの会合の際に悪影響を与えるからだ。一連の首謀者を差し出さなければ、罪を一人にかぶせて幕引きを計ったと思われても仕方がない。
しかしゴルガリアの罪が明らかになったのは、彼の決定的な証拠によるものであることも事実。ダランは勇一の希望は叶えてやりたいとは考えていたが、今の状況がそれを許さない。老人は、まっすぐにゴルガリアをにらみつける青い瞳を眺めた。
(ヴァルカンが気に入るとはな)
その目は怒りに満ちて、隙あらばその脳天を切り裂いてやろうとする気迫を放っている。ダランは一旦勇一を落ち着かせようと手を伸ばした。
「何笑ってるんだ」
その声は震えていた。この場の誰もが戦争回避の目途が立ったことにより浮かれていたが、彼だけはずっとゴルガリアへ殺意に満ちた眼光を向けていた。彼の声にダランも視線を移す。
「何故笑っている」
焼けつく視線の先。兵士に拘束されたゴルガリアの顔には不気味な笑みが浮かんでいた。この状況で何故そんな顔ができるのか、ダランは気味悪がった。ゴルガリアはそんな彼の心を見透かしたように邪悪な炎を瞳に宿した。
「ククク。その妄言がもう聞けなくなるのは、とても……とても残念ですから」
「妄言だと。貴様――」
ドォォォン――
なおも不敵に笑うゴルガリアをダランが一喝しようとしたとき、遠くから爆発に似た音と衝撃が天幕を揺らした。
太鼓だ。獣人の鳴らす巨大な音が戦場を駆け巡ったのだ。
「鼓舞の太鼓? おいダラン、我輩はなにも聞いておらんぞ」
ヴァルカンが報復を煽るのをやめ、ダランに詰め寄った。その顔は不快な感情が露わになっている。
天幕内の空気が固まる。この音を全員が知っているのだ。勇一でさえ聞き覚えがあった。そして皆が胸騒ぎを感じてざわめく。
「わしとて知らぬ、一旦何が?」
ドォォォン――
ドォォォン――
「報告ーっ!」
三度目の太鼓が鳴ったと同時に、青ざめた顔の兵士が飛び込んできた。彼は族長たちへの挨拶も忘れ、乾いた口で叫ぶ。
「ヴァルカン隊を先頭に、複数の部隊が前進を開始しました!」
「なに!?」
ヴァルカン隊は、その名の通りヴァルカン・ヴォルカニク擁する部隊だ。彼に忠誠を誓う様々な種族の男たちが集まっている。彼の戦い方を至上とし、戦闘には必ず先陣を切る。
そのヴァルカン隊が前進を始めた。
「何故止めぬ! 命令は待機のはずだ!」
「それが……誰も彼もが突然動き出したのです。まるで……まるで何かに操られているかのようです!」
「ぬう……ヴァルカン!」
「阿呆どもを止める、我輩は行くぞ!」
「ガルク、誰が指揮しているのか知りたい。わしは――」
ダランは驚愕し、ヴァルカンは次の瞬間にはその場を飛び出していった。
天幕内は再び混乱に陥った。各々の種族は部下に現状の調査を命じ、同時に根拠のない憶測が飛び交っている。皆が右往左往して、気が動転しているのは明らかだった。
勇一はそんな中でもゴルガリアから目を離さなかった。怪しい動きをしたら、会議机を飛び越えてマナンを突き刺してやると息巻いている。
「平和のために、皆が安心して生きられる世のために!」
ゴルガリアは腕を振るい、目にも止まらぬ速さで兵士の拘束を振り解いた。兵士たちは弾かれるように飛び、側にいる誰かに覆いかぶさるように倒れる。
その瞬間勇一は机に身を乗り出した。
「ゴルガリア!」
「死んでもらわねばならぬ……特に、英雄の息子など!」
ゴルガリアの右腕がガルクに向けられた。混乱を極めた天幕の中、彼を見ているのは勇一だけだった。
その右腕に装着されたものを見た勇一は驚愕する。弓だ。括り付けられた小さな弓が、ガルクに向けられている。
勇一はゴルガリアへ飛びかかろうと机に足を掛けた。しかし折れた脚の激痛が彼を妨げる。
一旦机に突っ伏した彼が顔を上げると同時に、その目が矢の先端に光る黒を捉えた。魔鉄の矢じりだ。その鋭さはあらゆるものを貫く。当然、竜人族の鱗も。
ガルクは周囲を落ち着かせ、ダランを外に誘導しようとしている。勇一だけが友の危機に気付いていた。
彼はがむしゃらに机の上へと身を乗り出し、ゴルガリアとガルクの間に割り込むように飛んだ。再び激痛が全身を走ったが、今度は彼を止められなかった。
「ガルク!」
――ドウッ。
「勇一?」
自分を呼ぶ声にガルクが振り返ると、すでに勇一は地面に倒れ伏していた。はっとした彼はすぐにその体を抱き起す。温かく、ぬるりとした感触がガルクの手を伝った。
「ゆう、いち……」
周囲の怒号も、ゴルガリアの逃走も、追跡を命じるダランの声も、ガルクにの意識に届かなかった。
彼は震える真っ赤な手を友の胸に当てた。そして深々と刺さった矢を抜き取ると、懇願するようにその体を揺らす。
反応がない。
ガルクは勇一の体に自らの黒い腕をまわした。
「やめてくれ、待ってくれ! ああ女神様、どうしてオレの大切な……人たちを…………奪って……………………」
だらりと下がる勇一の腕を伝い、地面に赤が広がっていく。
ガルクは徐々に冷たくなっていく勇一の身体を抱きしめた。
今の彼には、それしかできなかった。
――――――六章「疾風の騎士」 終




