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29 再会と別れ-4

 後ろから勇一の怒声を浴びながら、ガルクは天幕を後にした。 風に当たろうと丁度良い場所を探して歩き続けた末、気づけば彼は同盟軍を一望できる丘の上にいた。冷たい風に当たり、適当な岩に背を預ける。 一度深呼吸して、彼は無言のままカパル平原を見渡す。同盟軍およそ十万は昨日の今日で集結したばかりだ。松明の並ぶ陣はまだ出来上がっていないが、大まかな形が出来ているだけでも大したものだ。 むしゃくしゃする感情と眼下に広がる現実を前にして、彼は肺一杯に空気を吸い込んだ。


(何とかして開戦を回避しないと。双方が軍を引ける案が――)


 すでに軍同士が向かい合ってしまった状況で、その考えがいかに馬鹿げているか。しかしガルクは願望に意識を傾注するほど楽観的ではないが、最後まで諦めるつもりはなかった。

 彼が冷たい空気に身を任せ、短い思案に入ろうとした時、忌々しい声が意識をかき乱した。


「やはりそこにおったか!」


 ガルクのいる丘の下から、それだけで人を竦める声が響く。ヴァルカンだ。 彼は夜であるにもかかわらず、そこにガルクがいるのをわかっているかのように斜面を登り始めた。


「クソジジイ……なんでわかった」


 地響きのような足音は静寂な夜には特に耳障りだ。ヴァルカンはガルクのもとへたどり着くと腕を組んでグハハハと笑った。


「愚か者ほど高い所に登って、全てを見渡した気になるものだからな」


 苦虫を噛み潰したようなガルクの顔はヴァルカンに見えなかった。そこに松明のような光源はない。星々の僅かな光が、平原の向こうにある山々を強調しているだけだ。


「それで、ゴルガリアへの報復はいつ」


 ずい、とガルクのそばへ寄り、ヴァルカンは期待のこもった目で彼を見下ろす。

 何を言い出すかと思えば……そう言いだしたい気持ちを抑えガルクは腕を組む。


「まずは全面戦争を回避してからだ。それまでは報復どころじゃ――っ!」


 と、ぞわりとした殺気を感じ取ったガルク。咄嗟に頭を下げた彼の頭上を、鉄塊と見紛う拳が掠めていった。


「あぶえねな! 直ぐに手ぇ出す癖止めやがれクソジジイ!」


「小生意気にも避けるようになったではないか、ええ? 答えろ」


 この自己中心的な老人は、白黒はっきりさせないとこうして拳を飛ばしてくる。ガルクはわざと聞こえるように舌打ちし、口を開いた。


「今はだめだ。まずこの止まれる所で止める。俺はもう蟲人の代表になったんだ、軽率な決断は下さない」


 彼は焦っている。このまま何もしなければ、あと数刻もしない内に夥しい血が平原を覆う。二つの軍が対峙した時点で開戦は決まったようなものだったが、それでも彼は諦めていない。正確に言えば、彼とダランは。

「双方未だ血が流れていない」その事実だけが彼を戦争回避という望む結末に引き留めていた。指一本で崖にぶら下がっているような焦燥がガルクの背を焦がす。復讐だのと言っている暇はない。


「お前は本当に竜人族か、ファーラークの息子か! 降って湧いたような幸運に寄りかかりおって。まず何を置いても名誉の回復に努めるのが竜人と言うものであろう!」


 鼻息荒く語気を強めたヴァルカンに、ガルクはむかっ腹が立った。この老人は自分の話を聞いていない。その上、彼は的確にガルクの神経を逆撫でする言葉を選んでいるのだ。


「親父は関係ねぇだろうがっ!」


「お前はそうでなくとも、皆は違う! 誰も彼もがファーラークを見ているのだ。お前ではなく、その後ろにある影をな」


「くっ」


「そしてお前は、自分はあやつとは違う事を周囲に認めさせようとしている。それを望みすぎて、どういう結果をもたらすのか考えぬまま行動しておる。だからそもそも竜人としてあり得ぬ手を選んでしまうのだ。浅はかよなぁ」


 しかもその尽くが事実なものだから、ガルクは否定しようがない。彼は先程まで寄りかかっていた岩を思い切り殴りつけた。岩にはヒビが入りわずかに傾く。


「やらないとは言ってねぇよ! だがな、今は個人よりも全体を考えなきゃならねぇんだ! 復讐がどうでもいいなんて思っちゃいない。けど、オレに任せてくれた人たちのために間違うわけにはいかねぇんだ!」


「あのブラキアか」


「ああ?」


「あのブラキアが現れてから、お前は動揺しておったな。ゴルガリアの名前を聞いた瞬間伝わってきた気配からするに……あの男が生きていて嬉しいのが半分、報復の決意とあ奴への感謝と呆れを混ぜてもう半分と言ったところか。ふん、感情を素直に出せぬとは女々しい小僧だ」


 恐るべき年の功だ。彼はガルクですら整理のついていなかった感情を言葉にしてしまった。

 勇一の事を考えるガルクの拳には自然と力が入る。助けた相手と久しぶりの再会だというのに、彼は素直に喜べなかった。


(オレたちの事なんか忘れて、どこかで生きていれば良かったのに。なんで来ちまったんだ)


 たった半年会わない間に、勇一の姿は彼の知っているそれとは大きく変わってしまった。目の前にいる男は本当に勇一なのかと目を疑った。


「それにしてもあの男の目、報復の決意した揺らがぬ目だ。中途半端なお前と違って、気骨稜稜よな。お前よりもよっぽど竜人族らしいわい。グハハハハ!」


「……」


 蟲人の代表であるが故に下手なことはできない。しかしガルクは復讐を諦めている訳でもない。蟲人の代表かそれとも竜人としての振る舞いか、彼は板挟みになっている。

 そんな彼の心を見透かしたようにヴァルカンはもう一度大きく笑った。そして黙ったままのガルクに宣言する。


「決めたぞ。あのブラキアの為に、ゴルガリアを殺させる舞台を作ってやろうではないか」


「何っ!」


「会議は滞りなく進む。その後、そこは竜人族のしきたりの場となる。皆は竜人族を尊敬し! 畏怖するだろう!」


「その前にあいつはブラキアだ! 印があるとはいえ、殺し合うかもしれない種族がそんなことをしたら……」


「そこはお前がどうにかするのだ。こいつはお前と同じ印を持っていると宣言すればよかろう」


 ヴァルカンは自らの胸元を指した。ガルクのものとは違う形をしているが、彼の胸にも翼のないドラゴンの入墨が彫ってある。


「オレがだと!?」


「でなければあの男は暗殺者として処理され、ヴィヴァルニア侵攻の良い口実となる」


「無責任な……!」


「報復のためには国の行く先すら枝葉の末端の如く。竜人族(ドラゴニュート)とは本来そういうものだ! グハハハハ!」


「てめぇっ――!」


 ガルクはその恐ろしい考えを止めようとして拳を振り上げた。彼すら子どもに見えるヴァルカンの体を前にして説得などできない。しかし殴ってでも止めようとした拳はあっさりとかわされてしまった。


「ウグゥッ!」


 百戦錬磨のヴァルカンにあっさりと反撃をくらうと、ガルクは膝をついてしまう。


「腹を決めろ、臆病者。お前はどちらの厄介事も背負いたくないからうだうだしておるのだ。道はいくつもあれど、体は一つ。男なら覚悟を持てぃ!」


 ガルクの首根っこを掴んだヴァルカンは、彼を岩に叩きつける。苦しそうにうめき声を上げるガルクを一瞥すると、のしのしと闇へと消えていった。


「……くっ」


 地響きのような足音が聞こえなくなると、ガルクはゆっくり起き上がる。ヴァルカンは英雄の息子である彼にも容赦しなかった。鈍痛が残るみぞおちをさすり、反対の手で岩を殴りつける。


「俺はまたアペレジーナみたいなことを? そんなこと、でも」


 ガルクの過去が彼の拳を一瞬緩めた。が、彼は頭を振って過ちを振り払う。


「勇一は……大事に、決まってんだろっ!!」


 再び岩に拳を叩き込む。何度も何度も打ち付けるうち、岩は二つに割れ、三つに割れて……最後には粉々に砕け散ってしまった。

 結局彼は頭を冷やせなかった。そればかりか目の前に立ちはだかる問題が増えてしまった。ガラガラと崩れ落ちる岩を見届けたガルクはすぐにヴァルカンの消えた方へ歩き出す。まもなく同盟の行末を決める会議が開かれるのだ。

 山際にはうっすらと白が混じり始めた。太陽の気配が迫っている。

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