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28 再会と別れ-3

 驚く勇一を前に、ダランは感嘆の声を漏らした。


「ドワーフ細工を知っているものでなければこれには気付かんて。マザー・マリアがなぜわしに届けろと言ったのか、これではっきりしたわ」


「それは一体?」


「まあ待っておれ――ふむ、ふむ。よっこいしょっと」


 ダランは折りたたまれた紙を丁寧に開き、内容に目を通した。深く頷き、立ち上がってガルクの方を向く。

 彼の雰囲気を察したガルクも立ち上がり、硬い表情のままぎこちなく姿勢を正した。

 勇一は二人の様子を静かに見届ける。


「『英雄ファーラーク・フォーナーの子。我ら蟲人の希望にしてマザーの信に足るもの、ガルク・フォーナー。この者をマザー・マリアの名のもとに、マザー代理人として正式に任命する』。よいか」


 任命状だ。筒の隠された隙間から現れたのは、ガルクに届けられるはずの書状だった。つまり、パンテラが燃やしたのは偽物だったのだ。勇一は開けた口を閉めることも忘れて二人を交互に見やる。


「承った。マザーの信を損ねぬよう、期待を裏切らぬよう、全力で指名を全うすると誓う」


 ガルクは任命状を受け取ると直ぐに丸め、腰に下げた小さな袋に突っ込んだ。その様子を見てダランは目を細める。


「うむ、よしよし。こういうものは早くに終わらせるに限るわい。さてユウ殿」


 ほっとした表情のダランは、今度は勇一に向き直る。


「突然のことすまんかった。しかしこれでわかったじゃろう。ガルーダルは見事に任務を終わらせた。彼女らの名は、我ら同盟の中で語り継がれる」


 切れたように見えていた思いは繋がっていた。ガルーダルは命を落としたが、それ以上の価値がある偉業だとダランは称える。

 ああよかった……勇一はそう一旦胸をなでおろした。しかしその心はまだ完全に晴れたわけではなかった。彼はまだ、ガルーダルの罪について何も話してはいないのだ。


「さてガルクよ」


 ダランは神妙な顔のガルクに声をかける。


「我らの希望を繋いだ者を、どうするかね」


 失われた命に対して何をするのか、勇一はガルクに不安と期待の入り混じった視線を向けた。哀悼か、彼女らのための式を開くのか。惜しみない賛辞か。代理人となったガルクの最初の仕事である。

 しかししばらく考えたガルクが口を開くと、それを聞いた勇一は唇を噛み締め拳を震わせた。


「ガルーダル以下三名の優秀な伝令たちは、多大な犠牲を払い任務を完遂した。これは比類なき成果であり、同盟に参加するすべての者たちから称賛されるに相応しい行為だ」


「……」


「疾風の如く迅速な任務の遂行、死も恐れず戦い抜いた勇敢さ……これらを称え、ここに疾風騎士団を創設する。有角の長よ、異論はあるか」


「無い」


 ダランの答えにガルクは大きく頷く。


「四人に騎士の称号を与え、ガルーダル・ウォレンズを団長とする。そしてマシュ、ミリー、ローブランをその下に置く」


 正式な代理人となったことで、ガルクは権力を手にした。マザーの代理人となれば、その力は計り知れない。

 彼はガルーダルたちの働きに、騎士の称号を授けた。階級制度が厳しい蟲人の中で彼女らは貴族となったのだ。しかもマザーから直接授かったと同義である。彼女らにとって、これ以上の幸福はない。

 しかし勇一はそう思わなかった。


「次期の団員を考えなければならないが、今はそれどころではない。折を見て――」


「ガルク、待て」


 脚の痛みを堪え勇一が立ち上がった。


「次期? まさか、ガルーダルたちにしてやるのはそれだけか」


「蟲人にとってこれ以上の栄誉はない。騎士団の存在は、彼女たちが残した価値を永遠に記憶させる。獣人の部下にも同様の地位を与えるのだ、彼らにも――」


「そういうことを言ってるんじゃない!」


 彼は上ずった声でガルクの言葉を遮る。ガルーダルたちの功績は確かに後世に語り継がれる偉業だ。だが勇一はもっと違うものをガルクに期待していたのだ。


「だったらなんだ」


「そういうことじゃないんだ。言葉だけでもいいから、ガルーダルたちのために嘆いてやれよ! 悲しんでやれよ!」


 労いの言葉一つないのは、ここまでガルーダルと一緒にいた勇一にとってあまりに薄情に見えた。彼女の行いは同盟を救うのに必要不可欠だったはず。なのにガルクときたら、まるで役割を終えて死ぬ盤上の駒を扱うような態度だった。彼にはそれが許せなかった。


「今は一刻を争う事態なんだ勇一。優先順位を間違えるな、オレはこれから会議に向けての準備がある」


「皆の復讐以上にやることがあるってのかよガルク! ガルクーーッ!!」


 振り返りもせず天幕を後にしたガルクを勇一は追いかけようとするが、踏み出した足に激痛が走りその場で転倒してしまう。それでも彼は立ち上がろうとするが、今度は全身の力が抜けて動けなくなってしまった。


「くそっ! 馬鹿野郎、ガルク! 馬鹿野郎っ!」


 勇一も自分の怒りが的外れであることはわかっている。だが最後までそばにいた者として、死んだ者に人間らしい対応を期待するのは間違っていないとも感じている。

 何度も拳を地面に打ち付ける勇一。それを制したのは天幕に残っていたダランだった。


「ユウ殿」


 ダランは血が滲み始めた勇一の手を取ると、自らも腰を下ろして彼を見つめた。穏やかな、それでいて確固たる意志を持った男の目だった。


「あいつはどうしてしまったんです。もっと人情を持った奴だと思っていたのに」


「彼は、ガルーダルの行為に報いたに過ぎぬ。これから、ことによっては数えきれないほどの人が死ぬかもしれん。彼はその一人一人を労うわけにはいかんのだ」


 ダランの言いたい事は勇一にも理解できた。大勢に存在する一つ一つの駒が、未来の為に必死に役割を全うしている。しかしそこには感情の入る余地が無いのだろうか……彼はそう思った。


「でも、やっぱり納得はできません」


「ならば、ユウ殿がそうしてやりなさい」


「俺が?」


 勿論勇一はガルーダルが死んで悲しい。だからといって、他の者がそれを感じては駄目だとは思ってはいない。むしろ誰かが心を痛めてあげるべきなのだ。だから彼はガルクに怒った。

 だが、それならなぜ自分に頼んだのかと、勇一はダランの意図がわからなかった。

 そんな彼の疑問に彼は答えた。


「ガルーダルと最も近くにいたのは誰じゃ。ガルーダルと最期まで一緒にいたのは。彼女の為に本当の意味で涙を流せるのはそなただけじゃ」


「俺だけ……」


 勇一は雷に打たれたような気分になった。自分がガルーダルにしてあげられることなど何も無いと思っていたからだ。

 彼女はもうこの世に存在しない。いくら嘆いても帰ってこない。

 それでも、ガルーダルを知る者の中で彼女と共に戦った自分は、彼女を悼むことができる。気づけば彼は、目頭が熱くなっていた。


「さあて、ヴァルカンの方も終わった様だの」


 ダランはこめかみを掻くと立ち上がり、勇一に背を向ける。


「もうしばらく休むと良い。見張りも遠ざけよう……ガルクもそなたに協力するであろうから、必要な時に呼ぶでな」


「あの、ダラン様」勇一の震える声にダランは振り返った。


「その、ガルーダルは……えっ、と」


 勇一はガルーダルの罪の話をしていない。しかし今さら彼女を告発して何になるのか。彼女の罪を知っているのは勇一だけ。彼は出掛かった言葉を飲み込んだ。


「うん?」


「ガルーダルは、仲間の装備品を彼らの家族の元に返したいと言っていました」


 彼は側に置かれていた剣、ベルト、バンダナを差した。


「ふむ。それならばわしが手配しよう。名誉ある騎士団長の最期の願いじゃ、必ず届けさせる。……他にあるかな」


「……何も。ありがとうございます」


「よろしい。ではな」


 にこりと微笑んで消える老人。勇一は挨拶も忘れ、目を擦って俯いた。これでよかったんだと彼は自分に言い聞かせた。そして周囲から人の気配が消えた瞬間、滝のように流れる涙が土を濡らした。


「お、俺だけが……ガルーダル、俺は」


 もうガルーダルはいない。勇一は彼女の装備品を抱きしめる。

 もう話せない。

 もう触れられない。


 咽び泣く声は闇に溶けていった。彼は声がかれるまで泣き続けた。



 ***



 蟲人の村で収穫祭が始まった。勇一とガルーダルは広場に集まった人々と一緒に踊り、歌った。刈り取られた麦畑には家畜が草を食む姿が見え、暖かい風が大地に吹き抜けていく。青空には太陽が輝き、実りを祝福しているかのようだった。音楽が高らかに響き渡り、人々の心を満たした。

 勇一はガルーダルを抱き寄せ、彼女の複眼に移る無数の自分を見つめた。彼女は優しく微笑んで、耳元で囁いた。


  「告発しなかったこと、後悔してない?」


  「してない」 勇一は素直に答えた。

 彼女と一緒に、何度も困難も乗り越えてきた。彼女と出会って本当に良かったと彼は考えている。

  「バカね」 ガルーダルは勇一の胸に頭を埋めた。

 彼女もまた、彼と出会えて良かったと思っていた。できるなら、ずっと彼と一緒にいたかった。

  周囲が白く染まっていく。目覚めの時が来たのだ。音楽も喧騒も次第に遠ざかっていく。 だが二人だけは手を離さず、互いを見つめ合った。

 やがてガルーダルの顔も白く消えていく。あまりの眩しさに勇一は遂に目を閉じた。その時、彼の唇に柔らかいものが触れた。





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