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24 師の正体-7

「後はこれを始末すればよし」


 パンテラは冷静を装っているが、口角が上がるのを我慢できない。手に張り付いた書状の残りカスを吹いて飛ばすと、真っ黒な天井を見上げる。


「この戦いに勝利した暁には、同盟をまとめ上げ、大陸は楽園となるだろう。私の名は英雄として歴史に刻まれるのだ……ククク」


「ガッ……」


 足元でのたうつ勇一をことさら強く踏みつけるパンテラ。なすがままの勇一は、砕け散ってしまいそうな激痛で足を振り払うどころではない。

 眼の前で書状を焼き払われたガルーダルはそんな光景をただ複眼に映していた。何をどうしたらいいのか、今までの苦痛や悲しみは何だったのか。考えても仕方がないことが真っ白になった頭の中でぐるぐると回っている。


「ガルー……ダル」


 弱々しくうわ言のように勇一が声を出す。


「俺もだ……俺も力がないばっかりに、何もできなかった。何もかも消えたって思ってた。あんたからガルクが生きてるって聞いたとき、どんなに嬉しかったか」


「折れた脚を抱えてそこまで話せるとは。どうしたら黙るのか試してやろうか」


「うぐあああっ‼」


 勇一の折れた脚をパンテラが小突くと、全身を引き裂くような激痛が彼を襲った。しかし彼は二、三度頭を石畳の床に打ち付け正気を取り戻す。


「ゴ、ゴルガリアは亀裂を開いて、俺の大切な人たちを殺したんだ。誰も望んでいないかもしれないし、頼まれてもいない。けど、復讐すると決めた! だからこんな通過点で倒れてる暇なんてないんだ」


「ユウ……」


「あんたもだろガルーダル! まだあんたは、仲間の為にやることがあるはずだ! 書状が無くなったって、行くべき場所は変わらないだろ! 怒れガルーダル! 自分と仲間のために怒れぇっ!!」


 ガルーダルは自らに課した使命を再確認した。命を落とした仲間たちの装備を持って、遺族の元に行く。そして罪を告白し、裁きを受けるのだ。

 それは彼女自身だけでなく、家族にまで評判が及ぶことになる。家族の為にと犯した罪が彼らを苦しめる。しかしここで屈してしまったら、仲間への贖罪もできない。


(二人で陣に着いてもどうなるか。伝令の無い伝令と復讐者よ、わかるわけがない)


 しかし彼女はそんな先のことを考えるのはやめた。何にせよ、今を生き延びなければ今思った事もできないのだ。

 決意のみなぎったガルーダルは顔を上げた。視線の先には大きな足に踏みつけられた勇一。彼を助けるため痺れの残る太腿に喝を入れる。


「ククク。まさか本当に暗殺者だとはな、ならば当然返り討ちも覚悟の上だろう」


「お前には聞いてないんだよ、パンテラァ!」


 足を折られて尚、勇一の怒りは鎮火されることはない。それどころか痛みを燃料に、一層強く燃え上がっているのがパンテラにもわかった。


「言葉には気をつけろブラキア。まさかお前、まだ私に勝つつもりか。勝てるつもりなのか」


「勝ち負けじゃない、殺してやる!」


「お前は目の前の脅威がどれ程のものか理解できぬのか。つまりそれが力量の差なのだ。お前にはここで死ぬ程度の運と力。私にはヴァパを再興し、大陸を統一できる力が――」


「うるせぇッ!!」


 勇一は渾身の力で自分を踏みつける足を振り払った。しかし立ち上がろうとした瞬間、パンテラに首を掴まれる。黒豹の左手が再び体を床に叩きつけた。


「がっ……!」


「残念だったな。それが抵抗と言うなら、最早――」


「さっきから童貞みたいな夢語りやがって、理解できてないのはお前の方だ!」


「何」


 表情の乏しいパンテラの口角が明らかに下がった。何かが彼の逆鱗に触れたようだったが、勇一は敢えて続ける。


「戦争に勝つ? 大陸をまとめる? お前はそれしか言ってねえ。どうせ具体的な手段はなにも決めてないんだろう! 大層な事語って自分が上手くやれば全部がそうなるって本気で思ってる所が童貞くさいって言ってんだ!!」


 ガルーダルは何とかして体を起こす。彼は狙っているのかそれともただの八つ当たりなのか、どちらにせよその悪態はパンテラの意識を彼女からそらした。

 膝をつきどうにか立とうと踏ん張るも、体は思い通りに動かない。肉体的な疲労に加え、燃え尽きる書状が頭の中で繰り返し流れている。その度に「もう諦めろ」という自身の声が聞こえて、ガルーダルは頭を振った。


(だめ。だめだめだめだめ! それでも、ユウはまだ)


 勇一を見る。彼の眼はまだ諦めていない。力も経験も勝る相手を殺してやろうともがいている。


「そうかお前、女の体を恥だと思ってるんだな。獣人の長だってのに征服する相手がいない。だからと言って男に体を許す趣味はない。そうやってただたまっていく欲望を、他者の支配って形にするしかなかったんだ。女を知らない自分を――――っ!」


 パンテラは勇一の首をつかんだまま彼を引き起こすと、今度は石壁に叩きつけた。頭部に強い衝撃を受けたことで勇一の意識は薄れていく。しかし続けざまに受けた二度目の衝撃で目を覚ますと、再びパンテラを睨みつけた。


「図星、かよ。俺にだってわかったんだ。か、勘のいい……誰かは、とっくに気付いてるだろう、な」


「…………いずれここは、火によって崩れ落ちよう」


 パンテラの抑揚のない冷静な言葉が勇一の処遇を言い渡す。


「しかし――お前を嬲り殺す時間くらいはあるぞ」


「うっ、ぐはぁ……っ!」


 黒豹の手が勇一を壁に打ち付け、豹の拳が襲う。勇一の頭ほども大きさがある拳が一発ずつ握り直され、殺意をこめて打ち込まれる。その様はさながら杭打ちのようだった。

 このままでは勇一が殴殺されてしまう。立ち上がる意味を失ったはずのガルーダルは、自分の脚が熱くなるのを感じた。魔法に掛けられたように腰から膝へ、膝から踵へ、踵からつま先へ、熱の濁流が満たしていく。気が付けば彼女は剣を抜き、パンテラ目掛けて振りかぶっていた。


(立ち上がれる! ユウは…………ユウは死なせない!)


 勇一を殴りつけているパンテラへ、狙いすました投擲が飛び込む。そしてその首筋に切っ先がくらいつく。

 ――はずだった。

 勇一を殴りつける手が一瞬で翻った。すると投げつけられた剣は吸い込まれるようにしてその中へ納まってしまう。そして剣はパンテラの手の中であっという間にへし曲げられてしまった。


「くっ!」


「ほう。今の一撃、止めていなければ私の頸動脈を切り裂いていた」


 パンテラは目を細め、ガルーダルを見据える。彼は気づかない。勇一から目を離した瞬間、腫れあがった目の奥に火が宿ったことを。


「ガルーダルよ、窮地にあって冷静さを取り戻したか。中々優秀ではあったようだ――――」


「う"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"ぁーーーーッ!!」


 勇一の絶叫。激痛と戦う彼の雄叫びはパンテラの視線を再び引き寄せた。


(一瞬…………一瞬だ。ガルーダル、ありがとう。一瞬あれば、こいつを殺す準備が……整う!)


 パンテラと対峙した時、勇一はガルーダルと共に生き残る未来を想像できなかった。武器は頼りなく、二人は満身創痍。ゴルガリアとの戦いの為に女神魔法を温存しなければならない状況。それでいて相手は獣人の長。体格も戦闘技術も相手が上。どんな奇跡が起こっても、パンテラを退ける手段が思いつかなかった。

 そしてパンテラも自らが敗北する光景を想像すらしなかった。


「何っ!?」


(パンテラは俺を壁に拘束している。力でこの腕を剥がすのは無理。だから――!)


 しかし状況は、パンテラが勇一の脚を折ったことで変わった。万一の逃亡を防ぐために彼の行ったことが、勇一に逆転の手段を与えてしまったのだ。

 勇一はこの手段を閃いたとき、同時に、ヴェイロンとの戦いで自らが言い放ったことを思い出した。正気で殺しができるか、と。

 彼は首を絞められ拘束されてはいるが、体は自由だ。折れていない方の脚と右腕で丸太のような腕にしがみ付き、地面と平行になった体をバネの様に縮め力を溜める。そして右ひざ下の皮膚から突き出た赤く濡れた骨を、彼に向き直ったパンテラの右眼に――――。


「ガアアアアアアアーーーーッ!!」


 突き立てた。全身全霊の力を込めて打ち込んだ骨はパンテラの眼球を貫き、彼から永遠に光を奪った。


「き……き、さ、まァーーッ!!」


 反射的にパンテラが手を緩ませると、重力にひかれて勇一が落下する。

 凄まじい痛みに顔を歪ませるが、時は一刻を争う。彼はとにかく叫んだ。


「い、今だっ!」


「ああっ!」


 剣を折られ一瞬ひるんだガルーダルだったが、勇一の声がその背中を押した。鎌腕も剣も使えなくなった彼女の最後の手段。下顎が左右に割れると、赤い粘膜とずらりと並んだ牙が現れた。そして滅茶苦茶に振られるパンテラの腕をかいくぐり、その喉元へ食らいつく。

 暗闇の中でパンテラは何が起こったのかを察し、すぐさまガルーダルを引き剝がそうとした。しかし彼女を掴む手は血で滑り、用をなさない。

 凄まじい咬合力がパンテラの太い首を食いちぎる。噴水のように噴き出た鮮血が二人を濡らした。

 パンテラは「ごぶっ」と言葉にならない声を上げ、よろめき、燃え盛る瓦礫の中に倒れ込む。同時に彼女の口から赤黒い肉塊がぼとりと落ちた。

 新たな餌を与えられた炎が、一層強く燃え上がった。



 ***



「ハァ…………ハァ…………や、やった。やったな、ガルー、ダル」


「ユウ!」


 息も絶え絶えの勇一をガルーダルは助け起こした。パンテラは勇一の顔だけでなく、胸や腹も強烈に殴りつけていた。一呼吸ごとに内臓が弾け飛びそうな痛みが彼を襲う。


「早く脱出しましょう。ねえ、お願い、立って。立ってよ!」


「う、ああ……」


 二人はわかっていた。パンテラを倒したところで自分たちにはもう一つ試練があるのだと。勇一によって起こされた火災が二人を追い詰めている。

 ガルーダルは脱出路を確保しようと辺りを見渡すが、唯一の出入り口がパンテラに潰されていたことを思い出し絶望した。


「だ、だめ。瓦礫が邪魔で窓にもたどり着けない。私たちこんな所で終わるの?」


「窓しかない。窓まで、行くんだ。俺の、上に載って――」


 天井の一部が崩れ落ちた。幸い二人には当たらなかったものの、落ちてきた瓦礫は窓への進路を完全に塞いでしまう。


「ああ……そんな」


 もはや打つ手はない。

 踊る炎を見つめる二人の手は自然とつながっていた。火災の只中にいても尚、互いのぬくもりを感じる。静かに死を待つしかないのだろうか。


「――――ちゃん、兄ちゃん」


 どこからか子どもの声がする。二人は反射的に身をよじらせ辺りを見渡した。


「な、なんだ。一体誰だ!」


「ああよかった! やっぱり兄ちゃんだ!」


「ユウ、あの棚からよ」


 半分火を纏った棚の奥から声は聞こえる。しかしそこは壁だ。石造りの壁から声が聞こえるのだ。勇一は兄ちゃんと呼ばれた時、記憶が急浮上する。声に聞き覚えがあったのだ。


「ダーリュ……ダーリュ、なのか!?」


「へへへ、悪いヤツってのは誰も知らない抜け道を用意しているものなんだ。働いてた時に偶然ここを見つけてね。ボク、助けてもらった後、何とか兄ちゃんも助けられないかって思ってさ――――待ってて、今開けるから!」


 重い棚が石畳を滑る不快な音が、今の二人には福音だった。ガルーダルが勇一の肩を抱き、勇一は激痛に顔を歪ませながらガルーダルを抱き寄せる。そうして立ち上がった二人は、現れた隠し通路へ足を踏み入れた。

 直後、背後で崩壊の音が響く。何もかもが消える。しかし二人は振り返らなかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 骨の攻撃は怖くてゾワゾワしました。 ガルーダルの体を活かした攻撃は興奮です! 蟲の造形美! [気になる点] 『気をやってしまいそうな』とありましたが、『気をやる』は主に性的絶頂の意味で使…
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