26 再会と別れ-1
ダカカカッ、ダカカカッ。
街道沿いは闇が支配している。ぽつりぽつりと立つ導きの松明に倣って、灰色の馬が疾風のように駆ける。気を失った勇一と手綱を握るガルーダルを乗せていても、まるで羽が生えているかのようにその足は軽い。ヴァパと平原までの距離を驚異的な速さで縮めていく。
ガルーダルは勇一の様子をうかがう。もうすぐ復讐相手と対峙するというのに、その寝顔は安らかですらあった。
(無理もないわ。何度も戦った上に歩き詰めだったんだもの)
兵士であるガルーダルですら気力で持ちこたえている。
彼の体力はとっくに限界を超えているはずだ、むしろここまでよく持ったものだ。と彼女は感心と心配が入り混じった表情を浮かべて、背中にもたれ掛かる彼の額に触れた。
(ああ女神様、私はひどい人間です。仲間を裏切り、無関係な人たちを巻き込んだ挙句、これから戦争相手の種族を自陣に送り込むなんて。私は万死に値する人間です)
手綱を握る手に力がこもる。何をしに平原へ向かうのか、ガルーダルは自分に言い聞かせた。
(恥さらし、味方殺しと罵られるでしょうね)
いっそ逃げてしまうという選択肢もあった。しかし彼女は敢えて自らの罪を告白することを選んだ。
(任務も失敗した私にどんな存在価値があるのでしょうか。ただ仲間の装備とブラキアを連れてきた私に、一体どんな。……でも、でも女神様。ユウは、復讐を成そうとする彼は違います! 彼はここまで、成すべきことの為に戦ってきました。私と違って、彼には尊厳があるんです!)
ダカカカッ、ダカカカッ。
下り坂の先に見える丘陵の、さらに先には、雲から顔を出した月が二人の行く先を照らしていた。周囲をなだらかな地形の凹凸に囲まれ、そこだけ巨人に踏みつけられたような平らで広大な土地。
カパル中央平原。かつて大陸の命運を左右する戦いが起き、再び悲劇が起こされようとしている場所だ。
ガルーダルは手綱を振り、速度をさらに上げた。
(丘をいくつか越えればもう目の前……もう少し、もう少しよ。ユウを送り届けて、私は裁かれる)
そして、ナミルの部屋で見つけた手紙を証拠に、ゴルガリアを糾弾する。獣人族の長とその助言役が結託して夜の手と関わっていたなら、他種族からの非難は免れない。回り回って戦争自体が有耶無耶になってくれないだろうかと彼女は考えたが、すぐに頭を振った。勇一と出会ってからこれまでの事を考えると、あまりに痛みの多い旅だった。いかに都合の良い事かわかっていても、考えずにはいられない。
(ユウ、ありがとう。あなたに会えなかったら私、あのまま……)
勇一を無事に送り届ける、彼女の気力の根源はそれだけだった。しかしあと少し、あと少しと自分自身を励ましながら丘を登りきった頃、彼女は手綱を握る手に異変を感じた。
握っているはずの手綱が手から抜ける。ハッとした彼女は自らの手に目を移し、唖然とした。
「私の……手が!」
ガルーダルの指先が、風に吹かれた砂のように崩れ落ちたのだ。目の前で起こる現象に彼女は取り乱しかけたが、勇一が自分に掛けた魔法を思い出す。彼女が超常の事態を経験するのは、初めてではなかった。
「女神魔法で数日間蘇らせることにした」と彼は言っていた。しかし具体的な期間については彼自身も明確ではなかった。
死を司る星属性の魔法で、ガルーダルは仮初の命を与えられた。その魔法と今彼女自身に起きている現象とを結びつけ、導き出される答えに、彼女は深く息を吐いた。
「そっか……時間切れ、か」
狼狽するよりも早くガルーダルは事実を受け入れた。勇一の話を聞いていればいつかは別れの時が来ることはわかっていたはずだ。崩れ落ちる手首を見ながら彼女は自嘲する。
(死体も残らないなんて、私みたいな人間にはお似合いの最期ね……)
彼女の両腕が塵と消えた。痛みは無く、ただ崩れ、馬の尾のように後方へ散っていく。
(ユウ、だめみたい。私――)
***
「う、ん……」
疲労の抜けきっていない体は鉛のように重く、勇一は腕を上げるのにも苦労した。意識がはっきりすると、すぐに彼は自分の置かれた状態に違和感を覚えた。
(俺、横になってる……確かガルーダルと馬に乗っていたはずだ)
体を捩らせると折れた脚が痛む。目を開けば暗い空間を小さなランタンが照らしていた。周囲は壁も天井も布で覆われている。微かにしてくる藁の臭いは体の下に敷かれているものだ。
どうやら自分は小さな天幕にいるらしいと察した勇一は、意識を失う直前の事を思い出そうとした。
「目ぇ、覚めたか」
そのとき聞こえてきた声に勇一は二重に驚いた。懐かしい響きの男の声だった。勇一の目から涙がこぼれ落ちそうになった。そして、この声がするということは、ここは目的の場所、カパル平原の同盟軍陣地にいることに気付いた。
「ああ。体はまだ、痛むけどな」
「そうか」
「……」
「……」
よく生きていられたな。
あれからどうしてた。
お前こそ。
お前はどうなんだ。
どうでもいい。
んなわけあるか。
はっ。
話せよ。
二人の間にある沈黙には、言葉以上の密度があった。
互いに無事を喜ぶでもなく、抱き合って再開を祝う訳でもない。生きていることを確認できただけで十分だった。
「勇一」
ガルク・フォーナーは土に胡座をかき、勇一を見つめている。彼は二人が別れる直前の時と同じ目をしていた。
勇一は一旦深呼吸して、起こそうとした上体を再び藁の寝床に預けた。次に彼は、一緒に来たはずのガルーダルの姿がないのを聞こうと思った。
「頭ん中整理しておけ。いろいろ聞きたいことがあるからな」
(このぶっきらぼうな物言いも変わらないな)
優しくされているわけでもないのに、勇一は妙な安心感を覚えた。ガルーダルの話では、彼は蟲人の代表のような立場になっているはずだ。それでもこの突き放すような態度が懐かしくて、自然と口角が上がってしまう。
「気色悪ぃ顔するんじゃねぇ。お前今自分がどんな状況かわかってんのか」
「ガルーダルに聞けばいいだろう、俺と一緒に来たはずだ。あっちの方がずっと事情を知ってる。どこに――」
「そういうのも含めて、だ」
「そういうのも?」勇一が首を傾げたと同時に、外から声がかかった。「ガルク・フォーナー、良いかな」しわがれた男性の声だ。聞き覚えのある声に彼はそちらへ顔を向ける。
「どうぞ。たった今起きました」
「ふむ、ご苦労だったね。さてユウ殿、わしの事覚えておるかな」
「……ダラン様?」
有角族の長、ダラン・ウェイキン。彼は以前勇一が見た時と同じ赤い鎧を纏い、天幕の入り口を跨ぐ。
彼は立ち上がろうとした勇一を「座ったままで結構」と制止した。足の折れている体にはその心遣いがとてもありがたく、彼は安堵の表情を浮かべる。
しかしダランに続いて何者かが入っくると、勇一は全身が殺気の海に漬けられたように震えあがった。
「こ奴が例のブラキアか」
次に入ってきたのは勇一の知らない竜人だった。
隣に立つガルクが子どものように見える巨躯。身につけているのは最低限の防具と腰に差した戦鎚のみ。傷だらけの体は岩のようにごつごつしていて、所々欠けた赤黒い色の鱗を纏っている。
「ダラン様、どうしてクソ……将軍まで」
「わしが許可したのだ。ヴァルカン、彼が――」
「名前など興味ない。ダラン、さっさと始めろ」
鬼気迫る視線と高圧的な声に晒された勇一は、ヴァルカンに目を向けることすらできなかった。




